「創造と神秘のサグラダ・ファミリア」を観ました
映画を観に行けなくなってしまったので、応援の意味も込めつつ、アップリンクのオンライン見放題に登録した。
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https://www.uplink.co.jp/cloud/features/2311/
僕の拙い知識では、サグラダ・ファミリアがあるスペインのカタルーニャ地方は、スペインからの独立を目指しているはずだ。その背後にある事情については詳しく知らないが、元々「カタルーニャ語」があったりと別の文化圏なんだろうし、この映画で描かれているように、内戦によって大きな被害を受けたり圧政を強いられたりしたことも関係しているんだろう。カタルーニャはバルセロナを擁し、独立しても経済的にやっていけると判断しているけど、スペインが手放したがらない、という感じだったと思う。
どうしてこんな話を書くのか。それは、サグラダ・ファミリアの建設に関して、どうも「妨害」っぽい介入が多いな、と感じたからだ。
一番それを感じたのは、高速列車の建設だ。バルセロナとパリの間をつなぐ高速列車のトンネルが、サグラダ・ファミリアの地下30メートルのところを通るらしい。どんな事情があるのか知らないけど、サグラダ・ファミリアの直下を通さないルートは選択出来るんじゃないかなぁ、と感じた。つまりこれは、嫌がらせなんじゃないかなぁ、と思ったのだ。僕の勝手な印象だけど。
また、これはスペインとの問題というわけではなく、バルセロナ市との問題だろうけど、サグラダ・ファミリアの建設に関しての反対運動が、建設計画に大きな影響を与えている。サグラダ・ファミリアには18本のファサード(教会を取り巻く塔のことだと思う)が計画されており、次の建設は、サグラダ・ファミリアの入り口を飾る「栄光のファサード」なのだが、これは既に、ガウディの建設計画通りに作るのが困難になっている。ガウディはサグラダ・ファミリアの入り口を、200メートル先の大通りまで広場でつなぐ計画をしていた。しかし、1970年代だったと思うけど、サグラダ・ファミリアの建設計画に反対する市民が、サグラダ・ファミリアの周辺に住宅を建てる計画を立てた。そして市当局がその許可を与えてしまったのだという。ガウディが広場にするつもりだった大通りまでの区画に、今は住宅が立ち並んでいる。
そういう話から、サグラダ・ファミリアというものが地元の人間からどう扱われているのか、イマイチよく分からなくなってくる。
建設委員会は、「受難のファサード」の設計を、ジョセップ・スピラックスに依頼した。彼に依頼することは賛否を巻き起こすことは分かっていた。抽象彫刻家であり、また、建設続行に反対する署名をした人物でもあったからだ(ガウディの死後、建設途中のサグラダ・ファミリアをそのままにし、博物館にするという案が出されたが、建設委員会は無視した)。
完成した「受難のファサード」はやはり賛否を巻き起こしたが、その内の一つが、「キリストが裸だったから」だという。腰巻きが必要だ、というデモが、定期的に行われるという。
とはいえ、芸術というのは、批判から逃れられないものだ。パリのエッフェル塔も、建設当時は激しい批判を浴びた。奇抜な外観が受け入れ難かったからだという。僕らにはもはや、エッフェル塔の何が奇抜なのか分からないが、それはつまり、エッフェル塔が古い価値観をなぎ倒し、新しい芸術として認められた、ということだろう。サグラダ・ファミリアは、まだ完成すらしていない。未完成のものを、受け入れるかどうかという議論をしても仕方ないだろう。
映画の中では、「過去を構築することに価値があるのか」「現代に合わせたものに再構築出来るのでは」というような意見を述べる人もいた。映画そのものは、サグラダ・ファミリアの建築に関わり、この仕事を誇りに感じている人間を中心に描かれるのでそうした声は少ないが、サグラダ・ファミリアという教会の存在価値に疑問を呈している人がいた。僕の理解が正しければ、結局のところガウディの理想というのは、ガウディが生きていた時代における理想でしかない。時代も建築技法も宗教の捉え方も変わった。であれば、そういう時代の変化に沿った、新しい存在価値を持つサグラダ・ファミリアを構築することが求められているのではないか。ただただ、「ガウディがそう言ったから」と、ガウディの設計を神託のように遂行するのではなく、現代性を取り入れるべきではないか、という話だったと思う。
まあ確かに、その意見も分かる気はする。教会というのは元々「神の家」なわけだけど、サグラダ・ファミリアは、「キリスト教における神」の家を作っているのではなく、「ガウディという神」の家を作っている、という印象を受けてしまったからだ。実際ガウディは、晩年はサグラダ・ファミリアに住み込み、昼夜問わず仕事をしていたようだ。
過去に作られたものが現代まで残っている場合、それを作られた当時のまま保存する、というのは納得感はある。しかし、現在進行系で建設中なのであれば、設計通り作る必要があるのか?という問いだ。なかなかこんな問いは存在し得ない。100年以上も建設し続ける建築物など、なかなかないだろうから。
奈良の大仏は、天然痘の感染が早く終息するように、という願いを込めて建造されたという。例えば、奈良の大仏の建造中に、天然痘の感染が終息したとしよう。その場合も、当初の計画通り作り続けるべきだろうか?それとも、天然痘の感染が終息した世の中に合わせた設計変更をするべきだろうか?
