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大腸菌 進化のカギを握るミクロな生命体(カール・ジンマー)

僕は、物理や数学ほどではないが、生物学に関する本もそれなりに読む。二重らせんの発見物語やダーウィンの進化論、遺伝子操作技術などなど、割と幅広く色んな本を読んでいるつもりだ。

それなのに、本書に登場する「E・コリ」という名前は、初めて聞いた。

【20世紀初頭、科学者たちは生物の本質を理解しようとE・コリの無害な菌株を研究しはじめた。その研究が評価されて1900年代後半にノーベル賞を受賞する者が相次いだ。次世代の科学者たちはE・コリの存在をさらに深く掘り、4000余の遺伝子の大半を入念に調べ、生物全般の法則につながる発見をした】

【2007年には、E・コリのおよそ85%の遺伝子は、何の仕事をするためのものかがほぼ解明され、E・コリは遺伝学の基軸通貨となった】

【この細菌は、科学者たちがこの一世紀のあいだ必死に研究してきた種、地球上の生物でもっとも理解が進んでいる種だ】

大人気だ。

さて、そんな大人気な「E・コリ」というのは、本書のタイトル通り「大腸菌」である。「大腸菌」と聞いて、良いイメージを持つ人は少ないだろう。日本人が発見した「赤痢」も「E・コリ」の仲家(というか集合体)だし、食中毒で有名な「O-157」も「E・コリ」の仲間だ。というか、遺伝子的には「仲間」というよりは「同じ」らしい。遺伝子的に同じなのにまったく違うというのは、確かに不思議だけど、人間の双子のことを考えればそう不思議ではない。遺伝子が同じでも個性や違いはあり、「E・コリ」にも個性や違いがある、ということだ。

さて、本書は、そんな「E・コリ」にはどんな性質があり、どんな風に使われてきたのかということが様々に描かれる。非常に面白いのだけど、ちょっと難しい部分もあって、すべて理解できたとはいえない。なんとなく理解したけど、人に説明できるほどは分かっていないというものもあるので、ここでは、「E・コリ」が象徴的に使われた研究などで、僕がちゃんと理解できたものだけに触れようと思う。ちなみに「E・コリ」という名前は、「E・コリ」に初めて注目しながら注目されなかった小児科医テオドール・エシェリヒに由来する。エシェリヒは、自分が見つけた微生物を「バクテリウム・コリ・コムニス(大腸にいる一般的な細菌)」と呼んだが、後にエシェリヒの名を取って「エシェリキア・コリ」、略して「E・コリ」と呼ばれるようになったという。

「E・コリ」は、「遺伝子はDNAで出来ている」ことを明らかにする実験で大活躍した。DNAの二重らせんはワトソンとクリックが発見したというのは有名な話だが、しかし彼らは、「DNAの構造ってこうなんじゃね?」と言っただけだ。誰かがそれを確かめなければならない。そしてその実験に使われたのが「E・コリ」なのだ。マシュー・メセルソンとフランク・スタールの二人がその確認のために行った実験は、「生物学史上もっとも美しい実験の一つ」と呼ばれているそうだ。

また「E・コリ」は、進化論の決着にも一役買っている。ダーウィンの進化論が認められる以前は、ラマルクの進化論というものも拮抗する考えとして存在していた。その差は「自然淘汰」にある。ラマルクは、生物は、周囲の環境へ適応しながら単純なものから複雑なものへと推し上げる生来的な流れによって変化する、とした。これはつまり、進化には明確な方向性がある、ということだ。一方のダーウィンは、進化の方向性を否定した。生物は単純なものから複雑なものへと変化するのではなく、ある変化が起こった時にそれが生存に有利に働けば生き残るという、自然淘汰を提唱した。

つまり、ラマルクは「環境への適応という変化が先に起こる」と主張し、ダーウィンは「何らかの変化が先に起こり、それが環境に適応すれば生き残る」と主張した。この論争は長く続き、決定打はなかなか出てこなかった。

ここでサルヴァドール・ルリアという科学者が登場する。彼はスロットマシンに興じる同僚を見ている時に、これに決着をつける実験を思いついた。彼は、「E・コリ」にとって危機的な環境を用意した。ラマルク説が正しければ、「E・コリ」はその危険な環境に直面することで進化するわけだから、同じ条件にさらされた「E・コリ」がその環境に対して耐性を獲得する確率は同じ、つまりどの「Eが・コリ」も平均的に耐性を獲得するチャンスがある。しかし、ダーウィン説が正しければ、最初に変化が起こるのだから、起こったその変化が直面している危険への耐性に関するものである可能性は低い。

だから、ラマルク説が正しければ「E・コリ」は平均的に耐性を獲得し、ダーウィン説が正しければ「E・コリ」はごくわずかな大当たりの確率で耐性を獲得することになる。果たして結果は、ダーウィン説の正しさが証明されたのだ。まさか、進化論の検証の陰にも大腸菌がいたとは。

次は、「水平遺伝子移動」と呼ばれるものに触れよう。一般的な動植物をイメージする場合、遺伝子の移動というのは垂直、つまり「親から子へ」という流れがイメージされる。科学者たちは、だから、細菌も同じだろう、と考えていた。遺伝子は、垂直にしか移動しないだろう、と。

