天を衝く 秀吉に喧嘩を売った男・九戸政実(高橋克彦)
いやはや、凄い作品だった!
凄すぎた!
「火怨」もべらぼうに面白かったけど、「天を衝く」も驚異的に面白かった!
九戸政実、という武将がメインで描かれる物語だ。読めば誰もが、こんな男の元で働きたい、それが出来るなら多くのものを擲ってもいい、と思うのではないか。僕は読みながら、ずっとそんな風に思っていた。この男の元でなら、死んでもいいな、と。
彼の凄さは簡単には描けない。あとがきで著者が、ずっと九戸政実のことを考え続けた7年間だった、と書いているが、それほどの年月を費やして絞り出して造形された人物なのだ。むろん九戸政実というのは実在した人物なのだろうが、歴史の教科書に載るような知名度があるわけではないだろうし、資料がどの程度残っているのかも分からない。九戸政実の造形のほとんどが、高橋克彦の想像だと言っていいだろう。そんなものの是非を論じたところでどうこうなるものでもないかもしれないが、しかし彼の凄さについて語ってみたい。
まずは、その圧倒的な戦術家としての力だ。とにかく、敵の思考を読み、最小限の努力で最大の利を得ようとする。九戸党の面々でさえ誰も思いつかないような奇抜な戦略を次から次へと思いつき、実現させていく。物語の主軸もまさにそこにあり、いかにして彼が難局を乗り切っていくのか、という描写が非常に面白い。
力で押し切ることだけが戦ではない。九戸政実は、こちらがどう振る舞えば相手がどう判断するか、あるいは、こういう状況下でどういうことをすれば相手を勘違いさせられるか、そういう思考を次々に繰り出し、予想の斜め上を行くやり方で敵を蹴散らしていくのだ。その凄さたるや、一度でも彼と戦ったことのある者は、九戸政実を敵に回したくない、と思うほどだ。
また、状況を読むのが実に上手い。そもそも、勝てない戦はしない質だ。五十数年生きてきて、戦で負けたことがない。尋常ではないが、しかしそれは、戦術に長けているだけではなく、そもそも先を見通す力が高いからだ。負けると判断すれば、そもそも兵を出さない。で、戦わずしてこの状況を打破出来ないか考える。何もしない時は、本当に何もしない。下手に動いて状況を混乱させるより、我慢に我慢を重ねる時間も大事だ、と分かっているからだ。
さらに、兵らの命を大事にする。仮に戦に勝てるとしても、相応以上の死者が出れば、それは彼にとっては失敗だ。もちろん戦である以上、死者0はあり得ない。しかし、無駄に死ぬ者、意味もなく死ぬ者を絶対に作らないようにする。死ぬと分かっている任務に向かわせる時は、九戸党の誇りであるとして送り出し、また死の危険がある任務につかせる時には、生きて戻るを名誉とせよ、と声を掛ける。とにかく、勝つために戦をするのだが、しかし勝つために犠牲は仕方ないとは考えない。徹底的に考え、準備し、その上で出る犠牲ならば仕方がない、という考えだ。だからこそ兵らも、彼の指示には迷いなく従うことが出来る。自分を無駄死にさせることが絶対にない、という信頼感が、九戸党を一つにまとめている要素でもあるのだ。
さて、それほどの実力と人望を兼ね備える男であるのだが、しかし、彼が地域のトップ、というわけではない。もちろん、「九戸」という地域のトップにはいるのだが、陸奥の国には南部一族という宗家があり、九戸政実も、三戸城主・南部晴政に従う者なのだ。
しかしここでも、九戸政実は彼らしさを出す。他の城主たちが、宗家である南部晴政に口を出せないのに、彼だけは唯一と言っていいほど宗家に反発するのだ。そんなことが出来るのも、九戸政実という男に実力があり、また彼の指揮の元で力を発揮する兵らがいるからだ。南部一族の中で九戸党というのは特殊な立ち位置にあり、それ故に九戸政実の苛立ちも募り、また南部一族に争いの火種が常時生み出されることになる。
