無痛の子(リサ・ガードナー)
欠損は、その重要性を浮き彫りにする。
【急に腹が立ってきた。自分の呪われた遺伝子に。このおかげで、わたしは永遠にのけ者だ。わたしが何をなげうってでも感じたい、たったひとつの感覚に苦しむ患者たちとすごしていても、わたしの世界には安全を守ってくれるメルヴィンはいない。だからすべてを拒絶しなければならない。趣味も、浜辺を散歩することも。愛も。子供も。子猫も。
わたしはビニールに包まれたおもちゃのようなものだ。壊れないように永遠に棚に置かれたまま、そこからおろされることも、遊ばれることもない。
おもちゃでいたくない。人間でいたい。本物の生きた人間。あちこちを切ったり傷をつくったりして、戦いの古傷や心の傷をかかえた人間。笑い、傷つき、治って生きていく人間。】
主人公の一人は、SCN9A遺伝子の異常により、「痛み」を一切感じない。あまり深く考えなければ、それは羨ましいことのように思えるだろう。転んでも、カッターで切っても、骨折してもまったく痛くないなんて素敵、と。
実際はそうはいかない。まず痛覚のない子供は、3歳までに死んでしまうことが多い。致命傷になる怪我を負っていても、本人がそれに気づけないから手遅れになってしまうのだ。また怪我をしなかったとしても、体温の上昇に気づけずに、熱中症になって命を落としてしまうという。
この主人公は、注意深い養父から様々なことを教わり、注意してきたお陰で、子供の内に命を落とすことはなかった。しかし、生き延びるためには、様々なことを諦めなければならなかった。「趣味も、浜辺を散歩することも。愛も。子供も。子猫も。」である。例えば猫。猫に引っかかれたところで通常は大したことはないし、結構深手を負えば、消毒したり病院に行ったり出来る。でも彼女は、どんな種類の傷にも気づくことが出来ない。だから、猫を飼うことで傷を負い、感染症に罹って命を落とすことがある。護身用にとナイフや銃の扱い方を学ぶことも出来ない。ナイフや銃を扱っている際に何か間違いが起こって自身を傷つけないとも限らないからだ。
普段僕たちは、痛みを嫌なものだと感じる。怪我や病気による痛みに腹を立てたくなる。しかし、痛みを欠損した人物の物語を読むと、痛みのありがたさが分かる。
【姉はあなたやわたしとは違う。あなたやわたしみたいに人に愛着を感じたり、共感をおぼえたり、慰めを得たりすることはないの。姉はひとりだからって寂しいわけじゃない。混雑した部屋に立ってても、姉を愛してると言う男性の腕のなかにいても変わらないのよ。それが姉の人格障害の一部なの】
登場人物の一人は、重度の反社会性パーソナリティ障害を抱えている。正確な表現であるか自信はないが、つまり「感情を欠損している」ということだろう。いや、「寂しさ」は感じないけど「退屈」は感じるらしいから、「他人と関わる上で重要な感情を欠損している」と言うべきだろうか。
ここでは深く触れないが、彼女の欠損は、彼女の人生に大きな困難をもたらす結果となった。
僕たちは普段、自分が、そして周りの多くが当たり前に持っているものについて考えることがない。痛みも感情も、大抵みんな感じる(感じているように見える)ものだ。だから、その重要性について考えることはない。あって当たり前だし、なくなるはずがないと思っているから、ある意味で安心しきっていると言えるだろう。
確かに、痛みや感情がなくなる可能性は低いかもしれない。でも、大体の人が普通に持っているもので、でも失われてもおかしくないもの、というのはあると思う。
例えば、「家族との繋がり」なんてのはどうだろう。
家族との関係が良好であるかどうかは関係なく、繋がりがあるかどうか。皆、誰かの子供として生まれてくるわけだから、生まれた時点ではほぼ確実に家族との繋がりはある。しかし、生きている間に失われてしまうことは充分にあり得る。
僕たちは生きている中で、そういうものへの過信を抱いているように思う。自分も持っているし、周りも大体持っているんだから、失われることはないだろう、というような。
