黒夜行

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第一級殺人弁護(中嶋博行)

まずは、本書解説から引用したい。

【また、1999年の作品『犯罪被害』で取り上げられたDV(ドメスティック・バイオレンス)は、いまでこそ社会に広く認識が行き渡り、2001年にはDV防止法(「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」の略)が施行されたが、おそらく小説のなかで「DV」ということばが用いられたのは、私の知る限り中嶋氏のこの作品が初めてであった】

この文庫は2002年の発売なので、解説の中の「いまでこそ」の「いま」も2002年である。今なら当然「DV」と言えば誰だって分かるが、作中では、検事と事務官のやり取りとしてこんな描かれ方がなされている。

【「DV?なんです、そりゃ」
「ドメスティック・バイオレンス。この言葉は覚えておいた方がいい。そのうちセクハラなみに有名になるはずだ」】

もちろんこれは、著者である中嶋博行氏が言わせているわけで、「セクハラなみに有名になる」と1999年の時点で思っていたということだ。果たして、その通りになった。

同じく解説から、もう一つ引用しよう。

【中嶋氏の一連の作品を読んでいると、ふと不思議な感覚に陥ることがある。それは、中島氏が小説世界で創り上げたことが、執筆から数年後に社会で注目を集める話題になっていたりするからである】

解説氏は本書の中での例として、1995年に書かれた『措置入院』を挙げている。ここで取り上げられた問題が、現実に社会に表面化したのは、2001年だったという。

法律というのは、社会の基盤となっているはずなのに、なかなか一般人には馴染みが薄い。法律と接点を持つ機会が少ないからだ。交通違反や万引き、隣人トラブルなど、法律と関わりそうな部分は限られていて、それ以外のことは正直良くわからない。

だから、法律というフィルターを通して社会を見る、という視点も、当然持ちにくい。

本書を読んでいると、法律というものを通して見てみると、社会の見え方は変わってくるのだなぁ、と実感する。世の中にはずる賢い人はたくさんいて、そういう人たちはいつの時代も法律の間隙をついてくる。法律の条文を曲解したり、法的に認められていることを悪用したりする。

法律と関わりが薄いと、「六法全書には、トラブルの際の解決がすべて書かれているのではないか」と思ってしまいがちだが、そんなはずがない。法律は、社会の変化に対応するのが遅いから常に時代に遅れてしまうし、膨大な条文が存在するから、そのすべてを矛盾なく整合させるのもまた相当に難しいだろう。

本書では主に、法律の悪用が背景にある社会の暗部がえぐられる。そして、その暗部に期せずして触れてしまうことになる弁護士の奮闘が描かれるのだが、この「期せずして」という部分にも、司法の問題を当て込んでいるのが面白い。

それが「当番弁護士」という制度だ。本書から引用する形で説明すると、

【刑事当番弁護士制度は、日弁連と各都道府県の単位弁護士会の肝入りで創設されている。弁護士が交代で、毎日待機して、逮捕された被疑者のもとに無料で駆けつけ、法的なアドバイスをする制度だ。被疑者から頼まれれば、そのまま私選弁護人に移行するし、被疑者が弁護士費用を払えなければ、法律扶助協会が援助をしてくれる】

この制度が出来るまでは、逮捕前に弁護士と接触できる幸運な被疑者は1割に満たなかったという。もちろん、国選弁護人の制度は昔からあったが、国選弁護人がつくのは起訴された後のことだ。起訴前の時点で、被疑者は警察の代用監獄に閉じ込められ、苛烈な取り調べが行われ、そこで自白が取られたりする。過去の冤罪事件なども、このような形で自白が取られていることが問題だった。これを解決するために、イギリスの制度をみならって、起訴前弁護の切り札として作られた制度だという。被疑者になったことはないから詳しく知らないけど、少なくとも現代では、当たり前のように機能している仕組みだと僕は思っている。

