我らが少女A(高村薫)
内容に入ろうと思います。
池袋で、一人の女性が死ぬ。上田朱美という名のその女性は、同居していた男に殺された。男には、特別な理由があったわけではない。男には、殺したという実感すらあまりない。男はすぐに捕まり、自供し、事件はそのまま終結するかに思われた。
しかし、そうはならなかった。
上田朱美を殺した男が、気になる証言をしたのだ。朱美は男に、使い古しの絵の具のチューブを見せて、何年か前に武蔵野の野川公園で殺された人が持っていたもので、落ちていたから拾った、などと言ったことがある、というのだ。
この証言に、刑事たちは驚く。12年ほど前、栂野節子という元美術教師が殺された事件は、未だに未解決だったからだ。すぐさまその情報は警察の間で広がり、それは、現場の一線を退き、警察大学校で講師を務めている、野川事件の当時の捜査トップである合田雄一郎の元にも届く。
あの時捜査線上に、上田朱美の名前は出てこなかった。一体、自分たちは何を見落としたというのか?
上田朱美の母親である上田亜沙子。上田朱美の同級生で、今は西武鉄道で働いている小野雄大。被害者の娘である栂野雪子と、孫娘である真弓。事件当時、真弓をストーキングしていたとして重要参考人に挙げられた、ADHDの症状を持つ浅井忍と、息子が重要参考人になったために警察を辞めた浅井隆夫。未解決のまま時が止まっている事件の針が僅かに動き始めたことで、彼らの現在の日常も少しずつ影響を受ける。それらはごく些細な影響ではあるが、しかし、それらがじわじわと積み重なっていくことで、他の誰かに直接的にあるいは間接的に影響を与えていく。
栂野節子は、上田朱美に殺されたのか?あの当時、一体どこで何が起こっていたのか?明かされなかった真実は、誰のどんな行動に影響を与えたのか?
さざなみのように広がっていく、過去の事件の余波。その静かな動きを、丁寧に拾い集めていく…。
というような話です。
凄い小説だなぁ、と思ったのだけど、途中で飽きてしまった…というのが正直な感想です。
本当に、凄い小説だと思う。物語は、本当に遅々として進まない。上田朱美が、ほとんど意思もないようなボンクラに殺された、というのは、本書のメインの物語ではない。その殺人犯の些細な供述から、12年前の未解決事件が描かれていく。そして、本当に、物事が全然動いていかないのだ。はっきり言って、進展はほとんどない。関係者の些細な日常生活が描かれ、それらが時折、他の誰かに影響を与える。例えばある場面で、人物Xが「人物Yはどうして俺の職場を探し当てたんだ?」と疑問に思うのだが、しかしそれは、人物Yが能動的に人物Xの職場を探り当てたというのではなく、いくつかの偶然が重なることでたまたまそういう状況になったのだ。そしてそういう偶然を、本書では非常に緻密に描き出していく。それぞれの登場人物が、そうだよねそういう行動しそうだよね、という振る舞いをしているだけなのに、それが結果的に他の誰かに影響を与えることになっている。そういう緻密な展開がずーっと続いていくので、そういう部分は本当に凄いと思う。
しかし、ちょっと途中で飽きてしまった。
今から僕は、本書のネタバレをしようと思う。僕は、これは読む前に知っておくべきだ、と思うからこそ書くのだけど、知りたくない、という人は、この後の文章を読まないでほしい。
本書では、基本的に、野川事件は解決しない。最後の最後まで、野川事件の真相は明らかにならないのだ。
やはり僕は本書を、最終的には事件は解決するんだろう、という想定で読んでいる。僕は、合田シリーズをすべて読んでいるわけではないし、最後に読んだのも相当昔なのでちゃんとは覚えていないけど、基本的には、なん赤の形で事件は解決しているんじゃないかと思う。しかし本書では、事件を解決するという部分に主眼はない。12年ぶりに動き始めた野川事件をきっかけに、その周辺にいた人間たちの生活や人生にどんな影響があるのか―それが本書の主眼だ。
そのことがわかった上で読めば、僕ももうちょっと違った読み方が出来たかもしれない。でもやはり、「最終的には何らかの形で解決するんだろう」と思って読んでいるから、「これ、どうやって事件は解決するんだ?」と期待しながら読んでいるし、その期待が果たされなかったので、ちょっとなぁ、という気分になってしまった。
さらに、関係者たちの周囲で起こる変化があまりにも些細であるために、それはリアルさという意味では非常に強い要素ではあるのだけど、物語を読ませるという意味では、ちょっと辛く感じる人もいるだろうと思う。もちろん、合田シリーズにスリリングとかスペクタクルみたいなものを求めている読者はたぶんいないんだろうし、警察小説でありながら、登場人物の人生を濃密に描ききるという部分に魅力を感じている人が多いだろうからそんなにミスマッチではないんだと思うんだけど、とはいえ僕はちょっと、途中で「もういいかなぁ…」という気分になってしまいました。
それまでの高村薫の小説と比べれば、分量としては非常に短いと言える作品だと思うのだけど、これまでの作品を読みながら感じていたリーダビリティみたいなものを、今回僕はちょっと感じられなくて、それは僕自身の変化によるものなのかもしれないけど、ちょっとどうなのかなぁ、という気がしてしまいました。
人物の描き方とか、圧倒的なリアルさみたいなものはやっぱりさすがで、よくもまあこれほど多様な人間を一人ひとり濃密に描けるものだなぁ、と感心させられるし、改めて、凄い作家だなという風には思わされました。
高村薫「我らが少女A」
池袋で、一人の女性が死ぬ。上田朱美という名のその女性は、同居していた男に殺された。男には、特別な理由があったわけではない。男には、殺したという実感すらあまりない。男はすぐに捕まり、自供し、事件はそのまま終結するかに思われた。
しかし、そうはならなかった。
上田朱美を殺した男が、気になる証言をしたのだ。朱美は男に、使い古しの絵の具のチューブを見せて、何年か前に武蔵野の野川公園で殺された人が持っていたもので、落ちていたから拾った、などと言ったことがある、というのだ。
この証言に、刑事たちは驚く。12年ほど前、栂野節子という元美術教師が殺された事件は、未だに未解決だったからだ。すぐさまその情報は警察の間で広がり、それは、現場の一線を退き、警察大学校で講師を務めている、野川事件の当時の捜査トップである合田雄一郎の元にも届く。
あの時捜査線上に、上田朱美の名前は出てこなかった。一体、自分たちは何を見落としたというのか?
