対岸の彼女(角田光代)
人と出会うということは、肩の上に何かを載せられていくのに似ている。少なくとも、僕にとっては。
人と出会うことで僕が感じるのは、常に重さである。誰かの人生を引き受けてしまった、なんていうことはまさか考えないけど、誰かの人生と交わってしまうことに負担を感じることの方が多い。
人は何故出会うのかといえば、お互いを必要としているような出会いだってもちろんあるだろうけど、大抵はただ何となく出会うのだと思う。同じ学校、同じクラス、同じ塾、同じ職場、同じ趣味を持ってる。あるいは、街中で道を聞かれた、落とした財布を拾ってもらった、息子が車で轢かれた。とにかくいろんな形で人と出会うことになるのだけど、それらは大抵事故のようなもので、初めからお互いを必要としていたわけではない。
そうやって出会った相手と、じゃあどうやってうまくやっていこうかと思うと、これが結構難しい。だって、例えば学校のクラスとかだったら、年齢が同じというまとまりしか初めはないのだ。その中で、誰とも関わらずにやっていけるというならそれでもいいけど、まさかそんなことはありえない。全然知らない相手と、全然理由もなく出会った相手と、とりあえず関わらなくてはいけない。これは、負担に感じて当然だと僕は思う。
だから、人と出会うことが全然負担にならない人というのが僕には羨ましく思える。
友人にもそういう人がいる。とにかく、知らない誰かと知り合うことが楽しいし、知らない人同士を知り合わせることが楽しいのだという。僕にはその感覚は全然理解できない。
人と出会うことが楽しいというのはどこからやってくる感情なんだろう。僕には負担にしか感じられないものを、いとも容易く楽しいことに変えてしまえるその力は、一体どこで生まれるんだろう。僕はこれからもずっと、人と出会うこと、そしてかかわり続けることに負担を感じ続けることだろう。その重さをいつだって理解しながら、僕はこれからも生きていくことになるだろう。
なんという理不尽さだろうなと思う。人は人と関わらずには生きていけないというのに、その人と関わることそのものが一つの負担であるというのはどういう冗談だろう。
最近は、人との繋がりもかなりの多様性が出てきた。その代表がインターネットで、とにかくインターネットでは様々な繋がりを演出してくれるものだ。インターネットでの出会いのいいところは、場所や時間などの制限なく、自分の望む相手と繋がれるということだ。リアルの世界で人と関わる場合は、時間や場所の制限があり、自分の近くにいる人としか関わることが出来ない。しかしインターネットを使えば、自分の近くにいない誰かとも繋がることが出来るようになる。恐らくそんな理由から、インターネットでの出会いは広がっていくのだろう。
たぶんだからそう考えると、リアルな世界での人との関わりというのはこれからどんどん弱まっていくのではないかと思う。これまでは、我慢してでも自分の近くにいる人と関係を持つしかなかったし、そこでの繋がりを断たれてしまうと新しい関係性はなかなか持つことが出来なかったと思う。しかしこれからは、リアルの世界での繋がりを無視しても、インターネットで誰かと繋がることが出来る。しかも、その対象は無限に広い。取替えだっていくらでも利くかもしれない。そうなってくれば、リアルの世界での人付き合いに無理に我慢をする理由がなくなってしまうことだろう。
そうなった時、人と出会うということそのものの意味は変わってしまうだろうか。人と出会うことで今僕が感じている負担も、まさかなくなったりする未来がありえるだろうか。
この世の中に山ほど人がいる。その全員と出会えるわけがない。出会えるのはほんの僅か、世界の人口と比べれば些細なものでしかない。そのほんの僅かな人の波の中で、僕はすぐに溺れてしまう。溺れないように泳ぐ練習をするでもなく、また浮き輪を買うでもなく、その海に近づかないという選択を僕はした。それでいいと今でも思う。
人と出会うということは、人が生きている限りなくなることはない。これからも、騙し騙しなんとかやっていくしかないだろう。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、二つのパートが交互に語られる構成になっています。
結婚を機に退職し専業主婦になった小夜子は、一人娘であるあかりと共に日々を過ごしていた。なかなか人と打ち解けない娘を見て、やっぱり自分の娘だなと思ったりする。
