「羊と鋼の森」を観に行ってきました
これは、僕の言い訳だ。
音楽が付いて、分からなくなってしまった。
僕は、音楽にあまり興味はない。子供の頃から、どんな種類の音楽も聞く機会がなかったし、今だって乃木坂46の曲ぐらいしか聞かない。もちろん、音楽的素養もない。
音楽的素養が必要な映画だ、などというつもりはない。ただ僕は、この映画に原作があることを知っている。原作小説では、当たり前だが、すべての事柄が文字で描かれる。音楽も、音も、すべて。僕にとっては、文字の方が馴染み深い。だから、音楽や音を言葉で説明してもらえていた時の方が、スッと入ってきたのだと思う。
急に話は飛ぶが、最近ニュースを見ると泣けてしまう事件がある。5歳の少女が両親に虐待を受けて死んでしまった事件だ。
僕は普段、人が殺される事件であろうと、ニュースを見て悲しいと感じることはない。たぶんそれは、映像だからなのだと思う。昔から映画を見ていたわけではないし、今だってyoutubeなどはほとんど見ない。まあもちろん、昔からテレビは見ていたけれども。
僕なりに分析するに、その少女の虐待事件で泣けてきてしまうのは、それが文字だからだ。
少女は両親から、朝4時に起きてひらがなの書き取りをさせていたという。その少女が、ひらがなだけで書き残した文章が読み上げられる度に、僕は、涙腺がヤバくなる。そんな経験をニュースを見ていてすることがほとんどなかったので、僕の中でこれは、非常にインパクトのある出来事だった。
多くの人にとっては、文字で描かれていたものがきちんと音を獲得することで、より深みを増すことになるのだろうと思う。でも、たぶん僕はそうではない。ピアノから実際に音が聴こえるよりも、ピアノから流れているだろう音が文字で描かれている方が馴染みやすい。
映画を見ながら、そんな風に感じていた。
内容に入ろうと思います。
戸村は高校時代、ふとしたきっかけからピアノの音に強く惹かれた。ピアノどころか、周りには山と森しかないような場所で育った男だ。何故、ピアノの音に惹かれたのか分からない。でも、確かにその音に、森を感じたのだ。
戸村は2年間、東京の調律学校に通い、卒業後、地元の楽器店「江藤楽器」に就職した。戸村が調律師を目指すきっかけとなった、板鳥さんのいる会社だ。
戸村は、柳という先輩にくっついて、調律師としての仕事を覚える。非常に難しい仕事だ。技術だけあってもダメ。知識だけあってもダメ。大事なのは、お客さんがどんな音を望んでいるのかを、きちんと捉えること。戸村は、先輩のアドバイスや、板鳥さんからの金言を手帳にメモしながら、少しずつ仕事を覚えていく。
そんな中で出会ったのが、佐倉姉妹だ。姉も妹も、共にピアノを引く。姉は奔放で、妹は大人しい。ピアノの弾き方も、全然違う。一台のピアノを、そんな対照的な二人に合わせなければならない。
調律師というのは、常に脇役だ。ピアニストを陰で支える役目。だから、調律師が目立っても仕方がない。それでも、調律師にだって目指すべき何かはあるはず―。誰もが、正解のない世界の中で、自分が信じる道を進んでいく。
というような物語です。
原作を読んだのはもう数年前なのできちんとは覚えていないが、原作をかなり忠実に映像化しているように感じた。原作の中で、僕が一番印象的だった部分は映画では描かれなかったが(50ccのバイクにしか乗れない人に、ハーレーダビッドソンのような調律をするのが正解なのか、という話)、主人公が調律という世界と出会い、才能のなさに打ちひしがれながらも、どうやっても離れられない世界にしがみつくために奮闘する様を、丁寧に描いていく。
『才能っていうのは、ものすごく好きっていう気持ちのことなんじゃないか』
僕なりにこの言葉をもう少し言い換えてみると、こうなる。
「才能っていうのは、ずっと続けられるということなんじゃないか」
それがどんなことであれ、ずっと続けることが出来ているものには、才能があると思う。どれだけ記憶力が良くても、どれだけ絵がうまくても、どれだけ楽器がうまく弾けても、それは「道具の性能が良い」というのとほとんど変わらない。その「道具」を使って何をするのか、ということが大事なのだ。だから、仮に道具の性能が低くても、ずっとずっと続けられることであれば、それは才能だと思っていい、と僕は思う。どんな状況であれ、やり続ける行為の先にしか、何かを生み出したり残したりという営みは、あり得ないと思うから。
そういう意味で、戸村には間違いなく才能がある。才能のカタマリだ。どれほど技術がなくても、どれほど知識がなくても、彼は調律という世界から離れることが出来ない。その事実だけで、才能のカタマリだ、と思う。
僕も、文章だけはずっと書き続けている。まあ、そういう意味では、才能があるといえるだろう。だからこそ、「自分には才能がない」と感じてしまう、戸村の気持ちも、なんか凄くよく分かるのだ。
