「滑走路」を観に行ってきました
37歳になった今も、どうも人生に真剣になれない。
未だに、他人事みたいな感覚のまま生きている。
たぶん、昔からなかった。
「どうしてもこれがやりたい」とか、「どうしてもこれが食べたい」とか、「どうしてもここに行きたい」みたいなものが。
だから、「どうしても生きたい」みたいな感覚にもなれないままいる。
どこかのタイミングで、そういう自分を諦めた。というか、受け入れた。
これは、もう変わらないだろう、と。
学生時代は、いつも思っていた。
いつになったら、自分のスイッチが入るんだろうな、と。
スイッチさえ入れば、たぶん結構良いところまでいけると思うんだけどな、と。
分かってなかった。
スイッチは、自分で入れなきゃいけなかったんだ、ということに。
誰かが、あるいは何かが起これば、スイッチが入るもんだと思い込んでいた。
スイッチが入らないまま生きていくってのは、なかなかしんどいものがある。
万年ガス欠みたいなものだ。
たまーに、少量のガソリンを拾って、なんとか騙し騙し動かしているような感じ。
正直、よくここまで自分を動かし続けられているなと思うし、今でも、いつ止まってもおかしくないと思っている。
こういう人が多いのか少ないのか、僕にはよく分からない。
でも、自殺しちゃう人には、きっとこういう感覚の人が多いんじゃないかなと思っている。
恐らく、自殺に至る、直接的なきっかけというのはもちろんあるんだと思う。
けど、そのきっかけだけで自殺してしまうわけじゃない。
万年ガス欠だという状態の方にこそ、たぶん問題がある。
でも、ガス欠状態であることは、なかなか分からない。
何故なら、それでも車は動いているからだ。
道路上で車が止まってしまっているなら、異変には気付ける。
けど、動いている場合、その「騙し騙し」の部分には、なかなか気づけなかったりする。
別に、今僕自身は、自殺に引っ張られそうな感覚はない。
けど、自分が常時ガス欠状態だということは認識しているから、何か具体的で致命的な出来事がポーンと一つ起こったりすると、ちょっとマズイかもなぁ、とは思っている。
そういう自分を、もう長いこと自覚しているから、ヤバくなりそうになる前に、そこに足を踏み入れないようにしている。
予感だけで、逃げようと決めている。
僕の場合は、それぐらいでようやくちょうどいい感じだ。
僕のように、慢性的なガス欠状態を自己認識出来ている人は、大丈夫だと思う。
怖いのは、ガス欠状態を認識出来ていない人だ。
だから僕は、出会う人誰もがガス欠状態かもしれないと思って接するようにしている。
ガス欠状態の人は、自分の調子の悪さには気づいていると思う。
でも、たぶん真面目なんだろう、止まっちゃいけないと思っている。
そして、そう思っているからこそ、僕は、「止まった方がいい」とは言わないようにしている。
外から言われたら、余計止まっちゃいけないと思うだろう。
「止まらないとマズイように見えていること自体がマズイ」と思って、余計無理する可能性もある。
だから、「止まった方がいい」と口には出さないまま、止まってもいいような雰囲気を醸し出せるようにしているつもりだ。
うまくいっているかは、分からない。
分からないけど、僕はそんな風に振る舞うようにしている。
内容に入ろうと思います。
悲しみを漂わせる、3つの物語が、同時に描かれていく。
いじめられている幼馴染をかばったせいで、自分が標的になってしまった学級委員長。彼は、シングルマザーの母に心配を掛けたくないと、いじめられている事実をひた隠しにする。同級生で、陰ながら味方してくれる天野と、彼女が描いた絵をきっかけに話すようになっていく。
厚生労働省で働く鷹野は、毎日の激務のせいで不眠症になりながらも、働き方改革の事務作業に懸命になっている。そんな中、過労死に携わるNPOから、過労死で亡くなった者たちのプロフィール付きの資料を受け取る。鷹野はNPOの事務所に出向き、同い年だった男性のことを知りたいと申し出る。過労死を防ぐ法案のために、彼らの死を実感したいのだ、と。
切り絵作家として少しずつ知名度が上がりつつある翠は、高校で美術教師をしている夫と二人暮らし。夫は、「翠はどうしたいの?」と、常に意見を尊重してくれる。友人との会話から、年齢的にも子供のことを考えなければならないと思い、夫に相談するが、ここでも「翠はどうしたいの?」と聞かれ、感覚的なすれ違いを覚える。
3つの人生は、やがて交錯する。
シンプルな感想にはなかなか収斂しないのだけど、観て良かったなぁ、と思う。
現代的なテーマを扱いながら、ストレートに問題や解決策を提示するわけではなく、捉え方次第でいかようにも受け取ることが出来る映画で、観る人によって誰の視点を重視するかは変わるだろう。
