ガロア 天才数学者の生涯(加藤文元)
世に「天才」と呼ばれる人は数多く存在するが、ガロアほどの天才はなかなかいないだろう。本書では、ガロアとガロアの発見について、こんな風に書かれている。
【彼は近代数学史上最大の発見と言っても過言ではない、巨大な業績を残しました。ただ単に何らかの問題を解いた、というだけにとどまりません。その業績は、それ以後の数学の歴史を根本から変えたのです。パラダイムを変えた、と言ってもいいでしょう。彼のもたらした原理や考え方は、現在でも数学研究の基層に生きていますし、数世紀先の未来でも同様でしょう】
【現在の我々の状況に翻訳すれば、高校生が突如として現代数学において大発見をする、という感じになるでしょう。しかも、それは単なる発見ではなく、その後の歴史の数世紀分を変えてしまうような種類の巨大で深遠な金字塔なのです。そんなことが本当に可能なのか?と疑いたくなってしまうくらいです】
【「長々とした代数の計算は、まずもって数学の進歩にはほとんど必要ない」と彼は言う。オイラー以後、計算術の展覧会となってしまった数学は、もはやにっちもさっちも行かなくなっているではないか。計算し倒して現象を解明するというやり方は、もう限界に近づいている。だから数学はまったく新しい視点を獲得しなければならない。その<新しい視点>としてガロアが夢見ているのが、まさに難しさそのものを対象にして数学するという発想である】
【もちろん、例えば筆者(※現役の数学者である)が1831年当時にこの論文を見ていたとして、これを理解できたとはちょっと思えない。】
【ガロアの理論はその後、多くの人によって研究され解釈され、そして整理された。その理論がいかに強力で、どれだけ現代数学を先取りした素晴らしいものであったかはすでに述べた】
そして、本書全体をかなり抑えた筆致で描き出す著者が、感情を露わにするこんな描写もある。
【数学という学問はこのような視点からも鳥瞰することができる。このことを二十歳のガロアは筆者に教えてくれた。それだけでも筆者は幸せだ!】
なかなかの大評価ではないだろうか。まあ、それはそうなのである。僕は一般向けの数学書を結構読むが、現代数学のありとあらゆる場面で「群」と「集合」というものが登場する。それぞれがなんであるかは説明しないが、とにかくこの「群」「集合」は、現代数学における最大の武器であり、というか、必要不可欠な要素と言っていい。
しかし、ガロアが生きていた時代、まだ「群」も「集合」も存在していなかった。もちろん、「群」「集合」を使った数学(本書では「構造的数学」と名付けている)は生まれていなかったし、「群」「集合」を扱うだけの言葉・記号も存在していなかった。そんな時代にガロアは、「群」という考え方を生み出し、また「集合」という概念がなければ明瞭に説明できない領域にまで思考の触手を伸ばしていたのだ。
これは、現代風にもう少し分かりやすく喩えるとこうなるだろうか。ガロアは、携帯電話が生まれるずっと前から、人々が自由に通話をする世界を想像し、さらにスマートフォンによってネット接続やSNSが実現する世界を漠然と想像していた、と。よく指摘されることだが、昔のSF作家が描く未来世界に、「携帯電話」らしきものは登場しないらしい。空飛ぶ車やタイムマシンなど、SF作品が描き出す未来世界のアイテムは様々なものがあるが、その中に「携帯電話」は登場しないという。それぐらい、「携帯電話」というものは人々の想像の外にあったものだといえる。ガロアの凄さは、誰も「携帯電話」のようなものを想像していなかった時代に、スマートフォンで何が出来るかを考えているようなものだろう。
こんな風に書くと、ガロアが現代数学にどれだけインパクトを与えたのか理解できるだろう。そしてもう一つ、この喩えから理解できることがある。それは、「ガロアの言っていることは普通には理解されない」ということである。
携帯電話がない時代に、「色んな人が一人一台端末を持って、自由に通話が出来て、さらにそれを使って、世界中の情報にアクセス出来て、世界中の人と知り合いになれる」なんて主張する人間がいたら、頭がおかしいと思われるだろう。ガロアの主張にも、そういう部分がある。繰り返すが、彼が生きていた時代には、「群」も「集合」も存在しなかったし、当然、それらを記述するための言葉・記号もなかった。だからガロアは、その当時存在していた概念だけを使って、誰も想像していないような考え方を説明するしかなかった。これは、携帯電話のない時代にスマートフォンの説明をするようなものだと言っていいだろう。
