正義のミカタ~I'm a loser~(本多孝好)
正しいことをしたい。そうして生きていたい。それは確かにそう思う。
普通の人は、誰だってそう思っているのではないだろうか。正しいもの、正しい人、正しい考え方、そうしたものだけに触れ、そうしたものだけを扱うことで、自分の人生を組み立てたいものだ。そんな風に考えているのではないだろうか。
問題は、正しいことだけでは生きてはいけない、ということだ。
これは、生活が出来るとかそういう話ではない。世の中には、生活に困って悪いことに手を染める人間もいるだろうが、そういう話をしたいのではない。
僕が言いたいのは、人間の好奇心、あるいは向上心の話である。
人間というのは、最低限の生活が保障されていれば満足できるか、というとそんなことは全然ない。むしろ、最低限の生活が満足されれば、次はそれよりももう少し上の生活、さらにそれよりも上の生活、とどんどんと希望が増していくものだろう。
その好奇心や向上心は、突き詰めていけば正しくないものと繋がってしまうのだ。それはそうだろう。悪いことをして好奇心を、向上心を満たそうと考えている人間を排除するためにルールがあるのだから。
人間には好奇心や向上心は必ずあるし、それはなくすことは出来ない。どれだけ正しいことをしたいと考えていても、好奇心や向上心に勝てないこともある。だから人は、悪いことをしてしまうのだろうと思うのだ。
別に、性善説を信じているわけではない。僕はどちらかと言えば性悪説を信じている方だと思う。しかしもし世界が性善説で支配されていようとも、悪いことはなくならないし、悪い方向へ進むベクトルもなくなりはしない、とそんな風に思うのだ。
だから、正義がどこにあるのか、と問われても、僕には答えられない。
僕だって、生きている限り正しいことをしたいとは思っているし、正義がそこにあるのならそれを見つめそれを実践することが出来れば素晴らしいことだと思う。
しかし、そもそもその正義は一体どこにあるというのだ。僕には、それがどうしても見えない。
今でも、仮面ライダーや戦隊ヒーローなどは生み出され続けている。彼らは今でも、地球の平和のため、そして何よりも正義のために闘っているのだろう。
しかし、僕らはもうそれを素直に見ることは出来ないだろう。きっと、彼らヒーローがなんのために闘っているのかがはっきりしすぎていて、逆に虚しい気持ちになってきてしまうのではないだろうか。
僕らは、あなたがたのように無邪気に正義を貫くことが出来る立場にはいないんです。
僕らは、あなたがたのように気楽に正義を振りかざすことが出来る世の中には生きていないんです。
僕は静岡で生まれ育ったのだけど、その静岡県の清水というところに(今は合併して静岡市になっているけど)、かつて清水の次郎長と呼ばれる怪盗がいた、という話がある。そこそこ有名な話だと思うので知っている人もいると思うのだけど、清水の次郎長は、大金持ちの家からお金を盗み出しては、貧乏人の家にそのお金を配っていたらしい。自分の利益にはならないのに、恐らく正義のためにそれをしていたのだろう。
別に、昔がよかったと言いたいわけではない。しかし恐らく、正義というものが概念として、あるいはもしかしたら形として明確に存在していた時代があったのかもしれないと思う。いつの世も、正しいことだけが正しいわけではない。
今の世の中の、どこを探せば正義が眠っているだろう。あるいは、僕の細胞の一つ一つを精査すれば、そのうちの一つくらいからは正義を見つけ出すことが出来たりするだろうか。どちらにしても、正義を貫いても、世の中の不公平はなくならないのだろう。正義にどれだけの価値が残っているだろうか。
そろそろ内容に入ろうと思います。
高校時代、筋金入りのいじめられっ子だった蓮見亮太は、一念発起して大学を目指し、見事合格した。
春だ。これまで春など特別な感慨はなかったが、しかし今年は違う。これまでのいじめられっ子だった自分とは何もかもが違う、すべてが変わる春なのだ。
しかし、生来のいじめられっ子器質はそのままで、当面大学では目立たないように行動しようと考える。気配を消して、学校内で誰がいじめっ子で誰がいじめられっ子なのかという勢力図がはっきりしてから行動をしよう。いつにも増して慎重である。
しかしそんな亮太の目の前に、悪夢が形になってそのまま現れたのではないかと思うほどの出来事がやってきた。
畠田だ。
高校時代、さんざん僕をいじめ抜いた張本人だ。おかしい、彼の志望大学についてはこれでもかというくらい調べたのに。同じ大学なはずがない。すわ幻聴か、幻覚か。
しかし残念ながら、幻聴でも幻覚でもなかった。
終わった。僕のすばらしい人生の始まりであるはずの春は、畠田の登場によってすべて終わってしまった。もう大学には来ないことにしよう。求人雑誌を買って、どこかで仕事を探そう。やはり僕には無理だったのだ…。
しかしそこに現れた一人の男。よく分からないが、畠田を叩きのめしてくれたらしい。そしてよく分からないままについて行くと、いつの間にかある部活に入部していた。
「正義の味方研究会」
そうして僕は、生粋のいじめられっ子から、正義の味方になることになったのだ…。
というような話です。
さて新作が出るのが遅い遅いと言われる本多孝好の最新刊です。
とはいうものの、まだこの本は発売されていません。5月の下旬、恐らく20日くらいに出るのではないかという本です。
さてそんなまだ発売されていない本を何故読んだのかといえば、まあそれは書店員の特権というもので。
今回本作のプロモーションのためなのか、仮綴本と呼ばれる製本される前に作る見本のようなものをいろんな書店にばら撒いたようです。もちろん僕のいる本屋にも来ました。まあいろいろあって、当店に届いたものとは違うルートで手に入れたんですけど。
しかし、新刊が出る上でこれだけ大々的なプロモーションがされる作家も珍しいものです。本作のプロモーションとしては他に、本作の冒頭部分が読める冊子を書店で配ったりしているんですけど、これだけ出版社の後押しを受けられる作家というのは幸せでしょうね。恐らくメディアでもかなり宣伝されることでしょう。
さてないようですが、まあさすが本多孝好というか、もちろん面白い作品でした。
でも、作品全体の雰囲気はそれまでのものとは若干違うな、という気がしました。
これまでの本多孝好の作品は、静謐という言葉がぴったりくる感じがします。どこか生気のない主人公が、その生気がないなりの視点で世の中を見、そこで感じられることを静かに描く、というようなものが多かった気がします。