「羊と鋼の森」を観に行ってきました
音楽が付いて、分からなくなってしまった。
僕は、音楽にあまり興味はない。子供の頃から、どんな種類の音楽も聞く機会がなかったし、今だって乃木坂46の曲ぐらいしか聞かない。もちろん、音楽的素養もない。
音楽的素養が必要な映画だ、などというつもりはない。ただ僕は、この映画に原作があることを知っている。原作小説では、当たり前だが、すべての事柄が文字で描かれる。音楽も、音も、すべて。僕にとっては、文字の方が馴染み深い。だから、音楽や音を言葉で説明してもらえていた時の方が、スッと入ってきたのだと思う。
急に話は飛ぶが、最近ニュースを見ると泣けてしまう事件がある。5歳の少女が両親に虐待を受けて死んでしまった事件だ。
僕は普段、人が殺される事件であろうと、ニュースを見て悲しいと感じることはない。たぶんそれは、映像だからなのだと思う。昔から映画を見ていたわけではないし、今だってyoutubeなどはほとんど見ない。まあもちろん、昔からテレビは見ていたけれども。
僕なりに分析するに、その少女の虐待事件で泣けてきてしまうのは、それが文字だからだ。
少女は両親から、朝4時に起きてひらがなの書き取りをさせていたという。その少女が、ひらがなだけで書き残した文章が読み上げられる度に、僕は、涙腺がヤバくなる。そんな経験をニュースを見ていてすることがほとんどなかったので、僕の中でこれは、非常にインパクトのある出来事だった。
多くの人にとっては、文字で描かれていたものがきちんと音を獲得することで、より深みを増すことになるのだろうと思う。でも、たぶん僕はそうではない。ピアノから実際に音が聴こえるよりも、ピアノから流れているだろう音が文字で描かれている方が馴染みやすい。
映画を見ながら、そんな風に感じていた。
内容に入ろうと思います。
戸村は高校時代、ふとしたきっかけからピアノの音に強く惹かれた。ピアノどころか、周りには山と森しかないような場所で育った男だ。何故、ピアノの音に惹かれたのか分からない。でも、確かにその音に、森を感じたのだ。
戸村は2年間、東京の調律学校に通い、卒業後、地元の楽器店「江藤楽器」に就職した。戸村が調律師を目指すきっかけとなった、板鳥さんのいる会社だ。
戸村は、柳という先輩にくっついて、調律師としての仕事を覚える。非常に難しい仕事だ。技術だけあってもダメ。知識だけあってもダメ。大事なのは、お客さんがどんな音を望んでいるのかを、きちんと捉えること。戸村は、先輩のアドバイスや、板鳥さんからの金言を手帳にメモしながら、少しずつ仕事を覚えていく。
そんな中で出会ったのが、佐倉姉妹だ。姉も妹も、共にピアノを引く。姉は奔放で、妹は大人しい。ピアノの弾き方も、全然違う。一台のピアノを、そんな対照的な二人に合わせなければならない。
調律師というのは、常に脇役だ。ピアニストを陰で支える役目。だから、調律師が目立っても仕方がない。それでも、調律師にだって目指すべき何かはあるはず―。誰もが、正解のない世界の中で、自分が信じる道を進んでいく。
というような物語です。
原作を読んだのはもう数年前なのできちんとは覚えていないが、原作をかなり忠実に映像化しているように感じた。原作の中で、僕が一番印象的だった部分は映画では描かれなかったが(50ccのバイクにしか乗れない人に、ハーレーダビッドソンのような調律をするのが正解なのか、という話)、主人公が調律という世界と出会い、才能のなさに打ちひしがれながらも、どうやっても離れられない世界にしがみつくために奮闘する様を、丁寧に描いていく。
『才能っていうのは、ものすごく好きっていう気持ちのことなんじゃないか』
僕なりにこの言葉をもう少し言い換えてみると、こうなる。
「才能っていうのは、ずっと続けられるということなんじゃないか」
それがどんなことであれ、ずっと続けることが出来ているものには、才能があると思う。どれだけ記憶力が良くても、どれだけ絵がうまくても、どれだけ楽器がうまく弾けても、それは「道具の性能が良い」というのとほとんど変わらない。その「道具」を使って何をするのか、ということが大事なのだ。だから、仮に道具の性能が低くても、ずっとずっと続けられることであれば、それは才能だと思っていい、と僕は思う。どんな状況であれ、やり続ける行為の先にしか、何かを生み出したり残したりという営みは、あり得ないと思うから。
そういう意味で、戸村には間違いなく才能がある。才能のカタマリだ。どれほど技術がなくても、どれほど知識がなくても、彼は調律という世界から離れることが出来ない。その事実だけで、才能のカタマリだ、と思う。
僕も、文章だけはずっと書き続けている。まあ、そういう意味では、才能があるといえるだろう。だからこそ、「自分には才能がない」と感じてしまう、戸村の気持ちも、なんか凄くよく分かるのだ。
