「写真家 ソール・ライター」を観に行ってきました
「有名になる「名前を売る」ということそのものが、人生の一つの目的として定着する世の中になった、と思う。
【なんで私の記録映画なんて撮る必要があるのか。わざわざ欧州からやってきて、私を苛む。忘れられたいと思ってたのにね。まあ、仕方ないか】
有名になるということに、価値がある、という感覚は、確かに昔からあったと思う。しかしかつては、その手段があまりに限られていた。だから、「有名になりたい」というのは、ある種の夢だったかもしれない。しかし今では、様々な形で、昨日まで無名だった人が突然有名になることができる。そういう世の中においては、「有名になりたい」というのは、夢という言葉ではちょっと過剰なくらい、日常のものになっているだろう。
【“なぜ?”こそ最悪だ。
人目を惹かないことが良いのは、訊かれないからだ。誰に影響を受けたのか、何故そうするのか、とかね】
有名になることを目的にすると、有名になった後どうするんだろう、と僕はいつも考えてしまう。有名になったことを足がかりにして、その先にやりたいことを見つけ出せるならいい。でもそうでないなら、そこからどう生きていくんだろうなぁ、と思ってしまう。
【私は、楽しいからやった】
ソール・ライターという写真家は、カラー写真の先駆者と呼ばれている。かつてカラー写真は「芸術」だと考えられていなかったという。モノクロの写真は芸術だが、カラーは違う、と。だから、カラー写真を批判する者も多かったようだ。そんな、カラー写真の黎明期から、彼は、自分が住むニューヨークのロウアーイーストサイドを50年以上も撮り続けている。
しかし彼は、その作品のほとんどを発表しなかった。
【写真集が出るなんて思ってなかった。自分が重要な写真家だと思ったことなどない。偉い人間だなんて思って生きてきたことはない】
そもそもプリントさえせず、ネガのまま、壁に投影するような形で親しいごく一部の友人に見せるだけだった、という。死後、その膨大なプリントが発見され、その整理と評価は今も現在進行形で続いている。
彼はネガの整理が苦手だったようで、映画にも登場した、友人のマーギットに手伝ってもらいながら、少しずつ整理をしていた。彼はこれについて、なかなか面白い表現をしていた。
【でも、無秩序には独特の快さがある。
すべてを知るのはよくない。心地よい混乱状態というのは、時として気持ちいい。特に、壊れている人間にはね】
そんな風に言って、彼は笑った。
映画の中で詳しく語られるわけではないが、僕は最近、「永遠のソール・ライター」という、彼の写真展示にも行ったので、そこで得た情報を交えつつ色々書く。
彼は1940年代からカラー写真を撮り始め、やがて「ハーパース・バザー」や「ヴォーグ」と言った有名ファッション誌の表紙も手掛けるようになっていく。「ハーパース・バザー」の表紙を手掛けるきっかけとなった経緯は、映画の中で少し語られる。しかし彼は、80年代には、そのきらびやかで華やかなファッション誌の世界から離れ、表舞台から姿を消す。そのままであれば、一般的にはまったく知られない写真家として生涯を終えていただろう。
しかし2008年、ドイツのシュタイデル社から初の作品集が発売され、それによって「巨匠の再発見」が行われることになった。そこから、彼の身辺が慌ただしくなっていった、ということだ。
【好きな写真が出版されるのは嬉しい】
と彼は語る。しかしその一方で、
【人にどう見せるかなど、考えたこともない】
と言っている。
また、仕事と個人的な写真の境界も、なかったようだ。
【仕事と個人の写真を分けて考えたことはない。良い写真を撮ろうとしていただけだ。
ファッション写真は、個人的なことと、どこか結びついていたんだ】
とはいえ、
【生計を立てることは、罪じゃない】
と笑って付け加えたりもする。
彼がファッション誌の世界から姿を消したのは、芸術性よりも商業性が求められるようになっていったからだという。これについてこんな風に言っている。
【一時期ファッション誌も面白かったが、取り立てて想像力のない人と一緒だったこともあるし、やりたいことをやらせてもらえないこともあった。それで、こう思った。自由にやらせてもらえれば、良い写真を撮る。しかし、自由にさせてもらえなければ、悪い写真を撮るだけだ】
彼の様々な語りを聞いていると、「写真」というものと非常に絶妙な距離感を保っていたのだな、と感じる。まず彼にとって写真は、生計を立てる手段であった。しかし、完全に生計のための手段だったわけではない。これは違う、と思えば、そこから離れた。そして写真は、彼にとって日常だった。というかもしかしたら、こういう表現の方が正しいかもしれない。カメラは彼の身体の一部だった、と。それぐらい彼にとって、写真を撮るということは、日常的なことだった。「写真を撮る」というのが日常的だったことは、あまりプリントしなかったことにも関係する。「撮る」ということがメインであり、それを誰にどう見せるか、という部分は、彼にとってはさほど重要なことではなかったのだ。
【-MoMAの写真展に選ばれた時は嬉しかった?
