花井沢町公民館便り(ヤマシタトモコ)
結局生きていくしかないんだよなぁ、ということは、いつも思っている。
もちろん、「死ぬ」という選択肢もまた、常にあることはある。しかし、やはりそれはどうしても、現実的な選択肢としては検討しにくいものがある。他にもある、無数の選択肢と、同列には扱えない。様々な選択肢を色々と検討し、そのどれもが不可能だ、となった時、初めて「選択肢」という形で立ち上がってくるものが「死ぬ」だと思うのだ。
だから結局、僕らは生きていくしかない。
結局生きていくしかないんだ、という部分を大前提にすると、どう生きたいのか、という問いが優先される。目の前の現実を嘆いたり、ないものねだりをしたり、過去の言動を悔やんだりしても、それは「今をどう生きるか」にはなかなか繋がっていかない。それよりは、目の前の現実を受け入れてみたり、あるものでどうにかしてみたり、未来を目指す意志を持った方がいい。
そして、そういう人間を描く物語は、やはり「強さ」を感じるな、と思うのだ。
僕らは、現代の日本に、絶望の隣で生きざるを得ない人々のことを知っている。福島第一原発事故により被災した福島県の人たちだ。もちろん彼らには、県外で暮らす、という選択肢はある。しかし、誰もがそういう選択が出来るわけではない。様々な理由で、生活というのは土地に縛られているものだ。自分がいる場所がどんな土地であろうが、ここで生きていくしかない、という決断はどんな場合にもあり得るし、そこにどんな風に外から批判を加えたところで意味をなさない。
色んな選択肢が過ぎったに違いないが、それでも福島県で生きることを決めた人々の人生には、当然ながら「日常」がある。常に絶望に彩られている人生を「日常」とは呼ばない。絶望の気配は常に感じながらも、その中で、当たり前のことが当たり前のように行われる「日常」が生まれていく。
そしてそれは、僕らの人生だって同じだ。原発事故ほどはっきりとした絶望じゃなくたって、僕らの人生には様々な絶望の気配が常に漂っている。そして、それらを感じつつ、僕らは何でもない「日常」を生きていく。
物語の中で、「絶望」に焦点を当てることは、とても簡単だ。分かりやすいし、見えやすいし、伝わりやすい。しかし「絶望」が前面に現れると「日常」が遠のく。「日常」の中にこそ、人間の本質が溶けているように僕は思うし、そういう意味で、この物語が「絶望」を背景に追いやっている点が、非常に良いと僕は思う。
内容に入ろうと思います。
2055年5月15日、その事故は起こった。シェルターとか刑務所に使われる予定で開発されていたある技術の研究中、事故が起こった。その技術は、生命反応のある有機体は通さない見えない膜であり、事故の結果、花井沢町の1丁目から2丁目一帯にかけてが、その膜で覆われてしまった。
つまり、その内側にいる人間は、生きたままではその膜の外に出られなくなってしまった。
政府は花井沢町の住民への補償を充実させているために、住民は生活に必要なものはほぼ無料で手に入れられる。贅沢品を買う場合のみ自分のお金で、ということになっており、住民たちはWEBを通じて出来る外の仕事をやりながら、少しお金を稼ぐ。
200年もすれば確実に滅びるこの町で生きざるを得ない人々の、この町ならではの「日常」を活写する物語です。
こんな話だとは思ってもいなかったので、驚きました。ヤマシタトモコという漫画家の作品を読むのは初めてですけど、なんとなく、よくある(と言ったら失礼かもですが)恋愛モノの漫画を描いているような印象だったので、冒頭から驚かされたし、非常に面白い設定・展開の物語だなと思いました。
こういう設定の物語の場合、往々にして「いかにして膜の外に出るか」ということが話として描かれがちです。でも本書の場合は、そういう方向性がまったくありません。住民の気持ちは完全には分かりませんが、恐らく、色々試してみた後の物語なんだろう、と思います。無理なもんは無理なんだから、ジタバタしてもしょーがない、みたいな。そういうところから物語がスタートしているから、後はいかにして生きるか、という部分が純粋に描かれていて面白いと思いました。
生命反応のないものなら普通に膜を通るから、境界までくれば物資を渡したり、膜の内側に何か機械を入れたりできる。境界付近まで医者が行けば、簡単な診療ぐらいは出来るし、境界付近にステージを建てればライブだってもちろん出来る。ネットで買ったものも届くし、パンツだって盗まれる。
警察はいないから自分たちでどうにかしないといけないし、学校も通信だし、ストーカーがいても逃げ場がない。「人間が出られない境界がある」という世界の中で、どんな日常があり得るのかを、全然派手ではない形で日常感を届ける物語に仕上げているのがとても良いと思いました。