一応主人公としては、学級委員長、鷹野、翠ということになるだろうが、この三人以外にも奥行きのある物語が用意されている。厚生労働省のパートでは、やはり鷹野が中心にはなるが、「厚生労働省という職場環境」というものがもう一つの捉え方の軸になるだろう。官僚がどのぐらい激務なのか、僕は実感としては知らないが、「過労死対策を講じるべき厚生労働省が最も過労死に近い職場である」という、笑えない冗談みたいな設定に共感してしまう人はいるのではないかと思う。学校のパートでは、天野の存在が非常に良かった。冒頭でダラダラと書いたような、「止まれと言わずに、止まっていいという雰囲気を醸し出す」というのに一番近いのが、天野だと思う。学級委員長の天野への扱いがちょっと可哀想だなと感じる部分もあって、全面的に天野の存在を肯定してしまうことも抵抗はあるけど(伝わるとは思うけど、これは天野を否定しているわけではない)、僕の学生時代にも、天野みたいな人がいたら良かったなぁと思う。翠のパートでは、やはり夫の存在が印象的だ。この夫に感情移入して見てしまう人も、結構いるんじゃないだろうか。
映画を観ながら考えていたことは、「ただ存在することの難しさ」だ。
なんでこんな難しいかね。
誰も傷つけようと思っていない、誰にも害をなそうと思っていない存在が、他者から痛めつけられたり、いつのまにか誰かを傷つけていたりする。どうしてそういうことになるかなぁ、といつも思う。そこに悪意が存在するなら、排除されてしかるべきだ。でも、ただそこにいるということが、これほど難しい理由は、僕にはまだ良くわからない。
映画の中である人物が、「こんな時代に生まれて、幸せに生きられるのかな」みたいなことを言う。それに対する返答がこうだ。
【どんな世の中だって、傷つかずに生きていくなんて無理だよ。傷付いて翼が折られても、誰かに否定されるような人生なんか、ないんじゃない?】
この発言をする人物も、色々と思い悩み、ようやくこの考えにたどり着いている。だから、彼女の言葉を否定したいわけじゃない。まあそうだよな、と思う。
それでも、と思う。僕の中にはまだ、諦めてしまいたくないという感覚がある。
誰もが傷つかずに生きていける世の中が、成立してもいいんじゃないか、と。
「滑走路」を観に行ってきました
未だに、他人事みたいな感覚のまま生きている。
たぶん、昔からなかった。
「どうしてもこれがやりたい」とか、「どうしてもこれが食べたい」とか、「どうしてもここに行きたい」みたいなものが。
だから、「どうしても生きたい」みたいな感覚にもなれないままいる。
どこかのタイミングで、そういう自分を諦めた。というか、受け入れた。
これは、もう変わらないだろう、と。
学生時代は、いつも思っていた。
いつになったら、自分のスイッチが入るんだろうな、と。
スイッチさえ入れば、たぶん結構良いところまでいけると思うんだけどな、と。
分かってなかった。
スイッチは、自分で入れなきゃいけなかったんだ、ということに。
誰かが、あるいは何かが起これば、スイッチが入るもんだと思い込んでいた。
スイッチが入らないまま生きていくってのは、なかなかしんどいものがある。
万年ガス欠みたいなものだ。
たまーに、少量のガソリンを拾って、なんとか騙し騙し動かしているような感じ。
正直、よくここまで自分を動かし続けられているなと思うし、今でも、いつ止まってもおかしくないと思っている。
こういう人が多いのか少ないのか、僕にはよく分からない。
でも、自殺しちゃう人には、きっとこういう感覚の人が多いんじゃないかなと思っている。
恐らく、自殺に至る、直接的なきっかけというのはもちろんあるんだと思う。
けど、そのきっかけだけで自殺してしまうわけじゃない。
万年ガス欠だという状態の方にこそ、たぶん問題がある。
でも、ガス欠状態であることは、なかなか分からない。
何故なら、それでも車は動いているからだ。
道路上で車が止まってしまっているなら、異変には気付ける。
けど、動いている場合、その「騙し騙し」の部分には、なかなか気づけなかったりする。
別に、今僕自身は、自殺に引っ張られそうな感覚はない。
けど、自分が常時ガス欠状態だということは認識しているから、何か具体的で致命的な出来事がポーンと一つ起こったりすると、ちょっとマズイかもなぁ、とは思っている。
そういう自分を、もう長いこと自覚しているから、ヤバくなりそうになる前に、そこに足を踏み入れないようにしている。
予感だけで、逃げようと決めている。
僕の場合は、それぐらいでようやくちょうどいい感じだ。
僕のように、慢性的なガス欠状態を自己認識出来ている人は、大丈夫だと思う。
