アインシュタインの影 ブラックホール撮影成功までの記録(セス・フレッチャー)
2019年4月10日、歴史的な記者会見が行われた。ブラックホールが撮影された、というもので、その画像が世界中で同時に公開されたのだ。この会見、史上稀に見るほど異例中の異例だったそうで、たとえば「解禁時刻」は、なんと22時07分に設定された。通常は1時間単位の設定であるし、しかも22時という遅い時間に設定されることもない。これまでに行われた科学の発見に関する発表の中でも、飛びきり注目度が高かっただろうと思う。
僕らのような一般人にしてみても、「ブラックホールが撮影された」と聞けば、なんだかワクワクする。名前だけは誰もが聞いたことがあっても、人類の誰も見たことがないものだ。そんなものが撮影されたというのだから凄いだろう。そういう熱狂が、一般人にはあっただろう。
しかしこのブラックホールの撮影に関しては、科学者自身もワクワクなのである。
そもそもだが、ブラックホールというのは「光さえも吸い込む暗黒の天体」なのに、どうして「撮影」できるのかを説明しておこう。ブラックホールは、周囲にあるあらゆるものを引き寄せ、吸い込むが、しかしすぐ吸い込まれるわけではない。ブラックホールの周りで滞留するのだ。というのも、ブラックホールに吸い込まれんとしている物質が渋滞を起こしているからだ。その渋滞を起こしている物質同士は、当然、超速いスピードで回転しているので、衝突すると摩擦熱が発生する。その摩擦熱で、ブラックホールの周囲が光っているから、撮影できるのだ。
ここまでは、別に科学者も十分承知の話だ。1998年に行われたある会議で、ある人物が、「解像度が上がれば、光り輝く部分の中に『黒い穴』が写るはずだ」と発言した。しかしこの当時、ブラックホールを撮影した場合に「黒い穴」が写るかどうか確証はなかった。理論上どう見えるかという計算結果は存在した。しかしあくまでもそれは理論上の話だ。誰も、それに確証を持てていたわけではない。実際に「撮影」するまで分からなかったのだ。
さらに、もっと重要な問題もある。ブラックホールは、中心である「特異点」と、「事象の地平面」と呼ばれる光が脱出出来なくなる限界ラインで構成されるが、「中心にある特異点が見えるかどうか問題」というのがあった。これは「宇宙検閲官仮説」とも呼ばれている。星が重力崩壊すると、「特異点」が出来ることは分かっているが、しかし「事象の地平面」が出来るかは定かではない。もし「事象の地平面」が出来ないとすれば、「裸の特異点」が存在することになる。これはつまり、「事象の地平面」によって覆い隠されないために見ることが出来る「特異点」だ。つまり、ブラックホールを撮影して「特異点」が写るかどうか、というのは、この「宇宙検閲官仮説」の検証として非常に重要なのだ。他にも本書には、このブラックホールの撮影というプロジェクトによって明らかになるかもしれない事柄についていくつか触れられている。
もちろん、本プロジェクトを主導した面々の大きなモチベーションは、「ブラックホールを見てみたい」というものだっただろうが、この撮影プロジェクトは、そんな動機を上回る非常に重要な意味を持つものだったのだ。
本書は、そんなEHT(事象の地平望遠鏡)プロジェクトを率いたシェップ・ドールマンを中心に、相対性理論からブラックホールが導かれた経緯や、ブラックホールの研究がその後どのように進んでいったのかと言った学術的な部分にも触れたノンフィクションだ。
それは、まさに壮大なプロジェクトである。
EHTというのは、地球規模の望遠鏡であり、本書には「人類史上最大の望遠鏡」と書かれている。まさにその通りだ。現時点でこれを超える望遠鏡はなかなか作れないだろう。というのは、地球上に存在するミリ波電波望遠鏡のほとんどを総動員するものだからだ。
細かな仕組みは僕には説明できないが、EHTというのは、南極を含む、世界中に存在する電波望遠鏡で同時に撮影をし、それらのデータを合わせることで、地球規模の大きな望遠鏡にしてしまう、というものだ。この仕組を支えるVLBI(超長基線電波干渉計)を作り上げたのが、シェップの上司的な存在であるアラン・ロジャースだ。シェップは、非常に優秀だったが運に恵まれず、不遇な大学院時代を過ごし、結局教授に追い出されるようにしてヘイスタック観測所に移ったところ、そこでロジャースと出会ったのだ。シェップは、ロジャースが生み出したVLBIのことはよく知らなかったが、そこにロマンを感じた。ロジャースから、当時まだ実現できていなかった、VLBIでサブミリ波を観測するというミッションを与えられた。何年も掛かる困難な仕事だが、うまく行けばブラックホールを観測できるぞ、と言われた。それがシェップのEHTプロジェクトのスタートとなった。