彼らの「日常」を構成している一つの感情が、「どうにか普通でいたい」ということです。もちろん、彼らが花井沢町の住人である以上、普通の生活など送れはしません。でも、そういう中にあって、なんとか普通に近づきたい、あるいは、特定の集団の中だけでいいから普通に、いや普通以上に見られたい、という欲求が、彼らを突き動かすことがあります。
そういう話で印象的だったのが、オシャレファッションツイートとパン屋です。
オシャレファッションツイートは、自分が花井沢町の住人であることを伏せて、ツイッター上にオシャレファッションの自撮り写真を上げる男の話です。彼は、ネットの世界では、みんなから憧れられるファッショニスタで、彼はその世界の中では普通以上になることが出来ます。ただ、色んな事情から、それが続けられなくなってしまう。社会がそれを許容しない、という部分ももちろんあるのだけど、それ以上に、自分自身がそれを許容できなくなる、という姿が描かれている、と感じました。
パン屋は、焼き立てのパンを食べたことがないという女性が、ネット上でパンの焼き方を教えてもらいながら自分でパンを焼いてみる、という話です。この話の中に、非常に印象的なセリフがありました。
『わたしは一度も自分の稼いだお金を使ったことがないのが、本当に恥ずかしくて悔しい』
彼女は、事故後に生まれた人であり、労働せずに生きていけてしまう環境にいることを恥じている。ネットがなければ、膜の外の世界のことも知りようがなかったから、彼女に葛藤が生まれることはなかったかもしれないけど、彼女は当たり前のように外の世界のことも知るし、だからこそ、労働でお金を稼いだことがない自分を恥じてしまう。普通でありたい、という気持ちが、パンを焼くなんていう単純な物語からも生まれていきます。
また、読んでる時にははっきりとは時系列を捉えられなかったのだけど、別々の様々な人間を描き出す群像劇のような物語の中に、定期的に登場する市川希という人物がいる。彼女が置かれている状況については、物語を読みながら徐々に分かる構成になっているはずだからここでは触れないけど、他の人たちとはちょっと違った状況を生きている。度々触れられる希の物語は、他の人たち以上に悲哀に満ちていて、でもそこには揺るぎない強さもある。最後、希が手に入れる生活と、その果てにある結末には、作中ではそこまで焦点が当てられてこなかった「絶望」に一気に焦点が当たったようで、辛さが押し寄せてくるような感覚がありました。
ヤマシタトモコ「花井沢町公民館便り」
もちろん、「死ぬ」という選択肢もまた、常にあることはある。しかし、やはりそれはどうしても、現実的な選択肢としては検討しにくいものがある。他にもある、無数の選択肢と、同列には扱えない。様々な選択肢を色々と検討し、そのどれもが不可能だ、となった時、初めて「選択肢」という形で立ち上がってくるものが「死ぬ」だと思うのだ。
だから結局、僕らは生きていくしかない。
結局生きていくしかないんだ、という部分を大前提にすると、どう生きたいのか、という問いが優先される。目の前の現実を嘆いたり、ないものねだりをしたり、過去の言動を悔やんだりしても、それは「今をどう生きるか」にはなかなか繋がっていかない。それよりは、目の前の現実を受け入れてみたり、あるものでどうにかしてみたり、未来を目指す意志を持った方がいい。
そして、そういう人間を描く物語は、やはり「強さ」を感じるな、と思うのだ。
僕らは、現代の日本に、絶望の隣で生きざるを得ない人々のことを知っている。福島第一原発事故により被災した福島県の人たちだ。もちろん彼らには、県外で暮らす、という選択肢はある。しかし、誰もがそういう選択が出来るわけではない。様々な理由で、生活というのは土地に縛られているものだ。自分がいる場所がどんな土地であろうが、ここで生きていくしかない、という決断はどんな場合にもあり得るし、そこにどんな風に外から批判を加えたところで意味をなさない。
色んな選択肢が過ぎったに違いないが、それでも福島県で生きることを決めた人々の人生には、当然ながら「日常」がある。常に絶望に彩られている人生を「日常」とは呼ばない。絶望の気配は常に感じながらも、その中で、当たり前のことが当たり前のように行われる「日常」が生まれていく。
そしてそれは、僕らの人生だって同じだ。原発事故ほどはっきりとした絶望じゃなくたって、僕らの人生には様々な絶望の気配が常に漂っている。そして、それらを感じつつ、僕らは何でもない「日常」を生きていく。
物語の中で、「絶望」に焦点を当てることは、とても簡単だ。分かりやすいし、見えやすいし、伝わりやすい。しかし「絶望」が前面に現れると「日常」が遠のく。「日常」の中にこそ、人間の本質が溶けているように僕は思うし、そういう意味で、この物語が「絶望」を背景に追いやっている点が、非常に良いと僕は思う。
内容に入ろうと思います。
