黒夜行

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「キューブリックに魅せられた男」を観に行ってきました

つい先日、「キューブリックに愛された男」という映画を観に行った。ひょんなことから、キューブリックの運転手に、そして雑用係になったイタリア人・エミリオの物語だ。
そっちを先に見ておいて良かったな、と思う。
「魅せられた男」の話が、あまりにハードだったから、逆に見ていたら、もしかすると、エミリオを「大したことない」を感じてしまったかもしれない。

【スタンリー(キューブリック)を理解しなければ、レオンがどれだけ苦労したか、理解できるはずがない】

劇中に登場するある映画関係者は、そう語った。

レオン自身は、こう言っている。

【僕は彼に仕え、彼は映画に仕えていた。】

レオン・ヴィターリ。「バリー・リンドン」で、キューブリック映画に抜擢された俳優であり、以後、すべてのキューブリック作品の制作において、24時間365日、ずっとキューブリックと共に仕事をし続けた男だ。

そう、彼は元々俳優だった。
「2001年宇宙の旅」を見て衝撃を受け、同じ監督だからと、「時計じかけのオレンジ」を観た。観終わってすぐ、彼は有人に、「この監督と仕事がしたい」と言ったという。「バリー・リンドン」での抜擢は、念願かなってのことだった。
レオンは、映画・演劇関係者の中で、役者として非常に評価が高かった。普通に俳優をやっていれば、もっと高い評価を得られただろうと、彼を知る者は口にする。彼はその当時、すべてが順調だった。しかし、「バリー・リンドン」の撮影があと数日で終わるという時、彼は思った。このまま終わってしまうのは、辛すぎる、と。そこで彼はキューブリックに、映画制作の技術的な部分に興味がある。裏方でもお茶くみでもなんでもいいからやらせてもらえないか、と言った。
そうやって彼は、キューブリックの右腕となった。
レオンについて語る多くの者は、その仕事ぶりを様々な言葉で表現する。それらに共通するのは、「献身」「狂気」という感覚である。
前述したエミリオは、キューブリックの生活全般のサポートをしていた男で、まったくとは言わないが、映画制作にはほとんど関わらなかった。レオンは、キューブリック組の映画制作のほぼすべてを担当した。
どんな仕事をしていたのか?
例えば、ある場面での照明の当て方を、毎晩キューブリックと検討し、それを照明監督にFAXした。普通これは、照明監督の仕事である。しかしキューブリックは、他人をほとんど信用しなかった。だからレオンがやる。
ワーナーとの交渉もレオンの仕事だ。キューブリックが、映画製作について、無茶なこと、前例のないこと、お金がかかること、そういうことを要求する。誰に?レオンにだ。レオンはそれを、ワーナーに伝える。ワーナーを説き伏せて、キューブリックのやりたい形で映画製作を行う。これは通常プロデューサーの仕事だろうが、レオンの仕事だった。
キューブリックは、各国ごとにまったく違う予告編を制作した。そのチェックもレオンの仕事。フィルムをどの国へ貸し出して、今どこにどういう状態で存在しているのかをすべて管理するのもレオンの仕事。俳優のオーディション用のビデオテープもすべてチェックし、演技指導もし、子役のケアもやり、映画の中のすべての効果音を音響監督と共に作成する。これらも全部、レオンの仕事だ。
大げさではなく、レオンは、24時間365日働いていた、という表現が正しい。毎日キューブリック邸に行く。そこで、14~16時間仕事をする。家に帰るが、仕事が終わるわけではない。そこから、色んな人に電話をし続けなければいけないのだ。

レオンの家族も、劇中に登場する。彼らは幼いながらに、父親は常に心ここにあらずである、と分かっていた。何か相談したいと思っていても、キューブリックのことを考えている。家族との時間は、あってないようなものだった。娘は、「それほどまで仕事に没頭出来る父を羨ましく思う」というようなことを語り、息子は、「あれほど働いたんだから、慎ましく生活するのに十分すぎるほどのお金はあってもいいはずだ」と語る。もちろん、本当は「寂しい」とか「構ってほしい」と思っていただろう。インタビューの中で、そういうことを言っていたかもしれない(映画で採用されなかっただけで)。しかし、彼らが父親について語る姿を見ていると、子供たちも妻も、「良い意味での諦め」みたいなものを抱いているように感じた。それは、「誇らしい仕事をしているんだからしょうがない」というような感じに、僕には見えた。レオンは、【全力でやります、と言ったなら、その通りにやらなければ意味がない】というようなことを語っていた。

