中学生棋士(谷川浩司)
谷川浩司というのは僕の中で、村山聖の名前と結びついて記憶されている。
「聖の青春」という、将棋ノンフィクションの傑作がある。村山聖という、若くして病気で亡くなってしまったプロ棋士を描いた作品だ。「3月のライオン」に登場するあるキャラクターのモデルとも言われている人物だ。
その村山聖が中学生の頃、奨励会(将棋のプロ棋士になるための養成所みたいなところ)に入りたいと親を説得する場面で、こう言うのだ。
「谷川を倒すには、いま、いくしかないんじゃ」
この「谷川」が、恐らく谷川浩司だろうと思う。村山聖は、生きていれば羽生善治に匹敵しただろうと言われているほどの棋力の持ち主だった。そんな男が、絶対に倒してみせると決意した男が、谷川浩司なのだ。
さて本書のタイトルは「中学生棋士」だが、谷川浩司もまたその一人だ。中学生棋士と言えば、今は藤井聡太が世間を騒がせているが、現在のようなプロ棋士の制度が出来て以来、中学生でプロ棋士になったのは5人しかいない。プロ棋士になった順に、「加藤一二三(ひふみん)、谷川浩司、羽生善治、渡辺明、藤井聡太」である。
本書はそんな中学生棋士を中心に描く作品だが、やはり時節柄、藤井聡太の話が非常に多い。まあ、出版社としても、そういう風に本を作らせるしかないよな、と思ってしまうほど、藤井聡太が話題だということなのだけど。
というわけでこの感想でも、藤井聡太の凄さなどに触れつつ、どのように子どもの才能を伸ばしていくべきなのか、という話を書こうと思うが、その前に「3段リーグ」の話だけしてしまおうと思う。
3段リーグというのは、将棋のノンフィクションを読むとよく出てくる。この3段リーグを突破しないとプロ棋士になれない、という、いわば最終試験みたいなものであり、その過酷さについてはよく語られるのだ。
そもそも、どうやってプロ棋士になるのかの話を書こう。まず、奨励会に入らないといけない(奨励会に入るにはアマ○段以上じゃないといけないとか、誰か師匠を見つけないといけないとか色々あるはずなんだけど、詳しくは知らない)。で、そこで対局をしまくって、26歳までに4段になれば晴れてプロ棋士だ。
とはいえ、そう簡単な話ではない。奨励会に一年で何人ぐらいやってくるのか分からないが、一年でプロ棋士になれるのはたったの4人だ。3段リーグを突破すれば4段になりプロ棋士になれるのだけど、日本中から集まった将棋の天才たちの中で、さらに年間トップ4にならなければならないのだ。
さて、何故この「3段リーグ」の話を書いたのか。僕は本書を読むまで知らなかったのだけど、この過酷な「3段リーグ」を突破して中学生棋士となったのは、5人中2人、渡辺明と藤井聡太だけらしいのだ。加藤一二三・谷川浩司・羽生善治は、「3段リーグ」がない時代にプロ棋士になった。昭和に偉大な実績を残した中原誠という棋士が中学生でプロ棋士になれなかったのは、この「3段リーグ」があったせいだ、と著者は書いている。そう考えると、改めて藤井聡太の凄さがわかろうというものだ。
さて、その藤井聡太の話である。藤井聡太の凄さは、テレビや新聞で様々に見聞きしているだろう。29連勝とか、恐ろしく速いスピードでの昇段とか、とにかく話題に事欠かない。そんな中で、本書で僕が一番凄いと感じたエピソードがこれだ。
『幼稚園時代は詰将棋の解答を夢中で考えながら「考えすぎて頭が割れそう」と母・裕子さんに言ったという。幼稚園児には似つかわしくない言葉だ。幼いころから考えることが好きで、夢中になりやすい性格だったのだろう』
凄いですね。幼稚園児ですよ。幼稚園児が「考えすぎて頭割れそう」って言うんですから、ちょっと常軌を逸してますよね。僕も考えることは好きだったりするんですけど、「考えすぎて頭割れそう」なんてことにはならないからなぁ。語彙力については本書の別の箇所でも触れられている。例えば、羽生善治と非公式戦で指して勝った「自戦記」が「将棋世界」に載ったが(その一部が本書に掲載されている)、中学生とは思えない文章だ。編集者は、「一字も直しませんでした」と証言しているという。
彼の強さについては、羽生善治がこんな風に語っている(「文藝春秋」のインタビューでの発言)。
『みんな弱い部分を持ちながら年齢や経験を積んで修正し、全体として強くなっていく。でも、彼の場合は現時点で足りていない部分、粗削りな部分が全く見えません』
これに谷川浩司も「同感である」と書いている。