「羊と鋼の森」を観に行ってきました
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Comment
[8591]
[8592]
こんばんはです~。ホントに天気が異常過ぎますね。昨日の西日本の大雨にはちょっと衝撃を受けました。100年に一度、みたいなのを、数年の間に何回も聞く時代になっちゃいましたね。
映像は綺麗でしたよね!僕は、主演が「山崎賢人」だって気づかなくて(笑)、キスマイの藤ヶ崎なんとかって人だとずっと思ってました。なかなか人の顔は覚えられないものですー。
いや、なかなか音楽が入ってこなくて難しいですね。「蜜蜂と遠雷」も、僕は文章だから受け入れられたような気がします。映像化も気になると思いますけど、ピアノの演奏同士の違いをたぶん感じられないので、文字でその違いを説明してくれる方がいいかなぁ。
って、ピアノ始めたんですか!なんか凄いですねぇ。まあ確かに、ちょっとは使ってあげる方がピアノも喜ぶでしょうけど、それにしても、だからピアノを始める、って発想は凄すぎです!調律師って、日常的に会う存在ではないので、会う機会がある方がより「羊と鋼の森」は親しみやすくなるでしょうね。しかし、ピアノがあんなにたくさんの部品で出来てて、それを少しずつ調整していかなければいけない、ってのは凄い仕事だな、と思いました。
僕は、「文才」はともかくとしても、「読み解く力」はないんですよねぇ。「書く力」で補ってる、というのが実情でして…。いつも、読解力のある人を羨ましいなぁ、と思ってます!
映像は綺麗でしたよね!僕は、主演が「山崎賢人」だって気づかなくて(笑)、キスマイの藤ヶ崎なんとかって人だとずっと思ってました。なかなか人の顔は覚えられないものですー。
いや、なかなか音楽が入ってこなくて難しいですね。「蜜蜂と遠雷」も、僕は文章だから受け入れられたような気がします。映像化も気になると思いますけど、ピアノの演奏同士の違いをたぶん感じられないので、文字でその違いを説明してくれる方がいいかなぁ。
って、ピアノ始めたんですか!なんか凄いですねぇ。まあ確かに、ちょっとは使ってあげる方がピアノも喜ぶでしょうけど、それにしても、だからピアノを始める、って発想は凄すぎです!調律師って、日常的に会う存在ではないので、会う機会がある方がより「羊と鋼の森」は親しみやすくなるでしょうね。しかし、ピアノがあんなにたくさんの部品で出来てて、それを少しずつ調整していかなければいけない、ってのは凄い仕事だな、と思いました。
僕は、「文才」はともかくとしても、「読み解く力」はないんですよねぇ。「書く力」で補ってる、というのが実情でして…。いつも、読解力のある人を羨ましいなぁ、と思ってます!
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私も一昨日この映画を観てきました。TVの「陸王」を見て以来、山崎賢人さんのファンになりましたので(笑)。北海道の風景が素敵でしたね。特にダイヤモンドダスト! 音(音楽)を言葉でなら理解しやすいというのは、通りすがりさんが読書好きだからですよ。逆は当然難しいでしょう。
恩田さんの「蜜蜂と遠雷」を読んだときに、登場する曲のタイトルを見ても、全く知らない曲が殆どという事実に愕然としましたが、だから読めないということはありませんでした。まぁ、私が楽天家ということもありそうですが(笑)。ただ恩田さんが、言葉でもって音楽を開放したという言い方をされていたと思いますが、私はそんなことが可能ということにも驚きました。できれば、この作品も映画化してほしいです。
話は変わりますが、私は昨年思い立ってピアノ教室に通い始めました。始めてからちょうど一年になります。息子が使っていたピアノがずっと放置状態だったので、ちょっと使ってみようと思ったからです。ほったらかしよりは、日々30分~1時間くらい使う人がいた方が、ピアノも嬉しいのでは?と思っています(笑)。その時、調律士をお願いしましたので、「羊と鋼の森」には親近感を持ちました。宮下さんが好きな作家ということもあります。依頼人が柔らかい音を希望した時は、羊の毛で作ったハンマーを多少ほどいていましたよね。なるほど、ピアノって生き物なんだなぁと思いました。家をリフォームした時に、ピアノ置き場を作ってもらい床を補強したので、息子が家を出た後は私が下手なりに愛用しようと思います。
>才能っていうのは、ずっと続けられるということなんじゃないか
この言葉には勇気をいただけますよね。通りすがりさんは文才と読み解く力が備わっていると思いますが、それもこれも根底に「好き」という想いがあるからですよ。これからも是非是非頑張ってくださいね。応援しています!!