紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場(佐々涼子)
「紙」に対する印象が大きく変わった。
僕は、なんとなくこんな想像をしていた。例えば、何でもいいけど、例えばカップラーメンの工場のように、機械に材料をセットして流し込んでしまえば、機会がすべてやってくれて製品にしてくれる。紙もそんな風に出来ているのだ、と思っていた。もちろん、工場にセットされている機械には様々な工夫がされているわけで、それは技術の結晶なわけだが、機械化が進むということは人の手が排除されていくというわけで、紙もそういうよくある工業製品の一つだという捉え方しか出来ていなかった。
しかし、どうやら違うようだ。
『製紙会社には、紙の作り方を記した門外不出の「レシピ」と言われるものがある。表面の仕上げに使う薬品など、それぞれの紙の仕上げ方は、長年の研究の上に積み上げたものである。それらもまた、知的財産としてそれぞれの工場内で伝えられている。しかし、「レシピ」だけでは完璧に仕上げることができない。最後の微妙な塩加減が料理人の腕にかかっているように、技術者たちの微調整が完璧な紙を作り上げているのである』
『(中略)石巻工場の8号抄紙機、通称「8マシン」で作られているのである。
8マシンのリーダー、佐藤憲昭(46)は、「うちのはクセがあるからね。本屋に並んでいても見りゃわかりますよ」と言葉に紙への愛情をのぞかせる。』
なるほど、紙というのは機械で作られているものではあるが、工業製品というよりもむしろ職人の手によるものと言った方がいいのかもしれない。何せ、作った本人であれば、自分たちの工場で作った紙かどうか、書店で並んでいる本の状態から分かる、というのだ。これは、工業製品ではなかなかないことだろう。
8マシンには、こんな話さえある。
『日ごろ憲昭は上司から、「8号の『姫』がご機嫌を損ねるから、遠くへ出張しないでくれ」と言われている。彼がいない日に限って、8号が「すべて」調子が悪くなるからだ。彼が戻ってくると途端に調子がよくなるのを見て、「やっぱノリさんがいないとダメだ」と同僚たちが笑った。まるでだだっ子だった』
ホントかよ、と眉に唾をつけて聞きたくなるような話ではあるが、まあさすがに嘘はつかないだろう。機械を使っているとはいえ、紙作りとは職人工芸であり、だからこそ他では代替が利かない。
『8号抄紙機、8号、8マシンなどと呼ばれるこの抄紙機は、1970年に稼働した古いマシンである。この抄紙機は単行本や、各出版社の文庫本の本文用紙、そしてコミック用紙を製造していた。
高度な専門性をもったこのマシンで作る紙は、ほかの工場では作れないものが多かった』
日本製紙がどれだけの数の工場を保有しているのかは知らないが、「8号にしか作れない」というのは本当なんだろうか?と思うだろう。僕も思った。『現に、日本の出版用紙の約四割を日本製紙が供給してきたのだ』とも書かれており、これらを突き合わせれば、石巻工場の8号が、日本の出版用紙の4割に近い数を供給していた、ということになるのだろう。
だからこそ、東日本大震災によって石巻工場が被災したことで、出版が大混乱に陥った。
『「今、大変ですよ。社内で紙がないって大騒ぎしてます。石巻に大きな製紙工場があってね。そこが壊滅状態らしいの。うちの雑誌もページを減らさないといけないかも。佐々さんは東北で紙が作られてるって知ってましたか?」
私は首を振った。ライターの私も、ベテラン編集者の彼女も、出版物を印刷するための紙が、どこで作られているのかまったく知らなかったのだ』
確かにそうだ、と思う。どこで紙が作られているのかなど、普通は気にしないだろう。紙はたぶん誰にとっても、あって当たり前のものだからだ。自分の家の水道の水がどこからやってくるのか知らないのと同じだろう。
石巻工場が壊滅状態に陥ったことは、僕たちの予想を遥かに超える事態だった。8号の責任者である佐藤憲昭はこう断言する。
『8号が止まるときは、この国の出版が倒れる時です』