ふとしたきっかけで小夜子は働きに出ようと思った。何社も面接を受けるが落ち続けるも、とある旅行のベンチャー会社で採用が決まった。同じ大学だったという女社長の葵に気に入られたようだった。旅行関係の会社なのに掃除の仕事だというのが奇妙だったが、新しい仕事の立ち上げに関わることになった小夜子ははりきって仕事をするようになる。夫や義母に働くことそのものについて意味があるのかと言われるような中、小夜子は働くことで得られるはずの何かを求めて、人と関わることを避けてきた自分をリセットするように努力するのだが…。
一方、葵の高校時代が描かれる。
小学校時代からどうも、周りと打ち解けることが出来なかった。何故だか疎まれ、無視されるようになっていた。自分のどこが悪いのかよくわからず、だから一向に改善することも出来ない。高校に入ってからは、なんとなく一緒にいるようになったメンバーがいるけど、近からず遠からずと言った距離を保っていた。
でもナナコだけは違った。
ナナコとは学校での付き合いはほとんどなかったけど、放課後や休みの日に会ってはいつもくだらない話をした。ナナコとは何でも話せたし、沈黙さえ気にならなかった。ナナコは学校ではどのグループにも属さず、ある意味でちょっと浮いた存在だった。
夏休み、ナナコと一緒に民宿のバイトに行くことにした。何とか親を説き伏せてのことだった。目の回るような忙しいバイトだったけど、なんとか充実感と共にやり終えて帰ろうとした二人だったけど…。
というような話です。
角田光代の作品は初めて読んだけど、なかなかいいですね。文章がすごく読みやすくて、水が染み込むみたいにしてスーッと入ってくるようなそんな文章だなと思いました。
ストーリーは、特別何が起こるわけでもない淡々とした雰囲気の作品だけど、読んでいてすいすいと引き込まれていくような感じでした。前からずっと思っていることだけど、女性というのはホント人間関係が大変なんだろうなという感じで、それがすごくわかるような作品でした。だから正直、男が読んでもなかなか共感するというところまではいかない感じの作品だと思うけど、それでも読んでてグイグイ引き込まれる感じでした。小夜子が抱える些細なイライラであるとか、周囲への冷めた目線であるとか、不連続にも感じられる感情の流れであるとか、あるいは高校生である葵が感じる不満や憧憬、あるいはナナコという友人に対する複雑な接し方など、とにかく物の見方とか感情とかが面白くて、やっぱり女ってのは大変だなぁ、とか思ったりしました。特に何も起こらないのだけど、その何も起こらなさが逆に、なるほどこれが女性の日常なのだなと思わせるものがあって、女じゃなくてよかった、と思ったりします。
誰もが同じようなものを抱えているわけではないだろうとは思うけど、でも小夜子や葵が抱えているようなものに近いものは恐らく誰もが持っているのではないかなと思います。どこにも辿り着けない自分、逃げることしか出来ない自分、虚勢を張るしかない自分、分かったフリをするしかない自分。何か自分と重ね合わせてしまう部分が本作にはあるのではないかなと思います。
基本的には女性が読む方が共感できる作品だろうなと思います。でも男が読んでも面白い作品だと思います。本作には小夜子の夫とか葵の父親と言った形で男がちょっとだけ出てくるんですけど、それぞれに一癖ある感じで、そういう部分を楽しむという読み方も出来るかもしれません。確か直木賞受賞作だったと思います。なかなかいい作品だと思います。女性には特に読んで欲しい作品です。読んでみてください。
角田光代「対岸の彼女」
人と出会うことで僕が感じるのは、常に重さである。誰かの人生を引き受けてしまった、なんていうことはまさか考えないけど、誰かの人生と交わってしまうことに負担を感じることの方が多い。
人は何故出会うのかといえば、お互いを必要としているような出会いだってもちろんあるだろうけど、大抵はただ何となく出会うのだと思う。同じ学校、同じクラス、同じ塾、同じ職場、同じ趣味を持ってる。あるいは、街中で道を聞かれた、落とした財布を拾ってもらった、息子が車で轢かれた。とにかくいろんな形で人と出会うことになるのだけど、それらは大抵事故のようなもので、初めからお互いを必要としていたわけではない。
そうやって出会った相手と、じゃあどうやってうまくやっていこうかと思うと、これが結構難しい。だって、例えば学校のクラスとかだったら、年齢が同じというまとまりしか初めはないのだ。その中で、誰とも関わらずにやっていけるというならそれでもいいけど、まさかそんなことはありえない。全然知らない相手と、全然理由もなく出会った相手と、とりあえず関わらなくてはいけない。これは、負担に感じて当然だと僕は思う。
