アドラーおばあちゃん(谷口のりこ+土居一江)
大学時代に入っていたサークルで叩き込まれたことがある。
初めて聞くような新しい考え方とたくさん出会えたサークルだったが、その内の一つが、【原因は自分に追及しなければ解決できない】というものだ。
なるほどなぁ、と思ったことを覚えている。確かに、その通りだ。
何か問題があるとする。一つの問題は、色んな視点から様々な形で捉えることが出来る。例えば、不登校の問題は、親からすれば「子供が学校に“行かない”」、教師からすれば「生徒が学校に“来ない”」、不登校の本人からすれば「自分が学校に“行けない”」となる。少しずつ問題の捉え方が異なる。
さてこの場合、「自分が学校に“行けない”」というのは、「自分の問題」だから、自分がどうにかするしかない。しかし、「子供が学校に“行かない”」とか「生徒が学校に“来ない”」という風に問題を捉えている場合、その原因を不登校の本人に求めてしまいがちだろう。しかしそれでは、問題は解決しない。それがどんな問題であろうと解決しなければならない問題なのであれば、自分がどう行動するのかを問わなければ意味がないのだ。
こういう考え方を学生の内から訓練できていたのは良かったなあ、と思う。というのも、「自分に原因を追及する」という意識を常に持っていると、「それが自分に原因のある問題なのかどうか」と考える癖がつくからだ。つまりそれは、「自分の課題」を「他者の課題」を分離するということだ。
アドラー心理学では、課題の分離が重視される。それが「自分の課題」なのであれば、その課題の解決のために自分が出来ることは必ずあるし、それを全力でやればいい。でも、それが「他者の課題」なのであれば、自分の努力が介入する余地はほとんどないと考えることが出来る。
「他者の課題」というのは例えば、「Aさんが私のことを嫌うかどうか」というようなことだ。もちろん、Aさんに嫌われないように振る舞う努力は出来るかもしれないが、最終的にAさんが自分のことを嫌うかどうかは、Aさんの問題だ。それは「他者の課題」なのであり、自分が解決すべき問題ではないと諦めるのがいい。
僕は、アドラー心理学の本を殊更に読んだことはないのだけど(コミックエッセイみたいな本を一冊読んだ記憶がある)、本書を読んでみて、案外アドラー心理学的に正しい振る舞いをしているなぁ、と感じることが多かった。「課題の分離」もそうだし、『自由とは、他者から嫌われることである』って発想も、自分の中にある。出来るだけ人の良いところを探そうとしているのは、僕が別に「良い人」だからということでは全然なくて、嫌いな人間がいる方がめんどくさいからだ(同じ発言を、本書の登場人物の一人がしていた)。子供と接する時も、子供を子供扱いしたりしないし、他者の何かを自分なりの基準で「評価」することもあまりしない(このブログで書いていることは、僕の中では「評価」という感じではなくて、自分がどう感じたかを書いているだけのつもりだ)。年上の人だろうが年下の人だろうが、なるべく対等な感じで接するようにしているつもりだ。
僕は、子供の頃は人間関係で色々大変で、20歳代前半ぐらいまでは、人との関わり方には結構悩んでいた。ただ、自分なりに必死で考えて、色んな失敗もしながら、どうにかこうにか今、人間関係にほぼ苦痛を感じなくて済むようなところまで来ることが出来た。
自分なりに意識してやっていることが、アドラー心理学の主張と近いものがあって、なんだかそのことが凄く嬉しい。僕は、最初から今のような人間関係に悩まない人間でいられたわけではないので、だからこそ分かる。人間関係の悩みのほとんどは、自分の考え方次第だな、と。もちろん世の中には色んな人間がいる。自分の考え方をいくら変えようが、絶対に受け付けないタイプの人間というのはいるだろう。僕にもいる。だから、自分の考え方さえ変えればすべて解決、なんてことはもちろんないのだけど、でも、日常的な人間関係の問題はほとんど、問題を自分で作り出していると言っていいだろう。問題を作り出しているのが自分だと気づければ、解決は容易だ。
そして、アドラー心理学的な考え方を知ることで、問題を作り出しているのが自分なのだと気づきやすくなるだろう。アドラー心理学自体は、なかなか難しかったり、実行に移しにくかったりするのだけど、自分の考え方を変えるその第一歩なのだと思えれば、とっつきやすくなるのではないかと思う。
内容に入ろうと思います。
本書は、アドラー心理学の本なんですが、ちょっと変わった造りをしています。というのも、小説仕立てになっているのです。
著者の一人である谷口のりこ氏はフリーライターだそうですが、「アドラーって人の名前だったんだねぇ」というぐらい、アドラー心理学のことはまったくわからなかったそうです。アドラー心理学がブームになり始めた際、何冊か本を読んでみたけど、なかなか難しかったり、実生活に応用しにくかったりで、腑に落ちるという感覚が得られないでいたそうです。
