#柚莉愛とかくれんぼ(真下みこと)
ルトガー・ブレグマン『隷属なき道』という本の冒頭に、こんな文章がある。
【ここでは、足りないものはただ一つ、朝ベッドから起き出す理由だ】
現代は、過去と比べれば、比べ物にならないほど安全で清潔で豊かになっている。しかしそんな世界に唯一足りないものが「朝ベッドから起き出す理由」だということだ。
分かるような気がする。
既に、物質的には、程度の差こそあれ、多くの平均的な人が満たされている。もちろん、ブランド物のバッグを持ちたいとか、良い車に乗りたいとか、さらに上を目指すことは出来る。でも、あくまで僕の感覚的にだが、そういう物質的な豊かさみたいなものは、あんまりもうみんな望んでいないように思う。服も車もサブスクリプションの時代だし、「所有」よりも「シェア」の方が賢いという価値観がかなり広まっている。スマホさえあれば、仕事も生活も娯楽も全部完結してしまうような人だってたくさんいるだろうし、これからさらに、そういう価値観が広まっていくことだろう。
そういう世の中では、何が「羨望の的」として扱われるか。
それは、「みんなから良いと思われる」ということそのものだ。
もちろんこれは昔からあった。誰かに認めてもらうこと、それ自体を、自分の言動のモチベーションにするというのはあった。ブランド物を持ちたいのは、もちろん品質に惹かれてということもあるだろうが、「ブランド物を持っている私」が認められるからだ。
しかし、以前と大きく変わったことがある。それは、「どれぐらい良いと思われているかが可視化され、数値化され、誰でも見ることが出来る」ということだ。これは、SNSを念頭にした表現だ。SNSという、「自分への評価を可視化・数値化する装置」の登場で、「みんなから良いと思われる」という動機は、それまでとはまったく別次元のものとなった。
それまでは、「良いと思われている私」というのは結果だった。その結果に自分で満足するか、あるいは周囲の人にちょっと自慢するぐらいが関の山だった。しかし今は、「良いと思われている私」を一つの過程として、「『良いと思われている私』が多くの人に知られている私」という結果を得ることが出来る。そして、良いサイクルに乗れば、この入れ子構造は、永遠に重ねることができる。
そしてこれは、現実的には永遠に満たされない欲求だ。もちろん、世界中すべての人にフォローされる、「いいね!」を押される、なんてことになれば、そこが終着かもしれないが、現実的にはそんなことはあり得ない。だから、「良いと思われている私」を望んでスタートラインに立ってしまえば、そこから、永遠に終わることのない、そして永遠に満たされることのない道を歩き続けることになる。
こんな時代に、「みんなから良いと思われることそのもの」が仕事であるような職業は大変だ。もちろん、YouTuberなどは、こういう時代だからこそ生まれた職業であり、以前とのギャップ、みたいなものはないだろう。しかし「アイドル」というのは、こういう時代になる以前からあったものだ。今までを『アイドル』、今を【アイドル】と表記すると、『アイドル』を目指していたのに、【アイドル】が求められている、というギャップに苦しさを感じることもあるだろうと思う。
【どうして私、アイドルなんてやっているんだろう。
ずっときれいでいる。彼氏を作らない。男友達とも会わない。キスシーンのあるドラマは断る。ファンと嬉しそうに握手をする。いつも笑顔でいる。短いスカートを穿く。そのために高いお金をかけて脱毛をする。ブランド品は持たない。安い化粧品を使っているふりをする。誰のため?いつまで?】
誤解を恐れずに言えば、以前の『アイドル』は、容姿や歌・ダンスなどは一旦脇に置いて、「一般的な人とはまったく違うレベルで人に見られる人生を選んだ」という選択そのものが成り立たせていたのではないか、と思う。普通に生きていれば、自分の身の回りの人だけを相手にいていれば良かった。しかしそこに留まらずに、可能な限り多くの人に見られるという選択をすることこそが、『アイドル』の要件だったのかもしれない。
しかし今は、ごく一般的な人でも、世界中の人に見てもらえるツールを持ち、世界中の人に見てもらえるコンテンツの配信が可能だ。そういう時代にあっては、「一般的な人とはまったく違うレベルで人に見られる人生を選ぶ」という行動を取ることがそもそも不可能だ。一般人でさえも、かつての『アイドル』と似たようなレベルで、他人からの注目を集めようとし、実際に集めることが可能だからだ。
そういう時代に求められる【アイドル】は、一体どうあるべきだろうか?可能な限り多くの人に見られるという選択だけでは【アイドル】の要件を満たせないとしたら、他に何が必要だろうか?
