うちのネコが訴えられました!?(山田タロウ)
昨日書いた、三浦しをんの「まほろ駅前多田便利軒」の感想の中で僕は、天才と変人は大好きだ、というようなことを書いた。
さてでは、バカはどうかというと、もう大きっらいなのである。バカは世の中から駆逐されればいい、と本気で思っている。
いやいやあれだ、こういう多種多様な人間がいるからこそ、人類はこうして発展を遂げることができたのだよ。バカな人間がいるからこそ発展した部分もあるだろうし、そうそう一概にかれらを一刀両断することはできないのだよ。
そうだ、アリの法則というのもあるぞ。アリというのは集団で行動する昆虫だが、その集団は、よく働くアリ:普通のアリ:ダメなアリ、という割合が、2:6:2なんだって。その、よく働くアリだけを抜き取って一つのグループにしてみても、その集団はまたやっぱり2:6:2に分かれちゃうんだって。だから、しょうがないんだよ。バカってのはもう、集団で生きている限りどうしても発生してしまうわけで、もう僕らは寛大な心で接してあげるしかないのだよ…。
などと自分を説得する理屈をいろいろと拵えることはできるのだが、いやいやどうして、そんな理屈でどうにかなるものではない。
バカはバカだし、憎むべき存在だし、駆逐されるべきである。
さて僕がバカだと思う人間は、一言でいうとこうなる。
『想像力のない人』
もう世の中には、想像力のない人間というのが多すぎるのである!
例えば、どうやらこの噂は嘘のようなのだが(昔やってた「200X」という番組で検証してた)、「ネコを電子レンジで乾かしたら死んじゃったから企業に賠償責任裁判を起こした」みたいな噂を聞いたことはないだろうか。
要するに僕が言いたいのは、そういう人種のことである。いいか、考えてもみろ。ネコを電子レンジに入れたら、どう考えてもいい結果にはならないとわかるだろう…。
という想像が、そういう人種には出来ないのである。
もちろん、そんないっちゃってるレベルまで行かなくても、想像力のない人というのは世の中に転がっているものである。
例えば本屋で働いてて一番違いが分かるのは、お客さんの問い合わせの仕方である。
例えば、優秀なお客さんの例で言えば、例えば欲しい本のタイトルを紙に書いて持ってくるとか、携帯のメール画面とかを見せる、というものだ。そこに出版社とか著者名とか書いてあったりする人もいて、こういうお客さんは助かる。また、新聞広告を持ってくる、というのももちろんいいお客さんである。
では普通のお客さんの場合。スタッフに探しているタイトルを言うのである。これがもうとにかく普通のやり方だ。こういう人も、全然普通に対応できるのでいい。
さて次は、ちょっとダメなパターンである。それは、「○○出版の本ってどこにありますか?」とか、「○○っていう人の本どこにありますか?」と言ったものだ。本屋を見てくれれば分かるとは思うが、出版社ごとに本を並べているわけではないし、著者名順で並べてはいるけれども、版型(文庫やハードカバーなど)もいろいろあるわけで、とにかくそれだけどはいここです、と案内できるわけがない。こういうお客さんだと、もう少しわかりやすく言ってくれよな、と思ってしまうのだ。
さて最後に、最悪なパターンである。こういうお客さんは、結構な頻度でいる。それは、「タイトルはわからないんですけど、これくらいの大きさで、いくらぐらいの本」とか、「タイトルはわからないんだけど、この前新聞に載ってたんだけど」とかである。
もちろん、タイトルがわからないとか、タイトルが正確にわからない、というお客さんはよく来る。でもそういう場合でも、著者名だとか出版社名だとか、あとはその著者が書いてる他の本とかの名前を言ってくれるので(まあこちらが聞き出すのだが)、なんとか検索できたりする。
しかし、本の大きさと値段だけ、あるいは、新聞に載っていたという情報だけでは、どうやったって本を探しようがないのである。これだけの情報しか持たずに本屋にやってくる人を接客すると、なんて想像力がない人なんだ、と思ってしまう。
