贖い(五十嵐貴久)
過去のことは、すぐに忘れてしまう。
小中高大学時代のことなど、もうほとんど覚えていない。働き始めた頃のこともだし、数年前のことさえ怪しい。
だから、過去の僕のことを覚えている人と話すと、驚かされることになる。自分がすっかり忘れてしまっていることなら、なおさらだ。
人から聞く過去の自分は、自分ではないような気分にさせられることさえある。そんなことしたっけ?そんなこと言ったっけ?そんな気分になる。
でも、誰かはそれを覚えている。覚えている、ということは、印象的だった、ということが。本人としては覚えていないくらい何気ないことであっても、良かれ悪しかれ、誰かの記憶には残っている。
良いことなら良い。誰かを褒めた。何かをプレゼントした。助けてあげた。一緒に怒った。協力して何かを成し遂げた…。そういうことなら良い。忘れてしまっても、なんということはない。
問題は、悪いことだ。僕がした何かの言動が、誰かを傷つけたり、怖がらせたりしてしまったような場合。忘れてしまった側の記憶より、覚えている側の記憶の方が正確さは高いだろう。
そういうことがないように、と思いながら過ごしているつもりだ。とはいえ…と本書を読みながら考えてしまった。
内容に入ろうと思います。
東京・埼玉・愛知で、子どもが殺される事件が起こる・
東京で殺されたのは、吉岡隆一。小学六年生だ。家に帰ってこず、辺りを捜索したが見つからない。そして翌日、隆一が通う学校の正門前で、切り落とされた頭部だけが発見された。
埼玉で殺されたのは、浅川順子。中学二年生だ。看護師として働く母親は、熱を出したという息子を迎えに行くよう、順子に頼んだ。しばらくして帰宅すると、順子の姿がなかった。そして死体は、春馬山の雑木林で発見された。
愛知で殺されたのは、松永真人。まだ1歳だ。母親が車の中に少しの時間真人を置いたままスーパーで買い物をしている最中に行方が分からなくなってしまった。そして数日後、コインロッカーから死体が発見された。
これらの事件は、日付的には近接して発生したが、当然のことながら誰も三つの事件を考えてなどいなかった。それはそうだ。そもそもそれぞれの捜査本部では、犯人像を「変質者」「異常性欲者」と想定している。被害者が殺されたのはたまたまであって、彼ら三人が狙われて殺されたわけではない、と考えているのだ。特に東京の事件は、酒鬼薔薇聖斗事件との類似から大きく報道されたが、各捜査本部は、これらの事件との関連などもちろん想定するはずもなかった。
東京の事件で、コンビニを担当することになったのが、警視庁捜査一課強行犯係に所属する鶴田里奈と星野だ。里奈は、男女雇用機会均等法との絡みもあり、捜査一課に女性刑事を、という流れの中で抜擢されたと話に聞いている。星野は、事情はよく知らないが、かつては特殊犯捜査係にいて、交渉人を務めていたはずなのだが、強行犯係に転属となった。二人がペアになったのは明白な意図がある。捜査一課の“お荷物”を一緒にして、重要な仕事はさせない、という係長・島崎の目論見だ。被害者は姿を消す前にコンビニに立ち寄っているのだが、その捜査はほぼほぼ終わっており、彼らには特にやることがない。
埼玉の事件では、埼玉県警捜査一課強行犯係の神埼と、中江由紀が主に事件を担当している。由紀は、仕事熱心だが、係の面々とコミュニケーションを取ろうとしない。上司である神埼はどうにかしたい、と思っているが、今のところ手をこまねいている。愛知の事件では、被害者がスーパーの駐車場で行方不明になった時最初に担当した、栄新町警察署刑事課の坪川がその後も関わるようになる。坪川は、もともと警視庁にいたが、愛知県警に移ることになった。表向きの理由はともかく、身内を密告したというのが大きな理由だ。坪川は、自らの行動を間違いだと思いたくないが、警察という組織の中では個人の意思など吹けば飛ぶようなものだ。そんなわけで坪川は、愛知県警で誰からも話しかけられない存在となっている。