本書に、その答えがあるわけではない。しかし、そういう問いを突きつける作品だと感じた。
内容に入ろうと思います。
青山柚莉愛は、アイドルグループ「となりの☆SiSTERs」のセンターだ。「セルコエンターテインメント」という事務所が開催したアイドルオーディションで、選ばれたのは如月由香ちゃんで、「ソロアイドルの最終形態」と呼ばれるぐらいの人気を博している。その後、最終候補者だった10人の中から柚莉愛、南木萌、江藤久美の三人がバックダンサーとして選ばれ、今は事務所に所属しながらメジャーデビューのために奮闘している、地下アイドルのような存在だ。
結成から二年。当初は「いつか武道館で」とか言っていたけど、最近は言わないようにしている。仕事と言えば、Twitterのリプライ、動画配信、握手会、ツーショット会、ハイタッチ会、そしておまけのようなライブぐらい。来年、高校三年になる。グループがこのまま売れなければ、勉強が苦手な柚莉愛の進路は真っ白だ。
マネージャーは東大出身の田島さんで、マーケティングを上手くやって由香ちゃんを売り出した。「となりの☆SiSTERs」のことも色々考えてくれてるだろうけど、でもなかなか上手くいかない。そんな中、田島さんからある提案があった。気分的には、やりたくない。何かマズイことになりそうな予感がある。でも、田島さんに見限られたくない。デビューできない苦しみに比べたらへっちゃらだ。これで憧れの人と肩を並べられるなら。そう思ってやったのに…。
<僕>は、自宅のパソコンからひたすらネットを見ている。「@TOKUMEI」というハンドルネームをずっと使っている。以前「となりの☆SiSTERs」の青山柚莉愛に、「アヒル口は似合わないからやめた方がいい」とコメントしたら、それ以来しなくなったのに味をしめて、以後<僕>は柚莉愛専属のアドバイザーのつもりでいる。運営の無能さに辟易しつつも、そんな運営の目を覚まさせてやろうと考えている<僕>は、ある日柚莉愛の配信を見た。動画配信中に柚莉愛が血を吐いて倒れたのだ。状況が理解できないでいるネット民のために、<僕>はこの件を“炎上させてあげよう”と決意。ツイートし、リプライし、まとめを作り、状況を見守る。世間にほとんど知られていなかった「となりの☆SiSTERs」が、煙しかないようなところから、見事炎上していく様を、<僕>は見届ける…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。現役大学生による作品だそうで、現代感みたいなものは凄く感じました。「アイドル」や「SNS」がモチーフの作品では、その「現代感」は非常によくマッチしてると感じました。むしろ、本書のような「現代感」がないと、本書のようなテーマの作品は成立しないだろうな、と。別のテーマで作品を書く時、著者がどんな書き方をするのかというのは興味深いんだけど、この作品に関していえば、非常にピッタリだったと思います。
僕が「現代感」と感じたのは、「見られ方への意識」と「見せ方への意識」です。まさにこういう部分は、「アイドル」や「SNS」と相性が良いです。現代人は、「自分をどう見せるか」「自分がどう見られているか」ということを、アイドルじゃなくてもみんな考えてる。そして、その辺りの意識を非常に上手く言語化していると僕は感じました。
【昨日、お母さんと同い年の女優がInstagramに自撮りを載せて「おばさんのくせにイタい」と叩かれていた。私も、いつかはそうなる。誰かの目を木にして等身大以上の自分を演出するのは今と変わらないのに、誰かによって冷静に線を引かれて、アウトだと認定される】
【ネットで顔出しする人の気持ち悪さって、朝の情報番組のお天気コーナーで映りこもうと必死な人たちのそれと似ている。】