まあそんなわけで本屋のお客さんについていろいろ書いたが、そういうネタは、「暴れん坊本屋さん」というコミックに詳しい。漫画家でかつ本屋のスタッフであるという著者が、本屋の裏側を書いている、もう書店員なら爆笑必死の本です。こちらもどうぞ。
一緒に仕事をする、という関係になると、想像力のあるなしというのが本当に重要になってくる。僕なんかは、そういう想像力のないスタッフ(こういうスタッフは、僕よりも前からずっといたスタッフに多いから余計にムカツク)に日々イライラしている。なんでそんなことが出来ないのだろうかとか、なんでそんなこともわからないのだろうかとか、そんなことはしょちゅうである。あぁもう、なんとかならないものだろうか。
人間として違う価値観を持っていることはもちろん当然だと思うし、それをどうこう言うつもりはまったくない。しかし、自分がどんな価値観を持っていようと、それと人とは違うのだということをまずはわかってほしい。これを当然だと思っている人からすれば、こいつは何を言っているんだという感じかもしれないが、世の中には、自分の価値観=周りの人間の価値観という人間が多いのだ。
その上で、自分と他人との価値観の相違を、想像力によって埋める努力をしなくてはいけない。それが、人間関係の本質だと僕は思っている。それができない人間を僕はバカと呼ぶし、この世から駆逐されればいいのに、と思っている。
ふー。また血液型の話だが、僕はA型なので、他人との関係に関してはかなり几帳面だと自覚している(自分に対してはかなりズボラなのだが)。だから、人のそういう想像力のなさにも余計にイライラしてしまうのだろうか、と思う。なんだかなぁ、である。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、山田タロウという人が、ある日突然訴えられた、その裁判の過程をブログで公開し、それを書籍化したものです。
さて一体何について訴えられたのかと言えば…ネコである。山田タロウさんの飼い猫が、うちの車を傷つけたんで、賠償してください、という裁判なのである。
では双方のプロフェ―ルを少し。
山田タロウさんは、三代続く老舗の料理屋を経営。32歳で子供は二人、ニャン太というネコを飼っている。料理屋ともあって近所との関係は非常に友好で、平穏な生活をしている。
さて訴えた側だが、名前を川畑という。川畑は、山田タロウさんの店の裏手にある駐車場を借りていて、居酒屋を経営している。それまで山田タロウさんはこの川畑という男をまるで知らなかったのだが、近所の人の話によれば、人付き合いの苦手そうなタイプ、なのだそうだ。
そしてこの川畑、バカなのである。もう最高にバカで、どうしようかというくらいである。自分の近くにいたらはったおしたくなるだろうが、こうして本で読んでいる限りは、この川畑、最高に面白い。
まあそんなわけで、山田タロウさんの家に突然訴状が届くところから話は始まるのだけれど、しょっぱなから川畑はミス。
訴えた相手が、既に死んでいる祖父の名前になっている。
まあそんなどうしようもないスタートから始まったネコ裁判だが、山田タロウさんは裁判の前から勝てる気満々である。それは何故かといえば…とまあそれは書かないことにするが、とにかくこの裁判、山田タロウさんの一人勝ちはもう目に見えているのである。
それは、実際に裁判が始まってからの展開からもわかることで、裁判官や秘書官もあきれ返るような主張・論理・手続きのオンパレードで、冒頭で書かれているが、最終的に裁判は、裁判官のイライラの発露、という形で終わりを迎えるのである。
そんな、もうとにかくどうしようもないなぁ、という裁判の顛末の描かれた作品です。
とにかくこの作品、もうべらぼうに面白かった!もう一気読みで、いつの間にか読み終えてしまっていた。爆笑である。最高である。くだらないけど、もうとにかく読んでもらいたい!