そんな時、アドラー心理学を実際に「使っている」土居一江さんという方の存在を知り、そのワークショップに出るなどしてアドラー心理学が「使える」ことを体感。それを感じてもらうために、実際に使うということを念頭に置いて、小説仕立てでアドラー心理学を説明しようと思ったとのこと。なので、『アドラー心理学を体系的に学びたい人には向いていない本かもしれません』とまえがきで断っています。
本書の主人公は、平良静香32歳。一ツ橋出版販売という本の取次で働く、未婚彼氏なしの女性。彼女はつい最近、訳あって“おばあちゃん”(実際の祖母ではない)と同居することになった。平良楽子は76歳、10年前まで東京の私立大学でアドラー心理学について教えていた人だ。静香はこの“おばあちゃん”にアドラー心理学を学ぶことで、人間関係の悩みを次々と解消していくのだが、それにはもう一人重要な登場人物がいる。
それは、一ツ橋出版販売に中途で入ってきた荒巻よし子。「体格」とか「図体」とかいう言葉を使いたくなるような体型で、年下だろうが拭えないオバサン感があるという新人だ。この新人の振る舞いを見て、静香は憤ったり羨ましがったりする。そんな話を“おばあちゃん”にすることで、アドラー心理学的な振る舞いをする新人の行動を分析しつつ、アドラー心理学の極意を教わるのだ。
というような話です。
これはなかなか面白い作品だと思いました。まえがきにある通り、アドラー心理学を「使う」という目的に特化していて、実際に日常生活の中ですぐに活かせるような部分を重点的に描いています(とか書いてますけど、アドラー心理学を体系的に学んだことがないので、「重点的に」という表現はあくまでも予想ですが)。
世の中には色んな悩みがあるでしょうが、その背景や原因を突き詰めて考えてみると、結局人間関係の悩みに行き着くことが多いのではないかと思います。アドラー心理学は、人間関係の悩みを解消するために生み出されたと言ってもいいくらいで、本書を読むと、今自分が抱えている問題の本質がどこにあるのかを捉えやすくなるでしょう。
ただ、アドラー心理学的な考え方は、最初はなかなか受け入れられないでしょう。僕は、自分なりに色々考えて行動して、それで自分なりの行動原理みたいなのに行き着きました。結果的にそれがアドラー心理学の考えに近い部分もあったのですんなり受け入れられますが、こういう考え方を普段しない人には、スーッと入ってくるものではないでしょう。
なので、個人的に、この点だけは押さえておいた方がいいだろうなぁ、という部分に触れてみようと思います。それは、アドラー心理学に限らず、何らかの他者の考え方を自分の内側に取り込むのであれば、それが自分の問題の解決に役立つかどうかだけを重視した方がいいだろう、ということです。
例えば、「アドラー心理学が正しいかどうか」「アドラー心理学が現実の問題を正しく捉えられているか」「アドラー心理学が自分以外の他者に有効かどうか」みたいなことは、自分の問題の解決には一切関係ないので、無視していいでしょう。重要なのは、「アドラー心理学が、自分の問題の解決に役立つかどうか」だけです。ここを見失わないようにする意識を持つことをオススメします。で、役立つかどうかを判断する方法は一つしかありません。それは、「実際にやってみる」です。
そんなわけで、人間関係に問題を抱えていて、それを解決したいと思っていて、その手段としてアドラー心理学を選択肢に入れて、本書(あるいは本書ではなくてもいいけど、アドラー心理学関連の本)を読んだ方は、とりあえず実践してみるといいと思います。本書には、小さなことから大きなことまで、実際に試してみることが出来る行動が様々に書かれています。それらを実際にやってみて、自分の問題が解決するかどうか試してみましょう。試してみてうまく行かなければ、自分なりにちょっとやり方を変えてみたり、それでもダメならアドラー心理学を諦めましょう。それぐらいのスタンスで関わるといいと思います。
『「あの人の期待にこたえたい」、「あの人を傷つけたくない」という思いを優先して、誰からも好かれているかもしれないけど、自分のしたいことができなくて悶々としている“いい人”。そんな“いい人”にこそ、この本を読んで、がんじがらめになった人間関係を解きほぐす勇気をもっていただきたいと願っています』
すべての人にアドラー心理学が有効ということはないでしょう。ただ、個人的には、かなり多くの人に有効なのではないかと考えています。というのは、アドラー心理学的な考え方というのは、自分の努力だけで状況を変化させられるものだからです。何か変化をもたらすのに、他者の協力や努力は必要ありません。基本的に、自分一人が意識を変えさえすればいいのです。だからこそ、始めやすいし、止めやすいし、ハードルも低いんじゃないかなと思います。是非試してみてください。
谷口のりこ+土居一江「アドラーおばあちゃん」