少し脱線するが、このVLBI、ブラックホールの撮影以外にもものすごい証明に使われている。VLBIというのは先ほど書いたように、地球上の複数の電波望遠鏡を同時に使うものだ。さて、2つの電波望遠鏡から、「クエーサー」と呼ばれる天体を観測するとする。この「クエーサー」は、地球からメチャクチャ離れたところにあるので、地球から見れば不動の点のようなものだと思っていい(もちろん、クエーサー自身は高速で動いているが)。さて、そんな「クエーサー」を2つの電波望遠鏡で何年も観測するとする。電波の到達時間が日によって異なる場合、「クエーサー」は不動なのだから、その到達時間の差は、電波望遠鏡が移動していることによるものだ。地面に固定されているはずの電波望遠鏡がどうして動くのか。まさにこれが、プレートテクトニクス理論(昔でいうところの「大陸移動説」)の証明となったのだ。
さて、EHTプロジェクトでは、基本的に「いて座A*」と呼ばれるブラックホールを観測しようとした。そして、ついでだからということで「M87」も観測することになった。「いて座A*」は、非常に重要なブラックホールだ。それは天の川銀河の中心にある巨大ブラックホールだ。現在、どの銀河にも、その中心には巨大ブラックホールがあると考えられている。地球から2万6000光年離れているが、巨大ブラックホールは他の通常のブラックホールよりもメッチャ輝いているので、他のブラックホールより見つけやすい、と思われた。一方の「M87」は、地球から5500万光年離れた場所にある、巨大ブラックホールではない通常のブラックホールだ。
「いて座A*」は本命なのだが、ハードルは高い。何故なら3つの「壁」を通り抜けなければならないからだ。一つは、「散乱スクリーン」と呼ばれるもので、正体は未だにちゃんとは分かっていない。電波が通り抜けるのを妨害する存在だ。次に、ブラックホールの周辺を囲む高温のガスもある。このガスが透明なのかどうか、やってみないと分からない。さらにもう一つ、地球の天気の問題がある。VLBIは、地球上の複数の電波望遠鏡から同時に観測するが、そのすべての観測地点の天気が観測に向く良好なものでなければならない。雨ならもちろんダメだし、雲が厚くてもダメだ。一箇所だけではなく、(すべてとは言わないまでも)複数地点できちんと観測が出来なければ、そもそも地球規模の望遠鏡は完成しないのだ。
【この3条件がそろうのは地上で皆既日食が見られるのと同じくらいの偶然だと、後にフルビオ・メリアは語っている】
さて、これほど撮影条件が厳しいというのに、望遠鏡は限られた時間しか使えない。電波望遠鏡というのは、建設にメチャクチャお金が掛かる。だから、一研究所、あるいは一国所有というのではなく、複数国家でお金を出し合って建設しているものもある。そうなると、それには厳密な利用規約が存在し、勝手には使えない。世界中の科学者が、電波望遠鏡を使いたがっているのだから、勝手は許されないのだ。まあそれは仕方ない、とシェップも理解していた。
しかしシェップが最後まで憤っていた条件がある。
ALMAという、日本もその建設に携わった、チリの高地にある世界最大の電波望遠鏡がある。66台の電波望遠鏡を干渉させるという規模である。問題はこのALMAで起こった。そもそもVLBIを実施するには、既存の電波望遠鏡にちょいと細工をしなければならない。例えば、「水素メーザー原子時計」という、非常に正確な時計がある。これを電波望遠鏡に接続して、世界各地の電波望遠鏡と同期しなければならない。しかしこの「水素メーザー原子時計」は、軍事目的に転用可能でもあるため、今でも政府の許可なしには国外に持ち出せない代物だ。そういうものを、EHTの資金で集め、設置しなければならない。しかし、そうやってEHT側の費用で設備増強しても、その設備をEHTが優先的に使えるわけではない、とALMAは言う。設備増強した分は、オープンソースのような扱いとなり、その上で、最も良い計画を出してきたところに使わせる、というのだ。これを不公平と感じたシェップは、長年闘ったが、結論が覆ることはなかった。