だから、人と出会うことが全然負担にならない人というのが僕には羨ましく思える。
友人にもそういう人がいる。とにかく、知らない誰かと知り合うことが楽しいし、知らない人同士を知り合わせることが楽しいのだという。僕にはその感覚は全然理解できない。
人と出会うことが楽しいというのはどこからやってくる感情なんだろう。僕には負担にしか感じられないものを、いとも容易く楽しいことに変えてしまえるその力は、一体どこで生まれるんだろう。僕はこれからもずっと、人と出会うこと、そしてかかわり続けることに負担を感じ続けることだろう。その重さをいつだって理解しながら、僕はこれからも生きていくことになるだろう。
なんという理不尽さだろうなと思う。人は人と関わらずには生きていけないというのに、その人と関わることそのものが一つの負担であるというのはどういう冗談だろう。
最近は、人との繋がりもかなりの多様性が出てきた。その代表がインターネットで、とにかくインターネットでは様々な繋がりを演出してくれるものだ。インターネットでの出会いのいいところは、場所や時間などの制限なく、自分の望む相手と繋がれるということだ。リアルの世界で人と関わる場合は、時間や場所の制限があり、自分の近くにいる人としか関わることが出来ない。しかしインターネットを使えば、自分の近くにいない誰かとも繋がることが出来るようになる。恐らくそんな理由から、インターネットでの出会いは広がっていくのだろう。
たぶんだからそう考えると、リアルな世界での人との関わりというのはこれからどんどん弱まっていくのではないかと思う。これまでは、我慢してでも自分の近くにいる人と関係を持つしかなかったし、そこでの繋がりを断たれてしまうと新しい関係性はなかなか持つことが出来なかったと思う。しかしこれからは、リアルの世界での繋がりを無視しても、インターネットで誰かと繋がることが出来る。しかも、その対象は無限に広い。取替えだっていくらでも利くかもしれない。そうなってくれば、リアルの世界での人付き合いに無理に我慢をする理由がなくなってしまうことだろう。
そうなった時、人と出会うということそのものの意味は変わってしまうだろうか。人と出会うことで今僕が感じている負担も、まさかなくなったりする未来がありえるだろうか。
この世の中に山ほど人がいる。その全員と出会えるわけがない。出会えるのはほんの僅か、世界の人口と比べれば些細なものでしかない。そのほんの僅かな人の波の中で、僕はすぐに溺れてしまう。溺れないように泳ぐ練習をするでもなく、また浮き輪を買うでもなく、その海に近づかないという選択を僕はした。それでいいと今でも思う。
人と出会うということは、人が生きている限りなくなることはない。これからも、騙し騙しなんとかやっていくしかないだろう。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、二つのパートが交互に語られる構成になっています。
結婚を機に退職し専業主婦になった小夜子は、一人娘であるあかりと共に日々を過ごしていた。なかなか人と打ち解けない娘を見て、やっぱり自分の娘だなと思ったりする。
ふとしたきっかけで小夜子は働きに出ようと思った。何社も面接を受けるが落ち続けるも、とある旅行のベンチャー会社で採用が決まった。同じ大学だったという女社長の葵に気に入られたようだった。旅行関係の会社なのに掃除の仕事だというのが奇妙だったが、新しい仕事の立ち上げに関わることになった小夜子ははりきって仕事をするようになる。夫や義母に働くことそのものについて意味があるのかと言われるような中、小夜子は働くことで得られるはずの何かを求めて、人と関わることを避けてきた自分をリセットするように努力するのだが…。
一方、葵の高校時代が描かれる。
小学校時代からどうも、周りと打ち解けることが出来なかった。何故だか疎まれ、無視されるようになっていた。自分のどこが悪いのかよくわからず、だから一向に改善することも出来ない。高校に入ってからは、なんとなく一緒にいるようになったメンバーがいるけど、近からず遠からずと言った距離を保っていた。
でもナナコだけは違った。
ナナコとは学校での付き合いはほとんどなかったけど、放課後や休みの日に会ってはいつもくだらない話をした。ナナコとは何でも話せたし、沈黙さえ気にならなかった。ナナコは学校ではどのグループにも属さず、ある意味でちょっと浮いた存在だった。
