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異端の統計学ベイズ(シャロン・バーチュ・マグレイン)

内容に入ろうと思います。
本書は、「ベイズの法則」や「ベイズ推定」などと呼ばれる、統計・確率分野の科学史です。

このベイズの法則の凄さは、1740年代にベイズという人物が、後にベイズの法則と呼ばれるようになる手法を生み出してから200年近く、学者から嫌われ続けた、ということだ。その嫌われっぷりはなかなか凄まじく、統計学において主流派とされていた「頻度分析」(たくさん実験して、その結果を元に確率を導き出す)の人たちは、とにかくひたすら「ベイズ的なもの」をこきおろした。だから、「ベイズ的なもの」が有効だと分かっていた人たちも、「ベイズ的なもの」を使ったと知られると「頻度分析」派の人たちからボロクソに言われることが分かっていたから、その事実を隠して自らの成果を発表したりするような始末だった。

とはいえ、嫌われる理由も、まあ理解できないわけではない。

ベイズの法則はどういうものに使えるかと言えば、例えば「これまで一度も起こったことがない出来事が、今後起きる確率」などである。原発事故が一度も発生していない時に、「これまで原発事故が一度も起きなかったのだから、今後も未来永劫起きない」と主張するのは馬鹿げているだろう。しかしじゃあ、今まで一度も起こっていない出来事について、その発生確率をどのように導き出すべきだろうか?「頻度分析」では、絶対に不可能だ。何故なら「頻度分析」というのは、「同じ条件で同じことを何度も繰り返した結果」を元にしているからだ。一度も起こっていないのだから、「頻度分析」は使えない。そしてそういう時、ベイズの法則を使うしかないのだ。

この「使うしかない」という感覚は、多くの人が発言している。2つほど引用してみよう。

【アメリカの数学者ジュリアン・L・クーリッジもまた、「わたしたちはベイズの公式を、今のところ手に入る唯一のものとしてため息混じりに使う」と述べている】

【(匿名アナリストは)「(中略)だからベイズの法則はまちがいなのだ…実際に機能するという事実を別にすれば」と述べている】

なかなか凄い発言ではないだろうか?彼らは、「ベイズの法則が正しいとは思えないけど、今のところこれしか使えないし、現実とうまく合うから、しょうがなく使っている」と発言しているのだ。

何故こんな風にベイズの法則は嫌われるのか。その最大の理由が「事前確率」というものにある。

この「事前確率」というのは、非常に大雑把に言うと、「人間の直感」である。ある出来事がある時、「その出来事が起こりそうな確率」を、「人間の直感」で決めて使うのだ。そう言われると、「なんか怪しいな…」と感じる人もいるだろう。多くの学者も、もちろんそう感じた。

【(ベイズの法則に何故拒絶反応を示したか?)答えはしごく単純で、ベイズの法則の核となるものが、科学者の心に深く根ざした「近代科学には正確さと客観性が求められる」という信条に反していたからだ。ベイズの法則では、信念が尺度となる。この法則によると、欠けているデータや不適切なデータ、さらには近似や無知そのものからも何かがわかるのだ】

「人間の直感」を数値化して計算に使い、新しい事実が出てきた時点でその情報をさらに取り込んで再計算し続ける、というのがベイズの法則の使い方だ。この「再計算し続ける」というのはどんどんやっていくと、最終的には正しい答えが得られる。「事前確率」として「人間の直感」を使っているのに、“何故か”正しい答えが得られる。本書には、こんな文章がある。

【チャーノフはベイズ派ではなかったが、当時研究者として第一歩を踏み出したばかりだった統計学者スーザン・ホルムズに、難しい問題に直面したときの構えを次のように説いている。「その問題について、まずベイズ流のやり方で考えてみる。すると正解が得られるから、あとはそれが正しいことを、好みの方法で証明すればよろしい」】

この発言はまさに、「ベイズの法則が、理論としては正しいと思えないけど、正しい結果を導き出す」ものとして捉えられていた、非常に端的な表現ではないかと思う。そう、「事前確率」なんていう怪しげなものを使っているから、理論的には受け入れがたいところがあるんだけど、“何故か”正しい答えが得られてしまう。この辺りのファジーさに対して、学者たちは猛烈に抵抗したのだ。

ベイズの法則は、ベイズという人物が発見し、今でもその名前が残っているが、ベイズの法則を定式化し、実際に使える形に仕立て上げたのは、ベイズとは独立にベイズの法則を導き出したフランスの巨人・ラプラスだ。しかし、ベイズ・ラプラスの業績は評価されず、それどころか、ラプラスに至っては謂れのない抽象まで受けることになってしまう。そのままベイズの法則は廃れてもおかしくはなかったのだが、第二次世界大戦が一つのきっかけとなる。あの有名な暗号機・エニグマを、ベイズの法則を使って解読したのだ。これで晴れて多くの人に受け入れられる…ということにはならなかった。何故なら、エニグマ解読に関する情報はすべて、機密扱いとされてしまったからだ。これで、第二次世界大戦中にベイズの法則がどれほど活躍したかを知る者はほとんどいなくなってしまう。

しかしそこからも、ベイズの法則は細々と生きながらえた。保険数理士が実際上の問題を解決するのにベイズの法則を使ったり、核兵器を保有するようになって、水爆の事故が起こる確率を導き出さなければならなかったり(その時点で水爆の事故は一度も起きていなかった)、色んな理由があって世論調査への不信感が高まっていた頃に、僅差と目されていたアメリカ大統領選挙の当確を予想しなければならなかったりと、様々な実際上の問題が目の前に現れる度に、その問題に直面した者が切羽詰まってベイズの法則を使う、ということがあった。