また、EHTプロジェクトは、助成金の申請を様々にしていた。ある時、助成金の申請が下りたが、同じ土俵でCARMAという電波望遠鏡が争っていた。その争いに勝ち、EHTが助成金を手にしたが、その結果当然CARMAはもらえず、となるとCARMAはあと一年程度しか存続できない、ということになる。しかしEHTの計画にはCARMAは必要なのだ。このように、使えるはずの電波望遠鏡が役目を終えて使えなくなってしまう、という問題もあり、シェップは様々な調整に追われた。
しかし、シェップが一番悩んだのは、EHTプロジェクトそのものについてだ。この問題の背景には、「ブラックホールの撮影が出来た場合、誰がノーベル賞を受賞するか」という問題が横たわっている。ノーベル賞というのは、知っている人も多いかもしれないが、同時に3人までしか受賞できない。この規定により、様々な悲喜劇が生まれてきた。最近のビッグサイエンスには、世界各国の数百人規模の科学者が同時にプロジェクトに参加している。だからこそ、どの3人が選ばれるのかは非常に難しい。EHTプロジェクトでは当初、シェップが個人的に集めてきたメンバーで進めていた。しかし途中からそれでは進まなくなってしまう。資金の問題が大きかった。資金集めが必要だと思い、元々EHTプロジェクトに関わっていなかったハイノという科学者が、独自に資金集めをし、それを手土産にEHTプロジェクトに合流しよう、とした。本書を読む限り、ハイノは純粋に、その方がEHTプロジェクトのためになる、と考えたようだ。
しかしこの動きをシェップは警戒する。成果を横取りされるのではないか、と懸念したのだ。シェップは、大学教授ではなく、観測所の一介の研究員に過ぎなかった。だから、EHTプロジェクトに賭けていた。シェップが集めてきたメンバーだけで成功させれば、何の問題もなくシェップの手柄となる。しかし、ハイノと組むということは、きちんとした組織を作らなければならない、ということになる。その組織づくりの過程でシェップは、「評議会からプロジェクトリーダーに任命されるかもしれない人」という立ち位置になってしまう(実際に任命されたが)。プロジェクトが成功した場合、きちんと自分の成果として評価されるか、という葛藤がシェップの中にずっとあり、プロジェクト全体が振り回されることにもなった。
さていよいよ撮影というところまでこぎつけたが、その少し前にちょっと嫌なことが起こった。シェップたちとはまったく関係ない研究グループの発表にケチがついたのだ。「BICEP2」というプロジェクトが、「宇宙背景放射の揺らぎ」を観測したと発表し大いに話題になったのだが、しかしその直後、「超大発見は空振りかも」という報道が出る。観測データから宇宙の塵に由来するノイズを取り除く作業でミスを犯した可能性がある、というのだ。チームはしぶしぶながら誤りの可能性を認めた。彼らの誤りが明確に指摘されたわけではないが、結局、正しかったかもしれないし間違っていたかもしれない、というところに落ち着いてしまった。
これを受けてシェップらは、「一点の疑念も持たれない形で発表しなければならない」と改めて実感することとなった。そこでEHTプロジェクトでは、同じデータを3箇所で解析し、解析中は一切分析結果を口外しないようにし先入観を与えないようにする、という手法を取った。その結果、3つの解析結果は瓜二つと言っていいものに仕上がったという。
ちなみに、EHTプロジェクトで撮影され、世界中で公開されたブラックホールの画像は、実は「いて座A*」ではなく「M87」のものだ。「いて座A*」の画像は、どのチームも取得できなかったという。恐らくいずれ、「いて座A*」を観測するプロジェクトが行われるだろう。
さて、本書では、シェップを中心とした組み立てがなされており、著者自身もシェップのいるところにずっとついていたようなので、本プロジェクトにおける日本の役割については本文中にはほとんど記載がない。その点については、本書の日本語版監修者である、国立天文台副台長である渡部潤一が解説で触れている。日本は、装置の政策、観測戦略立案、解析手法など様々な点で貢献したという。
2015年9月に捉えられた「重力波」は、「アインシュタイン最後の宿題」と呼ばれている。アインシュタインが残した様々な予測の中で、唯一観測による証明がなされていなかったからだ。ブラックホールについては、間接的な実在証拠は様々なに存在しており、科学者はその存在を疑っていなかったが、それでも今回、人類史上初めてブラックホールが撮影された。ある意味ではこれも、「アインシュタインの宿題」と呼んでもいいかもしれない。これからも恐らく、様々な科学の発見の場面で、アインシュタインの名前を耳にすることになるだろう。つくづく凄い科学者だと思う。