上田朱美の母親である上田亜沙子。上田朱美の同級生で、今は西武鉄道で働いている小野雄大。被害者の娘である栂野雪子と、孫娘である真弓。事件当時、真弓をストーキングしていたとして重要参考人に挙げられた、ADHDの症状を持つ浅井忍と、息子が重要参考人になったために警察を辞めた浅井隆夫。未解決のまま時が止まっている事件の針が僅かに動き始めたことで、彼らの現在の日常も少しずつ影響を受ける。それらはごく些細な影響ではあるが、しかし、それらがじわじわと積み重なっていくことで、他の誰かに直接的にあるいは間接的に影響を与えていく。
栂野節子は、上田朱美に殺されたのか?あの当時、一体どこで何が起こっていたのか?明かされなかった真実は、誰のどんな行動に影響を与えたのか?
さざなみのように広がっていく、過去の事件の余波。その静かな動きを、丁寧に拾い集めていく…。
というような話です。
凄い小説だなぁ、と思ったのだけど、途中で飽きてしまった…というのが正直な感想です。
本当に、凄い小説だと思う。物語は、本当に遅々として進まない。上田朱美が、ほとんど意思もないようなボンクラに殺された、というのは、本書のメインの物語ではない。その殺人犯の些細な供述から、12年前の未解決事件が描かれていく。そして、本当に、物事が全然動いていかないのだ。はっきり言って、進展はほとんどない。関係者の些細な日常生活が描かれ、それらが時折、他の誰かに影響を与える。例えばある場面で、人物Xが「人物Yはどうして俺の職場を探し当てたんだ?」と疑問に思うのだが、しかしそれは、人物Yが能動的に人物Xの職場を探り当てたというのではなく、いくつかの偶然が重なることでたまたまそういう状況になったのだ。そしてそういう偶然を、本書では非常に緻密に描き出していく。それぞれの登場人物が、そうだよねそういう行動しそうだよね、という振る舞いをしているだけなのに、それが結果的に他の誰かに影響を与えることになっている。そういう緻密な展開がずーっと続いていくので、そういう部分は本当に凄いと思う。
しかし、ちょっと途中で飽きてしまった。
今から僕は、本書のネタバレをしようと思う。僕は、これは読む前に知っておくべきだ、と思うからこそ書くのだけど、知りたくない、という人は、この後の文章を読まないでほしい。
本書では、基本的に、野川事件は解決しない。最後の最後まで、野川事件の真相は明らかにならないのだ。
やはり僕は本書を、最終的には事件は解決するんだろう、という想定で読んでいる。僕は、合田シリーズをすべて読んでいるわけではないし、最後に読んだのも相当昔なのでちゃんとは覚えていないけど、基本的には、なん赤の形で事件は解決しているんじゃないかと思う。しかし本書では、事件を解決するという部分に主眼はない。12年ぶりに動き始めた野川事件をきっかけに、その周辺にいた人間たちの生活や人生にどんな影響があるのか―それが本書の主眼だ。
そのことがわかった上で読めば、僕ももうちょっと違った読み方が出来たかもしれない。でもやはり、「最終的には何らかの形で解決するんだろう」と思って読んでいるから、「これ、どうやって事件は解決するんだ?」と期待しながら読んでいるし、その期待が果たされなかったので、ちょっとなぁ、という気分になってしまった。
さらに、関係者たちの周囲で起こる変化があまりにも些細であるために、それはリアルさという意味では非常に強い要素ではあるのだけど、物語を読ませるという意味では、ちょっと辛く感じる人もいるだろうと思う。もちろん、合田シリーズにスリリングとかスペクタクルみたいなものを求めている読者はたぶんいないんだろうし、警察小説でありながら、登場人物の人生を濃密に描ききるという部分に魅力を感じている人が多いだろうからそんなにミスマッチではないんだと思うんだけど、とはいえ僕はちょっと、途中で「もういいかなぁ…」という気分になってしまいました。
それまでの高村薫の小説と比べれば、分量としては非常に短いと言える作品だと思うのだけど、これまでの作品を読みながら感じていたリーダビリティみたいなものを、今回僕はちょっと感じられなくて、それは僕自身の変化によるものなのかもしれないけど、ちょっとどうなのかなぁ、という気がしてしまいました。
人物の描き方とか、圧倒的なリアルさみたいなものはやっぱりさすがで、よくもまあこれほど多様な人間を一人ひとり濃密に描けるものだなぁ、と感心させられるし、改めて、凄い作家だなという風には思わされました。
高村薫「我らが少女A」
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