本作は、まず裁判というものがもう少し身近にわかる。日本はアメリカのように訴訟大国ではないので(あぁでも、川畑のようなバカがたくさん増殖すると、日本も訴訟大国になりかねないが)、まあ裁判の知識というのはそう必要ないかもしれないが、いやいやそうでもなかった。忘れていたが、裁判員制度というのが始まるんだった。というか、もう始まったっけ?というくらいの知識のなさだが、とにかく一般人が裁判に関わるようになるのだから、裁判についての知識は持っていてもいいだろう。というか冒頭で、裁判員制度について書けばよかったかなぁ。
とにかく、山田タロウさんが頭がいいのである。山田タロウさんももちろん裁判というものは始めてだそうだが、とにかく論理的で口が立つ。準備書面もバッチリで、もう付け入る隙がないのである。バカな川畑が何人集まって立ち向かっても敵うはずがないのである。この、優秀VSバカによる裁判の進行は、法廷モノの小説につきもののハラハラドキドキは決してないが、それを超えるくらいの衝撃が待ち構えていると言ってもまあ言い過ぎではないだろう。
僕は学生時代、少しだけディベートというものをやったことがあるのだが、あれはすごく苦手だった。裁判というのはつまるところディベートであって、山田タロウさんはそのディベートのツボをうまく押さえて裁判を戦った(戦うという表現がぴったりこないが)。ちょっと僕だったらああはいかないだろうな、と思ってしまった。羨ましい限りである。僕は、バカは嫌いだけど優秀な人間は好きなんで、そういう部分を読むという点でも本作は面白かった。これは言いすぎだとは思うが、本作をディベート入門として読んでみるのも、ある意味面白いかななんて思ってみたりした。
とにかく、内容が面白すぎるのである。さくっと読めてしまうし、是非とも読んで欲しいものである。山田タロウさんは、ある意味で川畑に感謝しなければいけないだろう。だって、確かに言いがかりのような裁判で多少の費用は失ったが、こんなに面白いブログを書いて、本にもなって、しかもこの本、僕の予想だけど、結構地味に売れそうな気がする。だから、印税はそこそこ入るだろうし、いやいいですなぁ。
最近ブログを本にするというのが盛んだけど、やはり本になるものは結構レベルが高いな、という感想です。「電車男」から始まった、このネットコンテンツの書籍化という動きは、今かなり主流になりつつあると思いますね。本作もそうだし、僕が今年No.1と言って憚らない、「私を 見て、ぎゅっと 愛して」という作品もネットコンテンツでした。恐らくこれからも、ネットから生まれる作品というのはどんどんと出てくることでしょう。しばらく注目してチェックしていこうと思います。
とにかく、もう面白いです。最高です。爆笑です。是非読んでください。まじ。
山田タロウ「うちのネコが訴えられました!?」
さてでは、バカはどうかというと、もう大きっらいなのである。バカは世の中から駆逐されればいい、と本気で思っている。
いやいやあれだ、こういう多種多様な人間がいるからこそ、人類はこうして発展を遂げることができたのだよ。バカな人間がいるからこそ発展した部分もあるだろうし、そうそう一概にかれらを一刀両断することはできないのだよ。
そうだ、アリの法則というのもあるぞ。アリというのは集団で行動する昆虫だが、その集団は、よく働くアリ:普通のアリ:ダメなアリ、という割合が、2:6:2なんだって。その、よく働くアリだけを抜き取って一つのグループにしてみても、その集団はまたやっぱり2:6:2に分かれちゃうんだって。だから、しょうがないんだよ。バカってのはもう、集団で生きている限りどうしても発生してしまうわけで、もう僕らは寛大な心で接してあげるしかないのだよ…。
などと自分を説得する理屈をいろいろと拵えることはできるのだが、いやいやどうして、そんな理屈でどうにかなるものではない。
バカはバカだし、憎むべき存在だし、駆逐されるべきである。
さて僕がバカだと思う人間は、一言でいうとこうなる。
『想像力のない人』
もう世の中には、想像力のない人間というのが多すぎるのである!