物語を読み進めていくと、この九戸政実が南部一族のトップ(棟梁)になってもおかしくないような展開が現れる。しかし、そこは一筋縄ではいかない。南部の棟梁を誰にするかで侃々諤々の議論が展開され、そこに様々な権謀術数も絡み合いながら、結果的に無益だった争いに彼らも巻き込まれていくことになる。信直という、器の大きさのよく分からない男との何年にも渡る小競り合いが、南部を徐々に弱体化させていく。
「俺に3万の兵を預けてもらえれば…」 作中の九戸政実は時折そういう言い方をする。そうすれば、陸奥を一つにまとめることができたのに、あるいは、対等に秀吉とも闘えたかもしれないのに。決して大言壮語ではなく、九戸政実ならやるだろう、と感じさせるものだ。当時であれば、今よりもより、生まれた土地や生きた時代によって人生が大きく左右されるだろうが、九戸政実という男もまさにそうだっただろう。もう少し京に近い場所に生まれていれば、あるいは南部がゴタゴタする前に力を発揮できていれば、あるいはもしや教科書に載るような人物として記憶されていたかもしれない。高橋克彦が描き出す九戸政実は、本当にそういう魅力を放つ人物なのだ。
『今の世にはご貴殿のごとく生きて未来に役立つ者と、死んで未来に繋げる者とがある。奥州で真っ先に秀吉どのに恭順を示した南部の中に、手前のような者がおることこそ肝要。戦となって果たしたとしても、必ずその意を汲み取ってくれる者が出て参ろう』
最後、高橋克彦がこれが描きたかったのだとあとがきで書いている、5千vs10万という尋常ではない戦いがある。ここでの九戸政実の振る舞いは、自分もそうありたいものだと思うような、人として本当に見事な生き様だ。今の時代、「どんな手段を使っても金をたくさん儲けた者が価値」みたいな風潮があるが、それはこの作品で言えば、「どんな手段を使っても勝ちは勝ち」というような、九戸政実が相手にしている敵のような発想だ。僕はどちらかと言えば、そういう風潮に異を唱えたい。負けても己を貫くべき部分はあるはずだし、それで金を失ったとしても悔いはしない。九戸政実の奮闘記を読んでいると、なんだか自分もそんな風に感じてしまうのだ。
内容に入ろうと思います。
織田信長が天下統一の意思を明らかにした頃、陸奥を取り仕切る一角にいる南部家は、九戸党の棟梁・九戸政実に挙兵を促した。が、九戸政実は突っぱねる。今に始まったことではないが、彼はお館に楯突くことが多い。しかしそれは感情的な問題ではない。確かに九戸政実はお館のことを阿呆だと思っているが、正しい戦略なら異を唱えることもない。阿呆であるが故に、話に乗れないのだ。
奪われた鹿角城の奪還のために春まで待った九戸政実は、今度は逆に南部の者たちを差し置いて、九戸党のみで鹿角城奪還を目指すことにした。
そんな風にして、常に先々を読み、その時その時にあった戦略を立てては、着実に力をつけていった九戸政実だったが、なにぶん南部晴政が阿呆でどうにもしようがない。まだ幼いのに、自らの死後は実子にあとを継がせようと必死だ。九戸政実は弟である実親を棟梁に推そうとしているが、信直や彼に入れ知恵する信愛などの存在が厄介で、なかなか身動きが取れない。
彼は、何のために戦うべきかを常に承知していた。自らが棟梁となるためではない。九戸党だけのためでもない。彼は常に、南部の未来を考えている。しかしその彼の考えは、阿呆ばかりの合議の場では受け入れられない。内紛の間に、南部自体の力も弱まっていく。
こんなところでゴタゴタしている場合ではないのに…。九戸政実の焦燥は募るばかりだ。
というような話です。
相変わらず面白すぎました!文庫本で上中下、計1500ページにも及ぶ作品ですが、面白すぎて、先が気になりすぎて、一気読みでした!歴史は苦手だし、戦国時代(でいいんだよな、この時代は)のことなんかなーんにもわかんないんだけど、そもそも描かれているのが、教科書なんかでメインで扱われることがない(はずの)陸奥の面々であるし、歴史の知識のある人でもよほど関心を持って自ら勉強しないと知らない人たちばかりが登場するだろうから、知識不足というハンデもありません。出てくる人物たちが魅力的過ぎて、こんなに長い作品なのに、あー読み終わりたくないなぁ、と思ってしまう作品でした。
