「ラブレス」を観に行ってきました
内容に入ろうと思います。
舞台はロシア、あるいはその周辺の国。ボリスとジェーニャは離婚を考えていて、マンションを売却しようとしている。彼らには、アレクセイという12歳の息子がいて、しかしどちらも離婚後、引き取る意志がない。何故なら、どちらも既に恋人がおり、ボリスに至っては彼女を妊娠させている。お互いに新しい生活に踏み出すのに、息子の存在は邪魔なのだ。
深夜、息子をどちらが引き取るかで幾度となく繰り返された喧嘩をする。寝ていると思っていたアレクセイはこっそりその喧嘩を聞いていて、声を上げずに泣いている。
ボリスは、身ごもった彼女とセックスをし、ジェーニャも年上の彼氏とセックスをする。お互い、家にも碌に帰らず、それぞれの生活をしている。
ジェーニャが家に帰ると、担任の教師から、息子が2日も学校に来ていない、と連絡があった。ジェーニャはボリスに相談するも、楽観的な意見を述べる夫にキレ、警察に連絡する。しかし、警察もまともには取り合ってはくれない。彼らは、行方不明者の捜索をしてくれるボランティアグループの力を借りて、アレクセイの捜索をするが…。
というような話です。
観る人次第で様々な受け取り方が出来そうな映画ではありましたけど、個人的にはあまり面白いとは感じられない映画でした。読み取られるべき、示唆的な設定や描写は色々あるように感じたんですけど、それらを自分の中でうまく消化できなかったなぁ、という感じです。
いくつか挙げてみましょう。
まず、ボリスの会社は、原則的に離婚を禁じている、という設定が出てくる。敬虔なクリスチャンであり、離婚がバレるとクビ、という噂がある。
また、彼らが住んでいる国では、マヤ暦から読み取った滅亡の予言みたいなものが流布しているようで、それを取り上げたテレビ番組などが恐怖を煽っているという。
さらに、ウクライナの国内情勢が悪化しており、戦争に近いような状態になりつつある、というような状況がある。
彼らを取り巻く、ちょっと特殊な事情にはこういうものがあるのだけど、しかしこれらが、映画全体の中でどういう役割をしているのか、僕にはイマイチ理解できなかった。
基本的には、自分の都合しか考えていない夫婦のエゴが全開に描かれていく。彼らが気にしているのは、離婚後の生活と体面だけ。いなくなった息子に対する感情は、映画の中で切実には読み取れない。アレクセイの捜索を主導してくれるボランティアグループが一番熱心で、ボリスもジェーニャも、僕が見ている限り、息子の捜索に感情が宿っているようには見えない。「息子が行方不明になった夫婦が取るべき行動」を取っている。ただそれだけに思える。
そういう意味で言えば、西川美和の「永い言い訳」という映画を連想させる。「永い言い訳」では、妻を亡くした小説家が主人公だが、その主人公はバス事故で妻が亡くなった時、浮気の真っ最中だった。そして、妻を喪ってなお、その小説家は悲しみを感じられないでいる。そういう状況から物語が展開されていく。
スタートは似ているが、物語的には大きく違う。「ラブレス」では、結局物語の最初と最後で、目立った変化はない。もちろん、アレクセイが行方不明、という状況は大きな変化なのだが、その変化があってなお、他の変化が誘発されない、というところに異常さがある。いや、もちろん変化はあったのかもしれない。しかし、それは映画の中ではほとんど描かれることがない。観客が何を読み取っても自由だろうが、少なくとも映画全体から明確な変化を見つけ出すことは難しいだろう。
そういう描き方によって、何を伝えたかったのか。それは僕にはうまく捉えきれなかったが、この映画から何か揺さぶられるものを感じ取る人は、いるだろうという気もする。
「ラブレス」を観に行ってきました
舞台はロシア、あるいはその周辺の国。ボリスとジェーニャは離婚を考えていて、マンションを売却しようとしている。彼らには、アレクセイという12歳の息子がいて、しかしどちらも離婚後、引き取る意志がない。何故なら、どちらも既に恋人がおり、ボリスに至っては彼女を妊娠させている。お互いに新しい生活に踏み出すのに、息子の存在は邪魔なのだ。
深夜、息子をどちらが引き取るかで幾度となく繰り返された喧嘩をする。寝ていると思っていたアレクセイはこっそりその喧嘩を聞いていて、声を上げずに泣いている。
ボリスは、身ごもった彼女とセックスをし、ジェーニャも年上の彼氏とセックスをする。お互い、家にも碌に帰らず、それぞれの生活をしている。
ジェーニャが家に帰ると、担任の教師から、息子が2日も学校に来ていない、と連絡があった。ジェーニャはボリスに相談するも、楽観的な意見を述べる夫にキレ、警察に連絡する。しかし、警察もまともには取り合ってはくれない。彼らは、行方不明者の捜索をしてくれるボランティアグループの力を借りて、アレクセイの捜索をするが…。
というような話です。
観る人次第で様々な受け取り方が出来そうな映画ではありましたけど、個人的にはあまり面白いとは感じられない映画でした。読み取られるべき、示唆的な設定や描写は色々あるように感じたんですけど、それらを自分の中でうまく消化できなかったなぁ、という感じです。
いくつか挙げてみましょう。
まず、ボリスの会社は、原則的に離婚を禁じている、という設定が出てくる。敬虔なクリスチャンであり、離婚がバレるとクビ、という噂がある。
また、彼らが住んでいる国では、マヤ暦から読み取った滅亡の予言みたいなものが流布しているようで、それを取り上げたテレビ番組などが恐怖を煽っているという。
さらに、ウクライナの国内情勢が悪化しており、戦争に近いような状態になりつつある、というような状況がある。
彼らを取り巻く、ちょっと特殊な事情にはこういうものがあるのだけど、しかしこれらが、映画全体の中でどういう役割をしているのか、僕にはイマイチ理解できなかった。
基本的には、自分の都合しか考えていない夫婦のエゴが全開に描かれていく。彼らが気にしているのは、離婚後の生活と体面だけ。いなくなった息子に対する感情は、映画の中で切実には読み取れない。アレクセイの捜索を主導してくれるボランティアグループが一番熱心で、ボリスもジェーニャも、僕が見ている限り、息子の捜索に感情が宿っているようには見えない。「息子が行方不明になった夫婦が取るべき行動」を取っている。ただそれだけに思える。
そういう意味で言えば、西川美和の「永い言い訳」という映画を連想させる。「永い言い訳」では、妻を亡くした小説家が主人公だが、その主人公はバス事故で妻が亡くなった時、浮気の真っ最中だった。そして、妻を喪ってなお、その小説家は悲しみを感じられないでいる。そういう状況から物語が展開されていく。
スタートは似ているが、物語的には大きく違う。「ラブレス」では、結局物語の最初と最後で、目立った変化はない。もちろん、アレクセイが行方不明、という状況は大きな変化なのだが、その変化があってなお、他の変化が誘発されない、というところに異常さがある。いや、もちろん変化はあったのかもしれない。しかし、それは映画の中ではほとんど描かれることがない。観客が何を読み取っても自由だろうが、少なくとも映画全体から明確な変化を見つけ出すことは難しいだろう。
そういう描き方によって、何を伝えたかったのか。それは僕にはうまく捉えきれなかったが、この映画から何か揺さぶられるものを感じ取る人は、いるだろうという気もする。
「ラブレス」を観に行ってきました
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