欠損の物語を読んで、何だかそんなことを考えた。
内容に入ろうと思います。
ボストン市警殺人課の部長刑事であるD・D・ウォレンは、シリアルキラーによるものと思しき殺人現場にいた。ナイトテーブルにはシャンパンボトル、血まみれの腹の上には一輪の薔薇。ボトルの横には、毛皮で裏張りされた手錠。そして何よりも、皮膚が何本もの薄いリボン状に剥がれて反り返った死体。
その日の捜査を終えて、皆を帰したD・Dだったが、自身は現場へと戻った。そしてそこで、“何か”が起こった。
気がついたらD・Dは、現場から落ち、左の上腕骨の欠片が剥離骨折した。D・Dは全身の激痛と戦わなければならなくなった。そしてさらに、第一の事件と似たような状態の被害者が発見された。
一方、精神科医であるアデライン・グレンは、マサチューセッツ州刑務所へと向かった。月に1度の、姉との面会日だ。姉のシェイナは14歳で初めて人を殺して、大人と同様に裁かれるという異例の措置が取られ、刑務所へと入った。そして刑務所で刑務官を殺し、一生刑務所から出られないことが決まった。重度の反社会性パーソナリティ障害を患う姉は、他人を操ることに長けており、刑務所内でも常時要注意人物として扱われている。
そんな姉を見舞うアデラインは、先天性無痛症を患っている。痛みを感じられないまま長く生き延びることは難しいが、彼女を引き取ってくれた年配の遺伝学者である養父のお陰で、なんとかここまでやってこれた。
そう、アデラインもシェイナも、まだ幼い頃に両親と離れ離れになった。実は彼らの父は、当時その名を轟かせたシリアルキラーであり、逮捕される直前に風呂場で自殺したのだ。父親が殺人を犯す時、4歳だったシェイナは父と一緒に、そして1歳だったアデラインはクローゼットに隠された。シェイナはある意味で、父親の素質を受け継いでいる、と言えるのかもしれない。
痛みを感じられないアデラインは、それ故に、痛みをコントロールするメンタルテクニックの専門家であり、アデラインの患者として、ボストン市警のD・Dがやってくることとなった。D・Dはアデラインから、「痛みに名前をつけること」と言われ困惑するが、彼女はそれを「メルヴィン」と呼ぶことに決めた。アデラインの指導により、確かにD・Dの激痛は和らぎ、D・Dはこの精神科医を信頼することに決めた。
ボストン市警の調査により、「皮膚が何本もの薄いリボン状に剥がされる」という殺害方法が、過去のデータベースと一致した。それがハリー・デイ、アデラインとシェイナな父親だ。アデラインとハリー・デイの繋がりを知ったD・Dは、長年獄中にいるシェイナに疑いの目を向けるが…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。とにかく、設定が凄い。「父はシリアルキラー、姉は反社会性パーソナリティ障害で殺人犯、妹は先天性無痛症」なんていう、まあ普通はあり得ないだろう設定が、物語上とても良く活かされている。シリアルキラーである父の犯罪は、物語の冒頭からこの作品の土台となっているものであるし、反社会性パーソナリティ障害を患う姉の存在は、(見たことはないけど)「ハンニバル博士」のような異様な存在感があって印象的だ。また、先天性無痛症である妹が、怪我を負って激痛と戦わなければならないD・Dとやり取りする場面はなかなか面白し、そこから事件の捜査が姉のシェイナへと伸びていく展開も良い。また本書のある場面は、反社会性パーソナリティ障害である姉と、先天性無痛症である妹が協力しなければ不可能なものであり、そういう意味でも設定が良く活かされていると思う。