しかし本作は、なんでしょうね、軽い感じの青春小説、という雰囲気ですね。伊坂幸太郎の「砂漠」に非常に似ている作品だと思います。あるいは、金城一紀の「SPEED」にも似てるかもです。大学を舞台にして、そこでなんらかの理由によって集まった人間で何かを解決しようと奮闘する、というような感じです。
ただ本多孝好の作品らしく、枠に嵌まらない部分があります。本多孝好の作品には、それぞれの作品毎になんとなくテーマがあって、本作ではそれが「正義」となっています。
その「正義」というものを語ることによって、やはりどこか枠に嵌まらない、なんとも言いがたい雰囲気をかもし出しているわけです。
特に、最後のシーンではどうにも割り切れない雰囲気をかもし出します。「正義」というものを間にして対立が生じるわけですが、そのやり取りがどうにも飲み込めない感じがあります。どちらが正しいのか、というよりも、どちらも間違っているような気がして、でも何が間違っているのか、あるいは間違っていないのか、それをどうにも指摘できなくて、なんかもどかしいなぁ、という感じがします。
どちらの正義が正しいのかという対決になるのだけど、そういえば正義というものを考えたこともなかったし、だからこそ正義というものへの考えのベースがないというか、難しいもんだよなぁ、という感じがします。
本作にはもう一つ、正義とは別の議論も盛り込まれています。
それは、世の中の「不公平」についてです。
間という登場人物が出てくるのだけど、なかなか自分の哲学を持っている人間で、ある意味で奇抜な人間でした。その間が持っている、世の中の不公平についての哲学が描かれます。それはそれでなかなか興味深い話なのだけど、やはりどっちの立場が正しいのか、あるいは正しくないのかよくわからない感じがあります。
よういう風に、どこか割り切れない感じ、というのが付きまとうような気がします。著者がどちらかの考えを押し付けるわけでもなく、読者がその正しさを考えるようなそんな描き方なのだけど、しかしどちらもうまく考えられない世の中の歪みという感じがして、難しい感じがします。
とそんなことを書いていますが、ストーリー自体は普通にわかりやすいし面白いですよ。普通の大学生がちょっと普通ではないことをしながらも、恋愛もしたりバイトもしたりという、まあ分かりやすいです。トモイチのキャラクターもいいし、間も面白いし、部長もなかなかいい。「正義の味方研究会」という活動も面白いし、なるほどこんなところがあったら面白いだろうな、と思ったりします。いじめられっ子だった亮太が、実はあんな特技があったのか、というのもなるほどという感じがします。
スラスラと読める面白い作品です。まだ発売されていない本ですが、出たら読んでみてください。正義とは何か、世の中の不公平とは何か、という難しいことを考えなくても読めるので、是非是非読んでみてください。
しかし今、行列の出来る法律相談所、を見ていて、「ブログでラーメン屋を酷評したら損害賠償を取れるか」というのをやっています。
まあ僕のブログはアクセス数だってそんなにないただのそこらにあるブログですけど、でももしここである作家の本を酷評したら慰謝料取られるのかなぁ、とか思ったりしました。
というわけで、今その結論が出るのを待っていたりしますが。
どうやら、慰謝料は取れないようですね。よかったよかった。
本多孝好「正義のミカタ~I'm a loser~」
普通の人は、誰だってそう思っているのではないだろうか。正しいもの、正しい人、正しい考え方、そうしたものだけに触れ、そうしたものだけを扱うことで、自分の人生を組み立てたいものだ。そんな風に考えているのではないだろうか。
問題は、正しいことだけでは生きてはいけない、ということだ。
これは、生活が出来るとかそういう話ではない。世の中には、生活に困って悪いことに手を染める人間もいるだろうが、そういう話をしたいのではない。
僕が言いたいのは、人間の好奇心、あるいは向上心の話である。
人間というのは、最低限の生活が保障されていれば満足できるか、というとそんなことは全然ない。むしろ、最低限の生活が満足されれば、次はそれよりももう少し上の生活、さらにそれよりも上の生活、とどんどんと希望が増していくものだろう。
その好奇心や向上心は、突き詰めていけば正しくないものと繋がってしまうのだ。それはそうだろう。悪いことをして好奇心を、向上心を満たそうと考えている人間を排除するためにルールがあるのだから。
人間には好奇心や向上心は必ずあるし、それはなくすことは出来ない。どれだけ正しいことをしたいと考えていても、好奇心や向上心に勝てないこともある。だから人は、悪いことをしてしまうのだろうと思うのだ。
別に、性善説を信じているわけではない。僕はどちらかと言えば性悪説を信じている方だと思う。しかしもし世界が性善説で支配されていようとも、悪いことはなくならないし、悪い方向へ進むベクトルもなくなりはしない、とそんな風に思うのだ。
だから、正義がどこにあるのか、と問われても、僕には答えられない。
僕だって、生きている限り正しいことをしたいとは思っているし、正義がそこにあるのならそれを見つめそれを実践することが出来れば素晴らしいことだと思う。
しかし、そもそもその正義は一体どこにあるというのだ。僕には、それがどうしても見えない。
今でも、仮面ライダーや戦隊ヒーローなどは生み出され続けている。彼らは今でも、地球の平和のため、そして何よりも正義のために闘っているのだろう。
しかし、僕らはもうそれを素直に見ることは出来ないだろう。きっと、彼らヒーローがなんのために闘っているのかがはっきりしすぎていて、逆に虚しい気持ちになってきてしまうのではないだろうか。
僕らは、あなたがたのように無邪気に正義を貫くことが出来る立場にはいないんです。
僕らは、あなたがたのように気楽に正義を振りかざすことが出来る世の中には生きていないんです。
僕は静岡で生まれ育ったのだけど、その静岡県の清水というところに(今は合併して静岡市になっているけど)、かつて清水の次郎長と呼ばれる怪盗がいた、という話がある。そこそこ有名な話だと思うので知っている人もいると思うのだけど、清水の次郎長は、大金持ちの家からお金を盗み出しては、貧乏人の家にそのお金を配っていたらしい。自分の利益にはならないのに、恐らく正義のためにそれをしていたのだろう。
別に、昔がよかったと言いたいわけではない。しかし恐らく、正義というものが概念として、あるいはもしかしたら形として明確に存在していた時代があったのかもしれないと思う。いつの世も、正しいことだけが正しいわけではない。