初めて聞くような新しい考え方とたくさん出会えたサークルだったが、その内の一つが、【原因は自分に追及しなければ解決できない】というものだ。
なるほどなぁ、と思ったことを覚えている。確かに、その通りだ。
何か問題があるとする。一つの問題は、色んな視点から様々な形で捉えることが出来る。例えば、不登校の問題は、親からすれば「子供が学校に“行かない”」、教師からすれば「生徒が学校に“来ない”」、不登校の本人からすれば「自分が学校に“行けない”」となる。少しずつ問題の捉え方が異なる。
さてこの場合、「自分が学校に“行けない”」というのは、「自分の問題」だから、自分がどうにかするしかない。しかし、「子供が学校に“行かない”」とか「生徒が学校に“来ない”」という風に問題を捉えている場合、その原因を不登校の本人に求めてしまいがちだろう。しかしそれでは、問題は解決しない。それがどんな問題であろうと解決しなければならない問題なのであれば、自分がどう行動するのかを問わなければ意味がないのだ。
こういう考え方を学生の内から訓練できていたのは良かったなあ、と思う。というのも、「自分に原因を追及する」という意識を常に持っていると、「それが自分に原因のある問題なのかどうか」と考える癖がつくからだ。つまりそれは、「自分の課題」を「他者の課題」を分離するということだ。
アドラー心理学では、課題の分離が重視される。それが「自分の課題」なのであれば、その課題の解決のために自分が出来ることは必ずあるし、それを全力でやればいい。でも、それが「他者の課題」なのであれば、自分の努力が介入する余地はほとんどないと考えることが出来る。
「他者の課題」というのは例えば、「Aさんが私のことを嫌うかどうか」というようなことだ。もちろん、Aさんに嫌われないように振る舞う努力は出来るかもしれないが、最終的にAさんが自分のことを嫌うかどうかは、Aさんの問題だ。それは「他者の課題」なのであり、自分が解決すべき問題ではないと諦めるのがいい。
僕は、アドラー心理学の本を殊更に読んだことはないのだけど(コミックエッセイみたいな本を一冊読んだ記憶がある)、本書を読んでみて、案外アドラー心理学的に正しい振る舞いをしているなぁ、と感じることが多かった。「課題の分離」もそうだし、『自由とは、他者から嫌われることである』って発想も、自分の中にある。出来るだけ人の良いところを探そうとしているのは、僕が別に「良い人」だからということでは全然なくて、嫌いな人間がいる方がめんどくさいからだ(同じ発言を、本書の登場人物の一人がしていた)。子供と接する時も、子供を子供扱いしたりしないし、他者の何かを自分なりの基準で「評価」することもあまりしない(このブログで書いていることは、僕の中では「評価」という感じではなくて、自分がどう感じたかを書いているだけのつもりだ)。年上の人だろうが年下の人だろうが、なるべく対等な感じで接するようにしているつもりだ。
僕は、子供の頃は人間関係で色々大変で、20歳代前半ぐらいまでは、人との関わり方には結構悩んでいた。ただ、自分なりに必死で考えて、色んな失敗もしながら、どうにかこうにか今、人間関係にほぼ苦痛を感じなくて済むようなところまで来ることが出来た。
自分なりに意識してやっていることが、アドラー心理学の主張と近いものがあって、なんだかそのことが凄く嬉しい。僕は、最初から今のような人間関係に悩まない人間でいられたわけではないので、だからこそ分かる。人間関係の悩みのほとんどは、自分の考え方次第だな、と。もちろん世の中には色んな人間がいる。自分の考え方をいくら変えようが、絶対に受け付けないタイプの人間というのはいるだろう。僕にもいる。だから、自分の考え方さえ変えればすべて解決、なんてことはもちろんないのだけど、でも、日常的な人間関係の問題はほとんど、問題を自分で作り出していると言っていいだろう。問題を作り出しているのが自分だと気づければ、解決は容易だ。
そして、アドラー心理学的な考え方を知ることで、問題を作り出しているのが自分なのだと気づきやすくなるだろう。アドラー心理学自体は、なかなか難しかったり、実行に移しにくかったりするのだけど、自分の考え方を変えるその第一歩なのだと思えれば、とっつきやすくなるのではないかと思う。
内容に入ろうと思います。
本書は、アドラー心理学の本なんですが、ちょっと変わった造りをしています。というのも、小説仕立てになっているのです。
著者の一人である谷口のりこ氏はフリーライターだそうですが、「アドラーって人の名前だったんだねぇ」というぐらい、アドラー心理学のことはまったくわからなかったそうです。アドラー心理学がブームになり始めた際、何冊か本を読んでみたけど、なかなか難しかったり、実生活に応用しにくかったりで、腑に落ちるという感覚が得られないでいたそうです。