正直に言えば、本筋のストーリーライン、つまり、「この連続殺人事件は誰がどんな理由で起こしているのか」という部分は、そこまで面白いとは思えなかった。ストーリー的にはまとまってると思うんだけど、「なんかそうじゃねぇんだよなぁ」と思ってしまった。そう思ってしまった理由は、「アデラインとD・D」「アデラインとシェイナ」「シェイナと捜査陣」みたいな、本筋のストーリーラインの周辺にある物語の方が圧倒的に魅力があるからだろう。そりゃあそうだ。反社会性パーソナリティ障害の姉と、先天性無痛症の妹の周辺の物語の方が面白いに決まってるだろう。
だから、600ページ弱というページ数も、長く感じてしまった。本筋のストーリーラインに直接関係する通常の捜査の描写は、やはりそこまで惹かれなかった。物語的にちゃんと着地させるためには必要な分量である、とは分かっていても、やはり、周辺の物語の方が面白いので、長いなぁ、と思ってしまいました。
しかし、アデラインとシェイナのやり取りは、なかなか興味深かったなぁ。「姉妹」という単純な括りではもちろん捉えられない。とはいえ、「反社会性パーソナリティ障害と精神科医」というだけの関係でももちろんない。「シリアルキラーである父ハリー・デイの娘」という共闘が出来るわけでもないし、「一生刑務所から出られない重犯罪者と、月1度の面会人」という薄い関係性でもない。姉の内面は不明だが、アデラインに関しては、姉に対する複雑な感情が描かれ、しかもそれが様々な出来事をきっかけにすることでちょっとずつ変化していく。相手は反社会性パーソナリティ障害でかつ殺人犯だ、という意識はもちろんあり、一方で唯一の肉親であるという感覚もあるのだが、さらに姉には、巷で起こっている連続殺人事件の首謀者かもしれない、という疑いさえある。シェイナ・デイという存在を、様々な立場から見なければならないアデラインは、その複雑な状況下で真っ当な感覚を保てなくなってしまうのだ。
その揺らぎに、D・Dを始めとする捜査員や、刑務所所長なんかも翻弄されることになる。アデラインの葛藤を軸にした人間関係の複雑性みたいなものは、かなり楽しめました。
リサ・ガードナー「無痛の子」
【急に腹が立ってきた。自分の呪われた遺伝子に。このおかげで、わたしは永遠にのけ者だ。わたしが何をなげうってでも感じたい、たったひとつの感覚に苦しむ患者たちとすごしていても、わたしの世界には安全を守ってくれるメルヴィンはいない。だからすべてを拒絶しなければならない。趣味も、浜辺を散歩することも。愛も。子供も。子猫も。
わたしはビニールに包まれたおもちゃのようなものだ。壊れないように永遠に棚に置かれたまま、そこからおろされることも、遊ばれることもない。
おもちゃでいたくない。人間でいたい。本物の生きた人間。あちこちを切ったり傷をつくったりして、戦いの古傷や心の傷をかかえた人間。笑い、傷つき、治って生きていく人間。】
主人公の一人は、SCN9A遺伝子の異常により、「痛み」を一切感じない。あまり深く考えなければ、それは羨ましいことのように思えるだろう。転んでも、カッターで切っても、骨折してもまったく痛くないなんて素敵、と。
実際はそうはいかない。まず痛覚のない子供は、3歳までに死んでしまうことが多い。致命傷になる怪我を負っていても、本人がそれに気づけないから手遅れになってしまうのだ。また怪我をしなかったとしても、体温の上昇に気づけずに、熱中症になって命を落としてしまうという。
この主人公は、注意深い養父から様々なことを教わり、注意してきたお陰で、子供の内に命を落とすことはなかった。しかし、生き延びるためには、様々なことを諦めなければならなかった。「趣味も、浜辺を散歩することも。愛も。子供も。子猫も。」である。例えば猫。猫に引っかかれたところで通常は大したことはないし、結構深手を負えば、消毒したり病院に行ったり出来る。でも彼女は、どんな種類の傷にも気づくことが出来ない。だから、猫を飼うことで傷を負い、感染症に罹って命を落とすことがある。護身用にとナイフや銃の扱い方を学ぶことも出来ない。ナイフや銃を扱っている際に何か間違いが起こって自身を傷つけないとも限らないからだ。