今の世の中の、どこを探せば正義が眠っているだろう。あるいは、僕の細胞の一つ一つを精査すれば、そのうちの一つくらいからは正義を見つけ出すことが出来たりするだろうか。どちらにしても、正義を貫いても、世の中の不公平はなくならないのだろう。正義にどれだけの価値が残っているだろうか。
そろそろ内容に入ろうと思います。
高校時代、筋金入りのいじめられっ子だった蓮見亮太は、一念発起して大学を目指し、見事合格した。
春だ。これまで春など特別な感慨はなかったが、しかし今年は違う。これまでのいじめられっ子だった自分とは何もかもが違う、すべてが変わる春なのだ。
しかし、生来のいじめられっ子器質はそのままで、当面大学では目立たないように行動しようと考える。気配を消して、学校内で誰がいじめっ子で誰がいじめられっ子なのかという勢力図がはっきりしてから行動をしよう。いつにも増して慎重である。
しかしそんな亮太の目の前に、悪夢が形になってそのまま現れたのではないかと思うほどの出来事がやってきた。
畠田だ。
高校時代、さんざん僕をいじめ抜いた張本人だ。おかしい、彼の志望大学についてはこれでもかというくらい調べたのに。同じ大学なはずがない。すわ幻聴か、幻覚か。
しかし残念ながら、幻聴でも幻覚でもなかった。
終わった。僕のすばらしい人生の始まりであるはずの春は、畠田の登場によってすべて終わってしまった。もう大学には来ないことにしよう。求人雑誌を買って、どこかで仕事を探そう。やはり僕には無理だったのだ…。
しかしそこに現れた一人の男。よく分からないが、畠田を叩きのめしてくれたらしい。そしてよく分からないままについて行くと、いつの間にかある部活に入部していた。
「正義の味方研究会」
そうして僕は、生粋のいじめられっ子から、正義の味方になることになったのだ…。
というような話です。
さて新作が出るのが遅い遅いと言われる本多孝好の最新刊です。
とはいうものの、まだこの本は発売されていません。5月の下旬、恐らく20日くらいに出るのではないかという本です。
さてそんなまだ発売されていない本を何故読んだのかといえば、まあそれは書店員の特権というもので。
今回本作のプロモーションのためなのか、仮綴本と呼ばれる製本される前に作る見本のようなものをいろんな書店にばら撒いたようです。もちろん僕のいる本屋にも来ました。まあいろいろあって、当店に届いたものとは違うルートで手に入れたんですけど。
しかし、新刊が出る上でこれだけ大々的なプロモーションがされる作家も珍しいものです。本作のプロモーションとしては他に、本作の冒頭部分が読める冊子を書店で配ったりしているんですけど、これだけ出版社の後押しを受けられる作家というのは幸せでしょうね。恐らくメディアでもかなり宣伝されることでしょう。
さてないようですが、まあさすが本多孝好というか、もちろん面白い作品でした。
でも、作品全体の雰囲気はそれまでのものとは若干違うな、という気がしました。
これまでの本多孝好の作品は、静謐という言葉がぴったりくる感じがします。どこか生気のない主人公が、その生気がないなりの視点で世の中を見、そこで感じられることを静かに描く、というようなものが多かった気がします。
しかし本作は、なんでしょうね、軽い感じの青春小説、という雰囲気ですね。伊坂幸太郎の「砂漠」に非常に似ている作品だと思います。あるいは、金城一紀の「SPEED」にも似てるかもです。大学を舞台にして、そこでなんらかの理由によって集まった人間で何かを解決しようと奮闘する、というような感じです。
ただ本多孝好の作品らしく、枠に嵌まらない部分があります。本多孝好の作品には、それぞれの作品毎になんとなくテーマがあって、本作ではそれが「正義」となっています。
その「正義」というものを語ることによって、やはりどこか枠に嵌まらない、なんとも言いがたい雰囲気をかもし出しているわけです。
特に、最後のシーンではどうにも割り切れない雰囲気をかもし出します。「正義」というものを間にして対立が生じるわけですが、そのやり取りがどうにも飲み込めない感じがあります。どちらが正しいのか、というよりも、どちらも間違っているような気がして、でも何が間違っているのか、あるいは間違っていないのか、それをどうにも指摘できなくて、なんかもどかしいなぁ、という感じがします。
どちらの正義が正しいのかという対決になるのだけど、そういえば正義というものを考えたこともなかったし、だからこそ正義というものへの考えのベースがないというか、難しいもんだよなぁ、という感じがします。
本作にはもう一つ、正義とは別の議論も盛り込まれています。
それは、世の中の「不公平」についてです。
間という登場人物が出てくるのだけど、なかなか自分の哲学を持っている人間で、ある意味で奇抜な人間でした。その間が持っている、世の中の不公平についての哲学が描かれます。それはそれでなかなか興味深い話なのだけど、やはりどっちの立場が正しいのか、あるいは正しくないのかよくわからない感じがあります。
よういう風に、どこか割り切れない感じ、というのが付きまとうような気がします。著者がどちらかの考えを押し付けるわけでもなく、読者がその正しさを考えるようなそんな描き方なのだけど、しかしどちらもうまく考えられない世の中の歪みという感じがして、難しい感じがします。
とそんなことを書いていますが、ストーリー自体は普通にわかりやすいし面白いですよ。普通の大学生がちょっと普通ではないことをしながらも、恋愛もしたりバイトもしたりという、まあ分かりやすいです。トモイチのキャラクターもいいし、間も面白いし、部長もなかなかいい。「正義の味方研究会」という活動も面白いし、なるほどこんなところがあったら面白いだろうな、と思ったりします。いじめられっ子だった亮太が、実はあんな特技があったのか、というのもなるほどという感じがします。
スラスラと読める面白い作品です。まだ発売されていない本ですが、出たら読んでみてください。正義とは何か、世の中の不公平とは何か、という難しいことを考えなくても読めるので、是非是非読んでみてください。
しかし今、行列の出来る法律相談所、を見ていて、「ブログでラーメン屋を酷評したら損害賠償を取れるか」というのをやっています。
まあ僕のブログはアクセス数だってそんなにないただのそこらにあるブログですけど、でももしここである作家の本を酷評したら慰謝料取られるのかなぁ、とか思ったりしました。
というわけで、今その結論が出るのを待っていたりしますが。
どうやら、慰謝料は取れないようですね。よかったよかった。
本多孝好「正義のミカタ~I'm a loser~」
Comment
[1925]
[1926]
追記です。
正義の味方が、なぜloserなのか?気になりますね。
一種の開き直り? 詭弁?