怖いのは、ガス欠状態を認識出来ていない人だ。
だから僕は、出会う人誰もがガス欠状態かもしれないと思って接するようにしている。
ガス欠状態の人は、自分の調子の悪さには気づいていると思う。
でも、たぶん真面目なんだろう、止まっちゃいけないと思っている。
そして、そう思っているからこそ、僕は、「止まった方がいい」とは言わないようにしている。
外から言われたら、余計止まっちゃいけないと思うだろう。
「止まらないとマズイように見えていること自体がマズイ」と思って、余計無理する可能性もある。
だから、「止まった方がいい」と口には出さないまま、止まってもいいような雰囲気を醸し出せるようにしているつもりだ。
うまくいっているかは、分からない。
分からないけど、僕はそんな風に振る舞うようにしている。
内容に入ろうと思います。
悲しみを漂わせる、3つの物語が、同時に描かれていく。
いじめられている幼馴染をかばったせいで、自分が標的になってしまった学級委員長。彼は、シングルマザーの母に心配を掛けたくないと、いじめられている事実をひた隠しにする。同級生で、陰ながら味方してくれる天野と、彼女が描いた絵をきっかけに話すようになっていく。
厚生労働省で働く鷹野は、毎日の激務のせいで不眠症になりながらも、働き方改革の事務作業に懸命になっている。そんな中、過労死に携わるNPOから、過労死で亡くなった者たちのプロフィール付きの資料を受け取る。鷹野はNPOの事務所に出向き、同い年だった男性のことを知りたいと申し出る。過労死を防ぐ法案のために、彼らの死を実感したいのだ、と。
切り絵作家として少しずつ知名度が上がりつつある翠は、高校で美術教師をしている夫と二人暮らし。夫は、「翠はどうしたいの?」と、常に意見を尊重してくれる。友人との会話から、年齢的にも子供のことを考えなければならないと思い、夫に相談するが、ここでも「翠はどうしたいの?」と聞かれ、感覚的なすれ違いを覚える。
3つの人生は、やがて交錯する。
シンプルな感想にはなかなか収斂しないのだけど、観て良かったなぁ、と思う。
現代的なテーマを扱いながら、ストレートに問題や解決策を提示するわけではなく、捉え方次第でいかようにも受け取ることが出来る映画で、観る人によって誰の視点を重視するかは変わるだろう。
一応主人公としては、学級委員長、鷹野、翠ということになるだろうが、この三人以外にも奥行きのある物語が用意されている。厚生労働省のパートでは、やはり鷹野が中心にはなるが、「厚生労働省という職場環境」というものがもう一つの捉え方の軸になるだろう。官僚がどのぐらい激務なのか、僕は実感としては知らないが、「過労死対策を講じるべき厚生労働省が最も過労死に近い職場である」という、笑えない冗談みたいな設定に共感してしまう人はいるのではないかと思う。学校のパートでは、天野の存在が非常に良かった。冒頭でダラダラと書いたような、「止まれと言わずに、止まっていいという雰囲気を醸し出す」というのに一番近いのが、天野だと思う。学級委員長の天野への扱いがちょっと可哀想だなと感じる部分もあって、全面的に天野の存在を肯定してしまうことも抵抗はあるけど(伝わるとは思うけど、これは天野を否定しているわけではない)、僕の学生時代にも、天野みたいな人がいたら良かったなぁと思う。翠のパートでは、やはり夫の存在が印象的だ。この夫に感情移入して見てしまう人も、結構いるんじゃないだろうか。
映画を観ながら考えていたことは、「ただ存在することの難しさ」だ。
なんでこんな難しいかね。
誰も傷つけようと思っていない、誰にも害をなそうと思っていない存在が、他者から痛めつけられたり、いつのまにか誰かを傷つけていたりする。どうしてそういうことになるかなぁ、といつも思う。そこに悪意が存在するなら、排除されてしかるべきだ。でも、ただそこにいるということが、これほど難しい理由は、僕にはまだ良くわからない。
映画の中である人物が、「こんな時代に生まれて、幸せに生きられるのかな」みたいなことを言う。それに対する返答がこうだ。
【どんな世の中だって、傷つかずに生きていくなんて無理だよ。傷付いて翼が折られても、誰かに否定されるような人生なんか、ないんじゃない?】
この発言をする人物も、色々と思い悩み、ようやくこの考えにたどり着いている。だから、彼女の言葉を否定したいわけじゃない。まあそうだよな、と思う。
それでも、と思う。僕の中にはまだ、諦めてしまいたくないという感覚がある。
誰もが傷つかずに生きていける世の中が、成立してもいいんじゃないか、と。
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