冒頭では九戸政実についてばかり書きましたけど、本書には、ここには書ききれないほど魅力的な人物がたくさん出てきます。九戸政実の兄弟縁者はもちろん、何らかの形で彼と関わることになる様々な人物が、強烈な魅力を放っている。立場も向き合う状況も様々な中、九戸政実という光と呼応するようにして、周りにいる者たちも光り輝く。九戸政実は確かに凄い人物なのだけど、九戸政実だけでは成り立たない。彼を支える者、彼に反発するもの、彼を心酔する者、彼と知恵比べをする者…そういう様々な人物がいて初めて、九戸政実という男は力を発揮する。そもそも彼は、自らの命や人生にはさほど関心はない。周りにいる者たちがどうなるか、そして、九戸党や南部がどうなるか、そういうことを常に考えている。そういう人間だからこそ人がついていくのだし、大望を成し遂げることが出来るのだ。
どんな戦いをしたのか、どんな小競り合いをしたのか、どんな争いをしたのか、そのいちいちを書くわけにはいかないのだけど、そのどれもがストーリーとして面白く、さらに後の九戸政実を形作る要素になっていると感じる。著者は最後の籠城戦が描きたくてこの話を書き始めたようだが、彼がそんなことをしようと思い至った経緯をきちんと描けなければ、彼が何故そんな不合理な行動を取ったのか説明がつかない、という思いで、そこに至るまでの九戸政実を描き出したという。もちろん最後の籠城戦は圧巻だが、そこに至るまでに九戸政実がどんな苦杯を舐めてきたのか、ということがやはり、本書の大きな核になるだろうと思う。
いやーしかし、ホントに読んで良かった。やっぱり凄いな、高橋克彦は。
高橋克彦「天を衝く 秀吉に喧嘩を売った男・九戸政実」
凄すぎた!
「火怨」もべらぼうに面白かったけど、「天を衝く」も驚異的に面白かった!
九戸政実、という武将がメインで描かれる物語だ。読めば誰もが、こんな男の元で働きたい、それが出来るなら多くのものを擲ってもいい、と思うのではないか。僕は読みながら、ずっとそんな風に思っていた。この男の元でなら、死んでもいいな、と。
彼の凄さは簡単には描けない。あとがきで著者が、ずっと九戸政実のことを考え続けた7年間だった、と書いているが、それほどの年月を費やして絞り出して造形された人物なのだ。むろん九戸政実というのは実在した人物なのだろうが、歴史の教科書に載るような知名度があるわけではないだろうし、資料がどの程度残っているのかも分からない。九戸政実の造形のほとんどが、高橋克彦の想像だと言っていいだろう。そんなものの是非を論じたところでどうこうなるものでもないかもしれないが、しかし彼の凄さについて語ってみたい。
まずは、その圧倒的な戦術家としての力だ。とにかく、敵の思考を読み、最小限の努力で最大の利を得ようとする。九戸党の面々でさえ誰も思いつかないような奇抜な戦略を次から次へと思いつき、実現させていく。物語の主軸もまさにそこにあり、いかにして彼が難局を乗り切っていくのか、という描写が非常に面白い。
力で押し切ることだけが戦ではない。九戸政実は、こちらがどう振る舞えば相手がどう判断するか、あるいは、こういう状況下でどういうことをすれば相手を勘違いさせられるか、そういう思考を次々に繰り出し、予想の斜め上を行くやり方で敵を蹴散らしていくのだ。その凄さたるや、一度でも彼と戦ったことのある者は、九戸政実を敵に回したくない、と思うほどだ。
また、状況を読むのが実に上手い。そもそも、勝てない戦はしない質だ。五十数年生きてきて、戦で負けたことがない。尋常ではないが、しかしそれは、戦術に長けているだけではなく、そもそも先を見通す力が高いからだ。負けると判断すれば、そもそも兵を出さない。で、戦わずしてこの状況を打破出来ないか考える。何もしない時は、本当に何もしない。下手に動いて状況を混乱させるより、我慢に我慢を重ねる時間も大事だ、と分かっているからだ。