まさか「負けるが勝ち」ということではないでしょうし、
敢えて逆説にしたとしても、その意図は何でしょう。
まぁ、読んでみてのお楽しみかも知れませんが…
あと○日後には、分かることですね。
正義の味方が、なぜloserなのか?気になりますね。
一種の開き直り? 詭弁?
まさか「負けるが勝ち」ということではないでしょうし、
敢えて逆説にしたとしても、その意図は何でしょう。
まぁ、読んでみてのお楽しみかも知れませんが…
あと○日後には、分かることですね。
[1927]
こんばんわです。
冊子はどうなんでしょうね。僕のいる店もそこまで大きな店というわけでもないんですけどねぇ。まあ書店によっては、冊子なんて配るのめんどくさいから捨ててしまえ、というところもあるでしょうけど(僕も、送られてくる冊子の大半は捨ててます。それくらい書店にはいろいろ送られてくるんです)。まあどうでしょう。
ホント、これまでの登場人物は社会から外れている感じでしたけど、今回はまあどこにでもいそうな(というといいすぎですけど)大学生の物語です。
正義の味方がloserなのは…、まあ読み始めですぐわかることなんで書きますが、要するに主人公の亮太がいじめられっ子だった、ということではないかと思います。いじめられっ子だけど正義の味方になりました、みたいな。まあ、物語の最後の終わらせ方とも関係してくるのかもしれませんけど。その辺はまあ読んでのお楽しみということで。
住宅ローンの完済と比較しているところが面白いですね。僕の場合は、図書館で借りたりはしませんが、でも早急に読もうと思っている本が二列くらいあって、でもそれがいつまで経ってもなくなりません。困ったものです。
福永武彦氏が池沢夏樹氏の父親だというのは初耳です。そうだったのですかぁ。どちらも読んだことがないですけど、やはり文章のうまさも遺伝するんでしょうかね。
無知な僕としては、
『マチネ・ポエティックといえばフランス文学、のイメージですが、トーマス・マン(ドイツ)の『魔の山』に近いものを感じます。』
という文章の意味がほとんど分からなかったりします(泣)。
まあアクセス数については気にしないことにしています。あんまり影響力のあるブログになっても怖いですしね。そこまで責任持てません。だから、ここで酷評してもまあ大丈夫でしょう。訴えられることはまずないと思います(笑)
森博嗣という作家が、本を読んでいる人間と鉄道模型が趣味な人間なら、明らかに鉄道模型を趣味にしている人間の方が圧倒的に多い、みたいなことを言っていました。そうかもしれません。読書というのはかなりマイナーな趣味らしいですね。文芸の世界が、そういう一部のたくさん読む人が支えているのだと思うと、ちょっと怖いですね。
ではでは。これぐらいの気温だとすごく過ごしやすいんですけどね。そろそろ苦手な夏がやってきます。
冊子はどうなんでしょうね。僕のいる店もそこまで大きな店というわけでもないんですけどねぇ。まあ書店によっては、冊子なんて配るのめんどくさいから捨ててしまえ、というところもあるでしょうけど(僕も、送られてくる冊子の大半は捨ててます。それくらい書店にはいろいろ送られてくるんです)。まあどうでしょう。
ホント、これまでの登場人物は社会から外れている感じでしたけど、今回はまあどこにでもいそうな(というといいすぎですけど)大学生の物語です。
正義の味方がloserなのは…、まあ読み始めですぐわかることなんで書きますが、要するに主人公の亮太がいじめられっ子だった、ということではないかと思います。いじめられっ子だけど正義の味方になりました、みたいな。まあ、物語の最後の終わらせ方とも関係してくるのかもしれませんけど。その辺はまあ読んでのお楽しみということで。
住宅ローンの完済と比較しているところが面白いですね。僕の場合は、図書館で借りたりはしませんが、でも早急に読もうと思っている本が二列くらいあって、でもそれがいつまで経ってもなくなりません。困ったものです。
福永武彦氏が池沢夏樹氏の父親だというのは初耳です。そうだったのですかぁ。どちらも読んだことがないですけど、やはり文章のうまさも遺伝するんでしょうかね。
無知な僕としては、
『マチネ・ポエティックといえばフランス文学、のイメージですが、トーマス・マン(ドイツ)の『魔の山』に近いものを感じます。』
という文章の意味がほとんど分からなかったりします(泣)。
まあアクセス数については気にしないことにしています。あんまり影響力のあるブログになっても怖いですしね。そこまで責任持てません。だから、ここで酷評してもまあ大丈夫でしょう。訴えられることはまずないと思います(笑)
森博嗣という作家が、本を読んでいる人間と鉄道模型が趣味な人間なら、明らかに鉄道模型を趣味にしている人間の方が圧倒的に多い、みたいなことを言っていました。そうかもしれません。読書というのはかなりマイナーな趣味らしいですね。文芸の世界が、そういう一部のたくさん読む人が支えているのだと思うと、ちょっと怖いですね。
ではでは。これぐらいの気温だとすごく過ごしやすいんですけどね。そろそろ苦手な夏がやってきます。
[1928]
こんばんは。お久しぶり、という感じですね(笑)。今週は本当に忙しくて、何か消耗してしまいました(泣)。
この本も早く読みたくてウズウズしていましたが、コンビニに取りに行く時間もなく、今日になってやっと受け取ってきました。遅い時間でも平気でしたら、何とかなったのですが、夜の10時過ぎの外は危険と思っていますので(笑)。
う~~ん、何と申しましょうか。今までとはちょっと筆致が違いますね。冒頭の春の部分の説明は、さすが本多さん!と思ってうっとり読みました(希望に満ち溢れていましたよね)が、段々エッ!と思うような描き方に変わってしまいました。どうしてでしょうね。あくまでも「青春小説」というスタイルにこだわりたかったのでしょうか。それにしても…です(泣)。