【こういう企画にしてもCDのタイトルとか歌詞にしても、周りの大人たちが必死に作り上げた完成品を見せられて、私たちは「いいですね、がんばります」と言うだけで、それに何か私たち自身の考えを加えることなんてできない。こんなのやりません、なんて絶対に言えない。なのに決定したのは私たちだということになっていて、雑誌とかライブでは、大人が作り上げたものをあたかも自分たちが作ったかのように話さなくてはいけない】
【インターネットで自分が第三者であることをアピールするには、してみました、という表現が適している。踊ってみたとか歌ってみたとかだって、誰に頼まれたわけでもないのに自分の必死な努力の成果を公開する気恥ずかしさみたいなものをごまかすためにつけた名前なのかもしれない】
こういう表現が作中に様々にあって、著者の眼差しの鋭さがを感じる。もちろん、本書を読んだ人は、「こういうことぐらい自分だって考えてた」と感じるだろう。でも、考えてることと、言語化することは、全然違うことだ。こういう、誰もが「そうだよね」と思うようなことをきちんと言語化出来るのは、かなり能力が高いと僕は感じる。本書にも、マネージャーの田島の言葉として、こんなセリフがある。
【人を引き付ける言葉って、意外と普段何回も見ているものなんだよ。それをあえて曲のタイトルとかに持ってくると、え?ってびっくりするでしょ】
著者も、誰もが感じていながら、明確に言語化しないようなことについて、「ちゃんと気づき」「拾い上げ」「共感をまとわせつつ言語化する」ということをしていて、こういう描写の積み重ねが、本書が共感されやすいだろうという要素になっていると思う。
さらにこういう描写は、先程も書いたけど、見られ方を考える「アイドル」や、見せ方を考える「SNS」などと非常に相性が良くて、テーマと書き方が非常にマッチしていると感じた。
ストーリー自体は、ちょっと触れにくいことが多いのであまり深入りして書かないけど、本書では、主に青山柚莉愛の口を借りて、「アイドルのしんどさ」みたいなものが描かれていく。僕も冒頭の方で、『アイドル』と【アイドル】の違いとして少し触れたけど、本書では、アイドルの大変さについて、かなり具体的に描写をしている。
その中でも大変だと感じるのは、「早い段階で将来を決する必要があること」と「周りの大人を信じる以外にないこと」だ。
アイドルというのは、どうしても年齢的な制約があって、その制約の範囲内で多くのチャンスを掴もうとすれば、かなり早い時点からアイドルを目指すしかない。小学生とか中学生ぐらいで、他の進路を一切断つわけではないけど、その気概でアイドルの道を進まざるを得なくなる。柚莉愛も、アイドルの活動を頑張ることで、当然勉強はおろそかになり、今から大学進学を目指すのはちょっと難しい状況だ。アイドルを続けることが、他のあり得る可能性を少しずつ奪っていく。そういう中で、必ず上手くいくとは言えないアイドルの道を進むしかない、というのは、本当に大変だと思う。
あと彼女たちは、まだ大人になりきれていない年齢であることが多いので、周りの大人の言っていることを信じるしかない。自分がある程度大人になれば、自分の知識や経験から良し悪しが判断できるようなことも、年齢ゆえに知識も経験も少なく、またアイドルという特殊な世界にいるがゆえに普通の常識が通用しない中で、自分の周りにいる大人の言っていることを信じるしかないというのは仕方ないことだろう。
そういう、アイドルのリアルな苦悩もきっちり描き出していて面白い。
「見せ方」と「見られ方」の狭間で煩悶する人たちの奮闘を、ダーク&ポップに描き出す作品です。
真下みこと「#柚莉愛とかくれんぼ」
【ここでは、足りないものはただ一つ、朝ベッドから起き出す理由だ】
現代は、過去と比べれば、比べ物にならないほど安全で清潔で豊かになっている。しかしそんな世界に唯一足りないものが「朝ベッドから起き出す理由」だということだ。
分かるような気がする。