みたいなことを、サグラダ・ファミリアも問われているのかな、と感じた。
より難しい問題は、ガウディの設計図などはほぼすべて失われている、ということだ。1936年に発生した内戦により大きな被害を受け、ガウディが記したサグラダ・ファミリアに関する資料はほぼ失われてしまったという。残ったのは、出版されたものか、個人が保管していたもの。世界中からかき集めても、ガウディ本人が描いたイラストは30点ほどしかないという。ガウディは元々設計図をほとんど書かず、制作前に模型をたくさん作ったが、その模型もすべて内戦で失われたという。
だからそもそも、ガウディが思っていた通りに作る、ということが不可能といえるのだ。
パリのノートルダム大聖堂が火災で甚大な被害を受けた後、「再建案」を世界中から公募する、という再建方針を示したことが話題となった。事情はよく知らないが、何故か、元の形を復元する、という方向にはならなかったようだ。調べたところ、そもそも焼け落ちた尖塔は、19世紀に増築されたものだったそうだが、当時の建築家が中世の建築を建築し、違和感なく融合するように設計して作られたものだ、という。増築されたものの復元、ということであれば、なるほどまた解釈は難しいなぁ、と感じる。
映画を見る前からサグラダ・ファミリアに関して疑問だったのが、「誰が完成を宣言するのか」ということだ。それは、この映画を見て改めて感じたことでもある。現在のサグラダ・ファミリアの建築を担う主任建築士というのはもちろんいる。彼が全体の指揮をしているのだろう。しかし恐らくだが、その主任建築士の生存中には完成しないだろう。もちろん、誰かが引き継ぐだろう。しかしそうやって、引き継がれていった誰が、完成を宣言できるのだろうかと思う。100年以上建設し続けてきたのだ。はっきり言って、手を入れようと思えばいくらでも入れられるだろう。そういう状態で、「これで完成です」と宣言できる人物が存在するのだろうか、と感じる。映画の中では、「時間と資金があればいつかは完成するが、問題は完成するかどうかではなく、過程だ」とか、「サグラダ・ファミリアが完成する、ということが何を意味するのか考える必要がある」というような、哲学的な返答をする人が多かったように思う。
しかし、サグラダ・ファミリアの建築の時点で、ガウディがまったくの無名だった、というのは知らなかった。サグラダ・ファミリアは、ある書店主の発案で建築が構想され、ある建築家に依頼され、1882年3月19日に起工式が行われたが、依頼主と合わずその建築家が下りてしまったという。そこで白羽の矢が立ったのが、ガウディだった。無名だったガウディがどうして指名されたのかとか、無名だったガウディの壮大なイメージがどうしてそのまま受け入れられたのか、ということは映画では描かれなかったが(スペイン人にとってその辺りの知識は常識的なものだから描かれないのかもしれない)、「ガウディはとにかく天才だった」と主張する人物がいたので、名が知られていなくても、その実力を皆がすぐに感じ取った、ということなのかもしれない。
この映画には、彫刻家の外尾悦郎も出てくる。以前、情熱大陸か何かで見た記憶がある。サグラダ・ファミリアの建設に関わる唯一の日本人、というような触れ込みだったと思う。僕はなんにせよ職人的な生き方とか技術とかって憧れを持ってしまう部分があるから、ちょっとポエティックだなぁと感じる部分もあったけど、意義を感じられるだろう仕事に従事出来ていいなぁ、と思った。
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どうしてこんな話を書くのか。それは、サグラダ・ファミリアの建設に関して、どうも「妨害」っぽい介入が多いな、と感じたからだ。
一番それを感じたのは、高速列車の建設だ。バルセロナとパリの間をつなぐ高速列車のトンネルが、サグラダ・ファミリアの地下30メートルのところを通るらしい。どんな事情があるのか知らないけど、サグラダ・ファミリアの直下を通さないルートは選択出来るんじゃないかなぁ、と感じた。つまりこれは、嫌がらせなんじゃないかなぁ、と思ったのだ。僕の勝手な印象だけど。