正義の味方研究会という妖しげな部活が存在する意義は充分感じられますし、部員のスタンスも魅力的です。亮太がそこで強くなっていく様はおもしろいですし、父親が「大学は楽しいか?」と心底嬉しそうに訊いてくるシーンなども心に残りましたが、格差社会の問題に発展するにつれて、モヤモヤした思いに捕らわれました。本多さんとしては一度は口にしたかったのでしょうが、何かしっくりしませんでした。
イジメの話に戻りますが、憧れの蒲原さんがかつていじめっ子だったという告白は、亮太にはキツかったでしょうね。亮太が離れていったのも好く理解できます。いじめの問題は、人間の悪意のはけ口という感じがしますが、どうしてここまで相手を傷つけることができるのか?と考えると暗澹とします。根底には大人の格差社会の問題も潜んでいて、出口のない閉塞状態に大人も子どもも呻吟しているのかも知れませんね。何か救いがないなぁ、と思います。がんじがらめ、と考えないで、価値観だけでも超越したいと思うのは私の身勝手なのでしょうか。年配の大人としては、色々考えさせられました。そして読後感は、ちょっと重いものが残りました。父親の会社が契約社員を正社員にしたという明るい話題はありましたが、シルバーシートのことで小学生に「だっせぇ!」と言われるのは、リアリティはあるでしょうが、ちょっとイヤだなぁと思いました。途中でスーパーマン並に(笑)変身したはずの亮太だからこそ、もっと違う収め方を考えて欲しいと勝手な願望を抱きました。
あるいは、正義の味方研究会が本領発揮で次々に悪い奴をやっつけるという勧善懲悪の典型のような痛快な読み物にしてしまうとか…。ちょっと嘘臭くても、その方がおもしろかったかも…などと夢想してしまいました(笑)。伊坂さんや金城さんとは大の仲良し(らしい?)の本多さんとしては、少なくとも彼ら並に執筆して欲しいと思います。充電期間が少し長すぎるのでは?と危惧しています。
伊坂さんの『砂漠』と比べると、どうなのでしょうね。こちらは全くの青春小説ですので、登場人物の言動も洒落た感じでした。心の闇など無関係だったような…。文章が素敵な青春小説としては、宮本輝さんの『青が散る』が好きです。何度読み返しても良さは変わりません。
島本理生さんの『リトル・バイ・リトル』は読み終えましたが、余り印象に残りませんでした。さりげない話という感じです。
では、いつもながら書き散らしましたが、この辺で。暑くなってきましたので、お気をつけくださいね。
この本も早く読みたくてウズウズしていましたが、コンビニに取りに行く時間もなく、今日になってやっと受け取ってきました。遅い時間でも平気でしたら、何とかなったのですが、夜の10時過ぎの外は危険と思っていますので(笑)。
う~~ん、何と申しましょうか。今までとはちょっと筆致が違いますね。冒頭の春の部分の説明は、さすが本多さん!と思ってうっとり読みました(希望に満ち溢れていましたよね)が、段々エッ!と思うような描き方に変わってしまいました。どうしてでしょうね。あくまでも「青春小説」というスタイルにこだわりたかったのでしょうか。それにしても…です(泣)。
正義の味方研究会という妖しげな部活が存在する意義は充分感じられますし、部員のスタンスも魅力的です。亮太がそこで強くなっていく様はおもしろいですし、父親が「大学は楽しいか?」と心底嬉しそうに訊いてくるシーンなども心に残りましたが、格差社会の問題に発展するにつれて、モヤモヤした思いに捕らわれました。本多さんとしては一度は口にしたかったのでしょうが、何かしっくりしませんでした。
イジメの話に戻りますが、憧れの蒲原さんがかつていじめっ子だったという告白は、亮太にはキツかったでしょうね。亮太が離れていったのも好く理解できます。いじめの問題は、人間の悪意のはけ口という感じがしますが、どうしてここまで相手を傷つけることができるのか?と考えると暗澹とします。根底には大人の格差社会の問題も潜んでいて、出口のない閉塞状態に大人も子どもも呻吟しているのかも知れませんね。何か救いがないなぁ、と思います。がんじがらめ、と考えないで、価値観だけでも超越したいと思うのは私の身勝手なのでしょうか。年配の大人としては、色々考えさせられました。そして読後感は、ちょっと重いものが残りました。父親の会社が契約社員を正社員にしたという明るい話題はありましたが、シルバーシートのことで小学生に「だっせぇ!」と言われるのは、リアリティはあるでしょうが、ちょっとイヤだなぁと思いました。途中でスーパーマン並に(笑)変身したはずの亮太だからこそ、もっと違う収め方を考えて欲しいと勝手な願望を抱きました。
あるいは、正義の味方研究会が本領発揮で次々に悪い奴をやっつけるという勧善懲悪の典型のような痛快な読み物にしてしまうとか…。ちょっと嘘臭くても、その方がおもしろかったかも…などと夢想してしまいました(笑)。伊坂さんや金城さんとは大の仲良し(らしい?)の本多さんとしては、少なくとも彼ら並に執筆して欲しいと思います。充電期間が少し長すぎるのでは?と危惧しています。
伊坂さんの『砂漠』と比べると、どうなのでしょうね。こちらは全くの青春小説ですので、登場人物の言動も洒落た感じでした。心の闇など無関係だったような…。文章が素敵な青春小説としては、宮本輝さんの『青が散る』が好きです。何度読み返しても良さは変わりません。
島本理生さんの『リトル・バイ・リトル』は読み終えましたが、余り印象に残りませんでした。さりげない話という感じです。