既に、物質的には、程度の差こそあれ、多くの平均的な人が満たされている。もちろん、ブランド物のバッグを持ちたいとか、良い車に乗りたいとか、さらに上を目指すことは出来る。でも、あくまで僕の感覚的にだが、そういう物質的な豊かさみたいなものは、あんまりもうみんな望んでいないように思う。服も車もサブスクリプションの時代だし、「所有」よりも「シェア」の方が賢いという価値観がかなり広まっている。スマホさえあれば、仕事も生活も娯楽も全部完結してしまうような人だってたくさんいるだろうし、これからさらに、そういう価値観が広まっていくことだろう。
そういう世の中では、何が「羨望の的」として扱われるか。
それは、「みんなから良いと思われる」ということそのものだ。
もちろんこれは昔からあった。誰かに認めてもらうこと、それ自体を、自分の言動のモチベーションにするというのはあった。ブランド物を持ちたいのは、もちろん品質に惹かれてということもあるだろうが、「ブランド物を持っている私」が認められるからだ。
しかし、以前と大きく変わったことがある。それは、「どれぐらい良いと思われているかが可視化され、数値化され、誰でも見ることが出来る」ということだ。これは、SNSを念頭にした表現だ。SNSという、「自分への評価を可視化・数値化する装置」の登場で、「みんなから良いと思われる」という動機は、それまでとはまったく別次元のものとなった。
それまでは、「良いと思われている私」というのは結果だった。その結果に自分で満足するか、あるいは周囲の人にちょっと自慢するぐらいが関の山だった。しかし今は、「良いと思われている私」を一つの過程として、「『良いと思われている私』が多くの人に知られている私」という結果を得ることが出来る。そして、良いサイクルに乗れば、この入れ子構造は、永遠に重ねることができる。
そしてこれは、現実的には永遠に満たされない欲求だ。もちろん、世界中すべての人にフォローされる、「いいね!」を押される、なんてことになれば、そこが終着かもしれないが、現実的にはそんなことはあり得ない。だから、「良いと思われている私」を望んでスタートラインに立ってしまえば、そこから、永遠に終わることのない、そして永遠に満たされることのない道を歩き続けることになる。
こんな時代に、「みんなから良いと思われることそのもの」が仕事であるような職業は大変だ。もちろん、YouTuberなどは、こういう時代だからこそ生まれた職業であり、以前とのギャップ、みたいなものはないだろう。しかし「アイドル」というのは、こういう時代になる以前からあったものだ。今までを『アイドル』、今を【アイドル】と表記すると、『アイドル』を目指していたのに、【アイドル】が求められている、というギャップに苦しさを感じることもあるだろうと思う。
【どうして私、アイドルなんてやっているんだろう。
ずっときれいでいる。彼氏を作らない。男友達とも会わない。キスシーンのあるドラマは断る。ファンと嬉しそうに握手をする。いつも笑顔でいる。短いスカートを穿く。そのために高いお金をかけて脱毛をする。ブランド品は持たない。安い化粧品を使っているふりをする。誰のため?いつまで?】
誤解を恐れずに言えば、以前の『アイドル』は、容姿や歌・ダンスなどは一旦脇に置いて、「一般的な人とはまったく違うレベルで人に見られる人生を選んだ」という選択そのものが成り立たせていたのではないか、と思う。普通に生きていれば、自分の身の回りの人だけを相手にいていれば良かった。しかしそこに留まらずに、可能な限り多くの人に見られるという選択をすることこそが、『アイドル』の要件だったのかもしれない。
しかし今は、ごく一般的な人でも、世界中の人に見てもらえるツールを持ち、世界中の人に見てもらえるコンテンツの配信が可能だ。そういう時代にあっては、「一般的な人とはまったく違うレベルで人に見られる人生を選ぶ」という行動を取ることがそもそも不可能だ。一般人でさえも、かつての『アイドル』と似たようなレベルで、他人からの注目を集めようとし、実際に集めることが可能だからだ。
そういう時代に求められる【アイドル】は、一体どうあるべきだろうか?可能な限り多くの人に見られるという選択だけでは【アイドル】の要件を満たせないとしたら、他に何が必要だろうか?