例えば、どうやらこの噂は嘘のようなのだが(昔やってた「200X」という番組で検証してた)、「ネコを電子レンジで乾かしたら死んじゃったから企業に賠償責任裁判を起こした」みたいな噂を聞いたことはないだろうか。
要するに僕が言いたいのは、そういう人種のことである。いいか、考えてもみろ。ネコを電子レンジに入れたら、どう考えてもいい結果にはならないとわかるだろう…。
という想像が、そういう人種には出来ないのである。
もちろん、そんないっちゃってるレベルまで行かなくても、想像力のない人というのは世の中に転がっているものである。
例えば本屋で働いてて一番違いが分かるのは、お客さんの問い合わせの仕方である。
例えば、優秀なお客さんの例で言えば、例えば欲しい本のタイトルを紙に書いて持ってくるとか、携帯のメール画面とかを見せる、というものだ。そこに出版社とか著者名とか書いてあったりする人もいて、こういうお客さんは助かる。また、新聞広告を持ってくる、というのももちろんいいお客さんである。
では普通のお客さんの場合。スタッフに探しているタイトルを言うのである。これがもうとにかく普通のやり方だ。こういう人も、全然普通に対応できるのでいい。
さて次は、ちょっとダメなパターンである。それは、「○○出版の本ってどこにありますか?」とか、「○○っていう人の本どこにありますか?」と言ったものだ。本屋を見てくれれば分かるとは思うが、出版社ごとに本を並べているわけではないし、著者名順で並べてはいるけれども、版型(文庫やハードカバーなど)もいろいろあるわけで、とにかくそれだけどはいここです、と案内できるわけがない。こういうお客さんだと、もう少しわかりやすく言ってくれよな、と思ってしまうのだ。
さて最後に、最悪なパターンである。こういうお客さんは、結構な頻度でいる。それは、「タイトルはわからないんですけど、これくらいの大きさで、いくらぐらいの本」とか、「タイトルはわからないんだけど、この前新聞に載ってたんだけど」とかである。
もちろん、タイトルがわからないとか、タイトルが正確にわからない、というお客さんはよく来る。でもそういう場合でも、著者名だとか出版社名だとか、あとはその著者が書いてる他の本とかの名前を言ってくれるので(まあこちらが聞き出すのだが)、なんとか検索できたりする。
しかし、本の大きさと値段だけ、あるいは、新聞に載っていたという情報だけでは、どうやったって本を探しようがないのである。これだけの情報しか持たずに本屋にやってくる人を接客すると、なんて想像力がない人なんだ、と思ってしまう。
まあそんなわけで本屋のお客さんについていろいろ書いたが、そういうネタは、「暴れん坊本屋さん」というコミックに詳しい。漫画家でかつ本屋のスタッフであるという著者が、本屋の裏側を書いている、もう書店員なら爆笑必死の本です。こちらもどうぞ。
一緒に仕事をする、という関係になると、想像力のあるなしというのが本当に重要になってくる。僕なんかは、そういう想像力のないスタッフ(こういうスタッフは、僕よりも前からずっといたスタッフに多いから余計にムカツク)に日々イライラしている。なんでそんなことが出来ないのだろうかとか、なんでそんなこともわからないのだろうかとか、そんなことはしょちゅうである。あぁもう、なんとかならないものだろうか。
人間として違う価値観を持っていることはもちろん当然だと思うし、それをどうこう言うつもりはまったくない。しかし、自分がどんな価値観を持っていようと、それと人とは違うのだということをまずはわかってほしい。これを当然だと思っている人からすれば、こいつは何を言っているんだという感じかもしれないが、世の中には、自分の価値観=周りの人間の価値観という人間が多いのだ。
その上で、自分と他人との価値観の相違を、想像力によって埋める努力をしなくてはいけない。それが、人間関係の本質だと僕は思っている。それができない人間を僕はバカと呼ぶし、この世から駆逐されればいいのに、と思っている。
ふー。また血液型の話だが、僕はA型なので、他人との関係に関してはかなり几帳面だと自覚している(自分に対してはかなりズボラなのだが)。だから、人のそういう想像力のなさにも余計にイライラしてしまうのだろうか、と思う。なんだかなぁ、である。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、山田タロウという人が、ある日突然訴えられた、その裁判の過程をブログで公開し、それを書籍化したものです。
さて一体何について訴えられたのかと言えば…ネコである。山田タロウさんの飼い猫が、うちの車を傷つけたんで、賠償してください、という裁判なのである。
では双方のプロフェ―ルを少し。