また、これはスペインとの問題というわけではなく、バルセロナ市との問題だろうけど、サグラダ・ファミリアの建設に関しての反対運動が、建設計画に大きな影響を与えている。サグラダ・ファミリアには18本のファサード(教会を取り巻く塔のことだと思う)が計画されており、次の建設は、サグラダ・ファミリアの入り口を飾る「栄光のファサード」なのだが、これは既に、ガウディの建設計画通りに作るのが困難になっている。ガウディはサグラダ・ファミリアの入り口を、200メートル先の大通りまで広場でつなぐ計画をしていた。しかし、1970年代だったと思うけど、サグラダ・ファミリアの建設計画に反対する市民が、サグラダ・ファミリアの周辺に住宅を建てる計画を立てた。そして市当局がその許可を与えてしまったのだという。ガウディが広場にするつもりだった大通りまでの区画に、今は住宅が立ち並んでいる。
そういう話から、サグラダ・ファミリアというものが地元の人間からどう扱われているのか、イマイチよく分からなくなってくる。
建設委員会は、「受難のファサード」の設計を、ジョセップ・スピラックスに依頼した。彼に依頼することは賛否を巻き起こすことは分かっていた。抽象彫刻家であり、また、建設続行に反対する署名をした人物でもあったからだ(ガウディの死後、建設途中のサグラダ・ファミリアをそのままにし、博物館にするという案が出されたが、建設委員会は無視した)。
完成した「受難のファサード」はやはり賛否を巻き起こしたが、その内の一つが、「キリストが裸だったから」だという。腰巻きが必要だ、というデモが、定期的に行われるという。
とはいえ、芸術というのは、批判から逃れられないものだ。パリのエッフェル塔も、建設当時は激しい批判を浴びた。奇抜な外観が受け入れ難かったからだという。僕らにはもはや、エッフェル塔の何が奇抜なのか分からないが、それはつまり、エッフェル塔が古い価値観をなぎ倒し、新しい芸術として認められた、ということだろう。サグラダ・ファミリアは、まだ完成すらしていない。未完成のものを、受け入れるかどうかという議論をしても仕方ないだろう。
映画の中では、「過去を構築することに価値があるのか」「現代に合わせたものに再構築出来るのでは」というような意見を述べる人もいた。映画そのものは、サグラダ・ファミリアの建築に関わり、この仕事を誇りに感じている人間を中心に描かれるのでそうした声は少ないが、サグラダ・ファミリアという教会の存在価値に疑問を呈している人がいた。僕の理解が正しければ、結局のところガウディの理想というのは、ガウディが生きていた時代における理想でしかない。時代も建築技法も宗教の捉え方も変わった。であれば、そういう時代の変化に沿った、新しい存在価値を持つサグラダ・ファミリアを構築することが求められているのではないか。ただただ、「ガウディがそう言ったから」と、ガウディの設計を神託のように遂行するのではなく、現代性を取り入れるべきではないか、という話だったと思う。
まあ確かに、その意見も分かる気はする。教会というのは元々「神の家」なわけだけど、サグラダ・ファミリアは、「キリスト教における神」の家を作っているのではなく、「ガウディという神」の家を作っている、という印象を受けてしまったからだ。実際ガウディは、晩年はサグラダ・ファミリアに住み込み、昼夜問わず仕事をしていたようだ。
過去に作られたものが現代まで残っている場合、それを作られた当時のまま保存する、というのは納得感はある。しかし、現在進行系で建設中なのであれば、設計通り作る必要があるのか?という問いだ。なかなかこんな問いは存在し得ない。100年以上も建設し続ける建築物など、なかなかないだろうから。
奈良の大仏は、天然痘の感染が早く終息するように、という願いを込めて建造されたという。例えば、奈良の大仏の建造中に、天然痘の感染が終息したとしよう。その場合も、当初の計画通り作り続けるべきだろうか?それとも、天然痘の感染が終息した世の中に合わせた設計変更をするべきだろうか?