2055年5月15日、その事故は起こった。シェルターとか刑務所に使われる予定で開発されていたある技術の研究中、事故が起こった。その技術は、生命反応のある有機体は通さない見えない膜であり、事故の結果、花井沢町の1丁目から2丁目一帯にかけてが、その膜で覆われてしまった。
つまり、その内側にいる人間は、生きたままではその膜の外に出られなくなってしまった。
政府は花井沢町の住民への補償を充実させているために、住民は生活に必要なものはほぼ無料で手に入れられる。贅沢品を買う場合のみ自分のお金で、ということになっており、住民たちはWEBを通じて出来る外の仕事をやりながら、少しお金を稼ぐ。
200年もすれば確実に滅びるこの町で生きざるを得ない人々の、この町ならではの「日常」を活写する物語です。
こんな話だとは思ってもいなかったので、驚きました。ヤマシタトモコという漫画家の作品を読むのは初めてですけど、なんとなく、よくある(と言ったら失礼かもですが)恋愛モノの漫画を描いているような印象だったので、冒頭から驚かされたし、非常に面白い設定・展開の物語だなと思いました。
こういう設定の物語の場合、往々にして「いかにして膜の外に出るか」ということが話として描かれがちです。でも本書の場合は、そういう方向性がまったくありません。住民の気持ちは完全には分かりませんが、恐らく、色々試してみた後の物語なんだろう、と思います。無理なもんは無理なんだから、ジタバタしてもしょーがない、みたいな。そういうところから物語がスタートしているから、後はいかにして生きるか、という部分が純粋に描かれていて面白いと思いました。
生命反応のないものなら普通に膜を通るから、境界までくれば物資を渡したり、膜の内側に何か機械を入れたりできる。境界付近まで医者が行けば、簡単な診療ぐらいは出来るし、境界付近にステージを建てればライブだってもちろん出来る。ネットで買ったものも届くし、パンツだって盗まれる。
警察はいないから自分たちでどうにかしないといけないし、学校も通信だし、ストーカーがいても逃げ場がない。「人間が出られない境界がある」という世界の中で、どんな日常があり得るのかを、全然派手ではない形で日常感を届ける物語に仕上げているのがとても良いと思いました。
彼らの「日常」を構成している一つの感情が、「どうにか普通でいたい」ということです。もちろん、彼らが花井沢町の住人である以上、普通の生活など送れはしません。でも、そういう中にあって、なんとか普通に近づきたい、あるいは、特定の集団の中だけでいいから普通に、いや普通以上に見られたい、という欲求が、彼らを突き動かすことがあります。
そういう話で印象的だったのが、オシャレファッションツイートとパン屋です。
オシャレファッションツイートは、自分が花井沢町の住人であることを伏せて、ツイッター上にオシャレファッションの自撮り写真を上げる男の話です。彼は、ネットの世界では、みんなから憧れられるファッショニスタで、彼はその世界の中では普通以上になることが出来ます。ただ、色んな事情から、それが続けられなくなってしまう。社会がそれを許容しない、という部分ももちろんあるのだけど、それ以上に、自分自身がそれを許容できなくなる、という姿が描かれている、と感じました。
パン屋は、焼き立てのパンを食べたことがないという女性が、ネット上でパンの焼き方を教えてもらいながら自分でパンを焼いてみる、という話です。この話の中に、非常に印象的なセリフがありました。
『わたしは一度も自分の稼いだお金を使ったことがないのが、本当に恥ずかしくて悔しい』
彼女は、事故後に生まれた人であり、労働せずに生きていけてしまう環境にいることを恥じている。ネットがなければ、膜の外の世界のことも知りようがなかったから、彼女に葛藤が生まれることはなかったかもしれないけど、彼女は当たり前のように外の世界のことも知るし、だからこそ、労働でお金を稼いだことがない自分を恥じてしまう。普通でありたい、という気持ちが、パンを焼くなんていう単純な物語からも生まれていきます。
また、読んでる時にははっきりとは時系列を捉えられなかったのだけど、別々の様々な人間を描き出す群像劇のような物語の中に、定期的に登場する市川希という人物がいる。彼女が置かれている状況については、物語を読みながら徐々に分かる構成になっているはずだからここでは触れないけど、他の人たちとはちょっと違った状況を生きている。度々触れられる希の物語は、他の人たち以上に悲哀に満ちていて、でもそこには揺るぎない強さもある。最後、希が手に入れる生活と、その果てにある結末には、作中ではそこまで焦点が当てられてこなかった「絶望」に一気に焦点が当たったようで、辛さが押し寄せてくるような感覚がありました。
ヤマシタトモコ「花井沢町公民館便り」
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