山田タロウさんは、三代続く老舗の料理屋を経営。32歳で子供は二人、ニャン太というネコを飼っている。料理屋ともあって近所との関係は非常に友好で、平穏な生活をしている。
さて訴えた側だが、名前を川畑という。川畑は、山田タロウさんの店の裏手にある駐車場を借りていて、居酒屋を経営している。それまで山田タロウさんはこの川畑という男をまるで知らなかったのだが、近所の人の話によれば、人付き合いの苦手そうなタイプ、なのだそうだ。
そしてこの川畑、バカなのである。もう最高にバカで、どうしようかというくらいである。自分の近くにいたらはったおしたくなるだろうが、こうして本で読んでいる限りは、この川畑、最高に面白い。
まあそんなわけで、山田タロウさんの家に突然訴状が届くところから話は始まるのだけれど、しょっぱなから川畑はミス。
訴えた相手が、既に死んでいる祖父の名前になっている。
まあそんなどうしようもないスタートから始まったネコ裁判だが、山田タロウさんは裁判の前から勝てる気満々である。それは何故かといえば…とまあそれは書かないことにするが、とにかくこの裁判、山田タロウさんの一人勝ちはもう目に見えているのである。
それは、実際に裁判が始まってからの展開からもわかることで、裁判官や秘書官もあきれ返るような主張・論理・手続きのオンパレードで、冒頭で書かれているが、最終的に裁判は、裁判官のイライラの発露、という形で終わりを迎えるのである。
そんな、もうとにかくどうしようもないなぁ、という裁判の顛末の描かれた作品です。
とにかくこの作品、もうべらぼうに面白かった!もう一気読みで、いつの間にか読み終えてしまっていた。爆笑である。最高である。くだらないけど、もうとにかく読んでもらいたい!
本作は、まず裁判というものがもう少し身近にわかる。日本はアメリカのように訴訟大国ではないので(あぁでも、川畑のようなバカがたくさん増殖すると、日本も訴訟大国になりかねないが)、まあ裁判の知識というのはそう必要ないかもしれないが、いやいやそうでもなかった。忘れていたが、裁判員制度というのが始まるんだった。というか、もう始まったっけ?というくらいの知識のなさだが、とにかく一般人が裁判に関わるようになるのだから、裁判についての知識は持っていてもいいだろう。というか冒頭で、裁判員制度について書けばよかったかなぁ。
とにかく、山田タロウさんが頭がいいのである。山田タロウさんももちろん裁判というものは始めてだそうだが、とにかく論理的で口が立つ。準備書面もバッチリで、もう付け入る隙がないのである。バカな川畑が何人集まって立ち向かっても敵うはずがないのである。この、優秀VSバカによる裁判の進行は、法廷モノの小説につきもののハラハラドキドキは決してないが、それを超えるくらいの衝撃が待ち構えていると言ってもまあ言い過ぎではないだろう。
僕は学生時代、少しだけディベートというものをやったことがあるのだが、あれはすごく苦手だった。裁判というのはつまるところディベートであって、山田タロウさんはそのディベートのツボをうまく押さえて裁判を戦った(戦うという表現がぴったりこないが)。ちょっと僕だったらああはいかないだろうな、と思ってしまった。羨ましい限りである。僕は、バカは嫌いだけど優秀な人間は好きなんで、そういう部分を読むという点でも本作は面白かった。これは言いすぎだとは思うが、本作をディベート入門として読んでみるのも、ある意味面白いかななんて思ってみたりした。
とにかく、内容が面白すぎるのである。さくっと読めてしまうし、是非とも読んで欲しいものである。山田タロウさんは、ある意味で川畑に感謝しなければいけないだろう。だって、確かに言いがかりのような裁判で多少の費用は失ったが、こんなに面白いブログを書いて、本にもなって、しかもこの本、僕の予想だけど、結構地味に売れそうな気がする。だから、印税はそこそこ入るだろうし、いやいいですなぁ。
最近ブログを本にするというのが盛んだけど、やはり本になるものは結構レベルが高いな、という感想です。「電車男」から始まった、このネットコンテンツの書籍化という動きは、今かなり主流になりつつあると思いますね。本作もそうだし、僕が今年No.1と言って憚らない、「私を 見て、ぎゅっと 愛して」という作品もネットコンテンツでした。恐らくこれからも、ネットから生まれる作品というのはどんどんと出てくることでしょう。しばらく注目してチェックしていこうと思います。
とにかく、もう面白いです。最高です。爆笑です。是非読んでください。まじ。
山田タロウ「うちのネコが訴えられました!?」
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