当時は正直、よく分かっていなかった。嫉妬もされたと思うけど、よく理解していなかった。時々見逃してしまうんだ。今、大事なことが起きているという事実を】
【(ある俳優の写真を撮ろうとして止められた、というエピソードの後で)雨粒に包まれた窓の方が、有名人の写真よりずっと面白い】
【(取材者から、作品集が出るのに時間が掛かったことを暗に指摘された時)無関心な人々を誘惑させるのに、どこまでやれと?あの小さな一冊があれば、十分じゃないか】
これらの発言からも、彼の写真に対するスタンスがよく感じ取れる。自分が特別なことをしている感覚はないし、凄いことをやってやろうという気概もない。誰かに見せつけようとか、有名な人に評価してもらおうという気持ちもない。やりたいと思ったことを、やりたいと思ったようにやるだけ。住む場所も50年以上変えず、写真の撮り方もずっと変えないまま、同じことを同じようにシンプルにやり続けることの強さと、そのことが生み出す深みみたいなものを改めて感じさせられた。これらは、大した実力も経験も努力もないまま、「有名になりたい」という強い気持ちと、それが可能となる時代・環境を味方につけただけの底の浅い人間には生み出せないものだろうし、結局のところ、そういう深みを持つものしか、本物として残ることは出来ないんだろうな、と思う。
【写真に適さぬものはない。
今の世界では、ほとんどすべてが写真だ】
そう語る彼は、カメラを通して写真という形に定着するものの「リアル」みたいなものを強く感じていたのだろうと思う。しかしその一方で、
【私たちは信じたがる。公になっているものこそが、世界の真実だと】
とも言う。結局のところ、見えているもの以外の部分に、物事の本質はあるのだ、という主張にも感じられる。
【幸福は人生の要じゃない、それ以外のすべてが人生なんだ】
写真である必要はない。誰もが、ソール・ライターにおける写真のような存在を見つけ出すことができれば、きっと良い人生を歩めるのだろう。まあ、それが難しいのだし、そういう意味で言えば、彼は幸運だったと言えるかもしれない。
【私の写真の良さは、見る人の左耳をくすぐることだ】
「写真家 ソール・ライター」を観に行ってきました
【なんで私の記録映画なんて撮る必要があるのか。わざわざ欧州からやってきて、私を苛む。忘れられたいと思ってたのにね。まあ、仕方ないか】
有名になるということに、価値がある、という感覚は、確かに昔からあったと思う。しかしかつては、その手段があまりに限られていた。だから、「有名になりたい」というのは、ある種の夢だったかもしれない。しかし今では、様々な形で、昨日まで無名だった人が突然有名になることができる。そういう世の中においては、「有名になりたい」というのは、夢という言葉ではちょっと過剰なくらい、日常のものになっているだろう。
【“なぜ?”こそ最悪だ。
人目を惹かないことが良いのは、訊かれないからだ。誰に影響を受けたのか、何故そうするのか、とかね】
有名になることを目的にすると、有名になった後どうするんだろう、と僕はいつも考えてしまう。有名になったことを足がかりにして、その先にやりたいことを見つけ出せるならいい。でもそうでないなら、そこからどう生きていくんだろうなぁ、と思ってしまう。
【私は、楽しいからやった】
ソール・ライターという写真家は、カラー写真の先駆者と呼ばれている。かつてカラー写真は「芸術」だと考えられていなかったという。モノクロの写真は芸術だが、カラーは違う、と。だから、カラー写真を批判する者も多かったようだ。そんな、カラー写真の黎明期から、彼は、自分が住むニューヨークのロウアーイーストサイドを50年以上も撮り続けている。
しかし彼は、その作品のほとんどを発表しなかった。
【写真集が出るなんて思ってなかった。自分が重要な写真家だと思ったことなどない。偉い人間だなんて思って生きてきたことはない】
そもそもプリントさえせず、ネガのまま、壁に投影するような形で親しいごく一部の友人に見せるだけだった、という。死後、その膨大なプリントが発見され、その整理と評価は今も現在進行形で続いている。
彼はネガの整理が苦手だったようで、映画にも登場した、友人のマーギットに手伝ってもらいながら、少しずつ整理をしていた。彼はこれについて、なかなか面白い表現をしていた。
【でも、無秩序には独特の快さがある。
すべてを知るのはよくない。心地よい混乱状態というのは、時として気持ちいい。特に、壊れている人間にはね】
そんな風に言って、彼は笑った。
映画の中で詳しく語られるわけではないが、僕は最近、「永遠のソール・ライター」という、彼の写真展示にも行ったので、そこで得た情報を交えつつ色々書く。