日本製紙は、誰もが想像し得なかったスピードで復興を果たした。それは、現場の作業員でさえ信じられないほどのスピードだった。そして、まず最初に稼働させたのが、8号なのだ。そこには、こんな強い想いがあった。
『日本製紙のDNAは出版用紙にあります。我々には、出版社とともに戦前からやって来たという自負がある。出版社と我々には固い絆がある。ここで立ち上げる順番は、どうしても出版社を中心としたものでなければならなかったのです』
『大きな傷を負った日本製紙は、なおも出版を支えようとした。この決断は、人々の家の本棚に、何年も何十年も所蔵される紙を作っているという誇りから来るものだ』
さてそんな、日本の出版を支えている石巻工場は、どのように立ち直ったのだろうか。
被災した石巻工場を見て、多くの人は同じような感想を抱いた。
『おしまいだ、きっと日本製紙は石巻を見捨てる』
『あれを見て、工場が復興できると思った人は誰もいない』
『最も楽観的な者でさえ、復旧には数年かかると踏んでいた』
『果たしてこんな工場が生き返ると、誰が思うだろう。池内はこの時、工場の閉鎖を覚悟した。
<これなら、最初から新しく工場を作ったほうが早いんじゃないのか?>』
ほとんど、絶望的な状況である。ありとあらゆるものが水に浸かり、東京ドーム約23個分という敷地内に、家屋や車の残骸が大量に流入していた。
『(可燃性の薬品もある中で)工場が燃えなかったのは、奇跡みたいなものです。あの時、火事になっていたら石巻工場の再建はなかった』
そんな不幸中の幸いはあったものの、誰がどう見ても、立て直せるとは思えない状態だった。
しかし、工場長である倉田は、驚くべき決断をする。
『ところが次の瞬間、倉田は表情を変えることもなく、課長たちが耳を疑うようなことを言い始めた。
「そこで期限を切る。半年。期限は半年だ」』
工場長が倉田であったことは僥倖だった。
通常であれば大卒のキャリア組は三交代の現場に配属されることはない。しかし倉田は、体力がありそうだという理由で現場に回された。また、北海道の複数の工場の立て直しに関わったこともあった。だから、現場にどこまでのことが出来て、どこに限界があって、何が無理なのか、自身の経験から判断することが出来た。
そんな倉田が工場長だったからこそ出来た「半年」という決断だった。
『いったん現場が「やり遂げる」と腹をくくって覚悟を決めれば、どんなに困難であろうと、絶対に乗り越えて仕事を仕上げてくることを知っていた。彼らはいつも想定外の出来事に対応している。マニュアルでは解決できないトラブルへの耐性が備わっていた。そして何より、倉田はどん底に落ちた時の人間の底力を知っている』
彼らが、どんな困難の果てに石巻工場の再建を果たしたのか、その詳細は是非本書を読んで欲しい。東日本大震災に関わる話はどれも悲惨で困難極まるものばかりだが、被災地での奮闘が、日本の出版が崩壊することを防いだという本書の描き方は、悲惨さや困難さだけではない何かを伝えてくれると思う。本書には、日本製紙石巻硬式野球部の記述もある。お荷物とも呼ばれがちな企業運動部をいかに存続させるのかの決断もまた、石巻工場の再建に負けず劣らず見事だと思う。
最後に。印象的だった数字を二つ紹介して終わろうと思う。
まず、8号よりも前に復旧を目指していたN6というマシンがある。このマシンは、1台で小さな製紙工場の生産量を上回るほどの力を持っているのだが、驚くべきはその値段。一台なんと630億円だという。イメージしにくいだろうが、東京スカイツリーの総工費650億円と比較すると、その凄さが分かるだろう。
また日本製紙は、東日本大震災において会社全体で1000億円の被害を被ったという。その大半が石巻工場の再建費用であり、私企業では東京電力に次ぐ巨額の費用をつぎ込んでの立て直しだったという。
たかが紙、されど紙。普段紙と関わる仕事をしている身として、新たな発見もあったし、また、当たり前にあるからと言って疎かにしてはいけないなと実感できる作品だった。
