鈴の神さま(知野みさき)
内容に入ろうと思います。
本書は、5つの短編が収録された連作短編集です。
「鈴の神さま」
冬弥は、ピアノの練習の件で母親と喧嘩し、しばらく四国にある祖父の家に身を寄せることになった。ピアノの練習を毎日するのは絶対だったから遠出する機会はあまりなかった。ピアノを嫌いになったわけではないけど、気分転換に、ウマが合う祖父と一緒に住むのはいいだろう。
祖父はかつて家具のバイヤーをやっていて、世界中を飛び回っていた。語学が堪能なのはもちろん、好奇心や努力も人一倍あるので、興味や能力の幅が広い。そんな祖父とのんびり過ごしていると、庭先に小さな男の子がやってきた。祖父はその男の子のことを「安那殿」と呼んでいる。時代劇のような古臭い話し方をする男の子は、祖父曰く「神さま」なんだそうだ。
半信半疑だった冬弥も、町の他の住人に安那(とお目付け役の楓)の姿が見えていないらしいと分かって、祖父の言葉を信じた。
冬弥は、安那の幼名である「沙耶」という呼び名で安那を呼んだ。「神さま」だとはとても思えないような愛嬌のある沙耶と、祖父の家にいる間存分に楽しんだ。また会う約束をして帰ったが…。
「引き出しのビー玉」
夫の故郷へと疎開してきた和は、40手前の夫が疎開先で召集令状を受け取ってしまった。今、出産間近にお腹を抱えながら、お世話になっている白石家の仕事を出来る限り手伝うつもりでいる和だったが、身体は思うように動かない。結局、和が最も邪魔にならないのは散歩に出ることだった。暑さが厳しく、ちゃんと水筒を持っていったのだったが、目眩がして倒れ込んでしまう。介抱してくれたのが、小さな男の子と男性で、若い男性は戦争に取られていって目にする機会がないから新鮮だった。何やら訳ありみたいだけど、そもそも口調が時代劇風で古臭い。二度ほど会ったけど、結局それきりになってしまった…。
「ジッポと煙管」
若い頃から俳優を目指して頑張ってきたものの、なかなか芽が出ず、30歳後半になってもアルバイト生活をしている鵜木次郎は、ふと思いついて実家に帰ってみると、いつもの小言を浴びせられて消沈する。姉の嫁ぎ先である四国の高野町まで行こう、と決めたのだが、どこをどうしたものか、冬の山中で迷ってしまった。マズイ、このままだと凍死もあり得る…と思った時、一軒の家を見つけた。そこには、安那と名乗る小さな男の子が、その場の主であるかのように他の三人の大人たちを紹介していた。家の作りや着ているものの感じは、完全に時代劇だ。彼らが何者なのかよく分からないまま会話を続けた鵜木は、しばらくして彼らに正しい道を教えてもらい、なんとか姉の嫁ぎ先までたどり着くことが出来た。後々、お礼がてらあの家を訪ねようとしたが…。
「秋桜」
高野町で雛屋というお菓子屋を切り盛りし続けてきた美鈴は、ひ孫にせがまれて、店の者たちよりも先に祭りに足を運ぶことにした。古い友人と久々に再会した彼女は、祭りの雰囲気の中、5、6歳の頃の祭りの日のことを思い出した。あの日、たった一人でお祭りを楽しんでいる男の子を見かけて、どうしても気になってしまったのだ。見覚えのない子だった。隣村の子だろうか?誰かと一緒じゃないんだろうか?しばらく後をついていって、勇気を出してようやく声を掛けた。
そんなことを思い返していると、ひ孫の面倒を頼んでいた子が、ひ孫を見失ったという。見つけ出して聞いてみると、ねり飴を二つ欲しいという。二つ?誰かにあげるのかな?