彼は1940年代からカラー写真を撮り始め、やがて「ハーパース・バザー」や「ヴォーグ」と言った有名ファッション誌の表紙も手掛けるようになっていく。「ハーパース・バザー」の表紙を手掛けるきっかけとなった経緯は、映画の中で少し語られる。しかし彼は、80年代には、そのきらびやかで華やかなファッション誌の世界から離れ、表舞台から姿を消す。そのままであれば、一般的にはまったく知られない写真家として生涯を終えていただろう。
しかし2008年、ドイツのシュタイデル社から初の作品集が発売され、それによって「巨匠の再発見」が行われることになった。そこから、彼の身辺が慌ただしくなっていった、ということだ。
【好きな写真が出版されるのは嬉しい】
と彼は語る。しかしその一方で、
【人にどう見せるかなど、考えたこともない】
と言っている。
また、仕事と個人的な写真の境界も、なかったようだ。
【仕事と個人の写真を分けて考えたことはない。良い写真を撮ろうとしていただけだ。
ファッション写真は、個人的なことと、どこか結びついていたんだ】
とはいえ、
【生計を立てることは、罪じゃない】
と笑って付け加えたりもする。
彼がファッション誌の世界から姿を消したのは、芸術性よりも商業性が求められるようになっていったからだという。これについてこんな風に言っている。
【一時期ファッション誌も面白かったが、取り立てて想像力のない人と一緒だったこともあるし、やりたいことをやらせてもらえないこともあった。それで、こう思った。自由にやらせてもらえれば、良い写真を撮る。しかし、自由にさせてもらえなければ、悪い写真を撮るだけだ】
彼の様々な語りを聞いていると、「写真」というものと非常に絶妙な距離感を保っていたのだな、と感じる。まず彼にとって写真は、生計を立てる手段であった。しかし、完全に生計のための手段だったわけではない。これは違う、と思えば、そこから離れた。そして写真は、彼にとって日常だった。というかもしかしたら、こういう表現の方が正しいかもしれない。カメラは彼の身体の一部だった、と。それぐらい彼にとって、写真を撮るということは、日常的なことだった。「写真を撮る」というのが日常的だったことは、あまりプリントしなかったことにも関係する。「撮る」ということがメインであり、それを誰にどう見せるか、という部分は、彼にとってはさほど重要なことではなかったのだ。
【-MoMAの写真展に選ばれた時は嬉しかった?
当時は正直、よく分かっていなかった。嫉妬もされたと思うけど、よく理解していなかった。時々見逃してしまうんだ。今、大事なことが起きているという事実を】
【(ある俳優の写真を撮ろうとして止められた、というエピソードの後で)雨粒に包まれた窓の方が、有名人の写真よりずっと面白い】
【(取材者から、作品集が出るのに時間が掛かったことを暗に指摘された時)無関心な人々を誘惑させるのに、どこまでやれと?あの小さな一冊があれば、十分じゃないか】
これらの発言からも、彼の写真に対するスタンスがよく感じ取れる。自分が特別なことをしている感覚はないし、凄いことをやってやろうという気概もない。誰かに見せつけようとか、有名な人に評価してもらおうという気持ちもない。やりたいと思ったことを、やりたいと思ったようにやるだけ。住む場所も50年以上変えず、写真の撮り方もずっと変えないまま、同じことを同じようにシンプルにやり続けることの強さと、そのことが生み出す深みみたいなものを改めて感じさせられた。これらは、大した実力も経験も努力もないまま、「有名になりたい」という強い気持ちと、それが可能となる時代・環境を味方につけただけの底の浅い人間には生み出せないものだろうし、結局のところ、そういう深みを持つものしか、本物として残ることは出来ないんだろうな、と思う。
【写真に適さぬものはない。
今の世界では、ほとんどすべてが写真だ】
そう語る彼は、カメラを通して写真という形に定着するものの「リアル」みたいなものを強く感じていたのだろうと思う。しかしその一方で、
【私たちは信じたがる。公になっているものこそが、世界の真実だと】
とも言う。結局のところ、見えているもの以外の部分に、物事の本質はあるのだ、という主張にも感じられる。
【幸福は人生の要じゃない、それ以外のすべてが人生なんだ】
写真である必要はない。誰もが、ソール・ライターにおける写真のような存在を見つけ出すことができれば、きっと良い人生を歩めるのだろう。まあ、それが難しいのだし、そういう意味で言えば、彼は幸運だったと言えるかもしれない。
【私の写真の良さは、見る人の左耳をくすぐることだ】
「写真家 ソール・ライター」を観に行ってきました
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