普段僕たちは、痛みを嫌なものだと感じる。怪我や病気による痛みに腹を立てたくなる。しかし、痛みを欠損した人物の物語を読むと、痛みのありがたさが分かる。
【姉はあなたやわたしとは違う。あなたやわたしみたいに人に愛着を感じたり、共感をおぼえたり、慰めを得たりすることはないの。姉はひとりだからって寂しいわけじゃない。混雑した部屋に立ってても、姉を愛してると言う男性の腕のなかにいても変わらないのよ。それが姉の人格障害の一部なの】
登場人物の一人は、重度の反社会性パーソナリティ障害を抱えている。正確な表現であるか自信はないが、つまり「感情を欠損している」ということだろう。いや、「寂しさ」は感じないけど「退屈」は感じるらしいから、「他人と関わる上で重要な感情を欠損している」と言うべきだろうか。
ここでは深く触れないが、彼女の欠損は、彼女の人生に大きな困難をもたらす結果となった。
僕たちは普段、自分が、そして周りの多くが当たり前に持っているものについて考えることがない。痛みも感情も、大抵みんな感じる(感じているように見える)ものだ。だから、その重要性について考えることはない。あって当たり前だし、なくなるはずがないと思っているから、ある意味で安心しきっていると言えるだろう。
確かに、痛みや感情がなくなる可能性は低いかもしれない。でも、大体の人が普通に持っているもので、でも失われてもおかしくないもの、というのはあると思う。
例えば、「家族との繋がり」なんてのはどうだろう。
家族との関係が良好であるかどうかは関係なく、繋がりがあるかどうか。皆、誰かの子供として生まれてくるわけだから、生まれた時点ではほぼ確実に家族との繋がりはある。しかし、生きている間に失われてしまうことは充分にあり得る。
僕たちは生きている中で、そういうものへの過信を抱いているように思う。自分も持っているし、周りも大体持っているんだから、失われることはないだろう、というような。
欠損の物語を読んで、何だかそんなことを考えた。
内容に入ろうと思います。
ボストン市警殺人課の部長刑事であるD・D・ウォレンは、シリアルキラーによるものと思しき殺人現場にいた。ナイトテーブルにはシャンパンボトル、血まみれの腹の上には一輪の薔薇。ボトルの横には、毛皮で裏張りされた手錠。そして何よりも、皮膚が何本もの薄いリボン状に剥がれて反り返った死体。
その日の捜査を終えて、皆を帰したD・Dだったが、自身は現場へと戻った。そしてそこで、“何か”が起こった。
気がついたらD・Dは、現場から落ち、左の上腕骨の欠片が剥離骨折した。D・Dは全身の激痛と戦わなければならなくなった。そしてさらに、第一の事件と似たような状態の被害者が発見された。
一方、精神科医であるアデライン・グレンは、マサチューセッツ州刑務所へと向かった。月に1度の、姉との面会日だ。姉のシェイナは14歳で初めて人を殺して、大人と同様に裁かれるという異例の措置が取られ、刑務所へと入った。そして刑務所で刑務官を殺し、一生刑務所から出られないことが決まった。重度の反社会性パーソナリティ障害を患う姉は、他人を操ることに長けており、刑務所内でも常時要注意人物として扱われている。
そんな姉を見舞うアデラインは、先天性無痛症を患っている。痛みを感じられないまま長く生き延びることは難しいが、彼女を引き取ってくれた年配の遺伝学者である養父のお陰で、なんとかここまでやってこれた。
そう、アデラインもシェイナも、まだ幼い頃に両親と離れ離れになった。実は彼らの父は、当時その名を轟かせたシリアルキラーであり、逮捕される直前に風呂場で自殺したのだ。父親が殺人を犯す時、4歳だったシェイナは父と一緒に、そして1歳だったアデラインはクローゼットに隠された。シェイナはある意味で、父親の素質を受け継いでいる、と言えるのかもしれない。