本書に、その答えがあるわけではない。しかし、そういう問いを突きつける作品だと感じた。
内容に入ろうと思います。
青山柚莉愛は、アイドルグループ「となりの☆SiSTERs」のセンターだ。「セルコエンターテインメント」という事務所が開催したアイドルオーディションで、選ばれたのは如月由香ちゃんで、「ソロアイドルの最終形態」と呼ばれるぐらいの人気を博している。その後、最終候補者だった10人の中から柚莉愛、南木萌、江藤久美の三人がバックダンサーとして選ばれ、今は事務所に所属しながらメジャーデビューのために奮闘している、地下アイドルのような存在だ。
結成から二年。当初は「いつか武道館で」とか言っていたけど、最近は言わないようにしている。仕事と言えば、Twitterのリプライ、動画配信、握手会、ツーショット会、ハイタッチ会、そしておまけのようなライブぐらい。来年、高校三年になる。グループがこのまま売れなければ、勉強が苦手な柚莉愛の進路は真っ白だ。
マネージャーは東大出身の田島さんで、マーケティングを上手くやって由香ちゃんを売り出した。「となりの☆SiSTERs」のことも色々考えてくれてるだろうけど、でもなかなか上手くいかない。そんな中、田島さんからある提案があった。気分的には、やりたくない。何かマズイことになりそうな予感がある。でも、田島さんに見限られたくない。デビューできない苦しみに比べたらへっちゃらだ。これで憧れの人と肩を並べられるなら。そう思ってやったのに…。
<僕>は、自宅のパソコンからひたすらネットを見ている。「@TOKUMEI」というハンドルネームをずっと使っている。以前「となりの☆SiSTERs」の青山柚莉愛に、「アヒル口は似合わないからやめた方がいい」とコメントしたら、それ以来しなくなったのに味をしめて、以後<僕>は柚莉愛専属のアドバイザーのつもりでいる。運営の無能さに辟易しつつも、そんな運営の目を覚まさせてやろうと考えている<僕>は、ある日柚莉愛の配信を見た。動画配信中に柚莉愛が血を吐いて倒れたのだ。状況が理解できないでいるネット民のために、<僕>はこの件を“炎上させてあげよう”と決意。ツイートし、リプライし、まとめを作り、状況を見守る。世間にほとんど知られていなかった「となりの☆SiSTERs」が、煙しかないようなところから、見事炎上していく様を、<僕>は見届ける…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。現役大学生による作品だそうで、現代感みたいなものは凄く感じました。「アイドル」や「SNS」がモチーフの作品では、その「現代感」は非常によくマッチしてると感じました。むしろ、本書のような「現代感」がないと、本書のようなテーマの作品は成立しないだろうな、と。別のテーマで作品を書く時、著者がどんな書き方をするのかというのは興味深いんだけど、この作品に関していえば、非常にピッタリだったと思います。
僕が「現代感」と感じたのは、「見られ方への意識」と「見せ方への意識」です。まさにこういう部分は、「アイドル」や「SNS」と相性が良いです。現代人は、「自分をどう見せるか」「自分がどう見られているか」ということを、アイドルじゃなくてもみんな考えてる。そして、その辺りの意識を非常に上手く言語化していると僕は感じました。
【昨日、お母さんと同い年の女優がInstagramに自撮りを載せて「おばさんのくせにイタい」と叩かれていた。私も、いつかはそうなる。誰かの目を木にして等身大以上の自分を演出するのは今と変わらないのに、誰かによって冷静に線を引かれて、アウトだと認定される】
【ネットで顔出しする人の気持ち悪さって、朝の情報番組のお天気コーナーで映りこもうと必死な人たちのそれと似ている。】