著者はまた、29連勝中の藤井聡太の対局を見て、こんな風に書いている。
『私が藤井四段に驚いたのは、二十九連勝という記録以上に、その間の将棋の内容である。
連勝中の将棋には、明確な悪手がほとんどなかった。勝ち将棋というのは、決定的に悪い手がないからこそ勝つわけで、当然といえば当然だが、とにかくミスが少ないのだ』
『ただ、藤井四段のこれまでの公式戦には、終盤のきわどい競り合いになった将棋が数局しかない(※他は、序中盤で優勢を築き、そのまま勝つパターンがほとんど)。ということは、彼が最も得意なはずの終盤力(※詰将棋が得意で、詰むかどうかの読みが抜群と言われている)を発揮する機会がほとんどないまま勝ち続けたことを意味しており、そこに凄みを感じる』
第一線のプロ棋士をしてこう言わしめるほどの強さを、藤井聡太は今の時点で発揮しているのだ。これからどれだけ成長していくのか末恐ろしい。
本書には、じゃあどうやったら藤井聡太みたいな能力を伸ばすことが出来るのか、についても触れられている。この点に関しては、僕が前々から感じていることをまったく同じで、まあそうだろうなと感じる。
今将棋ブームになっていて、多くの親が子どもに将棋を習わせようとしているだろう。それはいいのだけど、大事なのは、子どもが本当にそれをやりたいのかどうかだ。
『中学生で棋士になった者に共通することは、みな幼いころに自ら将棋が好きになり、のめり込んだことだ。そして、子どもが夢中になったことを親が応援するという環境がほぼ共通してあった』
『藤井四段の場合は母・裕子さんが、
「子どもには好きなことをやらせよう」
「子どもが何かに集中しているときは邪魔をしない」
と決めていたという』
『私は将棋大会などで、子どもに話をする機会があるたびにこう言っている。
「みなさん、将棋でも、将棋でなくてもいいので、自分の好きなこと、得意なことを見つけてください」』
これは僕の実感としてもある。別に僕は何か凄い能力があるわけではないのだけど、「文章を書く」という、今の僕が得意とする力が身についたのは、まさに同じような理由だと思っている。
僕は子どもの頃から理系の人間で、国語の授業が大嫌いだった。本は多少読んではいたけど、文章を書く機会などほとんどなくて、別に得意でもなんでもなかった。ただ、大人になってから、突然このブログを始めて、本を読んでは感想を書くということをやり続けた。ブログを始めて15年ぐらい経つと思うが、これだけ長く続けられたのは、結果的には「書くこと」が好きだったのだろう。最初は全然上手くもないし、早く書けもしなかったのだけど、今では、割と長い文章でも、全体の構成など考えずに書き始めて、まあ悪くない文章が書ける。僕は今、「文章を書く」ことに関してはかなり高い能力を持っていると思っているのだけど、これは完全に後天的に身に着けたものだ。
『天才的な人物が出現すると、持って生まれた才能ゆえと説明されることが多い。だが、おそらく才能と呼ばれるものは、常人とは桁外れの鍛錬をした者が生んだ結果について、人々が後から語る言葉なのではないか』
『才能とは結局、自分が好きなことに時間をささげることが苦にならない情熱の深さの度合いなのだ』
そうだよなぁ、と僕も思う。
だから、ブームだからと言って子どもに“無理矢理”将棋を学ばせようとしている親は、すぐに止めた方がいいと思う。そうではなくて、子どもがあらゆる事柄に興味を抱けるチャンスを作っておいて、その中から異常な関心を示したものに全精力を注ぎ込む方がいいだろう。結局圧倒的な努力なしには大成しないし、であれば、努力し続けられる対象をいかに見つけるかということが一番大事になってくるのだ。
というわけで書きたいことは大体書いたのだけど、最後に、本書を読んで驚いたことに触れて終わろうと思う。
「ひふみん」の愛称で知られる加藤一二三には、「ひふみんアイ」と呼ばれる行動がある。「ひふみんアイ」という言葉は聞いたことがあった。よく将棋の対局がネット中継される時なんかに「ひふみんアイ」と言われることがある。しかし僕はそれが何なのかちゃんとは分かっていなかった。
本書を読んで初めて「ひふみんアイ」が何なのかを知った。加藤一二三は対局中、相手の背中に回り込んで、対戦相手の視点から盤を見るのだそうだ(ルール違反ではない)。それを「ひふみんアイ」と呼んでいたようなのだ。謎が解けたのと同時に、加藤一二三についての謎は深まったなぁ、というエピソードだった。
谷川浩司「中学生棋士」