「十四年目の夏休み」
この内容は一応伏せておきましょう。
というような話です。
なかなかおもしろく読めました。僕はこういう、「あやかし」とか「神さま」とか出てくるような小説ってあんまり読むことがないですけど、ほんわかしていて良かったと思います。
本書では、一応「神さま」ってなってますけど、安那は全然神さまらしくなくて、そこがなかなかいいですね。作中でもちらっと出てきますけど、確かに「800万も神さまがいるなら、色々いるだろう」って感じです。
安那たちと会う面々は、神さまだと知ってて会うとか、知らずに会うとか、後でなんとなく察するとか、色んなパターンがありますけど、それぞれ、安那たちと出会うことで、はっきりここが、と指摘できるようなものではないんだけど、自分の中の何かが変わって、前に進んでいく勇気をもらえる、みたいな感じが良かったと思います。
知野みさき「鈴の神さま」
本書は、5つの短編が収録された連作短編集です。
「鈴の神さま」
冬弥は、ピアノの練習の件で母親と喧嘩し、しばらく四国にある祖父の家に身を寄せることになった。ピアノの練習を毎日するのは絶対だったから遠出する機会はあまりなかった。ピアノを嫌いになったわけではないけど、気分転換に、ウマが合う祖父と一緒に住むのはいいだろう。
祖父はかつて家具のバイヤーをやっていて、世界中を飛び回っていた。語学が堪能なのはもちろん、好奇心や努力も人一倍あるので、興味や能力の幅が広い。そんな祖父とのんびり過ごしていると、庭先に小さな男の子がやってきた。祖父はその男の子のことを「安那殿」と呼んでいる。時代劇のような古臭い話し方をする男の子は、祖父曰く「神さま」なんだそうだ。
半信半疑だった冬弥も、町の他の住人に安那(とお目付け役の楓)の姿が見えていないらしいと分かって、祖父の言葉を信じた。
冬弥は、安那の幼名である「沙耶」という呼び名で安那を呼んだ。「神さま」だとはとても思えないような愛嬌のある沙耶と、祖父の家にいる間存分に楽しんだ。また会う約束をして帰ったが…。
「引き出しのビー玉」
夫の故郷へと疎開してきた和は、40手前の夫が疎開先で召集令状を受け取ってしまった。今、出産間近にお腹を抱えながら、お世話になっている白石家の仕事を出来る限り手伝うつもりでいる和だったが、身体は思うように動かない。結局、和が最も邪魔にならないのは散歩に出ることだった。暑さが厳しく、ちゃんと水筒を持っていったのだったが、目眩がして倒れ込んでしまう。介抱してくれたのが、小さな男の子と男性で、若い男性は戦争に取られていって目にする機会がないから新鮮だった。何やら訳ありみたいだけど、そもそも口調が時代劇風で古臭い。二度ほど会ったけど、結局それきりになってしまった…。
「ジッポと煙管」
若い頃から俳優を目指して頑張ってきたものの、なかなか芽が出ず、30歳後半になってもアルバイト生活をしている鵜木次郎は、ふと思いついて実家に帰ってみると、いつもの小言を浴びせられて消沈する。姉の嫁ぎ先である四国の高野町まで行こう、と決めたのだが、どこをどうしたものか、冬の山中で迷ってしまった。マズイ、このままだと凍死もあり得る…と思った時、一軒の家を見つけた。そこには、安那と名乗る小さな男の子が、その場の主であるかのように他の三人の大人たちを紹介していた。家の作りや着ているものの感じは、完全に時代劇だ。彼らが何者なのかよく分からないまま会話を続けた鵜木は、しばらくして彼らに正しい道を教えてもらい、なんとか姉の嫁ぎ先までたどり着くことが出来た。後々、お礼がてらあの家を訪ねようとしたが…。
「秋桜」
高野町で雛屋というお菓子屋を切り盛りし続けてきた美鈴は、ひ孫にせがまれて、店の者たちよりも先に祭りに足を運ぶことにした。古い友人と久々に再会した彼女は、祭りの雰囲気の中、5、6歳の頃の祭りの日のことを思い出した。あの日、たった一人でお祭りを楽しんでいる男の子を見かけて、どうしても気になってしまったのだ。見覚えのない子だった。隣村の子だろうか?誰かと一緒じゃないんだろうか?しばらく後をついていって、勇気を出してようやく声を掛けた。
そんなことを思い返していると、ひ孫の面倒を頼んでいた子が、ひ孫を見失ったという。見つけ出して聞いてみると、ねり飴を二つ欲しいという。二つ?誰かにあげるのかな?
「十四年目の夏休み」
この内容は一応伏せておきましょう。
というような話です。
なかなかおもしろく読めました。僕はこういう、「あやかし」とか「神さま」とか出てくるような小説ってあんまり読むことがないですけど、ほんわかしていて良かったと思います。
本書では、一応「神さま」ってなってますけど、安那は全然神さまらしくなくて、そこがなかなかいいですね。作中でもちらっと出てきますけど、確かに「800万も神さまがいるなら、色々いるだろう」って感じです。
安那たちと会う面々は、神さまだと知ってて会うとか、知らずに会うとか、後でなんとなく察するとか、色んなパターンがありますけど、それぞれ、安那たちと出会うことで、はっきりここが、と指摘できるようなものではないんだけど、自分の中の何かが変わって、前に進んでいく勇気をもらえる、みたいな感じが良かったと思います。
知野みさき「鈴の神さま」
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