【こういう企画にしてもCDのタイトルとか歌詞にしても、周りの大人たちが必死に作り上げた完成品を見せられて、私たちは「いいですね、がんばります」と言うだけで、それに何か私たち自身の考えを加えることなんてできない。こんなのやりません、なんて絶対に言えない。なのに決定したのは私たちだということになっていて、雑誌とかライブでは、大人が作り上げたものをあたかも自分たちが作ったかのように話さなくてはいけない】
【インターネットで自分が第三者であることをアピールするには、してみました、という表現が適している。踊ってみたとか歌ってみたとかだって、誰に頼まれたわけでもないのに自分の必死な努力の成果を公開する気恥ずかしさみたいなものをごまかすためにつけた名前なのかもしれない】
こういう表現が作中に様々にあって、著者の眼差しの鋭さがを感じる。もちろん、本書を読んだ人は、「こういうことぐらい自分だって考えてた」と感じるだろう。でも、考えてることと、言語化することは、全然違うことだ。こういう、誰もが「そうだよね」と思うようなことをきちんと言語化出来るのは、かなり能力が高いと僕は感じる。本書にも、マネージャーの田島の言葉として、こんなセリフがある。
【人を引き付ける言葉って、意外と普段何回も見ているものなんだよ。それをあえて曲のタイトルとかに持ってくると、え?ってびっくりするでしょ】
著者も、誰もが感じていながら、明確に言語化しないようなことについて、「ちゃんと気づき」「拾い上げ」「共感をまとわせつつ言語化する」ということをしていて、こういう描写の積み重ねが、本書が共感されやすいだろうという要素になっていると思う。
さらにこういう描写は、先程も書いたけど、見られ方を考える「アイドル」や、見せ方を考える「SNS」などと非常に相性が良くて、テーマと書き方が非常にマッチしていると感じた。
ストーリー自体は、ちょっと触れにくいことが多いのであまり深入りして書かないけど、本書では、主に青山柚莉愛の口を借りて、「アイドルのしんどさ」みたいなものが描かれていく。僕も冒頭の方で、『アイドル』と【アイドル】の違いとして少し触れたけど、本書では、アイドルの大変さについて、かなり具体的に描写をしている。
その中でも大変だと感じるのは、「早い段階で将来を決する必要があること」と「周りの大人を信じる以外にないこと」だ。
アイドルというのは、どうしても年齢的な制約があって、その制約の範囲内で多くのチャンスを掴もうとすれば、かなり早い時点からアイドルを目指すしかない。小学生とか中学生ぐらいで、他の進路を一切断つわけではないけど、その気概でアイドルの道を進まざるを得なくなる。柚莉愛も、アイドルの活動を頑張ることで、当然勉強はおろそかになり、今から大学進学を目指すのはちょっと難しい状況だ。アイドルを続けることが、他のあり得る可能性を少しずつ奪っていく。そういう中で、必ず上手くいくとは言えないアイドルの道を進むしかない、というのは、本当に大変だと思う。
あと彼女たちは、まだ大人になりきれていない年齢であることが多いので、周りの大人の言っていることを信じるしかない。自分がある程度大人になれば、自分の知識や経験から良し悪しが判断できるようなことも、年齢ゆえに知識も経験も少なく、またアイドルという特殊な世界にいるがゆえに普通の常識が通用しない中で、自分の周りにいる大人の言っていることを信じるしかないというのは仕方ないことだろう。
そういう、アイドルのリアルな苦悩もきっちり描き出していて面白い。
「見せ方」と「見られ方」の狭間で煩悶する人たちの奮闘を、ダーク&ポップに描き出す作品です。
真下みこと「#柚莉愛とかくれんぼ」
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