数世紀先を行き過ぎたが故に、ガロアは同時代の知識人たちに自身の考えを理解してもらうことが出来なかった。そして、様々な時代背景やガロアの生い立ち・不幸な出来事の積み重ねにより、ガロアは20歳で命を落としてしまうのだ。伝えられるところによると、決闘で死んだということになっているが、その詳細はほとんど分かっていない。
そして本書は、ガロアの数学的な業績よりも、ガロアの20年間の生涯に一体何があったのかを解き明かす作品になっている。ガロアの生み出した「群論」について、本書にはほとんど説明はない。そういう具体的な数学の描写ではなく、本書では、ガロアが生み出した数学が、当時どう受け取られ、また現在において現代数学をどれほど革新したのかを、数学にあまり詳しくない人にも伝わるような筆致で描き出そうとする。そしてそれ以外の描写は基本的に、ガロアが生きた時代と、ガロアが辿ってきた足跡を追うものになっている。
あまり詳しく書きすぎても興を削ぐので、ここでは、ガロアが「いかに数学に目覚め」「いかに革命思想に目覚めた」かを中心に書こうと思う。
ガロアが生まれる少し前のフランスでは、教育の重要性があまり理解されていなかった。しかしフランス革命がその状況を変え、ナポレオンは教育に力を入れるようになる。ナポレオンが設置した「リセ」と呼ばれる高等中学校の中でも、特に超名門校として知られる「ルイ・ル・グラン」にガロアは入学し、そこで際立って優秀な学生であった。しかしこのリセは、超スパルタの学校としても知られていて、ガロアはこの生活で「専制」や「圧制」などを体感し、またガロア自身は関わっていないが、「聖シャルルマーニュ祭」の乾杯における事件の顛末が、「専制が強権を振り回す事例」としてガロアの心に深く刻まれることになる。
ガロアには進級に関するゴタゴタがあり、一度進級するも元の学級に戻されてしまう、ということがあった。しかし結果的にこのことはガロアにプラスに働いた。何故なら、戻った学級で履修した数学の授業で使われていた教科書、ルジャンドルの「幾何学原論」に出会ったからだ。マスターするのに通常は2年掛かると言われるこの本を、伝説によるとガロアは2日で読んでしまったという。そこからガロアの目には、数学しか入らなくなった。彼は、誰かに教わることなく、大数学者たちの著作を読み漁ることで数学を学んだ。
それから彼は「エコール・ポリテクニーク(高等理工科学校)」への入学を強く希望した。ここは、当時の一流数学者たちの<住処>であり、数学界の中心の一つだった。ガロアは早くリセから出てエコール・ポリテクニークに行きたくて仕方なく、通常より1年早く受験するも、失敗してしまう。試験自体が形骸化していたとも言われるし、ガロアの態度に問題があったとも言われるが、ガロア自身は「試験は公正さに欠けていた」と感じていたようだ。こういう、「自分が正当に扱われていない」という感覚をガロアはその後もいだき続けることになるが、そういう積み重ねが、社会への反抗的な思想に直結していくことになる。
しかし、ここで受験に失敗したことは、決して悪いことではなかった。仕方なくリセに戻ったガロアは、リシャール先生と出会ったのだ。有能な数学教師であるリシャールは、ガロアにとって人生で初めて、自分の才能を理解し、正当な評価を与えてくれる人であった。リシャール先生と出会ったことで、リセの一学生でありながら専門誌に論文が掲載されたり、アカデミーに論文を提出出来るようになったのだから、大きな出会いである(とはいえ、アカデミーへの論文提出は色々すったもんだある)
この時期、ガロアが考えていたことは、現代の我々が「ガロア最大の業績」と理解している数学そのものだった。ガロアの業績はよく、「五次元方程式の解の公式が存在しないことを証明した」と紹介されるが、この表現は正しくない。まず、そのことを最初に証明したのは、同じく天才で悲劇の数学者・アーベルである。ガロアはアーベルの仕事を知らなかったが、ガロアが考えていたことは、単に五次方程式収まるものではなかった。ガロアが考えていたことは、
「与えられた任意次数の代数方程式が代数的に解けるための必要十分条件を見つけること」
だった。アーベルは「五次方程式」について考えたが、ガロアは「あらゆる方程式」について考え、どんな方程式であっても「代数的に解ける/解けない」を判定するための要素はないか、と考えていたのだ。つまり、ガロアが考えていた領域のほんの一部分が、アーベルの証明した「五次元方程式には解の公式が存在しない(=代数的には解けない)」である、ということだ。
