黒夜行

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蓮の数式(遠田潤子)

理解できないものは、分かりやすい物語の中に押し込められることが多い。
ニュースの話だ。

日々、様々な事件が起こる。あぁ、そういう状況だったら、自分でもやっちゃうかもな、というような事件もある。その時その場にたまたまいたというだけで、運が悪かったと思ってしまうような事件もある。

そして、あぁなんでこんなことしたんだろう全然理解できない、と感じる事件もある。というか、やはりこう感じる場合が多いだろう。犯罪というのは、やるべきではないことだからこそ罪とされているのだし、それをしてしまう人間に共感できるケースは、やはり多くはないはずだ。

だから僕らは、事件の背景を、分かりやすい物語で埋めようとする。

本当は、そんなことする必要はないはずなのだ。別に、テレビや新聞で報じられる事件は、自分の身の回りにいる人間が起こしたわけではない。自分とは関係ないな、と思って、理解できないものは理解できないものとして放置しておくことだってできるはずなのだ。

ただ、僕らはなかなかそういう態度を取れない。何故なら、説明できないと不安だからだ。

僕らは、何か理由があって犯罪に手を染めたのだ、と思いたい。理由があれば安心だ。何故なら、その理由さえなければ、自分はその犯罪を犯さないと思えるから。僕らは、自分が犯罪に走ってしまうことを怖れる。もしかしたら、自分もやってしまうのではないか、とどこかで思っている。その気持ちを払拭するためには、犯罪者にはみな犯罪に至る理由がちゃんとあり、かつ、その理由が自分が住む世界には存在しないのだと、あるいはその理由が存在しても自分はそんな理由では犯罪には走らないと思えれば、安心できる。

だから僕らは、犯罪の背景を知りたがるし、その背景は自分を犯罪へと駆り立てるものではないと確信したい。

そういう動機があるから、僕らは事件を、分かりやすい物語に押し込めたくなってしまう。

ただ、そうやって起こった事件を自分の中で消化していっても、何の意味もない。当然だ。分かりやすい物語は、現実ではないからだ。

物語やノンフィクションを多く読んでいる人であれば、その辺りの想像はつきやすいだろう。人にはそれぞれ色んな事情がある。進学や結婚や出産など、比較的多くの人が行う事柄であれば、その背景にはある程度共通のものを想定することが出来る。しかし、犯罪というのは、ほとんどの人が経験しないことだ。軽微なものはともかく、傷害や殺人などとなると、圧倒的な少数派だ。そんな少数派の行動を見て、共通の何かを見出そうとしてもほとんど意味がない。犯罪はそれぞれ、個別の動機が生み出しているわけで、だから分かりやすい物語などにはめ込むことなど出来るはずもないのだ。

それに僕は、「犯罪を犯した者=凶悪な人間」という画一的な見方も、変だなと思っている。何故なら、人の気持ちが分かってしまう優しい人間だからこそ犯罪に手を染めざるを得なかった、という人だっていると思うからだ。安楽死などはまさにその典型だろうが、そういう分かりやすいものでなくても、優しさが引き起こす犯罪というのは間違いなくあるはずだと思う。

だから、ニュースを見て、分かった気になるのは止めようと、なるべく意識するようにしている。

内容に入ろうと思います。
安西千穂は、41歳で教育心理学の教授となった夫・真一と義母・寛子と暮らしている。真一は寛子にべったりで、結婚記念日の食事にも寛子がついてくるほどだ。家事一切は寛子が取り仕切り、何もするなと言われている千穂に課されているのは、妊娠だ。
10年間、不妊治療をして、4度流産した。35歳。真一は、まだ続けろという。
家で何もやることがないから、頼み込んでそろばん教室を開かせてもらった千穂は、なんとかここで自分の生きがいを見つける。
ある日、真一が運転中に人をはねてしまう。咄嗟に身代わりになるよう言われた千穂は、足を怪我したと思しき被害者と接触するが、彼は千穂の話を一切無視して金も受け取らない。
後日。千穂はコンビニで、その男がお金を出すのに戸惑っているのを見かけた。もしや、と思っていたが、どうやら思った通りのようだ。
ディスカリキュリア。数字や計算全般の障害で、簡単な計算や、数を数えると言ったことが出来ない。
そろばん教室を開いている千穂は、高山透と名乗ったその男に算数の勉強を教えることになったが…。
新藤賢治は、12年前妻を殺された。47歳だった。未だにその事件を引きずる賢治は、ある日テレビを見ていて驚いた。孫が好きなおもちゃを作っている会社も出展している見本市のニュース映像の中に、大西麗の姿を見たように感じたのだ。それが、弓場紀夫の近くにいたのだから、なおさらそう感じられた。
大西麗は、12年前妻が殺されたのと同じタイミングで亡くなり、弓場紀夫は彼が死んだことを証言した男だった。12年前に死んだはずの男が、テレビに映っている。まさかな…。
しかし、真実を知りたいという欲求を抑えきれない賢治は、弓場を尋ねることにするのだが…。
というような話です。