夏休み、ナナコと一緒に民宿のバイトに行くことにした。何とか親を説き伏せてのことだった。目の回るような忙しいバイトだったけど、なんとか充実感と共にやり終えて帰ろうとした二人だったけど…。
というような話です。
角田光代の作品は初めて読んだけど、なかなかいいですね。文章がすごく読みやすくて、水が染み込むみたいにしてスーッと入ってくるようなそんな文章だなと思いました。
ストーリーは、特別何が起こるわけでもない淡々とした雰囲気の作品だけど、読んでいてすいすいと引き込まれていくような感じでした。前からずっと思っていることだけど、女性というのはホント人間関係が大変なんだろうなという感じで、それがすごくわかるような作品でした。だから正直、男が読んでもなかなか共感するというところまではいかない感じの作品だと思うけど、それでも読んでてグイグイ引き込まれる感じでした。小夜子が抱える些細なイライラであるとか、周囲への冷めた目線であるとか、不連続にも感じられる感情の流れであるとか、あるいは高校生である葵が感じる不満や憧憬、あるいはナナコという友人に対する複雑な接し方など、とにかく物の見方とか感情とかが面白くて、やっぱり女ってのは大変だなぁ、とか思ったりしました。特に何も起こらないのだけど、その何も起こらなさが逆に、なるほどこれが女性の日常なのだなと思わせるものがあって、女じゃなくてよかった、と思ったりします。
誰もが同じようなものを抱えているわけではないだろうとは思うけど、でも小夜子や葵が抱えているようなものに近いものは恐らく誰もが持っているのではないかなと思います。どこにも辿り着けない自分、逃げることしか出来ない自分、虚勢を張るしかない自分、分かったフリをするしかない自分。何か自分と重ね合わせてしまう部分が本作にはあるのではないかなと思います。
基本的には女性が読む方が共感できる作品だろうなと思います。でも男が読んでも面白い作品だと思います。本作には小夜子の夫とか葵の父親と言った形で男がちょっとだけ出てくるんですけど、それぞれに一癖ある感じで、そういう部分を楽しむという読み方も出来るかもしれません。確か直木賞受賞作だったと思います。なかなかいい作品だと思います。女性には特に読んで欲しい作品です。読んでみてください。
角田光代「対岸の彼女」
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こんばんわです。まあ確かに失敗かもしれませんが(笑)、どうってことはないですよ。僕としては嬉しい限りです。
女性が働くというのはやはり大変なんでしょうね。まあただのイメージでしかないですけど、そう思います。女性というのは、出産できる年齢というのに限りがあり、子供が欲しいと思うのならやはりそこに制限が掛かる。今はそれでも多少は福祉的にも、あるいは会社の制度的にも充実していたりするのかもですけど、子供を育てながら働くというのは大変でしょうね。かといって、子育てのために一旦仕事を辞めて、子育てが終わってからまた働き出すというのも、特別資格をもってたりするような人じゃないと難しいだろうし。女性はやはりそういう意味で不利でしょうね。
でも、社会から置いていかれたくないというのは分かります。僕も基本的にはそんな理由でバイトをしているようなものです(笑)。僕はまあ結婚しないと思いますけど、万が一結婚するとしても、奥さんにはしたいことをしてもらおうと思います。まあそううまくはいかないかもしれませんけどね。
角田さんはホントなかなか読ませますね。今話題に「八日目の蝉」も是非読んでみたいなと思います。
「カラマーゾフ」はやはり苦戦するんでしょうね。神を巡る話ですかぁ…。退屈そうな気がしますね(笑)。「図書館戦争」は僕も早く読みたいですが、未だに2巻が手に入りません。碧野圭って確か、ブックストアウォーズの人ですよね。気になります。「ブラック~」も、日本ファンタジーノベル大賞受賞作というところが気になりますね。
M-1は面白かったですよ~。決勝に進出した三組が他を圧倒していた感じでした。決勝は、キングコングかサンドウィッチマンのどっちかだろうなと思ったけど、敗者復活から勝ちあがったサンドウィッチマンが優勝でした。敗者復活からの優勝は初です。面白かったです。
ではでは。相変わらず変わり映えのない生活をしています。