「聖の青春」という、将棋ノンフィクションの傑作がある。村山聖という、若くして病気で亡くなってしまったプロ棋士を描いた作品だ。「3月のライオン」に登場するあるキャラクターのモデルとも言われている人物だ。
その村山聖が中学生の頃、奨励会(将棋のプロ棋士になるための養成所みたいなところ)に入りたいと親を説得する場面で、こう言うのだ。
「谷川を倒すには、いま、いくしかないんじゃ」
この「谷川」が、恐らく谷川浩司だろうと思う。村山聖は、生きていれば羽生善治に匹敵しただろうと言われているほどの棋力の持ち主だった。そんな男が、絶対に倒してみせると決意した男が、谷川浩司なのだ。
さて本書のタイトルは「中学生棋士」だが、谷川浩司もまたその一人だ。中学生棋士と言えば、今は藤井聡太が世間を騒がせているが、現在のようなプロ棋士の制度が出来て以来、中学生でプロ棋士になったのは5人しかいない。プロ棋士になった順に、「加藤一二三(ひふみん)、谷川浩司、羽生善治、渡辺明、藤井聡太」である。
本書はそんな中学生棋士を中心に描く作品だが、やはり時節柄、藤井聡太の話が非常に多い。まあ、出版社としても、そういう風に本を作らせるしかないよな、と思ってしまうほど、藤井聡太が話題だということなのだけど。
というわけでこの感想でも、藤井聡太の凄さなどに触れつつ、どのように子どもの才能を伸ばしていくべきなのか、という話を書こうと思うが、その前に「3段リーグ」の話だけしてしまおうと思う。
3段リーグというのは、将棋のノンフィクションを読むとよく出てくる。この3段リーグを突破しないとプロ棋士になれない、という、いわば最終試験みたいなものであり、その過酷さについてはよく語られるのだ。
そもそも、どうやってプロ棋士になるのかの話を書こう。まず、奨励会に入らないといけない(奨励会に入るにはアマ○段以上じゃないといけないとか、誰か師匠を見つけないといけないとか色々あるはずなんだけど、詳しくは知らない)。で、そこで対局をしまくって、26歳までに4段になれば晴れてプロ棋士だ。
とはいえ、そう簡単な話ではない。奨励会に一年で何人ぐらいやってくるのか分からないが、一年でプロ棋士になれるのはたったの4人だ。3段リーグを突破すれば4段になりプロ棋士になれるのだけど、日本中から集まった将棋の天才たちの中で、さらに年間トップ4にならなければならないのだ。
さて、何故この「3段リーグ」の話を書いたのか。僕は本書を読むまで知らなかったのだけど、この過酷な「3段リーグ」を突破して中学生棋士となったのは、5人中2人、渡辺明と藤井聡太だけらしいのだ。加藤一二三・谷川浩司・羽生善治は、「3段リーグ」がない時代にプロ棋士になった。昭和に偉大な実績を残した中原誠という棋士が中学生でプロ棋士になれなかったのは、この「3段リーグ」があったせいだ、と著者は書いている。そう考えると、改めて藤井聡太の凄さがわかろうというものだ。
さて、その藤井聡太の話である。藤井聡太の凄さは、テレビや新聞で様々に見聞きしているだろう。29連勝とか、恐ろしく速いスピードでの昇段とか、とにかく話題に事欠かない。そんな中で、本書で僕が一番凄いと感じたエピソードがこれだ。
『幼稚園時代は詰将棋の解答を夢中で考えながら「考えすぎて頭が割れそう」と母・裕子さんに言ったという。幼稚園児には似つかわしくない言葉だ。幼いころから考えることが好きで、夢中になりやすい性格だったのだろう』
凄いですね。幼稚園児ですよ。幼稚園児が「考えすぎて頭割れそう」って言うんですから、ちょっと常軌を逸してますよね。僕も考えることは好きだったりするんですけど、「考えすぎて頭割れそう」なんてことにはならないからなぁ。語彙力については本書の別の箇所でも触れられている。例えば、羽生善治と非公式戦で指して勝った「自戦記」が「将棋世界」に載ったが(その一部が本書に掲載されている)、中学生とは思えない文章だ。編集者は、「一字も直しませんでした」と証言しているという。
彼の強さについては、羽生善治がこんな風に語っている(「文藝春秋」のインタビューでの発言)。
『みんな弱い部分を持ちながら年齢や経験を積んで修正し、全体として強くなっていく。でも、彼の場合は現時点で足りていない部分、粗削りな部分が全く見えません』
これに谷川浩司も「同感である」と書いている。
著者はまた、29連勝中の藤井聡太の対局を見て、こんな風に書いている。
『私が藤井四段に驚いたのは、二十九連勝という記録以上に、その間の将棋の内容である。
