黒夜行

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行こう、どこにもなかった方法で(寺尾玄)

【なぜ、そんなにも親切にしてくれるんですか? と私が尋ねると、こんなに本気な人を見たのは初めてだからだ、という答えだった】

なるほど、面白い人がいるじゃねぇか、と思った。

本書は、実に予想外の本だった。どんな本なのか、ちゃんと理解しないで買ったのだが、「寺尾玄」が「バルミューダ」という家電会社の創業者だということは知っていたし、「バルミューダ」がこれまでにない独創的な家電を生み出していることも知っていた。

だから当然本書は、ビジネス書寄りの本なんだろう、と勝手に思っていた。別にビジネス書が読みたくて買ったわけではないが、ものづくりをしている人や、変わった挑戦をする人には興味があるので、そういうことが書かれているビジネス書なんだろう、と思って買った。

しかし全然違った。
本書の最初の70ページ、第三章までは、著者の両親との思い出話だ。かなり面食らった。読み始めは、「こんなビジネス書あるんか」と思っていたのだけど、次第に、「なるほどこれはビジネス書じゃなくて、個人史なのだ」と理解できるようになった。

彼の両親の話は、その後の著者の生き様や、あるいは「バルミューダ」創業に繋がるという意味で意味はある。とはいえ、やはり他人の話である。なかなか強烈な両親だったようだけど、変わった両親を持つ子供の話というのは、それだけ見れば世の中に色々とあるし、恐ろしく突き抜けているというほどでもないから、第三章までは正直、僕としてはそこまで面白くはなかった。編集者はよくこれを冒頭に持ってくることを決断(あるいは容認)したな。

寺尾玄という男の人生がゴトリと大きく動き出すのは、高校で提出しろと言われた進路アンケートだった。

【まれにだが。絶対にしてはならないと思うことに直面することがある。意味など考えるまでもなく、これは絶対に嫌だと思うようなことだ。直感的にそう思うようなことは、しない方がいい。無理をしてやってみても後悔ばかりが残るし、多くの場合、誇りを持って生きるための基盤を傷つけることになる。
あの用紙を見た時に私が持った気持ちはまさにそれだった。特に気に入らなかったのは、将来の職業を記載する欄で、ここだけは絶対に書いてはいけないと強く感じた】

【アンケート用紙の将来の職業だけは絶対に書いてはいけない、それを仮にでも書くということは可能性に対する裏切り行為だと感じた。また、可能性しか持っていない我々に、無神経にもそれを質問できる大人に腹が立ったし、それを聞かれて素直に答えようとしている友達の態度もおかしいと思った。
あの時に感じた強烈な拒絶感は薄れるどころかだんだんと大きくなり、結局、私は進路アンケート用紙を提出する期限の日に、退学届を提出した】

この箇所を読んで、なるほどこの人は同類だ、と感じた。僕は、進路アンケートの用紙を書かされたかどうか覚えていないし、高校を退学もしていないが(とはいえ、大学は退学している)、彼の気持ちは死ぬほど分かる。ごく一般的な人なら、「別に嘘でもいいから書けばいいだけじゃん。別にそれぐらいのこと、どうってこともないじゃん」という感じなのだろう。それが、世の中をうまく、上手に渡っていくコツなのだろうとも思う。しかし僕は、彼の【可能性に対する裏切り行為】という表現に凄くしっくりくる人間だ。そう、その通り。この感覚は、伝わらない人にはまったく伝わらないだろう。でも、僕は理解できる。

それから彼は、スペインへと一人で旅に出かける。旅というか、放浪だ。高校を退学してから、一人で1年ぐらい行っていたらしい。その放浪の過程で、彼はこんな実感を得る。

【龍ケ崎では、居場所がないと感じていた。しかし最小限の荷物を持って移動し続ける旅の最中、私は居場所がないと感じなかったし、居心地が悪いとも感じなかった。なぜなら、この旅こそが居場所だからだ】

そして、本書のラストのラストの部分に、こんな文章が出てくる。

【あの日、成田で。荒野を目指せと言われて歩き始めた道を、私はいまだに歩いているのだと思う。会社や帰る家、住民票もあるが、真の定住地を持たずに今も生きている。そして、それが恐いことだと思わない】