【どれほど光栄だったか。彼と仕事が出来て。こんなに長い間】

レオンとキューブリックを知る多くの人物が、レオンのキューブリックに対する「献身」を「理解できない」という雰囲気で語る。もちろん、レオンの凄まじさは誰もが認めるところだ。しかし、なぜそんな働き方が出来るのか、自分にはとても無理だ、という風に、誰もが語る。

「キューブリックに愛された男」でも、本作でも、キューブリックその人の激烈さみたいなものは、そこまで描かれない。もちろん、「うわぁ、こんな人が周りにいたらしんどいだろうなぁ」と思う程度には観客にも大変さは伝わるが、しかし、誰もが「天才」と認め、誰もが彼が生み出した映画を絶賛する一方で、「あまりに完璧主義者」「多くの人が離れていった」と言われてしまうほどの苛烈さみたいなものは、両映画を見ているだけではわからない。しかし、キューブリックの周りにいた多くの人物が、同じように語っている姿を見て、間接的に理解はできる。

しかしその一方で、レオンの言っていることも分かるなぁ、という気がする。いや分かっている。これは僕が、「キューブリックの苛烈さ」をきちんと実感できていないからこその感覚なのだ。それは分かった上で、書いてみたいことがある。

「キューブリックに愛された男」の感想でも書いたが、僕は「天才」になりたいし、でもなれないことも分かっている。そういう中で、同時代に生きている「天才」と共に仕事が出来ることの悦びというのは、少しは理解できる気がする。もちろん、そのために、すべてを犠牲に出来るかと言われると難しいし、この映画に登場した多くの証言者たちもそういう気持ちなんだろうと思う。ただ、レオンの、【どれほど光栄だったか。彼と仕事が出来て。こんなに長い間】というセリフは、そうだよなぁ、光栄だよなぁ、という風に感じてしまう。

実際、レオンがいなければ、キューブリックは映画を完成させられなかったかもしれない。少なくとも、同じクオリティの映画は生み出せなかったかもしれない。レオンという人物が、あらゆる場面でキューブリックとの間に入ることで、キューブリックという天才の、天才であるが故の「マイナス部分」が、それでも緩和されていたはずだ。レオンがいなければ、キューブリックにどれほど天才的な才能・手腕があっても、彼の周りに人は残らなかったかもしれない。

キューブリックの死後、レオンには難しい仕事が残された。撮り終えたばかりの映画「アイズ・ワイド・シャット」を完成させなければならないのだ。ここに来て、レオンという存在は、非常に大きなものとなった。何故なら、キューブリックの映画制作のすべてを知っているのは、レオンしかいないのだ。そもそも、通常の映画制作においても、全行程をプロレベルで理解している人物というのはいない。分業制だから、当然だ。しかしレオンは、キューブリックからの超絶厳しい要求に応え続けている内に、映画制作の全行程において、プロレベルの知識と経験を身につけることになったのだ。その経験をフルに活かして、彼はキューブリックの遺作を、キューブリックが望んだ通りに完成させなければならなかった。

しかしそれは、簡単な仕事ではなかった。今までは、「キューブリックがこう言っている」と言えば、それがどんな無茶な要求でも受け入れるしかなかった。しかし、映画関係者たちは、レオンの存在を軽んじた。また、これまでキューブリックに散々な目に遭わされてきた者たちが、レオンへ不満をぶつけるようになっていく。レオンの、「キューブリックが望んだ通りにフィルムを完成させる」というこだわりは、時に、「難癖探しをしているだけ」と捉えられ、疎まれた。そんな環境の中、彼はキューブリックのために奔走した。その後、リマスター版の作成などにも精力的に関わっている。

現在(というのは、アメリカでの映画公開時かもしれないのでいつかは不明だが)ニューヨークでは、キューブリック展が開かれているという。しかしそこに、レオンの名はない。オフィシャルに、キューブリック展に関わってもいないという。招待もされなかったそうだ。普通なら、そんな扱いをする展覧会に対して、「あんな展示、クソだ」というような態度を取ってもおかしくはない。しかしレオンは、30回近くも、その展覧会の案内を買って出ているという。それももちろん、キューブリックのためだ。キューブリックが遺したものを、次世代に正確に伝えたい、という気持ちからだ。

「天才」は、それを支える人間なしには何も成し遂げられないということを、大人になってから少しずつ理解するようになったけど、キューブリックにとってレオンは、最高のパートナーだったと言えるだろう。

なんというのか、「羨ましいなぁ」という気持ちになる映画だった。

「キューブリックに魅せられた男」を観に行ってきました
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