セス・フレッチャー「アインシュタインの影 ブラックホール撮影成功までの記録」
僕らのような一般人にしてみても、「ブラックホールが撮影された」と聞けば、なんだかワクワクする。名前だけは誰もが聞いたことがあっても、人類の誰も見たことがないものだ。そんなものが撮影されたというのだから凄いだろう。そういう熱狂が、一般人にはあっただろう。
しかしこのブラックホールの撮影に関しては、科学者自身もワクワクなのである。
そもそもだが、ブラックホールというのは「光さえも吸い込む暗黒の天体」なのに、どうして「撮影」できるのかを説明しておこう。ブラックホールは、周囲にあるあらゆるものを引き寄せ、吸い込むが、しかしすぐ吸い込まれるわけではない。ブラックホールの周りで滞留するのだ。というのも、ブラックホールに吸い込まれんとしている物質が渋滞を起こしているからだ。その渋滞を起こしている物質同士は、当然、超速いスピードで回転しているので、衝突すると摩擦熱が発生する。その摩擦熱で、ブラックホールの周囲が光っているから、撮影できるのだ。
ここまでは、別に科学者も十分承知の話だ。1998年に行われたある会議で、ある人物が、「解像度が上がれば、光り輝く部分の中に『黒い穴』が写るはずだ」と発言した。しかしこの当時、ブラックホールを撮影した場合に「黒い穴」が写るかどうか確証はなかった。理論上どう見えるかという計算結果は存在した。しかしあくまでもそれは理論上の話だ。誰も、それに確証を持てていたわけではない。実際に「撮影」するまで分からなかったのだ。
さらに、もっと重要な問題もある。ブラックホールは、中心である「特異点」と、「事象の地平面」と呼ばれる光が脱出出来なくなる限界ラインで構成されるが、「中心にある特異点が見えるかどうか問題」というのがあった。これは「宇宙検閲官仮説」とも呼ばれている。星が重力崩壊すると、「特異点」が出来ることは分かっているが、しかし「事象の地平面」が出来るかは定かではない。もし「事象の地平面」が出来ないとすれば、「裸の特異点」が存在することになる。これはつまり、「事象の地平面」によって覆い隠されないために見ることが出来る「特異点」だ。つまり、ブラックホールを撮影して「特異点」が写るかどうか、というのは、この「宇宙検閲官仮説」の検証として非常に重要なのだ。他にも本書には、このブラックホールの撮影というプロジェクトによって明らかになるかもしれない事柄についていくつか触れられている。
もちろん、本プロジェクトを主導した面々の大きなモチベーションは、「ブラックホールを見てみたい」というものだっただろうが、この撮影プロジェクトは、そんな動機を上回る非常に重要な意味を持つものだったのだ。
本書は、そんなEHT(事象の地平望遠鏡)プロジェクトを率いたシェップ・ドールマンを中心に、相対性理論からブラックホールが導かれた経緯や、ブラックホールの研究がその後どのように進んでいったのかと言った学術的な部分にも触れたノンフィクションだ。
それは、まさに壮大なプロジェクトである。
EHTというのは、地球規模の望遠鏡であり、本書には「人類史上最大の望遠鏡」と書かれている。まさにその通りだ。現時点でこれを超える望遠鏡はなかなか作れないだろう。というのは、地球上に存在するミリ波電波望遠鏡のほとんどを総動員するものだからだ。
細かな仕組みは僕には説明できないが、EHTというのは、南極を含む、世界中に存在する電波望遠鏡で同時に撮影をし、それらのデータを合わせることで、地球規模の大きな望遠鏡にしてしまう、というものだ。この仕組を支えるVLBI(超長基線電波干渉計)を作り上げたのが、シェップの上司的な存在であるアラン・ロジャースだ。シェップは、非常に優秀だったが運に恵まれず、不遇な大学院時代を過ごし、結局教授に追い出されるようにしてヘイスタック観測所に移ったところ、そこでロジャースと出会ったのだ。シェップは、ロジャースが生み出したVLBIのことはよく知らなかったが、そこにロマンを感じた。ロジャースから、当時まだ実現できていなかった、VLBIでサブミリ波を観測するというミッションを与えられた。何年も掛かる困難な仕事だが、うまく行けばブラックホールを観測できるぞ、と言われた。それがシェップのEHTプロジェクトのスタートとなった。