しかしこの制度、設立当初は多いなる問題を抱えていた。

【が、最大の問題はその費用だった。犯罪者のために血税が無駄になる、という主張はいつの時代でも反駁困難なほどの説得力をもっているから、起訴前弁護の費用を国から支給してもらうのは、当面、無理な話だ。国が援助してくれないとすれば、弁護士が無償でやるしかない。そこで各弁護士会の幹部は、全国の弁護士に号令をだし、起訴前弁護の第一歩として無報酬の当番弁護士制度を実現させた】

現在、当番弁護士制度がどこからのお金で運用されているのか知らないが、恐らく、このようにして創設した人たちの努力が報われて、きっと国からの援助が出ているんだろうと思う。しかし創設当初は、弁護士たちから会費を徴収し、その会費から日当を支払うという、かなり歪な制度設計がされていた。これでは、

【それほど理想に燃えているわけではない多くの弁護士にしてみれば実に迷惑な制度だった】

と主人公が思ってしまうのも無理はないだろう。検事からも、

【当番弁護士ならば、接見を認めても今後の捜査に大した影響はない。どうせ連中はやる気のないボランティアだ。】

と思われているような始末だ。

先程「期せずして」と書いたのは、まさにこの点にある。一般的に、こういう社会の闇を暴く系の物語は、使命感に燃えた弁護士が主人公になることが多いだろう。そうじゃないと、そういう社会の闇にそもそも関わろうとしないだろう。しかし、創設されたばかりの「当番弁護士制度」をうまく物語に組み込むことで、「イヤイヤながら仕方なく社会の闇に触れちまった」という状況をうまく作り出すことが出来る。と書くと、主人公がただやる気のないだけの人物に思えるかもしれないが、彼は、弁護士としてきちんと生計を立てたいだけで、正義感がないわけではない。関わってしまった以上無視はできない、というような形で動く主人公を見ていると、熱血漢ではなかなか共感しにくいという人にも、主人公の振る舞いに興味を持てるのではないかと思う。

内容に入ろうと思います。
本書は、5編の短編が収録された連作短編集です。
まずは、主人公の弁護士・京森の紹介から。
横浜に事務所を構える京森英二は、弁護士としてはあくせくしている方だ。高額の弁護士報酬とは無縁の依頼人が多く、秘書の給与や自宅のローンの支払いなどのために、彼は少額の依頼を数多くこなさなければならない。
だからこそ、刑事当番弁護士制度は、彼にとって鬼門だ。ただでさえ刑事事件は金にならない。その上当番弁護士としては報酬はもらえず、日当を支払ってもらえるだけだ。そんな状況で、当番弁護士などやりたいはずがない。京森はいつも、当番弁護士の担当日は、ただひたすら連絡が来ないことを祈っている。
しかし、そんな祈りも虚しく、彼が当番弁護士として関わる事件は、なかなかに面倒なものが多く…。

「不法在留 使用凶器 拳銃」
彼が当番弁護士として担当することになったのは、不法就労の中国人だった。日本語もペラペラ、法律の知識も十分にある彼は、自分が国外退去になることをきちんと把握していた。その上で彼は、勤め先とは違う小倉貿易という会社名を出し、そこの未払い賃金の回収を京森に依頼してきた。
その後すぐ、その中国人が横浜地裁の敷地内で射殺されるというとんでもない事件が発生した。彼は、当番弁護士として「手抜き」の対応をしたことを後悔していた。自分がきちんと対応していたら、もしかしたら彼は死なずに済んだのではないか…。そこで京森は、小倉貿易について調べ始めるが…。

「措置入院 使用凶器 鉄パイプ」
横浜市の清掃職員が、ゴミの回収をしている最中、精機のない顔で横たわっていた男に鉄パイプで頸動脈を切られて殺害される事件が発生した。その被告である岡野幹夫の当番弁護士を担当することになったが、岡野の話は要領を得ない。岡野が精神病院に入院歴があることを知った京森は、彼が入院していたニュークリニカル横浜へと向かったが、そこで聞いた話と、岡野の兄から聞いた話を総合して、おかしな状況に気づいた。岡野は、自分の意思で入院(任意入院)した後、保護入院に切り替わっている。精神保健法の考え方からすればあり得ない経緯だ。その後、医療訴訟を中心に弁護をしている男から、ニュークリニカル横浜のとある噂を耳にし…。