リシャール先生はガロアの論文を読んで、そのあまりの先駆性・重要性を認識し、アカデミーへの論文提出を目指す。そして、当代随一の数学者であったコーシーに論文を渡すことに成功する。しかし結局その論文は行方知れずになってしまう。
一般的にコーシーについては、「ガロアの論文を粗雑に扱った」と描かれることが多い。しかし本書では、その一般的なイメージが覆されることが書かれている。コーシーはガロアの論文の重要性を理解していたことが、様々な文書は発言から見て取れるという。さらに、この点はまさに数学者ならではの観点だと感じるが、コーシーが後年ガロアの論文に興味を失ったように見えることについても、著者は、「ガロアの論文を完全に理解してしまっていたからではないか」と推察する。著者自身の経験でもあるのだろう、常に自分の研究のことで頭がいっぱいだから、一度理解してしまった事柄に関して興味が薄れていくのは仕方ない、という。本書で、ガロアとコーシーの関係に関するイメージは大きく変わった。
その後ガロアは再びエコール・ポリテクニークの受験にチャレンジする。しかしまたしても失敗する。この二度目の失敗は、【この事件はフランス教育史上でも稀有の大スキャンダルとされた】と書かれているように、多くの人を驚かせたという。それはそうである。ガロアは既に、学生の身分でありながら複数の論文が専門誌に掲載され、さらに、結果的に紛失されてしまったが、アカデミーにも論文を提出しているのだ。現在では、試験をする側に不正、あるいはなんらかの間違いがあったに違いない、という意見で一致しているらしい。
この二度目の失敗は致命的だった。何故ならエコール・ポリテクニークの受験は二度までしか許されないからだ。ガロアは、数学しか勉強せず、学校での態度も悪い学生生活を送っていたが、進学するために様々な特例的な措置を取ってもらい、別の学校に入学することになる。
その後ガロアは、再びアカデミーに論文を提出する。今度は、こちらも随一の数学者であったフーリエに渡したが、しかし直後にフーリエは死亡、また論文は失われてしまう。さらに不幸は続く。世間では「七月革命」が起こっていたが、ガロアが通うことになった学校の校長は、自身の保身のために、学生全員を学校の外に出さないと決めた。ガロアは、エコール・ポリテクニークに進学できていれば自分も参加できていたはずの革命が目の前で起こっているにも関わらず何も出来ないことに苛立った。さらに、七月革命が沈静化した後の校長の態度の転身ぶりに嫌気が差し、どんどんと革命の方へと気持ちが傾いていくことになる。
その後、三度アカデミーに論文を提出することになる。幸いなことにこの論文は現存している。しかし、やはり先駆的な内容であったためか、ガロアの論点は十全に理解されず、「不十分」という烙印を押されてしまう。著者は、現代的な視点からすればガロアの論旨は明解であるが、「群」も「集合」も存在しなかった当時は、ガロアの書きぶりでは理解されなかったのは仕方ない部分もある、と書いている。しかし一方で、コーシーは理解していたはずなのだから、三度目の論文を査読したポアソンの読みが浅いのでは、と指摘している。
その後ガロアは、逮捕・裁判・また逮捕など、革命を志す者としての活動が色濃くなるが、そんな中、コレラの蔓延をきっかけに、元々収容されていた監獄から、衛生状態の良い療養所に移された。そしてその療養所で、運命の女性と出会う。その恋がどう始まり、どう展開したのかを知る手がかりは存在しないが、うまく行かなかったことだけは間違いない。そしてその後、ガロアはこれまでの自らの業績を大急ぎでまとめて、死を覚悟した手紙と共に親友のシュヴァリエに託し、それから銃で撃たれて命を落とした。その死にも謎が多く、「陰謀説」「自殺説」「恋愛説」と仮説はあるが、どれも決定打に欠ける。そのようにして、現代数学に多大な功績を残した天才数学者の生涯は閉じられることになったのだ。
本書は、こういう流れについて、非常に詳細に、当時のパリの雰囲気や、当時の文学作品からの引用、ガロアの手紙や、運良く残ったガロアの「序文」など、多くの資料を元にして鮮やかに描き出していく。そこには、同じ数学者として、ガロアという異次元の天才を敬愛する視線が見え隠れするし、どれだけ言葉を尽くしてもガロアの凄さを伝えきれない、というもどかしさをも感じる。