佐々涼子「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場」
僕は、なんとなくこんな想像をしていた。例えば、何でもいいけど、例えばカップラーメンの工場のように、機械に材料をセットして流し込んでしまえば、機会がすべてやってくれて製品にしてくれる。紙もそんな風に出来ているのだ、と思っていた。もちろん、工場にセットされている機械には様々な工夫がされているわけで、それは技術の結晶なわけだが、機械化が進むということは人の手が排除されていくというわけで、紙もそういうよくある工業製品の一つだという捉え方しか出来ていなかった。
しかし、どうやら違うようだ。
『製紙会社には、紙の作り方を記した門外不出の「レシピ」と言われるものがある。表面の仕上げに使う薬品など、それぞれの紙の仕上げ方は、長年の研究の上に積み上げたものである。それらもまた、知的財産としてそれぞれの工場内で伝えられている。しかし、「レシピ」だけでは完璧に仕上げることができない。最後の微妙な塩加減が料理人の腕にかかっているように、技術者たちの微調整が完璧な紙を作り上げているのである』
『(中略)石巻工場の8号抄紙機、通称「8マシン」で作られているのである。
8マシンのリーダー、佐藤憲昭(46)は、「うちのはクセがあるからね。本屋に並んでいても見りゃわかりますよ」と言葉に紙への愛情をのぞかせる。』
なるほど、紙というのは機械で作られているものではあるが、工業製品というよりもむしろ職人の手によるものと言った方がいいのかもしれない。何せ、作った本人であれば、自分たちの工場で作った紙かどうか、書店で並んでいる本の状態から分かる、というのだ。これは、工業製品ではなかなかないことだろう。
8マシンには、こんな話さえある。
『日ごろ憲昭は上司から、「8号の『姫』がご機嫌を損ねるから、遠くへ出張しないでくれ」と言われている。彼がいない日に限って、8号が「すべて」調子が悪くなるからだ。彼が戻ってくると途端に調子がよくなるのを見て、「やっぱノリさんがいないとダメだ」と同僚たちが笑った。まるでだだっ子だった』
ホントかよ、と眉に唾をつけて聞きたくなるような話ではあるが、まあさすがに嘘はつかないだろう。機械を使っているとはいえ、紙作りとは職人工芸であり、だからこそ他では代替が利かない。
『8号抄紙機、8号、8マシンなどと呼ばれるこの抄紙機は、1970年に稼働した古いマシンである。この抄紙機は単行本や、各出版社の文庫本の本文用紙、そしてコミック用紙を製造していた。
高度な専門性をもったこのマシンで作る紙は、ほかの工場では作れないものが多かった』
日本製紙がどれだけの数の工場を保有しているのかは知らないが、「8号にしか作れない」というのは本当なんだろうか?と思うだろう。僕も思った。『現に、日本の出版用紙の約四割を日本製紙が供給してきたのだ』とも書かれており、これらを突き合わせれば、石巻工場の8号が、日本の出版用紙の4割に近い数を供給していた、ということになるのだろう。
だからこそ、東日本大震災によって石巻工場が被災したことで、出版が大混乱に陥った。
『「今、大変ですよ。社内で紙がないって大騒ぎしてます。石巻に大きな製紙工場があってね。そこが壊滅状態らしいの。うちの雑誌もページを減らさないといけないかも。佐々さんは東北で紙が作られてるって知ってましたか?」
私は首を振った。ライターの私も、ベテラン編集者の彼女も、出版物を印刷するための紙が、どこで作られているのかまったく知らなかったのだ』
確かにそうだ、と思う。どこで紙が作られているのかなど、普通は気にしないだろう。紙はたぶん誰にとっても、あって当たり前のものだからだ。自分の家の水道の水がどこからやってくるのか知らないのと同じだろう。
石巻工場が壊滅状態に陥ったことは、僕たちの予想を遥かに超える事態だった。8号の責任者である佐藤憲昭はこう断言する。
『8号が止まるときは、この国の出版が倒れる時です』