東京・埼玉・愛知と、まったく別個に捜査が行われ、どの事件もほぼ進展がないまま時間だけが過ぎていく。そんな中、閑職に回されている里奈と星野は、星野主導の元、粘り強い捜査を続けていた。やがて彼らは、ある一人の人物をマークするようになるのだが…。
というような話です。
非常に面白い作品でした。ただ、面白さを伝えるのが非常に難しい作品でもあります。
というのは、大きく二つ理由があります。
一つは、どれだけページをめくっても、ほぼ捜査に進展がない、ということ。正直言って、どの事件の捜査も、まったく進展しません。聞き込みをしても無駄足、物的証拠になるようなものもほぼなし、当然被害者たちに殺される動機が見つかるわけでもない、と言った具合で、ホントに捜査は何も進みません。これが、ストーリー展開上なかなか厳しいところではあります。
もちろん、何もないわけではありません。内容紹介の中でも触れたように、例えば愛知の坪川は、身内を密告したことで爪弾きにされました。また、東京の里奈、埼玉の由紀など、捜査一課に女性刑事がいる、ということが、物語上さざなみを引き起こす場面もあります。また、東京では、星野がある人物に揺さぶりをかけ続ける、という展開がしばらく続く。事件そのものへの進展はほぼないのですけど、物語上は何かが動いている。だから、読んでいて退屈だ、ということは全然ないのだけど、しかし、いかんせん物語のメインである殺人事件の捜査が遅々として進まない、というのは、もどかしく思えてしまいます。
もう一つは、一つ目の理由と関係する部分もありますが、物語の核となる要素が、物語の本当に終盤も終盤、というところで出てくるので、それについて触れられない、ということです。
だから、僕が本書について触れられるのは、「別々の都県で殺人事件が起こり、捜査は全然進まず、その繋がりが最後の最後で分かる」ぐらいしかないんです。これだと、面白そうな話には思えないですよねぇ。作品は面白いのだけど、面白そうに感じてもらうのが難しい、という意味で、もったいないなぁ、という気分になる作品でもあります。
本書で印象的なのが、犯人の人格です。こう書くと語弊があるのは分かっているのだけど殺人を犯したことは理解できているのに、この犯人に共感というか、親しみみたいなものを感じてしまうことです。
これについては作中でも、様々な人間が、表現はそれぞれだが、感じていることです。彼が三人の子どもを殺害したことは間違いないわけで、星野の言葉を借りれば、『越えてはならない一線というものはありますよ。あなたはそれを踏み越えた。同情の余地はありません』となるし、それは確かにその通りなんです。ただ、「何故人殺しをしなければならなかったのか」「そのためにどんな人生を歩んできたのか」ということを知れば知るほど、この犯人を憎めなくなっている自分がいます。非常に複雑です。彼の行動を許容するわけにはいきません。ただこの「許容するわけにはいかない」という感覚は、「社会の一員である僕」が感じているものです。社会というものを切り離した「単体の僕」としては、彼の行動を許容したくなる気持ちもあります。
彼は人を殺したわけで、問答無用で断罪されるべき存在だが、しかし一方で、「人を殺した」という点だけ取り除けば、彼の行動・判断・意思・忍耐はどれも“正しい”感じがします。非常に論理的で、自分が成すべきことを理解しており、それを着実に準備して達成する、という在り方は、ある種尊敬に近い気分さえ抱かされます。作中の人物たちも、彼の仕事ぶりや普段の振る舞いを間近で見て、それぞれに複雑な思いを抱いている。「人を殺したから極悪人だ」というようなシンプルな価値観では判断できない人格であり、そんな彼の捉えきれない人格を描き出すのにこれだけのページ数が必要だった、と思えば、納得の作品という感じもします。
五十嵐貴久「贖い」