加藤文元「ガロア 天才数学者の生涯」
【彼は近代数学史上最大の発見と言っても過言ではない、巨大な業績を残しました。ただ単に何らかの問題を解いた、というだけにとどまりません。その業績は、それ以後の数学の歴史を根本から変えたのです。パラダイムを変えた、と言ってもいいでしょう。彼のもたらした原理や考え方は、現在でも数学研究の基層に生きていますし、数世紀先の未来でも同様でしょう】
【現在の我々の状況に翻訳すれば、高校生が突如として現代数学において大発見をする、という感じになるでしょう。しかも、それは単なる発見ではなく、その後の歴史の数世紀分を変えてしまうような種類の巨大で深遠な金字塔なのです。そんなことが本当に可能なのか?と疑いたくなってしまうくらいです】
【「長々とした代数の計算は、まずもって数学の進歩にはほとんど必要ない」と彼は言う。オイラー以後、計算術の展覧会となってしまった数学は、もはやにっちもさっちも行かなくなっているではないか。計算し倒して現象を解明するというやり方は、もう限界に近づいている。だから数学はまったく新しい視点を獲得しなければならない。その<新しい視点>としてガロアが夢見ているのが、まさに難しさそのものを対象にして数学するという発想である】
【もちろん、例えば筆者(※現役の数学者である)が1831年当時にこの論文を見ていたとして、これを理解できたとはちょっと思えない。】
【ガロアの理論はその後、多くの人によって研究され解釈され、そして整理された。その理論がいかに強力で、どれだけ現代数学を先取りした素晴らしいものであったかはすでに述べた】
そして、本書全体をかなり抑えた筆致で描き出す著者が、感情を露わにするこんな描写もある。
【数学という学問はこのような視点からも鳥瞰することができる。このことを二十歳のガロアは筆者に教えてくれた。それだけでも筆者は幸せだ!】
なかなかの大評価ではないだろうか。まあ、それはそうなのである。僕は一般向けの数学書を結構読むが、現代数学のありとあらゆる場面で「群」と「集合」というものが登場する。それぞれがなんであるかは説明しないが、とにかくこの「群」「集合」は、現代数学における最大の武器であり、というか、必要不可欠な要素と言っていい。
しかし、ガロアが生きていた時代、まだ「群」も「集合」も存在していなかった。もちろん、「群」「集合」を使った数学(本書では「構造的数学」と名付けている)は生まれていなかったし、「群」「集合」を扱うだけの言葉・記号も存在していなかった。そんな時代にガロアは、「群」という考え方を生み出し、また「集合」という概念がなければ明瞭に説明できない領域にまで思考の触手を伸ばしていたのだ。
これは、現代風にもう少し分かりやすく喩えるとこうなるだろうか。ガロアは、携帯電話が生まれるずっと前から、人々が自由に通話をする世界を想像し、さらにスマートフォンによってネット接続やSNSが実現する世界を漠然と想像していた、と。よく指摘されることだが、昔のSF作家が描く未来世界に、「携帯電話」らしきものは登場しないらしい。空飛ぶ車やタイムマシンなど、SF作品が描き出す未来世界のアイテムは様々なものがあるが、その中に「携帯電話」は登場しないという。それぐらい、「携帯電話」というものは人々の想像の外にあったものだといえる。ガロアの凄さは、誰も「携帯電話」のようなものを想像していなかった時代に、スマートフォンで何が出来るかを考えているようなものだろう。
こんな風に書くと、ガロアが現代数学にどれだけインパクトを与えたのか理解できるだろう。そしてもう一つ、この喩えから理解できることがある。それは、「ガロアの言っていることは普通には理解されない」ということである。
携帯電話がない時代に、「色んな人が一人一台端末を持って、自由に通話が出来て、さらにそれを使って、世界中の情報にアクセス出来て、世界中の人と知り合いになれる」なんて主張する人間がいたら、頭がおかしいと思われるだろう。ガロアの主張にも、そういう部分がある。繰り返すが、彼が生きていた時代には、「群」も「集合」も存在しなかったし、当然、それらを記述するための言葉・記号もなかった。だからガロアは、その当時存在していた概念だけを使って、誰も想像していないような考え方を説明するしかなかった。これは、携帯電話のない時代にスマートフォンの説明をするようなものだと言っていいだろう。