しかし、その考えを覆したのが、日本の赤痢の流行だった。日本で赤痢が再流行した際、原因を調査すると、抗生物質への耐性だと判明した。しかし奇妙だったのは、すべての抗生物質に耐性を持つ「E・コリ」(特別に「シゲラ」と名前がついている)が現れたのだ。シゲラに対する抗生物質は複数あったが、医者がある抗生物質を患者に投与すると、その患者に投与していない抗生物質への耐性も獲得してしまう、という。

この謎を調べた日本人科学者が、「水平遺伝子移動」が自然界で起こっていると発見した。「水平遺伝子移動」という現象は、実験室では「便利なツール」として使われていたが、科学者は誰も、それが自然界で起こっているとは思っていなかったのだ。「水平遺伝子移動」は、ウイルスが遺伝子を媒介することで起こる。そして、細菌などの生物にとっては、この「水平遺伝子移動」が、繁殖による垂直な移動と同じくらい「当たり前」のものだと知り、科学者たちは驚くことになるのだ。

さて、ちょっと毛色の違う話をしよう。アメリカでは、宗教上の理由もあるのだろうけど、進化論を信じていない人がいる。サルが人間になったなんて、ということだ。そして、学校で進化論を教えるな、あるいは、進化論と一緒に創造説も教えろ、というような運動が様々にあった。しかし、それらはなかなかうまく行かなかった。

しかし、この創造説は、「インテリジェントデザイン」と名前を変えて復活した。創造説の時は、「生物を作ったのは神だ」と主張していたが、それだと宗教の押しつけになるということで教育現場から排除されてしまう。そこで「インテリジェントデザイン」では、「生物を作った存在がいる。それがどんな存在なのかは知らないけど」という主張に変えた。そして、「生物は”明らかに”デザインされて生み出されているのだ」と主張し、この「インテリジェントデザイン」を学校で教えるように運動がなされた。

さてこの「インテリジェントデザイン」を巡って、父母が裁判を起こした。2005年の「キッツミラー対ドーヴァー校区」裁判である。この裁判では、「インテリジェントデザインは科学か?」が争われたのだが、そこで登場したのが「E・コリ」のべん毛だ。べん毛というのは、大腸菌のスクリューのようなもので、これを駆使して大腸菌は移動する。そして「大腸菌のべん毛」は、「明らかに誰かがデザインしたものだ」という彼らの主張として頻繁に登場するものなのだ。

裁判の中で「インテリジェントデザイン」側の人間は、べん毛についてこう主張した。このべん毛は様々なパーツで構成されているが、その内どれか一つでも欠けたら機能停止する。そんなものが、”徐々に”生み出されたはずがないのだから、最初から誰かがデザインしたはずだ、というわけだ。しかし、裁判出廷した生物学者は、べん毛のコンピュータシミュレーションを提示し、べん毛のパーツを一つ、どころか何十個と取り除いても動く、ということを示した。

一方「インテリジェントデザイン」側は、何故それが「誰かにデザインされたもの」だと分かるのかと聞かれて、こう答えている。

【ベーエがべん毛の構造をインテリジェントにデザインされたと断言する唯一の根拠は、いかにもデザインっぽいという見た目だけだ。「意図的なパーツの配列を見れば、それをデザインととらえるのが常識です」と彼は証言した。「見た目以外に、何を基準にすると言うんです?」】

この「アホみたいな裁判」は、当然「インテリジェントデザイン」側の大敗で終わった。

さて最後は、今も世界中で、様々な分野で研究が進んでいる遺伝子操作技術についてだ。これも「E・コリ」無くしては生まれ得なかった。

史上はじめて遺伝子を取り出したのは、ジョナサン・ベックウィスという科学者だ。彼は、「E・コリ」が持つある種の「スイッチ」を理解するために、このスイッチの部分だけを切り取ることを思いつき、それに成功したのだ。

また、ある生物のDNAに、別の生物のDNAを最初に融合させたのは、ポール・バーグという科学者。彼は、sv40ウイルスの中に別の遺伝子を入れようと思っていたが、そのウイルスを特定の場所で切るための「分子ナイフ」がなかった。それを彼に与えたのがハーバード・ボイヤー。ボイヤーが発見した「E・コリ」の制限酵素が「分子ナイフ」として使えると考え、バーグに渡したのだ。

さて、これらはいずれも1960年代の話だが、バーグがDNAを別の生物に組み込んだことを発表すると、最初は研究者が、次第に政治家や一般人が問題視するようになり、大きな社会問題となった。今でこそ、遺伝子操作は当たり前に行われているが、それが生物や環境に与える影響は、誰にも想定できなかったのだ。現代はさらに進み、「合成生物学」という分野が生まれている。これもまた、倫理的な問題を孕んでいるのではないかと、抗議の声が上がっている。

さて、本書全体について十全に紹介できたとは思えないが、「大腸菌」と聞いた時には浮かばないような、縁の下の力持ち的なイメージをもってもらえるのではないかと思う。本書を読めば分かるが、科学研究という意味でも、あるいは我々が普通に生活するという意味でも、「E・コリ」の存在は欠かせない。どれだけ人間社会を支える存在であるのかを、是非読んでみてください。

カール・ジンマー「大腸菌 進化のカギを握るミクロな生命体」

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