少し脱線するが、このVLBI、ブラックホールの撮影以外にもものすごい証明に使われている。VLBIというのは先ほど書いたように、地球上の複数の電波望遠鏡を同時に使うものだ。さて、2つの電波望遠鏡から、「クエーサー」と呼ばれる天体を観測するとする。この「クエーサー」は、地球からメチャクチャ離れたところにあるので、地球から見れば不動の点のようなものだと思っていい(もちろん、クエーサー自身は高速で動いているが)。さて、そんな「クエーサー」を2つの電波望遠鏡で何年も観測するとする。電波の到達時間が日によって異なる場合、「クエーサー」は不動なのだから、その到達時間の差は、電波望遠鏡が移動していることによるものだ。地面に固定されているはずの電波望遠鏡がどうして動くのか。まさにこれが、プレートテクトニクス理論(昔でいうところの「大陸移動説」)の証明となったのだ。
さて、EHTプロジェクトでは、基本的に「いて座A*」と呼ばれるブラックホールを観測しようとした。そして、ついでだからということで「M87」も観測することになった。「いて座A*」は、非常に重要なブラックホールだ。それは天の川銀河の中心にある巨大ブラックホールだ。現在、どの銀河にも、その中心には巨大ブラックホールがあると考えられている。地球から2万6000光年離れているが、巨大ブラックホールは他の通常のブラックホールよりもメッチャ輝いているので、他のブラックホールより見つけやすい、と思われた。一方の「M87」は、地球から5500万光年離れた場所にある、巨大ブラックホールではない通常のブラックホールだ。
「いて座A*」は本命なのだが、ハードルは高い。何故なら3つの「壁」を通り抜けなければならないからだ。一つは、「散乱スクリーン」と呼ばれるもので、正体は未だにちゃんとは分かっていない。電波が通り抜けるのを妨害する存在だ。次に、ブラックホールの周辺を囲む高温のガスもある。このガスが透明なのかどうか、やってみないと分からない。さらにもう一つ、地球の天気の問題がある。VLBIは、地球上の複数の電波望遠鏡から同時に観測するが、そのすべての観測地点の天気が観測に向く良好なものでなければならない。雨ならもちろんダメだし、雲が厚くてもダメだ。一箇所だけではなく、(すべてとは言わないまでも)複数地点できちんと観測が出来なければ、そもそも地球規模の望遠鏡は完成しないのだ。
【この3条件がそろうのは地上で皆既日食が見られるのと同じくらいの偶然だと、後にフルビオ・メリアは語っている】
さて、これほど撮影条件が厳しいというのに、望遠鏡は限られた時間しか使えない。電波望遠鏡というのは、建設にメチャクチャお金が掛かる。だから、一研究所、あるいは一国所有というのではなく、複数国家でお金を出し合って建設しているものもある。そうなると、それには厳密な利用規約が存在し、勝手には使えない。世界中の科学者が、電波望遠鏡を使いたがっているのだから、勝手は許されないのだ。まあそれは仕方ない、とシェップも理解していた。
しかしシェップが最後まで憤っていた条件がある。
ALMAという、日本もその建設に携わった、チリの高地にある世界最大の電波望遠鏡がある。66台の電波望遠鏡を干渉させるという規模である。問題はこのALMAで起こった。そもそもVLBIを実施するには、既存の電波望遠鏡にちょいと細工をしなければならない。例えば、「水素メーザー原子時計」という、非常に正確な時計がある。これを電波望遠鏡に接続して、世界各地の電波望遠鏡と同期しなければならない。しかしこの「水素メーザー原子時計」は、軍事目的に転用可能でもあるため、今でも政府の許可なしには国外に持ち出せない代物だ。そういうものを、EHTの資金で集め、設置しなければならない。しかし、そうやってEHT側の費用で設備増強しても、その設備をEHTが優先的に使えるわけではない、とALMAは言う。設備増強した分は、オープンソースのような扱いとなり、その上で、最も良い計画を出してきたところに使わせる、というのだ。これを不公平と感じたシェップは、長年闘ったが、結論が覆ることはなかった。
また、EHTプロジェクトは、助成金の申請を様々にしていた。ある時、助成金の申請が下りたが、同じ土俵でCARMAという電波望遠鏡が争っていた。その争いに勝ち、EHTが助成金を手にしたが、その結果当然CARMAはもらえず、となるとCARMAはあと一年程度しか存続できない、ということになる。しかしEHTの計画にはCARMAは必要なのだ。このように、使えるはずの電波望遠鏡が役目を終えて使えなくなってしまう、という問題もあり、シェップは様々な調整に追われた。