またベイズの法則は、ビジネスの世界でも重宝された。科学者は客観性を重視するが、ビジネスの現場では、「不確実な情報を元に決断を下す」ということを繰り返さなければならない。それに対してベイズの法則が有効であると考えたシュレイファーという人物が、ビジネスの場面におけるベイズの法則の使い方を考えたりするようになった。

しかし、結局こういうことがあっても、情報が機密扱いになったり、ビジネスの現場で使われているだけだと軽視されたりして、ベイズの法則は学界ではまったく受け入れられる気配がなかった。

しかしその後も、行方不明になった水爆を探し出すというミッションで使われるなど、時折使われることとなった。また、「マルコフ連鎖モンテカルロ法」という、計算を単純化する強力な計算手法が開発されたり、またコンピュターの性能が向上することによって、それまでは実際上の問題になかなか応用することが出来なかったベイズの法則が、使えるようになっていった。

【そして今や、基本原理に厳密にこだわり続けなくてはと言い張ってきた理論家ですら、1950年代のジョン・チューキーの観点を受け入れている。曰く、「正しい問いへの近似的な解のほうが…まちがった問いへの正確な答えよりもはるかによい」】

「頻度分析」は、理論的には正確な答えを導き出すことが出来るが、正しく問いを立てることが難しいし、問いさえ立てられない問題もたくさんある。一方でベイズの法則は、100%正確な答えではないが、現実的な問題に対して正しい問いを立てることが出来る、という点で非常に有用である、ということが認められるようになっていったのだ。

また、脳に関する研究が進むことで、脳がベイズ的な働き方をしているということが徐々に明らかになっていった。

【ベイズによると、脳は広範囲の可能性を記憶として蓄積する一方で、それらにさまざまな確率を割りふる。実際、色覚がこのような方法で機能していることはすでにわかっていて、わたしたちは赤い色を感知したと思っているが、実は色のスペクトル全体を見て、赤にもっとも高い確率を割りふっているのだ。しかもそのうえで、じつはピンクだったり紫だったりする可能性を念頭に置いておく。
ウォルバートは、話すことから行動することまで、人間のあらゆる行動の基本にベイズ的思考法があると考えている。生物の脳は、ベイズ的に考えることで世界の不確かさを最小限にするように進化してきた。早い話が、今も増え続けている数々の証拠は、我々の脳がベイズ的であることを指し示しているのだ】

人間というのは、当然主観的な生き物であり、だからこそ「科学」という学問においては「客観性」を何よりも重視してきたわけだが、「主観的な生き物」である人間が関わる以上、すべての事柄を「客観的」に捉えられるわけもないし、そもそも脳が主観的な判断をしているのだから、ベイズ的なやり方に収斂していくというのは、ある意味では当然だと言えるだろう。

ベイズの法則がどんな分野で使われているのかという引用をいくつかしてみよう。

【ベイズの法則のおかげで、アメリカでは労働者のための労災保険が無事スタートし、ベル電話会社のシステムは1907年の金融恐慌を何とか生き延びることができ、アルフレッド・ドレフュスは監獄から解き放たれ、連合軍の砲手はドイツ軍のユーボートの所在を突きとめて砲撃することができるようになり、ついには地震の震源地を突き止めることができるようになった】

【そのため冷戦下では行方不明になった水爆やアメリカやロシアの潜水艦を探索するのに使われ、あるいは原子力発電所の安全性を調べたりスペースシャトル・チャレンジャーの悲劇を予測するのに使われた。さらに、喫煙が肺がんを引き起こすことや、コレステロールが高いと心臓発作が起きることを示す際にも、そしてテレビでいちばん人気のニュース番組で大統領選の勝者を予測する際にも使われたのだった】

【今ではベイジアン・スパム・フィルタが、ポルノ・メールや詐欺メールをすばやくコンピュタのゴミ箱の運ぶ。どこかで船が沈んだら、沿岸警備隊は生存者が何週間も大海原を漂流しなくてすむように、ベイズ推定を使ってその居場所を探り出す。さらに科学者たちは、遺伝子がいかに調整され、規制されているかを突き止める。ベイズ派からはノーベル賞受賞者も出ており、オンラインの世界では、ウェブで情報を広く集めたり歌や映画を売るのにベイズの法則が使われ、コンピュータ・サイエンスや人工知能や機械学習、ウォールストリートや天文学や物理学、安全保障省やマイクロソフトやグーグルにまでベイズの法則が浸透している。この法則のおかげで、コンピュータによる言語の翻訳が可能となり、何千年にもわたって立ちはだかってきたバベルの塔が瓦解しようとしている。ベイズの手法は人間の脳が学習したり機能したりする様子を示す比喩となり、著名なベイズ派の人々は、政府の各部署におけるエネルギーや教育や研究の助言者となっている】

今回この感想に書けたのは、本書の内容の50分の1ぐらいしかなくて、書きたいことは山程あるのだけど、それを全部書いてたらキリがないので、これぐらいで留めておこうと思う。「大陸が動いている」という「プレートテクトニクス理論」が150年間も受け入れられなかったのは有名な話だが、このベイズの法則を巡る物語も、なかなか壮絶だ。しかし、何度滅びそうになっても、様々な状況がベイズの法則を必要とするというのは面白いし、ベイズの法則が存在しなければ、恐らく現在のAIの躍進もなかったのだろうと思うと、非常に感慨深い。原注まで含めれば650ページを超えるかなりの大作だが、あまりのハチャメチャっぷりに一気読みさせられてしまう作品だ。

シャロン・バーチュ・マグレイン「異端の統計学ベイズ」

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