数世紀先を行き過ぎたが故に、ガロアは同時代の知識人たちに自身の考えを理解してもらうことが出来なかった。そして、様々な時代背景やガロアの生い立ち・不幸な出来事の積み重ねにより、ガロアは20歳で命を落としてしまうのだ。伝えられるところによると、決闘で死んだということになっているが、その詳細はほとんど分かっていない。
そして本書は、ガロアの数学的な業績よりも、ガロアの20年間の生涯に一体何があったのかを解き明かす作品になっている。ガロアの生み出した「群論」について、本書にはほとんど説明はない。そういう具体的な数学の描写ではなく、本書では、ガロアが生み出した数学が、当時どう受け取られ、また現在において現代数学をどれほど革新したのかを、数学にあまり詳しくない人にも伝わるような筆致で描き出そうとする。そしてそれ以外の描写は基本的に、ガロアが生きた時代と、ガロアが辿ってきた足跡を追うものになっている。
あまり詳しく書きすぎても興を削ぐので、ここでは、ガロアが「いかに数学に目覚め」「いかに革命思想に目覚めた」かを中心に書こうと思う。
ガロアが生まれる少し前のフランスでは、教育の重要性があまり理解されていなかった。しかしフランス革命がその状況を変え、ナポレオンは教育に力を入れるようになる。ナポレオンが設置した「リセ」と呼ばれる高等中学校の中でも、特に超名門校として知られる「ルイ・ル・グラン」にガロアは入学し、そこで際立って優秀な学生であった。しかしこのリセは、超スパルタの学校としても知られていて、ガロアはこの生活で「専制」や「圧制」などを体感し、またガロア自身は関わっていないが、「聖シャルルマーニュ祭」の乾杯における事件の顛末が、「専制が強権を振り回す事例」としてガロアの心に深く刻まれることになる。
ガロアには進級に関するゴタゴタがあり、一度進級するも元の学級に戻されてしまう、ということがあった。しかし結果的にこのことはガロアにプラスに働いた。何故なら、戻った学級で履修した数学の授業で使われていた教科書、ルジャンドルの「幾何学原論」に出会ったからだ。マスターするのに通常は2年掛かると言われるこの本を、伝説によるとガロアは2日で読んでしまったという。そこからガロアの目には、数学しか入らなくなった。彼は、誰かに教わることなく、大数学者たちの著作を読み漁ることで数学を学んだ。
それから彼は「エコール・ポリテクニーク(高等理工科学校)」への入学を強く希望した。ここは、当時の一流数学者たちの<住処>であり、数学界の中心の一つだった。ガロアは早くリセから出てエコール・ポリテクニークに行きたくて仕方なく、通常より1年早く受験するも、失敗してしまう。試験自体が形骸化していたとも言われるし、ガロアの態度に問題があったとも言われるが、ガロア自身は「試験は公正さに欠けていた」と感じていたようだ。こういう、「自分が正当に扱われていない」という感覚をガロアはその後もいだき続けることになるが、そういう積み重ねが、社会への反抗的な思想に直結していくことになる。
しかし、ここで受験に失敗したことは、決して悪いことではなかった。仕方なくリセに戻ったガロアは、リシャール先生と出会ったのだ。有能な数学教師であるリシャールは、ガロアにとって人生で初めて、自分の才能を理解し、正当な評価を与えてくれる人であった。リシャール先生と出会ったことで、リセの一学生でありながら専門誌に論文が掲載されたり、アカデミーに論文を提出出来るようになったのだから、大きな出会いである(とはいえ、アカデミーへの論文提出は色々すったもんだある)
この時期、ガロアが考えていたことは、現代の我々が「ガロア最大の業績」と理解している数学そのものだった。ガロアの業績はよく、「五次元方程式の解の公式が存在しないことを証明した」と紹介されるが、この表現は正しくない。まず、そのことを最初に証明したのは、同じく天才で悲劇の数学者・アーベルである。ガロアはアーベルの仕事を知らなかったが、ガロアが考えていたことは、単に五次方程式収まるものではなかった。ガロアが考えていたことは、
「与えられた任意次数の代数方程式が代数的に解けるための必要十分条件を見つけること」
だった。アーベルは「五次方程式」について考えたが、ガロアは「あらゆる方程式」について考え、どんな方程式であっても「代数的に解ける/解けない」を判定するための要素はないか、と考えていたのだ。つまり、ガロアが考えていた領域のほんの一部分が、アーベルの証明した「五次元方程式には解の公式が存在しない(=代数的には解けない)」である、ということだ。