では、いつもながら書き散らしましたが、この辺で。暑くなってきましたので、お気をつけくださいね。
[1929]
お久しぶりですね。相変わらずお忙しいようで、まあ頑張ってください!とぐらいしか言えないんですけど。
そうなんですよね、今までとはかなり雰囲気が違うんです。だから僕も、評価が結構分かれるだろうなぁ、と思っているんですけど。例えばの話ですけど、この作品で初めて本多孝好を読む、という人がどう評価するのかが僕としては気になったりします。やはりそれまでの作品を読んでいる人は、これまでのものと比較しがちで、ちゃんとした判断が出来ないかも(自分も含めて)なんて思ったりするので。
前半はいいんですよね。まさに「青春小説」という感じで、正義の味方研究会は面白いし、僕も意義はあると思うし、亮太が強くなっていったり恋愛模様があったり、そういうのはいいわけです。
問題は、間が絡んでくるようになってからですね。ここから、どうもピースが合わなくなってくる感じがしてしまうんですね。世の中を取り巻く格差は正義と対峙するのかあるいは相容れるのか、と言ったような選択を迫っているように感じられましたが、それに対する亮太の決断もなんだかなぁ、という感じでした。
いじめというのは、僕もまったくしなかったかと言われると胸を張っては言えない様な感じなので難しいものですが、しかし同世代の子供が狭い空間の中でひしめきあっているわけで、仕方ないと思う部分も僕の中にはあります。
昔、タレントのさかなくんがこんな話をしていました。ある種類の魚は、水槽の中に何匹か入れて飼うと、その中の一匹をターゲットにしていじめを始める。そのターゲットになった一匹を水槽から外しても、また別の一匹がターゲットになる。しかし、広い海の中ではその魚はいじめをしないのだそうです。今起きているいじめの問題に似ていると思います。
ラストの部分は、どうしたらいいかというアイデアはないですけど、でもこの作品のラストはどうにも納得いかないですよね。まあハッピーエンドで終わってもなぁ、という感じはありますが。本多さんもかなり悩んだのかもしれませんね。
「砂漠」は確かに心の闇と言ったような黒い部分は関係ない話でしたね。まあ文章の雰囲気とか舞台は近いかなぁ、と思って。
「青が散る」は、気が向いたら読もうと思います。でも、なんとなく宮本輝というのはダメなイメージがあるんですよね。それもこれも、「メッタ斬り!文学賞」という作品の中で、豊崎由美が宮本輝のことを「テルちゃんテルちゃん」と読んで馬鹿にしていた(これはある賞の選考に関しての話で作品についての話ではないんですけど)イメージがあるからなんですよねぇ。
「リトルバイリトル」は読まなくても大丈夫そうですね。僕は、こち亀の小説版を読み終わりました。なかなか面白かったです。
ではでは。休みの時はきっちり休んでくださいまし。
そうなんですよね、今までとはかなり雰囲気が違うんです。だから僕も、評価が結構分かれるだろうなぁ、と思っているんですけど。例えばの話ですけど、この作品で初めて本多孝好を読む、という人がどう評価するのかが僕としては気になったりします。やはりそれまでの作品を読んでいる人は、これまでのものと比較しがちで、ちゃんとした判断が出来ないかも(自分も含めて)なんて思ったりするので。
前半はいいんですよね。まさに「青春小説」という感じで、正義の味方研究会は面白いし、僕も意義はあると思うし、亮太が強くなっていったり恋愛模様があったり、そういうのはいいわけです。
問題は、間が絡んでくるようになってからですね。ここから、どうもピースが合わなくなってくる感じがしてしまうんですね。世の中を取り巻く格差は正義と対峙するのかあるいは相容れるのか、と言ったような選択を迫っているように感じられましたが、それに対する亮太の決断もなんだかなぁ、という感じでした。
いじめというのは、僕もまったくしなかったかと言われると胸を張っては言えない様な感じなので難しいものですが、しかし同世代の子供が狭い空間の中でひしめきあっているわけで、仕方ないと思う部分も僕の中にはあります。
昔、タレントのさかなくんがこんな話をしていました。ある種類の魚は、水槽の中に何匹か入れて飼うと、その中の一匹をターゲットにしていじめを始める。そのターゲットになった一匹を水槽から外しても、また別の一匹がターゲットになる。しかし、広い海の中ではその魚はいじめをしないのだそうです。今起きているいじめの問題に似ていると思います。
ラストの部分は、どうしたらいいかというアイデアはないですけど、でもこの作品のラストはどうにも納得いかないですよね。まあハッピーエンドで終わってもなぁ、という感じはありますが。本多さんもかなり悩んだのかもしれませんね。
「砂漠」は確かに心の闇と言ったような黒い部分は関係ない話でしたね。まあ文章の雰囲気とか舞台は近いかなぁ、と思って。
「青が散る」は、気が向いたら読もうと思います。でも、なんとなく宮本輝というのはダメなイメージがあるんですよね。それもこれも、「メッタ斬り!文学賞」という作品の中で、豊崎由美が宮本輝のことを「テルちゃんテルちゃん」と読んで馬鹿にしていた(これはある賞の選考に関しての話で作品についての話ではないんですけど)イメージがあるからなんですよねぇ。
「リトルバイリトル」は読まなくても大丈夫そうですね。僕は、こち亀の小説版を読み終わりました。なかなか面白かったです。
ではでは。休みの時はきっちり休んでくださいまし。
[1930]
こんにちは。今日はやっと充電期間となりました(笑)。
職場に研修で来ていた若い方(23歳)の指導を任されたのですが、それが予想以上に大変で、【想定外】とはこのこと?と後で考えて苦笑いしています。
通りすがりさんとは、エライ違いですよ。まったく!!