小中高大学時代のことなど、もうほとんど覚えていない。働き始めた頃のこともだし、数年前のことさえ怪しい。
だから、過去の僕のことを覚えている人と話すと、驚かされることになる。自分がすっかり忘れてしまっていることなら、なおさらだ。
人から聞く過去の自分は、自分ではないような気分にさせられることさえある。そんなことしたっけ?そんなこと言ったっけ?そんな気分になる。
でも、誰かはそれを覚えている。覚えている、ということは、印象的だった、ということが。本人としては覚えていないくらい何気ないことであっても、良かれ悪しかれ、誰かの記憶には残っている。
良いことなら良い。誰かを褒めた。何かをプレゼントした。助けてあげた。一緒に怒った。協力して何かを成し遂げた…。そういうことなら良い。忘れてしまっても、なんということはない。
問題は、悪いことだ。僕がした何かの言動が、誰かを傷つけたり、怖がらせたりしてしまったような場合。忘れてしまった側の記憶より、覚えている側の記憶の方が正確さは高いだろう。
そういうことがないように、と思いながら過ごしているつもりだ。とはいえ…と本書を読みながら考えてしまった。
内容に入ろうと思います。
東京・埼玉・愛知で、子どもが殺される事件が起こる・
東京で殺されたのは、吉岡隆一。小学六年生だ。家に帰ってこず、辺りを捜索したが見つからない。そして翌日、隆一が通う学校の正門前で、切り落とされた頭部だけが発見された。
埼玉で殺されたのは、浅川順子。中学二年生だ。看護師として働く母親は、熱を出したという息子を迎えに行くよう、順子に頼んだ。しばらくして帰宅すると、順子の姿がなかった。そして死体は、春馬山の雑木林で発見された。
愛知で殺されたのは、松永真人。まだ1歳だ。母親が車の中に少しの時間真人を置いたままスーパーで買い物をしている最中に行方が分からなくなってしまった。そして数日後、コインロッカーから死体が発見された。
これらの事件は、日付的には近接して発生したが、当然のことながら誰も三つの事件を考えてなどいなかった。それはそうだ。そもそもそれぞれの捜査本部では、犯人像を「変質者」「異常性欲者」と想定している。被害者が殺されたのはたまたまであって、彼ら三人が狙われて殺されたわけではない、と考えているのだ。特に東京の事件は、酒鬼薔薇聖斗事件との類似から大きく報道されたが、各捜査本部は、これらの事件との関連などもちろん想定するはずもなかった。
東京の事件で、コンビニを担当することになったのが、警視庁捜査一課強行犯係に所属する鶴田里奈と星野だ。里奈は、男女雇用機会均等法との絡みもあり、捜査一課に女性刑事を、という流れの中で抜擢されたと話に聞いている。星野は、事情はよく知らないが、かつては特殊犯捜査係にいて、交渉人を務めていたはずなのだが、強行犯係に転属となった。二人がペアになったのは明白な意図がある。捜査一課の“お荷物”を一緒にして、重要な仕事はさせない、という係長・島崎の目論見だ。被害者は姿を消す前にコンビニに立ち寄っているのだが、その捜査はほぼほぼ終わっており、彼らには特にやることがない。
埼玉の事件では、埼玉県警捜査一課強行犯係の神埼と、中江由紀が主に事件を担当している。由紀は、仕事熱心だが、係の面々とコミュニケーションを取ろうとしない。上司である神埼はどうにかしたい、と思っているが、今のところ手をこまねいている。愛知の事件では、被害者がスーパーの駐車場で行方不明になった時最初に担当した、栄新町警察署刑事課の坪川がその後も関わるようになる。坪川は、もともと警視庁にいたが、愛知県警に移ることになった。表向きの理由はともかく、身内を密告したというのが大きな理由だ。坪川は、自らの行動を間違いだと思いたくないが、警察という組織の中では個人の意思など吹けば飛ぶようなものだ。そんなわけで坪川は、愛知県警で誰からも話しかけられない存在となっている。