さらに、兵らの命を大事にする。仮に戦に勝てるとしても、相応以上の死者が出れば、それは彼にとっては失敗だ。もちろん戦である以上、死者0はあり得ない。しかし、無駄に死ぬ者、意味もなく死ぬ者を絶対に作らないようにする。死ぬと分かっている任務に向かわせる時は、九戸党の誇りであるとして送り出し、また死の危険がある任務につかせる時には、生きて戻るを名誉とせよ、と声を掛ける。とにかく、勝つために戦をするのだが、しかし勝つために犠牲は仕方ないとは考えない。徹底的に考え、準備し、その上で出る犠牲ならば仕方がない、という考えだ。だからこそ兵らも、彼の指示には迷いなく従うことが出来る。自分を無駄死にさせることが絶対にない、という信頼感が、九戸党を一つにまとめている要素でもあるのだ。
さて、それほどの実力と人望を兼ね備える男であるのだが、しかし、彼が地域のトップ、というわけではない。もちろん、「九戸」という地域のトップにはいるのだが、陸奥の国には南部一族という宗家があり、九戸政実も、三戸城主・南部晴政に従う者なのだ。
しかしここでも、九戸政実は彼らしさを出す。他の城主たちが、宗家である南部晴政に口を出せないのに、彼だけは唯一と言っていいほど宗家に反発するのだ。そんなことが出来るのも、九戸政実という男に実力があり、また彼の指揮の元で力を発揮する兵らがいるからだ。南部一族の中で九戸党というのは特殊な立ち位置にあり、それ故に九戸政実の苛立ちも募り、また南部一族に争いの火種が常時生み出されることになる。
物語を読み進めていくと、この九戸政実が南部一族のトップ(棟梁)になってもおかしくないような展開が現れる。しかし、そこは一筋縄ではいかない。南部の棟梁を誰にするかで侃々諤々の議論が展開され、そこに様々な権謀術数も絡み合いながら、結果的に無益だった争いに彼らも巻き込まれていくことになる。信直という、器の大きさのよく分からない男との何年にも渡る小競り合いが、南部を徐々に弱体化させていく。
「俺に3万の兵を預けてもらえれば…」 作中の九戸政実は時折そういう言い方をする。そうすれば、陸奥を一つにまとめることができたのに、あるいは、対等に秀吉とも闘えたかもしれないのに。決して大言壮語ではなく、九戸政実ならやるだろう、と感じさせるものだ。当時であれば、今よりもより、生まれた土地や生きた時代によって人生が大きく左右されるだろうが、九戸政実という男もまさにそうだっただろう。もう少し京に近い場所に生まれていれば、あるいは南部がゴタゴタする前に力を発揮できていれば、あるいはもしや教科書に載るような人物として記憶されていたかもしれない。高橋克彦が描き出す九戸政実は、本当にそういう魅力を放つ人物なのだ。
『今の世にはご貴殿のごとく生きて未来に役立つ者と、死んで未来に繋げる者とがある。奥州で真っ先に秀吉どのに恭順を示した南部の中に、手前のような者がおることこそ肝要。戦となって果たしたとしても、必ずその意を汲み取ってくれる者が出て参ろう』
最後、高橋克彦がこれが描きたかったのだとあとがきで書いている、5千vs10万という尋常ではない戦いがある。ここでの九戸政実の振る舞いは、自分もそうありたいものだと思うような、人として本当に見事な生き様だ。今の時代、「どんな手段を使っても金をたくさん儲けた者が価値」みたいな風潮があるが、それはこの作品で言えば、「どんな手段を使っても勝ちは勝ち」というような、九戸政実が相手にしている敵のような発想だ。僕はどちらかと言えば、そういう風潮に異を唱えたい。負けても己を貫くべき部分はあるはずだし、それで金を失ったとしても悔いはしない。九戸政実の奮闘記を読んでいると、なんだか自分もそんな風に感じてしまうのだ。