みたいなことを、サグラダ・ファミリアも問われているのかな、と感じた。
より難しい問題は、ガウディの設計図などはほぼすべて失われている、ということだ。1936年に発生した内戦により大きな被害を受け、ガウディが記したサグラダ・ファミリアに関する資料はほぼ失われてしまったという。残ったのは、出版されたものか、個人が保管していたもの。世界中からかき集めても、ガウディ本人が描いたイラストは30点ほどしかないという。ガウディは元々設計図をほとんど書かず、制作前に模型をたくさん作ったが、その模型もすべて内戦で失われたという。
だからそもそも、ガウディが思っていた通りに作る、ということが不可能といえるのだ。
パリのノートルダム大聖堂が火災で甚大な被害を受けた後、「再建案」を世界中から公募する、という再建方針を示したことが話題となった。事情はよく知らないが、何故か、元の形を復元する、という方向にはならなかったようだ。調べたところ、そもそも焼け落ちた尖塔は、19世紀に増築されたものだったそうだが、当時の建築家が中世の建築を建築し、違和感なく融合するように設計して作られたものだ、という。増築されたものの復元、ということであれば、なるほどまた解釈は難しいなぁ、と感じる。
映画を見る前からサグラダ・ファミリアに関して疑問だったのが、「誰が完成を宣言するのか」ということだ。それは、この映画を見て改めて感じたことでもある。現在のサグラダ・ファミリアの建築を担う主任建築士というのはもちろんいる。彼が全体の指揮をしているのだろう。しかし恐らくだが、その主任建築士の生存中には完成しないだろう。もちろん、誰かが引き継ぐだろう。しかしそうやって、引き継がれていった誰が、完成を宣言できるのだろうかと思う。100年以上建設し続けてきたのだ。はっきり言って、手を入れようと思えばいくらでも入れられるだろう。そういう状態で、「これで完成です」と宣言できる人物が存在するのだろうか、と感じる。映画の中では、「時間と資金があればいつかは完成するが、問題は完成するかどうかではなく、過程だ」とか、「サグラダ・ファミリアが完成する、ということが何を意味するのか考える必要がある」というような、哲学的な返答をする人が多かったように思う。
しかし、サグラダ・ファミリアの建築の時点で、ガウディがまったくの無名だった、というのは知らなかった。サグラダ・ファミリアは、ある書店主の発案で建築が構想され、ある建築家に依頼され、1882年3月19日に起工式が行われたが、依頼主と合わずその建築家が下りてしまったという。そこで白羽の矢が立ったのが、ガウディだった。無名だったガウディがどうして指名されたのかとか、無名だったガウディの壮大なイメージがどうしてそのまま受け入れられたのか、ということは映画では描かれなかったが(スペイン人にとってその辺りの知識は常識的なものだから描かれないのかもしれない)、「ガウディはとにかく天才だった」と主張する人物がいたので、名が知られていなくても、その実力を皆がすぐに感じ取った、ということなのかもしれない。
この映画には、彫刻家の外尾悦郎も出てくる。以前、情熱大陸か何かで見た記憶がある。サグラダ・ファミリアの建設に関わる唯一の日本人、というような触れ込みだったと思う。僕はなんにせよ職人的な生き方とか技術とかって憧れを持ってしまう部分があるから、ちょっとポエティックだなぁと感じる部分もあったけど、意義を感じられるだろう仕事に従事出来ていいなぁ、と思った。
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