痛みを感じられないアデラインは、それ故に、痛みをコントロールするメンタルテクニックの専門家であり、アデラインの患者として、ボストン市警のD・Dがやってくることとなった。D・Dはアデラインから、「痛みに名前をつけること」と言われ困惑するが、彼女はそれを「メルヴィン」と呼ぶことに決めた。アデラインの指導により、確かにD・Dの激痛は和らぎ、D・Dはこの精神科医を信頼することに決めた。
ボストン市警の調査により、「皮膚が何本もの薄いリボン状に剥がされる」という殺害方法が、過去のデータベースと一致した。それがハリー・デイ、アデラインとシェイナな父親だ。アデラインとハリー・デイの繋がりを知ったD・Dは、長年獄中にいるシェイナに疑いの目を向けるが…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。とにかく、設定が凄い。「父はシリアルキラー、姉は反社会性パーソナリティ障害で殺人犯、妹は先天性無痛症」なんていう、まあ普通はあり得ないだろう設定が、物語上とても良く活かされている。シリアルキラーである父の犯罪は、物語の冒頭からこの作品の土台となっているものであるし、反社会性パーソナリティ障害を患う姉の存在は、(見たことはないけど)「ハンニバル博士」のような異様な存在感があって印象的だ。また、先天性無痛症である妹が、怪我を負って激痛と戦わなければならないD・Dとやり取りする場面はなかなか面白し、そこから事件の捜査が姉のシェイナへと伸びていく展開も良い。また本書のある場面は、反社会性パーソナリティ障害である姉と、先天性無痛症である妹が協力しなければ不可能なものであり、そういう意味でも設定が良く活かされていると思う。
正直に言えば、本筋のストーリーライン、つまり、「この連続殺人事件は誰がどんな理由で起こしているのか」という部分は、そこまで面白いとは思えなかった。ストーリー的にはまとまってると思うんだけど、「なんかそうじゃねぇんだよなぁ」と思ってしまった。そう思ってしまった理由は、「アデラインとD・D」「アデラインとシェイナ」「シェイナと捜査陣」みたいな、本筋のストーリーラインの周辺にある物語の方が圧倒的に魅力があるからだろう。そりゃあそうだ。反社会性パーソナリティ障害の姉と、先天性無痛症の妹の周辺の物語の方が面白いに決まってるだろう。
だから、600ページ弱というページ数も、長く感じてしまった。本筋のストーリーラインに直接関係する通常の捜査の描写は、やはりそこまで惹かれなかった。物語的にちゃんと着地させるためには必要な分量である、とは分かっていても、やはり、周辺の物語の方が面白いので、長いなぁ、と思ってしまいました。
しかし、アデラインとシェイナのやり取りは、なかなか興味深かったなぁ。「姉妹」という単純な括りではもちろん捉えられない。とはいえ、「反社会性パーソナリティ障害と精神科医」というだけの関係でももちろんない。「シリアルキラーである父ハリー・デイの娘」という共闘が出来るわけでもないし、「一生刑務所から出られない重犯罪者と、月1度の面会人」という薄い関係性でもない。姉の内面は不明だが、アデラインに関しては、姉に対する複雑な感情が描かれ、しかもそれが様々な出来事をきっかけにすることでちょっとずつ変化していく。相手は反社会性パーソナリティ障害でかつ殺人犯だ、という意識はもちろんあり、一方で唯一の肉親であるという感覚もあるのだが、さらに姉には、巷で起こっている連続殺人事件の首謀者かもしれない、という疑いさえある。シェイナ・デイという存在を、様々な立場から見なければならないアデラインは、その複雑な状況下で真っ当な感覚を保てなくなってしまうのだ。
その揺らぎに、D・Dを始めとする捜査員や、刑務所所長なんかも翻弄されることになる。アデラインの葛藤を軸にした人間関係の複雑性みたいなものは、かなり楽しめました。
リサ・ガードナー「無痛の子」
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