女性が働くというのはやはり大変なんでしょうね。まあただのイメージでしかないですけど、そう思います。女性というのは、出産できる年齢というのに限りがあり、子供が欲しいと思うのならやはりそこに制限が掛かる。今はそれでも多少は福祉的にも、あるいは会社の制度的にも充実していたりするのかもですけど、子供を育てながら働くというのは大変でしょうね。かといって、子育てのために一旦仕事を辞めて、子育てが終わってからまた働き出すというのも、特別資格をもってたりするような人じゃないと難しいだろうし。女性はやはりそういう意味で不利でしょうね。
でも、社会から置いていかれたくないというのは分かります。僕も基本的にはそんな理由でバイトをしているようなものです(笑)。僕はまあ結婚しないと思いますけど、万が一結婚するとしても、奥さんにはしたいことをしてもらおうと思います。まあそううまくはいかないかもしれませんけどね。
角田さんはホントなかなか読ませますね。今話題に「八日目の蝉」も是非読んでみたいなと思います。
「カラマーゾフ」はやはり苦戦するんでしょうね。神を巡る話ですかぁ…。退屈そうな気がしますね(笑)。「図書館戦争」は僕も早く読みたいですが、未だに2巻が手に入りません。碧野圭って確か、ブックストアウォーズの人ですよね。気になります。「ブラック~」も、日本ファンタジーノベル大賞受賞作というところが気になりますね。
M-1は面白かったですよ~。決勝に進出した三組が他を圧倒していた感じでした。決勝は、キングコングかサンドウィッチマンのどっちかだろうなと思ったけど、敗者復活から勝ちあがったサンドウィッチマンが優勝でした。敗者復活からの優勝は初です。面白かったです。
ではでは。相変わらず変わり映えのない生活をしています。
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この本は受賞直後に読みましたが、共感できる部分が多く、そうだ、そうだと相づちを打ちながら読んだ記憶があります。女性が働くことは、今でこそ当たり前ですが、周囲からの有形無形のプレッシャーがあります。
まず、働く理由でしょうね。「どうして、働くの?」「今の生活に不満なの?」「子どもが可哀想じゃないの?」etc隣近所からの不当な介入を私も経験済みです(泣)。まぁ、私の場合は、就職以来ずっと仕事をしてきましたので、それほど酷いものではありませんでしたが、出産=退職という図式が年配の方にはあったようで、育児休業が済み、職場に復帰しようとするときに、近所のオバサンに色々訊かれました。ご近所に若い方がいなかったこともありますが…。結局、仕事を続けた理由は何だったのか?私自身、好く判りません(泣)。経済的な事もありますが(気に入った本は自分が働いたお金で買いたい!)、やはり世の中から置いてけぼりを食うのがイヤということもありました。正解だったかどうかは、未だ結論が出ません(泣)。きっと永久に無理です(笑)。
長くなりましたが、仕事に専念する上での障害(というと、言葉が悪いですが)もあります。子どもの病気やけが、幼稚園や学校への用事、身内の不幸など、次々に試練が迫ってきました。私の場合は、実母が絶大な協力をしてくれまして、子ども達は母が育てたようなものです(笑)。息子達の友達も、当然私(母親)の顔は知らなくても、祖母の顔は皆知っていました。
この本の良い点は、女性同士の友情(助け合い)が書かれている所でしょうね。収め方が爽やかという点です。角田さん、なかなか読ませますよね。
『カラマーゾフの兄弟』は只今、第2巻の終わりに近づきました。神を巡る論争が長く長く続きます。一心不乱に読み通すのはかなり難しい本だなぁ、と感じ始めました。亀山さんの解説が判りやすくで助かってはいますが、やや退屈です(泣)。合間に『辞めない理由』(碧野圭さん)、『図書館革命』、『ブラックジャックキッド』(日本ファンタジー大賞、久保寺健彦さん)を読みました。こちらの方が俄然早く読めます(笑)。『辞めない~』もワーキングマザー(職種は編集者)の話で、好かったですが、男性には余りお勧めしません。『図書館~』はこのシリーズの最後です。予想された終わり方でした(笑)。『ブラック~』は、かなり厳しい境遇の少年が主人公ですが、ほのぼのした感じでした。
Mー1を少し観ましたが、うるさいだけの芸人もいたりして、家族がチャンネルを替えてしまいました。新人は力が入りすぎる傾向がありますが、脱力は却って難しいのでしょうね。9:00からは『手紙』(東野さんの)が放映されます。こちらをしっかり観たいと思っています。
では、長くなりましたがこの辺で。