「鑑定証拠 使用凶器 不明」
当番弁護士を担当することになったのは、村岡則夫。多額の借金があった女町金を殺害した容疑で逮捕されているが、本人は殺していないと主張している。しかし、京森が天を仰ぐ、恐ろしい状況がそこには待っていた。なんと村岡は、警察の取り調べに耐えきれず、殺人を「自白」してしまった、というのだ。全刑事裁判の中でも最も困難な案件。京森は不可能としか思えなかったが、彼の父親が資産家だという話を聞いて弁護を引き受けることになった。現場に残された血痕と、村岡が任意で提出した血液のDNAが一致しているという、これまたこれ以上ないという証拠が存在し、打つ手なしと思われたが…。

「民事暴力 使用凶器 ナイフ」
横浜マリンバンクの関内支店長である杉田光弘から、何故か京森に電話があった。大学時代の友人である永井寛に紹介してもらったのだという。相談に乗ってほしいということだったので、翌日10時に約束をしたが、杉田は現れない。代わりにやってきたのは、神奈川県警だった。なんと、杉田が殺害されたという。京森と会う予定が手帳に書かれていたので来たというが、容疑者として疑いを掛けていることは間違いない。
京森は、そもそもの依頼人が死んでしまったので、ここで手を引くことも出来たが、やはり自分に会おうとしていた杉田が殺されているのが気にかかる。彼は、大金をはたいて銀行の裏情報を手に入れるが…。

「犯罪被害 使用凶器 外科用メス」
京森は、不法占有し法外な立ち退き料を迫る占有ゴロとの話し合いをまとめた。100万円で出ていく、という約束だが、京森は苦い思いをしている。この100万円というのは、占有ゴロの狙い通りの値段なのだ。弁護士会は、占有屋とは毅然として戦い、金は1円も払うなと号令を出しているが、その号令に背いてしまった形だ。
もやもやを抱えていると、友人の弁護士から電話が掛かってきた。なんでも、当番弁護士を変わってくれという。そんなのを引き受けるわけないだろと一度は突っぱねたが、話を聞いて青ざめた。なんと、殺されたのは3日前に話をした占有ゴロの宮野邦夫、そして容疑者として逮捕されたのが、京森の依頼人だった尾田作太郎だというのだ。慌てて弁護を変わるが、どうも状況がおかしい。尾田は、自分の弁護などしてくれなくていいというし、両者の妻が不穏な動きをしている。関係者の間の会話で出てくる、謎の「ビデオテープ」が事件解明の鍵になりそうだが…。

というような話です。

どの話も、分量的には短いながらも、現実に起こっていてもおかしくない(あるいは起こっていたのだろう)社会問題が描かれ、法律の間隙についても描写されるので、非常に骨太な作品に仕上がっている。どの話も、殺人事件を起点としつつ、その背後に、ただの怨恨や金銭問題ではない大きな問題が横たわっていて、法律というものを通して世の中を見ると全然違った景色になるのだなぁ、という印象だった。

法律云々の話は色々書いたので、ここでは京森について少し触れよう。

京森は、弁護士としてそこまで社会正義に対して何かしよう、と考えている人物ではない。小さな仕事をたくさんこなすことで、家賃や秘書の給与を捻出しようと毎月汲々としている。テレビなんかに取り上げられる弁護士は、いわゆる「ヒーロー」的な感じの人が多いだろうが、恐らく世の中には、京森のような弁護士の方が多いだろうな、と思う。

けど、そんな京森も、当たり前だけど悪い人間ではない。積極的には面倒ごとに関わりたくないと祈っているだけで、関わってしまった以上やっぱり無視は出来ないよな、という風にして重い腰を上げる。その辺りの人間味も、凄く魅力的ではないかと思う。

法律は、時に無知な人間に牙を剥き、時に無知な人間を救う。弱い立場に置かれた人間を支える杖として法律が機能するする社会が健全だと思うので、弁護士は大変だろうけど頑張ってほしいなぁ、と思った次第でした。

中嶋博行「第一級殺人弁護」

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