連勝中の将棋には、明確な悪手がほとんどなかった。勝ち将棋というのは、決定的に悪い手がないからこそ勝つわけで、当然といえば当然だが、とにかくミスが少ないのだ』
『ただ、藤井四段のこれまでの公式戦には、終盤のきわどい競り合いになった将棋が数局しかない(※他は、序中盤で優勢を築き、そのまま勝つパターンがほとんど)。ということは、彼が最も得意なはずの終盤力(※詰将棋が得意で、詰むかどうかの読みが抜群と言われている)を発揮する機会がほとんどないまま勝ち続けたことを意味しており、そこに凄みを感じる』
第一線のプロ棋士をしてこう言わしめるほどの強さを、藤井聡太は今の時点で発揮しているのだ。これからどれだけ成長していくのか末恐ろしい。
本書には、じゃあどうやったら藤井聡太みたいな能力を伸ばすことが出来るのか、についても触れられている。この点に関しては、僕が前々から感じていることをまったく同じで、まあそうだろうなと感じる。
今将棋ブームになっていて、多くの親が子どもに将棋を習わせようとしているだろう。それはいいのだけど、大事なのは、子どもが本当にそれをやりたいのかどうかだ。
『中学生で棋士になった者に共通することは、みな幼いころに自ら将棋が好きになり、のめり込んだことだ。そして、子どもが夢中になったことを親が応援するという環境がほぼ共通してあった』
『藤井四段の場合は母・裕子さんが、
「子どもには好きなことをやらせよう」
「子どもが何かに集中しているときは邪魔をしない」
と決めていたという』
『私は将棋大会などで、子どもに話をする機会があるたびにこう言っている。
「みなさん、将棋でも、将棋でなくてもいいので、自分の好きなこと、得意なことを見つけてください」』
これは僕の実感としてもある。別に僕は何か凄い能力があるわけではないのだけど、「文章を書く」という、今の僕が得意とする力が身についたのは、まさに同じような理由だと思っている。
僕は子どもの頃から理系の人間で、国語の授業が大嫌いだった。本は多少読んではいたけど、文章を書く機会などほとんどなくて、別に得意でもなんでもなかった。ただ、大人になってから、突然このブログを始めて、本を読んでは感想を書くということをやり続けた。ブログを始めて15年ぐらい経つと思うが、これだけ長く続けられたのは、結果的には「書くこと」が好きだったのだろう。最初は全然上手くもないし、早く書けもしなかったのだけど、今では、割と長い文章でも、全体の構成など考えずに書き始めて、まあ悪くない文章が書ける。僕は今、「文章を書く」ことに関してはかなり高い能力を持っていると思っているのだけど、これは完全に後天的に身に着けたものだ。
『天才的な人物が出現すると、持って生まれた才能ゆえと説明されることが多い。だが、おそらく才能と呼ばれるものは、常人とは桁外れの鍛錬をした者が生んだ結果について、人々が後から語る言葉なのではないか』
『才能とは結局、自分が好きなことに時間をささげることが苦にならない情熱の深さの度合いなのだ』
そうだよなぁ、と僕も思う。
だから、ブームだからと言って子どもに“無理矢理”将棋を学ばせようとしている親は、すぐに止めた方がいいと思う。そうではなくて、子どもがあらゆる事柄に興味を抱けるチャンスを作っておいて、その中から異常な関心を示したものに全精力を注ぎ込む方がいいだろう。結局圧倒的な努力なしには大成しないし、であれば、努力し続けられる対象をいかに見つけるかということが一番大事になってくるのだ。
というわけで書きたいことは大体書いたのだけど、最後に、本書を読んで驚いたことに触れて終わろうと思う。
「ひふみん」の愛称で知られる加藤一二三には、「ひふみんアイ」と呼ばれる行動がある。「ひふみんアイ」という言葉は聞いたことがあった。よく将棋の対局がネット中継される時なんかに「ひふみんアイ」と言われることがある。しかし僕はそれが何なのかちゃんとは分かっていなかった。
本書を読んで初めて「ひふみんアイ」が何なのかを知った。加藤一二三は対局中、相手の背中に回り込んで、対戦相手の視点から盤を見るのだそうだ(ルール違反ではない)。それを「ひふみんアイ」と呼んでいたようなのだ。謎が解けたのと同時に、加藤一二三についての謎は深まったなぁ、というエピソードだった。
谷川浩司「中学生棋士」
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