そんな時、アドラー心理学を実際に「使っている」土居一江さんという方の存在を知り、そのワークショップに出るなどしてアドラー心理学が「使える」ことを体感。それを感じてもらうために、実際に使うということを念頭に置いて、小説仕立てでアドラー心理学を説明しようと思ったとのこと。なので、『アドラー心理学を体系的に学びたい人には向いていない本かもしれません』とまえがきで断っています。
本書の主人公は、平良静香32歳。一ツ橋出版販売という本の取次で働く、未婚彼氏なしの女性。彼女はつい最近、訳あって“おばあちゃん”(実際の祖母ではない)と同居することになった。平良楽子は76歳、10年前まで東京の私立大学でアドラー心理学について教えていた人だ。静香はこの“おばあちゃん”にアドラー心理学を学ぶことで、人間関係の悩みを次々と解消していくのだが、それにはもう一人重要な登場人物がいる。
それは、一ツ橋出版販売に中途で入ってきた荒巻よし子。「体格」とか「図体」とかいう言葉を使いたくなるような体型で、年下だろうが拭えないオバサン感があるという新人だ。この新人の振る舞いを見て、静香は憤ったり羨ましがったりする。そんな話を“おばあちゃん”にすることで、アドラー心理学的な振る舞いをする新人の行動を分析しつつ、アドラー心理学の極意を教わるのだ。
というような話です。
これはなかなか面白い作品だと思いました。まえがきにある通り、アドラー心理学を「使う」という目的に特化していて、実際に日常生活の中ですぐに活かせるような部分を重点的に描いています(とか書いてますけど、アドラー心理学を体系的に学んだことがないので、「重点的に」という表現はあくまでも予想ですが)。
世の中には色んな悩みがあるでしょうが、その背景や原因を突き詰めて考えてみると、結局人間関係の悩みに行き着くことが多いのではないかと思います。アドラー心理学は、人間関係の悩みを解消するために生み出されたと言ってもいいくらいで、本書を読むと、今自分が抱えている問題の本質がどこにあるのかを捉えやすくなるでしょう。
ただ、アドラー心理学的な考え方は、最初はなかなか受け入れられないでしょう。僕は、自分なりに色々考えて行動して、それで自分なりの行動原理みたいなのに行き着きました。結果的にそれがアドラー心理学の考えに近い部分もあったのですんなり受け入れられますが、こういう考え方を普段しない人には、スーッと入ってくるものではないでしょう。
なので、個人的に、この点だけは押さえておいた方がいいだろうなぁ、という部分に触れてみようと思います。それは、アドラー心理学に限らず、何らかの他者の考え方を自分の内側に取り込むのであれば、それが自分の問題の解決に役立つかどうかだけを重視した方がいいだろう、ということです。
例えば、「アドラー心理学が正しいかどうか」「アドラー心理学が現実の問題を正しく捉えられているか」「アドラー心理学が自分以外の他者に有効かどうか」みたいなことは、自分の問題の解決には一切関係ないので、無視していいでしょう。重要なのは、「アドラー心理学が、自分の問題の解決に役立つかどうか」だけです。ここを見失わないようにする意識を持つことをオススメします。で、役立つかどうかを判断する方法は一つしかありません。それは、「実際にやってみる」です。
そんなわけで、人間関係に問題を抱えていて、それを解決したいと思っていて、その手段としてアドラー心理学を選択肢に入れて、本書(あるいは本書ではなくてもいいけど、アドラー心理学関連の本)を読んだ方は、とりあえず実践してみるといいと思います。本書には、小さなことから大きなことまで、実際に試してみることが出来る行動が様々に書かれています。それらを実際にやってみて、自分の問題が解決するかどうか試してみましょう。試してみてうまく行かなければ、自分なりにちょっとやり方を変えてみたり、それでもダメならアドラー心理学を諦めましょう。それぐらいのスタンスで関わるといいと思います。
『「あの人の期待にこたえたい」、「あの人を傷つけたくない」という思いを優先して、誰からも好かれているかもしれないけど、自分のしたいことができなくて悶々としている“いい人”。そんな“いい人”にこそ、この本を読んで、がんじがらめになった人間関係を解きほぐす勇気をもっていただきたいと願っています』
すべての人にアドラー心理学が有効ということはないでしょう。ただ、個人的には、かなり多くの人に有効なのではないかと考えています。というのは、アドラー心理学的な考え方というのは、自分の努力だけで状況を変化させられるものだからです。何か変化をもたらすのに、他者の協力や努力は必要ありません。基本的に、自分一人が意識を変えさえすればいいのです。だからこそ、始めやすいし、止めやすいし、ハードルも低いんじゃないかなと思います。是非試してみてください。
谷口のりこ+土居一江「アドラーおばあちゃん」
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