なかなか面白い作品でした。なんというのか、作品の中の「善悪」が丸ごとひっくり返っているように思わせながら、しかしそうでありながらも読ませてしまう力のある作品だなと感じました。

本書でメインで描かれる千穂は、色んな理由がありつつも、「悪」側に引きずり込まれてしまう人間です。また、千穂と共に行動することになる男も、「悪」側にいます。

彼らがしていること、やってしまったことは、明確に「悪」です。それは、衆目が知るところとなれば必ず裁きが下される類のことで、行為そのものに対しては弁解の余地がありません。

しかし、物語を読み進めていくと、明らかに「悪」側である彼らに対して、「自分でもそうしちゃうかも…」という気持ちがちょっと湧いてきます。やっていることは明らかに「悪」なのだけど、しかし人間の感情の部分で言えば、彼らの方がより人間らしいのではないか、と感じられてしまうのです。

というのも、表向き「善」でしかない人間の悪逆な部分を本書では鋭くついてくるからです。それが誰なのかはここでは触れませんが、明らかに狂気にやられている人間です。本書には様々な人間が登場しますが、恐らく彼が一番狂っているでしょう。しかし、表向き彼は、非常に「善」側の人間とみなされているのです。

そういう人はきっと、世の中に山ほどいることでしょう。犯罪者が「悪」側であることは明白ですが、しかし「善」側に見えていながら、犯罪者以上に「悪」である人間というのは、いかようにでも想像出来ます。

それ故に、普通であれば共感できるはずがない人に対して、共感のベクトルが向きそうになる…それが本書の凄いところだと感じました。

本書のラストは、色んなことが一段落してある程度時間が経った後の、ある人物の実感みたいなものが綴られます。このラストは、非常に印象的でした。まさに、どの立場からどういう風に物事を見るかによって、これほどまでに印象が変わるのだな、と感じました。

さて、少し話を変えて、千穂の絶望の話をしましょう。

千穂は、周囲から玉の輿だと言われるほどの相手と結婚し、家事など何もしないで生活しているという、見栄えだけは抜群の人生を送っています。しかし、内実はかなり悲惨です。夫からの「愛」だと思っていたものは結婚によってすぐに消え、日常のすべてを夫と義母に支配される生活。子供が出来ないことを陰に陽に責められ、あらゆる場面で便利な存在として使われ、だからと言って逃げ場もない。僕は結婚に憧れもないし、するつもりもないから、結婚すれば幸せになれる、などという戯言を信じることはないのだけど、そう信じて結婚した先にこういう生活が待ち構えている、ということは、誰にだって起こりうることだろうと思います。

そして何よりも辛いことは、千穂の絶望は誰かに話して伝わる可能性が低い、ということです。外見的には恵まれた幸せな結婚生活を送っているように見られているのだから、千穂が体験している様々な扱われ方は信じてもらえないだろうし、子供が出来ないことも、それだけ色んなことに恵まれているんだから、というような受け取り方しかされないかもしれません。現に千穂は、『自分を祝福してくれる人がいるなど考えたことがなかった』と思っているほどです。

また、千穂と共に逃げることになる男もまた、別種の絶望の中にいる。こちらは、周りからどう見られているかなどと考えることが無意味なほど、そもそもその絶望が他人に認知されない。何をどうすればそこから抜け出せるのか、そんな可能性すら見えてこないような日常を、死人のように生きている。

絶望というのは、一度取り込まれてしまうとなかなか抜け出せない。そして、深く引きずり込まれれば、周囲から見えにくくなる。まるでブラックホールのようなものだろう。絶望に近づかないのが一番の手だが、今の世の中、どこに落とし穴があってもおかしくはない。

どうにもならない絶望の中でもがいてもがいて、それでもどうにもならない真っ暗な中を、時々光が照らすことがある。本書を読みながら僕は、どうせなら僕も、そういう光側の人間でいたいものだ、と思った。

遠田潤子「蓮の数式」

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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
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新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
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6位 「もうダマされないための「科学」講義
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小説以外
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番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)