僕も、こんな風に生きていくことが理想だ。「真の定住地を持たない」というのは、本当に憧れる。僕自身も、なるべく自分の心や身体がどこかに・何かに・誰かに付きすぎないように意識して生きてきた。定住は安住となり、やがて腐っていく。僕は、それが嫌だ。だったら、定住しない人生の方がいい。そんな風に思って生きてきた。もちろん、僕は彼ほどには自由ではない。彼のようにフットワークも軽くないし、彼のように本気にもなれない。でも、同じ方向を向いている自信だけはある。

「バルミューダ」を創業してから、最初にして最大の窮地に追い込まれていた時、彼は一発逆転の可能性を手にしていた。しかし、様々な事情から、彼が自らの手でその可能性を実現させるのは不可能だろうと、周りの多くの人は考えており、ある妥協をしろと散々言われたという。

【それは絶対にできないと言い張る私を見て、彼らは今更何を意地はっているのかと思っただろう。ただ、自分にとっては、これは意地ではなかった。高校を辞めてから二十年間、変わらずに追い求めてきたのは、自分と社会との接点だ。その接点を、この羽根が持っていると感じていた。扉を開いてくれると感じていた。私にとっては、あれは意地ではなく、自分が生きる意味だった。
これを売ったら、きっとあの時の二の舞になるだろう。人には、絶対に売ってはならないものがあるのだ】

ここで出てくる「あの時」というのが、バンド時代のことだ。

彼は、18歳の頃突然ギターを買い、その数カ月後にはレコード会社からデビューしている。それから数年間、歌手として活動していた。詳しくは書かないが、その時の経験(振り返って判断すると、ほとんど“失敗”と呼ぶべきもの)が彼を大きく変化させた。特にこの、「絶対に売ってはならない」という意地(ではないと彼は言っているが)を通したことは、後の「バルミューダ」にとっては重要なことだったし、そしてその決断は、バンド時代の経験がなかったらありえなかった。

というかこの人、思考や価値観も凄いが、行動や技能も凄い。ギターを買ってすぐデビューというのも凄いが、「バルミューダ」の製品に関しても、材料の知識を東急ハンズの店員を質問攻めにして仕入れ、デザインソフトを自力で覚え、たまたま出会ったとても親切な工場で旋盤などの機械を使わせてもらい、そんな風に自力で家電を作るのだ。HPの作成も自力なら、流体力学の勉強も自力という、なんというかちょっと尋常ではない人間だ。本書を読んでいると、「考え方や価値観が彼を駆動している」と感じてしまうし、もちろんそういう側面はある。しかしその一方で、あまりにもさらっと書かれているから実感しにくいが、新しい知識や技能を習得する歳の集中力やセンスなんかがずば抜けているんだろう、と感じる。本書を読んでいると、扇風機とかトースターがあたかもさらっと完成したかのように感じてしまうが、そんなわけがないだろう。あまりにもそういう、技能やセンスに関する描写がなさすぎるので勘違いしてしまいそうになるが、彼は間違いなく、「何かを生み出すこと」という物理的な事柄に膨大な時間を注ぎ込んでいるし、さらにセンスの塊も持ち合わせているのだろうと思う。

本書の中で、一番好きな場面がこれだ。

【あの時、私は長年の疑問の答えが、やっと分かった気がした。自分たちの製品はなぜ売れないのか、これまで嫌というほど考えてきた。高いからだと思っていた。しかし、やっと気がついた。製品が売れないのは、高かったからではない。必要なかったからなのだ】

僕も小売業で働いていて、モノを作りはしないが売る立場にいる。だからこそこの「必要なかったからなのだ」という実感は日々強く感じるし、「必要だ」と感じてもらえるように売らないと誰にも届かないことが分かっている。

寺尾玄「行こう、どこにもなかった方法で」

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2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
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19位 奥泉光「黄色い水着の謎
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新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
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10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
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9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
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2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
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5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
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13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
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17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
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新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
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6位 「もうダマされないための「科学」講義
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1位 「死のテレビ実験
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9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)