内容に入ろうと思います。
織田信長が天下統一の意思を明らかにした頃、陸奥を取り仕切る一角にいる南部家は、九戸党の棟梁・九戸政実に挙兵を促した。が、九戸政実は突っぱねる。今に始まったことではないが、彼はお館に楯突くことが多い。しかしそれは感情的な問題ではない。確かに九戸政実はお館のことを阿呆だと思っているが、正しい戦略なら異を唱えることもない。阿呆であるが故に、話に乗れないのだ。
奪われた鹿角城の奪還のために春まで待った九戸政実は、今度は逆に南部の者たちを差し置いて、九戸党のみで鹿角城奪還を目指すことにした。
そんな風にして、常に先々を読み、その時その時にあった戦略を立てては、着実に力をつけていった九戸政実だったが、なにぶん南部晴政が阿呆でどうにもしようがない。まだ幼いのに、自らの死後は実子にあとを継がせようと必死だ。九戸政実は弟である実親を棟梁に推そうとしているが、信直や彼に入れ知恵する信愛などの存在が厄介で、なかなか身動きが取れない。
彼は、何のために戦うべきかを常に承知していた。自らが棟梁となるためではない。九戸党だけのためでもない。彼は常に、南部の未来を考えている。しかしその彼の考えは、阿呆ばかりの合議の場では受け入れられない。内紛の間に、南部自体の力も弱まっていく。
こんなところでゴタゴタしている場合ではないのに…。九戸政実の焦燥は募るばかりだ。
というような話です。
相変わらず面白すぎました!文庫本で上中下、計1500ページにも及ぶ作品ですが、面白すぎて、先が気になりすぎて、一気読みでした!歴史は苦手だし、戦国時代(でいいんだよな、この時代は)のことなんかなーんにもわかんないんだけど、そもそも描かれているのが、教科書なんかでメインで扱われることがない(はずの)陸奥の面々であるし、歴史の知識のある人でもよほど関心を持って自ら勉強しないと知らない人たちばかりが登場するだろうから、知識不足というハンデもありません。出てくる人物たちが魅力的過ぎて、こんなに長い作品なのに、あー読み終わりたくないなぁ、と思ってしまう作品でした。
冒頭では九戸政実についてばかり書きましたけど、本書には、ここには書ききれないほど魅力的な人物がたくさん出てきます。九戸政実の兄弟縁者はもちろん、何らかの形で彼と関わることになる様々な人物が、強烈な魅力を放っている。立場も向き合う状況も様々な中、九戸政実という光と呼応するようにして、周りにいる者たちも光り輝く。九戸政実は確かに凄い人物なのだけど、九戸政実だけでは成り立たない。彼を支える者、彼に反発するもの、彼を心酔する者、彼と知恵比べをする者…そういう様々な人物がいて初めて、九戸政実という男は力を発揮する。そもそも彼は、自らの命や人生にはさほど関心はない。周りにいる者たちがどうなるか、そして、九戸党や南部がどうなるか、そういうことを常に考えている。そういう人間だからこそ人がついていくのだし、大望を成し遂げることが出来るのだ。
どんな戦いをしたのか、どんな小競り合いをしたのか、どんな争いをしたのか、そのいちいちを書くわけにはいかないのだけど、そのどれもがストーリーとして面白く、さらに後の九戸政実を形作る要素になっていると感じる。著者は最後の籠城戦が描きたくてこの話を書き始めたようだが、彼がそんなことをしようと思い至った経緯をきちんと描けなければ、彼が何故そんな不合理な行動を取ったのか説明がつかない、という思いで、そこに至るまでの九戸政実を描き出したという。もちろん最後の籠城戦は圧巻だが、そこに至るまでに九戸政実がどんな苦杯を舐めてきたのか、ということがやはり、本書の大きな核になるだろうと思う。
いやーしかし、ホントに読んで良かった。やっぱり凄いな、高橋克彦は。
高橋克彦「天を衝く 秀吉に喧嘩を売った男・九戸政実」
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