東京・埼玉・愛知と、まったく別個に捜査が行われ、どの事件もほぼ進展がないまま時間だけが過ぎていく。そんな中、閑職に回されている里奈と星野は、星野主導の元、粘り強い捜査を続けていた。やがて彼らは、ある一人の人物をマークするようになるのだが…。
というような話です。
非常に面白い作品でした。ただ、面白さを伝えるのが非常に難しい作品でもあります。
というのは、大きく二つ理由があります。
一つは、どれだけページをめくっても、ほぼ捜査に進展がない、ということ。正直言って、どの事件の捜査も、まったく進展しません。聞き込みをしても無駄足、物的証拠になるようなものもほぼなし、当然被害者たちに殺される動機が見つかるわけでもない、と言った具合で、ホントに捜査は何も進みません。これが、ストーリー展開上なかなか厳しいところではあります。
もちろん、何もないわけではありません。内容紹介の中でも触れたように、例えば愛知の坪川は、身内を密告したことで爪弾きにされました。また、東京の里奈、埼玉の由紀など、捜査一課に女性刑事がいる、ということが、物語上さざなみを引き起こす場面もあります。また、東京では、星野がある人物に揺さぶりをかけ続ける、という展開がしばらく続く。事件そのものへの進展はほぼないのですけど、物語上は何かが動いている。だから、読んでいて退屈だ、ということは全然ないのだけど、しかし、いかんせん物語のメインである殺人事件の捜査が遅々として進まない、というのは、もどかしく思えてしまいます。
もう一つは、一つ目の理由と関係する部分もありますが、物語の核となる要素が、物語の本当に終盤も終盤、というところで出てくるので、それについて触れられない、ということです。
だから、僕が本書について触れられるのは、「別々の都県で殺人事件が起こり、捜査は全然進まず、その繋がりが最後の最後で分かる」ぐらいしかないんです。これだと、面白そうな話には思えないですよねぇ。作品は面白いのだけど、面白そうに感じてもらうのが難しい、という意味で、もったいないなぁ、という気分になる作品でもあります。
本書で印象的なのが、犯人の人格です。こう書くと語弊があるのは分かっているのだけど殺人を犯したことは理解できているのに、この犯人に共感というか、親しみみたいなものを感じてしまうことです。
これについては作中でも、様々な人間が、表現はそれぞれだが、感じていることです。彼が三人の子どもを殺害したことは間違いないわけで、星野の言葉を借りれば、『越えてはならない一線というものはありますよ。あなたはそれを踏み越えた。同情の余地はありません』となるし、それは確かにその通りなんです。ただ、「何故人殺しをしなければならなかったのか」「そのためにどんな人生を歩んできたのか」ということを知れば知るほど、この犯人を憎めなくなっている自分がいます。非常に複雑です。彼の行動を許容するわけにはいきません。ただこの「許容するわけにはいかない」という感覚は、「社会の一員である僕」が感じているものです。社会というものを切り離した「単体の僕」としては、彼の行動を許容したくなる気持ちもあります。
彼は人を殺したわけで、問答無用で断罪されるべき存在だが、しかし一方で、「人を殺した」という点だけ取り除けば、彼の行動・判断・意思・忍耐はどれも“正しい”感じがします。非常に論理的で、自分が成すべきことを理解しており、それを着実に準備して達成する、という在り方は、ある種尊敬に近い気分さえ抱かされます。作中の人物たちも、彼の仕事ぶりや普段の振る舞いを間近で見て、それぞれに複雑な思いを抱いている。「人を殺したから極悪人だ」というようなシンプルな価値観では判断できない人格であり、そんな彼の捉えきれない人格を描き出すのにこれだけのページ数が必要だった、と思えば、納得の作品という感じもします。
五十嵐貴久「贖い」
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