リシャール先生はガロアの論文を読んで、そのあまりの先駆性・重要性を認識し、アカデミーへの論文提出を目指す。そして、当代随一の数学者であったコーシーに論文を渡すことに成功する。しかし結局その論文は行方知れずになってしまう。
一般的にコーシーについては、「ガロアの論文を粗雑に扱った」と描かれることが多い。しかし本書では、その一般的なイメージが覆されることが書かれている。コーシーはガロアの論文の重要性を理解していたことが、様々な文書は発言から見て取れるという。さらに、この点はまさに数学者ならではの観点だと感じるが、コーシーが後年ガロアの論文に興味を失ったように見えることについても、著者は、「ガロアの論文を完全に理解してしまっていたからではないか」と推察する。著者自身の経験でもあるのだろう、常に自分の研究のことで頭がいっぱいだから、一度理解してしまった事柄に関して興味が薄れていくのは仕方ない、という。本書で、ガロアとコーシーの関係に関するイメージは大きく変わった。
その後ガロアは再びエコール・ポリテクニークの受験にチャレンジする。しかしまたしても失敗する。この二度目の失敗は、【この事件はフランス教育史上でも稀有の大スキャンダルとされた】と書かれているように、多くの人を驚かせたという。それはそうである。ガロアは既に、学生の身分でありながら複数の論文が専門誌に掲載され、さらに、結果的に紛失されてしまったが、アカデミーにも論文を提出しているのだ。現在では、試験をする側に不正、あるいはなんらかの間違いがあったに違いない、という意見で一致しているらしい。
この二度目の失敗は致命的だった。何故ならエコール・ポリテクニークの受験は二度までしか許されないからだ。ガロアは、数学しか勉強せず、学校での態度も悪い学生生活を送っていたが、進学するために様々な特例的な措置を取ってもらい、別の学校に入学することになる。
その後ガロアは、再びアカデミーに論文を提出する。今度は、こちらも随一の数学者であったフーリエに渡したが、しかし直後にフーリエは死亡、また論文は失われてしまう。さらに不幸は続く。世間では「七月革命」が起こっていたが、ガロアが通うことになった学校の校長は、自身の保身のために、学生全員を学校の外に出さないと決めた。ガロアは、エコール・ポリテクニークに進学できていれば自分も参加できていたはずの革命が目の前で起こっているにも関わらず何も出来ないことに苛立った。さらに、七月革命が沈静化した後の校長の態度の転身ぶりに嫌気が差し、どんどんと革命の方へと気持ちが傾いていくことになる。
その後、三度アカデミーに論文を提出することになる。幸いなことにこの論文は現存している。しかし、やはり先駆的な内容であったためか、ガロアの論点は十全に理解されず、「不十分」という烙印を押されてしまう。著者は、現代的な視点からすればガロアの論旨は明解であるが、「群」も「集合」も存在しなかった当時は、ガロアの書きぶりでは理解されなかったのは仕方ない部分もある、と書いている。しかし一方で、コーシーは理解していたはずなのだから、三度目の論文を査読したポアソンの読みが浅いのでは、と指摘している。
その後ガロアは、逮捕・裁判・また逮捕など、革命を志す者としての活動が色濃くなるが、そんな中、コレラの蔓延をきっかけに、元々収容されていた監獄から、衛生状態の良い療養所に移された。そしてその療養所で、運命の女性と出会う。その恋がどう始まり、どう展開したのかを知る手がかりは存在しないが、うまく行かなかったことだけは間違いない。そしてその後、ガロアはこれまでの自らの業績を大急ぎでまとめて、死を覚悟した手紙と共に親友のシュヴァリエに託し、それから銃で撃たれて命を落とした。その死にも謎が多く、「陰謀説」「自殺説」「恋愛説」と仮説はあるが、どれも決定打に欠ける。そのようにして、現代数学に多大な功績を残した天才数学者の生涯は閉じられることになったのだ。
本書は、こういう流れについて、非常に詳細に、当時のパリの雰囲気や、当時の文学作品からの引用、ガロアの手紙や、運良く残ったガロアの「序文」など、多くの資料を元にして鮮やかに描き出していく。そこには、同じ数学者として、ガロアという異次元の天才を敬愛する視線が見え隠れするし、どれだけ言葉を尽くしてもガロアの凄さを伝えきれない、というもどかしさをも感じる。
加藤文元「ガロア 天才数学者の生涯」
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