日本製紙は、誰もが想像し得なかったスピードで復興を果たした。それは、現場の作業員でさえ信じられないほどのスピードだった。そして、まず最初に稼働させたのが、8号なのだ。そこには、こんな強い想いがあった。
『日本製紙のDNAは出版用紙にあります。我々には、出版社とともに戦前からやって来たという自負がある。出版社と我々には固い絆がある。ここで立ち上げる順番は、どうしても出版社を中心としたものでなければならなかったのです』
『大きな傷を負った日本製紙は、なおも出版を支えようとした。この決断は、人々の家の本棚に、何年も何十年も所蔵される紙を作っているという誇りから来るものだ』
さてそんな、日本の出版を支えている石巻工場は、どのように立ち直ったのだろうか。
被災した石巻工場を見て、多くの人は同じような感想を抱いた。
『おしまいだ、きっと日本製紙は石巻を見捨てる』
『あれを見て、工場が復興できると思った人は誰もいない』
『最も楽観的な者でさえ、復旧には数年かかると踏んでいた』
『果たしてこんな工場が生き返ると、誰が思うだろう。池内はこの時、工場の閉鎖を覚悟した。
<これなら、最初から新しく工場を作ったほうが早いんじゃないのか?>』
ほとんど、絶望的な状況である。ありとあらゆるものが水に浸かり、東京ドーム約23個分という敷地内に、家屋や車の残骸が大量に流入していた。
『(可燃性の薬品もある中で)工場が燃えなかったのは、奇跡みたいなものです。あの時、火事になっていたら石巻工場の再建はなかった』
そんな不幸中の幸いはあったものの、誰がどう見ても、立て直せるとは思えない状態だった。
しかし、工場長である倉田は、驚くべき決断をする。
『ところが次の瞬間、倉田は表情を変えることもなく、課長たちが耳を疑うようなことを言い始めた。
「そこで期限を切る。半年。期限は半年だ」』
工場長が倉田であったことは僥倖だった。
通常であれば大卒のキャリア組は三交代の現場に配属されることはない。しかし倉田は、体力がありそうだという理由で現場に回された。また、北海道の複数の工場の立て直しに関わったこともあった。だから、現場にどこまでのことが出来て、どこに限界があって、何が無理なのか、自身の経験から判断することが出来た。
そんな倉田が工場長だったからこそ出来た「半年」という決断だった。
『いったん現場が「やり遂げる」と腹をくくって覚悟を決めれば、どんなに困難であろうと、絶対に乗り越えて仕事を仕上げてくることを知っていた。彼らはいつも想定外の出来事に対応している。マニュアルでは解決できないトラブルへの耐性が備わっていた。そして何より、倉田はどん底に落ちた時の人間の底力を知っている』
彼らが、どんな困難の果てに石巻工場の再建を果たしたのか、その詳細は是非本書を読んで欲しい。東日本大震災に関わる話はどれも悲惨で困難極まるものばかりだが、被災地での奮闘が、日本の出版が崩壊することを防いだという本書の描き方は、悲惨さや困難さだけではない何かを伝えてくれると思う。本書には、日本製紙石巻硬式野球部の記述もある。お荷物とも呼ばれがちな企業運動部をいかに存続させるのかの決断もまた、石巻工場の再建に負けず劣らず見事だと思う。
最後に。印象的だった数字を二つ紹介して終わろうと思う。
まず、8号よりも前に復旧を目指していたN6というマシンがある。このマシンは、1台で小さな製紙工場の生産量を上回るほどの力を持っているのだが、驚くべきはその値段。一台なんと630億円だという。イメージしにくいだろうが、東京スカイツリーの総工費650億円と比較すると、その凄さが分かるだろう。
また日本製紙は、東日本大震災において会社全体で1000億円の被害を被ったという。その大半が石巻工場の再建費用であり、私企業では東京電力に次ぐ巨額の費用をつぎ込んでの立て直しだったという。
たかが紙、されど紙。普段紙と関わる仕事をしている身として、新たな発見もあったし、また、当たり前にあるからと言って疎かにしてはいけないなと実感できる作品だった。
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