しかし、シェップが一番悩んだのは、EHTプロジェクトそのものについてだ。この問題の背景には、「ブラックホールの撮影が出来た場合、誰がノーベル賞を受賞するか」という問題が横たわっている。ノーベル賞というのは、知っている人も多いかもしれないが、同時に3人までしか受賞できない。この規定により、様々な悲喜劇が生まれてきた。最近のビッグサイエンスには、世界各国の数百人規模の科学者が同時にプロジェクトに参加している。だからこそ、どの3人が選ばれるのかは非常に難しい。EHTプロジェクトでは当初、シェップが個人的に集めてきたメンバーで進めていた。しかし途中からそれでは進まなくなってしまう。資金の問題が大きかった。資金集めが必要だと思い、元々EHTプロジェクトに関わっていなかったハイノという科学者が、独自に資金集めをし、それを手土産にEHTプロジェクトに合流しよう、とした。本書を読む限り、ハイノは純粋に、その方がEHTプロジェクトのためになる、と考えたようだ。
しかしこの動きをシェップは警戒する。成果を横取りされるのではないか、と懸念したのだ。シェップは、大学教授ではなく、観測所の一介の研究員に過ぎなかった。だから、EHTプロジェクトに賭けていた。シェップが集めてきたメンバーだけで成功させれば、何の問題もなくシェップの手柄となる。しかし、ハイノと組むということは、きちんとした組織を作らなければならない、ということになる。その組織づくりの過程でシェップは、「評議会からプロジェクトリーダーに任命されるかもしれない人」という立ち位置になってしまう(実際に任命されたが)。プロジェクトが成功した場合、きちんと自分の成果として評価されるか、という葛藤がシェップの中にずっとあり、プロジェクト全体が振り回されることにもなった。
さていよいよ撮影というところまでこぎつけたが、その少し前にちょっと嫌なことが起こった。シェップたちとはまったく関係ない研究グループの発表にケチがついたのだ。「BICEP2」というプロジェクトが、「宇宙背景放射の揺らぎ」を観測したと発表し大いに話題になったのだが、しかしその直後、「超大発見は空振りかも」という報道が出る。観測データから宇宙の塵に由来するノイズを取り除く作業でミスを犯した可能性がある、というのだ。チームはしぶしぶながら誤りの可能性を認めた。彼らの誤りが明確に指摘されたわけではないが、結局、正しかったかもしれないし間違っていたかもしれない、というところに落ち着いてしまった。
これを受けてシェップらは、「一点の疑念も持たれない形で発表しなければならない」と改めて実感することとなった。そこでEHTプロジェクトでは、同じデータを3箇所で解析し、解析中は一切分析結果を口外しないようにし先入観を与えないようにする、という手法を取った。その結果、3つの解析結果は瓜二つと言っていいものに仕上がったという。
ちなみに、EHTプロジェクトで撮影され、世界中で公開されたブラックホールの画像は、実は「いて座A*」ではなく「M87」のものだ。「いて座A*」の画像は、どのチームも取得できなかったという。恐らくいずれ、「いて座A*」を観測するプロジェクトが行われるだろう。
さて、本書では、シェップを中心とした組み立てがなされており、著者自身もシェップのいるところにずっとついていたようなので、本プロジェクトにおける日本の役割については本文中にはほとんど記載がない。その点については、本書の日本語版監修者である、国立天文台副台長である渡部潤一が解説で触れている。日本は、装置の政策、観測戦略立案、解析手法など様々な点で貢献したという。
2015年9月に捉えられた「重力波」は、「アインシュタイン最後の宿題」と呼ばれている。アインシュタインが残した様々な予測の中で、唯一観測による証明がなされていなかったからだ。ブラックホールについては、間接的な実在証拠は様々なに存在しており、科学者はその存在を疑っていなかったが、それでも今回、人類史上初めてブラックホールが撮影された。ある意味ではこれも、「アインシュタインの宿題」と呼んでもいいかもしれない。これからも恐らく、様々な科学の発見の場面で、アインシュタインの名前を耳にすることになるだろう。つくづく凄い科学者だと思う。
セス・フレッチャー「アインシュタインの影 ブラックホール撮影成功までの記録」
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