何なのでしょうね。あの図々しさは…。おばさんには理解不能です(泣)。愚痴を語っても始まりませんが、その研修期間も先週で終わりましたので、私もやっとお役放免となりました。ちょっとハルキ風に、やれやれ!です(笑)。
さかなくんのお話は、なるほど!ですね。私の家では以前熱帯魚(エンジェルフィッシュ)を飼っていましたが、その中の一匹はいつも他の魚に攻められていて、見ているのが気の毒なくらいでした。餌にもありつけないのか、体も一回りも二周りも小さいまま成長しませんでした。その後、結局その魚は死んでしまいましたが、次のターゲットが決まらないうちに(?)、知人の家にあげてしまいました。子供達の情操教育に、と思って飼い始めたのに、人間社会の縮図を見せる結果となってしまい、何とも言いようがありませんでした(泣)。
やはり、閉塞状態がいけなかったのですね。水槽を大きくすれば、魚も大きく育つと金魚屋さんも言っていたことを思い出しました。
無限大の広がりを持つ海の中なら、食物連鎖のサイクルの中で比較的平和に暮らせるのですね。食べられることも運命(宿命)と考えて…。
イジメの根本的な解決は、人口密度の問題でしょうか。狭い教室にすし詰め状態の生徒達、成績の優劣による格差(?)、子ども達のフラストレーションが爆発する要素は多分にあると思います。私のように田舎でボーっと過ごした子供時代は、今となっては貴重ですね。
「こち亀」は懐かしいですね。両さんのキャラに支えられた漫画でした(現在も進行中ですか?)が、大原課長やレイ子さん、何とかコンチェルンの御曹司(名前を忘れました。泣)、何年かに一度だけ起きて、バリバリ仕事をこなしてまた寝るという伝説の日暮さん(でしたか?)など、今でも思い出せます。我が家には漫画本も随分あるはずですが、ベッドの下に放置されたまま最近陽の目を見ません(泣)。
映画『しゃべれども しゃべれども』が昨日から封切りになりましたが、近くの映画館では上映されていません。ちょっと足を伸ばさないと無理のようです(泣)。TVでさかんに宣伝フィルムを流しているのに、現実は厳しいです。目下、検索中です。
宮本輝さんに対しては、宗教絡みのことで毛嫌いしている方が少なからずいるようです。作品そのもので考えると、味のある文体、内容…と私の好感度は高いです。審査委員の仕事も色々されているようですが、選考結果に納得がいかない方もいるのでしょうね。宮本ファンは年配者に多いと思いますよ(笑)。通りすがりさんも一冊くらいお読みになって(『青が散る』か、ちょっと渋い『泥の川』『蛍川』あたり…)はいかがでしょうか。
では、この辺で。今日は恩田さんの『朝日のようにさわやかに』を読んでいますが、そこは恩田さんですので「さわやか」とは言い切れませんね(笑)。
職場に研修で来ていた若い方(23歳)の指導を任されたのですが、それが予想以上に大変で、【想定外】とはこのこと?と後で考えて苦笑いしています。
通りすがりさんとは、エライ違いですよ。まったく!!
何なのでしょうね。あの図々しさは…。おばさんには理解不能です(泣)。愚痴を語っても始まりませんが、その研修期間も先週で終わりましたので、私もやっとお役放免となりました。ちょっとハルキ風に、やれやれ!です(笑)。
さかなくんのお話は、なるほど!ですね。私の家では以前熱帯魚(エンジェルフィッシュ)を飼っていましたが、その中の一匹はいつも他の魚に攻められていて、見ているのが気の毒なくらいでした。餌にもありつけないのか、体も一回りも二周りも小さいまま成長しませんでした。その後、結局その魚は死んでしまいましたが、次のターゲットが決まらないうちに(?)、知人の家にあげてしまいました。子供達の情操教育に、と思って飼い始めたのに、人間社会の縮図を見せる結果となってしまい、何とも言いようがありませんでした(泣)。
やはり、閉塞状態がいけなかったのですね。水槽を大きくすれば、魚も大きく育つと金魚屋さんも言っていたことを思い出しました。
無限大の広がりを持つ海の中なら、食物連鎖のサイクルの中で比較的平和に暮らせるのですね。食べられることも運命(宿命)と考えて…。
イジメの根本的な解決は、人口密度の問題でしょうか。狭い教室にすし詰め状態の生徒達、成績の優劣による格差(?)、子ども達のフラストレーションが爆発する要素は多分にあると思います。私のように田舎でボーっと過ごした子供時代は、今となっては貴重ですね。
「こち亀」は懐かしいですね。両さんのキャラに支えられた漫画でした(現在も進行中ですか?)が、大原課長やレイ子さん、何とかコンチェルンの御曹司(名前を忘れました。泣)、何年かに一度だけ起きて、バリバリ仕事をこなしてまた寝るという伝説の日暮さん(でしたか?)など、今でも思い出せます。我が家には漫画本も随分あるはずですが、ベッドの下に放置されたまま最近陽の目を見ません(泣)。
映画『しゃべれども しゃべれども』が昨日から封切りになりましたが、近くの映画館では上映されていません。ちょっと足を伸ばさないと無理のようです(泣)。TVでさかんに宣伝フィルムを流しているのに、現実は厳しいです。目下、検索中です。
宮本輝さんに対しては、宗教絡みのことで毛嫌いしている方が少なからずいるようです。作品そのもので考えると、味のある文体、内容…と私の好感度は高いです。審査委員の仕事も色々されているようですが、選考結果に納得がいかない方もいるのでしょうね。宮本ファンは年配者に多いと思いますよ(笑)。通りすがりさんも一冊くらいお読みになって(『青が散る』か、ちょっと渋い『泥の川』『蛍川』あたり…)はいかがでしょうか。
では、この辺で。今日は恩田さんの『朝日のようにさわやかに』を読んでいますが、そこは恩田さんですので「さわやか」とは言い切れませんね(笑)。
[1931]
こんにちわです。
23歳の若者ですか…。いや最近は結構理解不能な人種がわらわらと現れてきますからね。僕も、世代的にはもう少し下の20歳くらいの若者達に日々イライラさせられています。
図々しいのもいれば無気力なのもいて、ホント扱いづらいです。dradonworldさんの苦労は結構わかります。僕は、外国人だと思うことにしてるんです。アジア系の外国人で、日本に来てまだ間もない人なのだと。だから言葉も通じないし文化も違うのだ、と。
僕もそのさかなくんの話はなるほどと思ったし、島田紳助なんかも結構感動したらしいですよ。なんかそのさかなくんの話は、初めに新聞に載ったみたいですね。
動物園にしてもペットにしてもそうですけど、あぁいうのは結局なんだかんだ言って人間の都合ですからね。ちょっとちゃんと生きていく環境ではないのかもしれませんね。学校もそう考えると、非人間的な環境なのかもしれませんね。考えてみれば僕だって、同じ地球という枠にいるイタリアのどこかに住む少年をいじめようとは思わないですけど、狭いクラスという中にいる少年であればいじめようと思ってしまうかもしれませんしね。
いじめは、いろんな形で子供がストレスを溜め込むから起きるんでしょうね。家庭でのストレスとか社会に対するストレスとかいろいろですけど、そういうのが狭い環境の中で出てきてしまうのでしょう。
こち亀いいですよね。日暮さん、いましたねぇ。両さんが思い出すんですよね、そういえば今年はオリンピックの年じゃないか。あいつを起こしにいかなくちゃ、ってな具合に。あと、中川コンツェルンと秋本財閥でしたっけね。逆でしたっけ?
「しゃべれども」は今日からですか。道理で最近文庫がよく売れると思いました。近くでやっていないというのはなんだか差別されている感じで悲しいですね。
僕も、今日開かれる試写会のチケットみたいなものを昨日ゲットしたんですけど、結局行きませんでした。ダメですね。
最近確か文春文庫から、「青が散る」の新装版が出ていた気がします。上下に分かれてしまいました。まあとりあえず、一作も読まずにあれこれ言うのもフェアじゃないですからね。そのうち機会があればチャレンジしてみようと思います。
「朝日のようにさわやかに」は確か短編集でしたっけ?結構最近出た本だったような気がします。
ではでは。ゆっくり充電してください!
23歳の若者ですか…。いや最近は結構理解不能な人種がわらわらと現れてきますからね。僕も、世代的にはもう少し下の20歳くらいの若者達に日々イライラさせられています。
図々しいのもいれば無気力なのもいて、ホント扱いづらいです。dradonworldさんの苦労は結構わかります。僕は、外国人だと思うことにしてるんです。アジア系の外国人で、日本に来てまだ間もない人なのだと。だから言葉も通じないし文化も違うのだ、と。
僕もそのさかなくんの話はなるほどと思ったし、島田紳助なんかも結構感動したらしいですよ。なんかそのさかなくんの話は、初めに新聞に載ったみたいですね。
動物園にしてもペットにしてもそうですけど、あぁいうのは結局なんだかんだ言って人間の都合ですからね。ちょっとちゃんと生きていく環境ではないのかもしれませんね。学校もそう考えると、非人間的な環境なのかもしれませんね。考えてみれば僕だって、同じ地球という枠にいるイタリアのどこかに住む少年をいじめようとは思わないですけど、狭いクラスという中にいる少年であればいじめようと思ってしまうかもしれませんしね。
いじめは、いろんな形で子供がストレスを溜め込むから起きるんでしょうね。家庭でのストレスとか社会に対するストレスとかいろいろですけど、そういうのが狭い環境の中で出てきてしまうのでしょう。
こち亀いいですよね。日暮さん、いましたねぇ。両さんが思い出すんですよね、そういえば今年はオリンピックの年じゃないか。あいつを起こしにいかなくちゃ、ってな具合に。あと、中川コンツェルンと秋本財閥でしたっけね。逆でしたっけ?
「しゃべれども」は今日からですか。道理で最近文庫がよく売れると思いました。近くでやっていないというのはなんだか差別されている感じで悲しいですね。
僕も、今日開かれる試写会のチケットみたいなものを昨日ゲットしたんですけど、結局行きませんでした。ダメですね。
最近確か文春文庫から、「青が散る」の新装版が出ていた気がします。上下に分かれてしまいました。まあとりあえず、一作も読まずにあれこれ言うのもフェアじゃないですからね。そのうち機会があればチャレンジしてみようと思います。
「朝日のようにさわやかに」は確か短編集でしたっけ?結構最近出た本だったような気がします。
ではでは。ゆっくり充電してください!
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その書店にばらまいたという冒頭が読める冊子のことですが、私が今日行った書店には置いてなかったようです。大型書店限定なのでしょうか? でしたら、ちょっと悔しいですね。明日、また別の書店にも寄ってみます。
まず伊坂幸太郎風の青春小説というのが、おもしろそうですね。本多さんの作品の登場人物は、少し社会から遊離した醒めた人が多かったので、今度はしっかり地に足を付けた感じでしょうか。 いずれにしても、20日前後に読めそうですので、それまでひたすら待つことにします。
そういえば、現在図書館からの借りている本がゼロになりました。ヤッター!!という気分です。こんな爽快感は(住宅)ローン完済以来ですよ(笑)。 ということで、手持ちの積読本を読んでいます。『草の花』です。福永武彦氏は池沢夏樹氏のお父上ですが、さすがに文章がすばらしいです。サナトリウム文学、と一括りで語るのは、本当に惜しいほどです。昔の作家は、教養の深みが違うなぁ、と感嘆しています。マチネ・ポエティックといえばフランス文学、のイメージですが、トーマス・マン(ドイツ)の『魔の山』に近いものを感じます。
「黒夜行」のアクセス数が100を超えない日もあり、心配していますが、世の中の人がそうそう読書に励んでばかりいるとも思えませんので、仕方ないのかも知れませんね。それだけ皆が健全だということで…。斉藤美奈子さんの説に依りますと、100万部売れた本があったとしても、TVの視聴率に換算するとわずか3%、番組の存続が問われる数字だとか…。もし100人の村があったら、読書に時間とお金をかける人はせいぜい3~4人、「少数民族」という言葉が当てはまるそうです(笑)。そういえば、昨日『朗読者』の酷評(?)を通りすがりさんとしてしまいましたね。慰謝料と言われないためにも、“余り…”(明言しないで…と書いて伏せる)と書かれた方が好いかも知れませんね(笑)。ご検討下さいますように。
では、この辺で。気温が変化しやすい日々ですので、お気をつけてお過ごし下さいね。