開幕ベルは華やかに(有吉佐和子)
もの凄く面白かった!
期待値が低かった、ということもあるのかもしれないけど、いやはや、べらぼうに面白い。30年以上前、それこそ僕が生まれたのとほぼ同じ年に出版されたとは思えないほど古さを感じさせないし、演劇を舞台に脅迫電話から始まる事件を描いているのに、事件じゃないところが滅法面白いというのも凄い。有吉佐和子、凄いな。
内容に入ろうと思います。
推理作家の渡紳一郎は、うまく入眠できないという問題を長年抱えていた。今は、必要な量の薬を的確な時間に飲み、生活全体を穏やかにすることできちんと睡眠を確保できるサイクルを生み出している。しかし、そんなサイクルを邪魔する電話が掛かってきた。しかも、とんでもない電話だった。
元妻である小野寺ハルからの電話は、常軌を逸したものだった。演劇界にその名を馳せる加藤梅三という脚本家が、開幕を一ヶ月後に控えて降りてしまったという。その演劇は、川島芳子を主人公に据えたもので、松宝の看板である八重垣光子と中村勘十郎を東竹が借りて行う一大プロジェクトだった。しかし、脚本がないんじゃどうにもならない。そこで小野寺ハルにお鉢が回ってきた、ということらしい。それだけなら渡には何の関係もない話だ。しかしこの元妻は、依頼を引き受けるに当たって一つ条件を出したという。それが、演出は渡紳一郎でお願いします、というものだった。
かつて渡は演劇界にいた。しかし、あまりのストレスにより入眠できない日々が続き、二度と演劇界には戻らないと決意して、渡は推理作家へと転身したのだ。それをこの女はぶち壊しにしようとする…。
とはいえ、渡はその話を引き受けた。そして、すったもんだありながら、どうにか初日を迎えることが出来た。そのすったもんだの中には、渡の処女作に主演した花村紅子の死去も含まれている。舞台の幕が開く、まさにその前日に、花村紅粉の葬儀が行われるのだ。
初日から、関係者を慌てさせる色んなことが起こるも、観客は大喝采。連日超満員の大評判となった。帝劇側も、補助席を目一杯出して詰め込む作戦である。
そんなある日、帝劇の貴賓室の電話が鳴った。おかしい。この電話がなることなど、ほとんどないのだ。支配人の大島ですら、この番号を知らないほどだ。不審に思いながら出てみると、男の声で、「二億円用意しろ。でないと大詰めで女優を殺す」と言われる。なんてことだ、今日はただでさえ混雑が予測されるのに、その上脅迫電話か…。八重垣光子には敵が多く、彼女を守る必要などないという意見も出たり、そもそも光子自身も、舞台で死ねるなら本望、と言ってのけるし、中村勘十郎にしてからも、もう十分生きただろう、光子を守る協力などはしない、などと言い張る始末。その内、誰も予想していなかった展開が次々起こり…。
というような話です。
面白い作品だったなぁ。繰り返すけど、古さをまったく感じさせない作品だし、最初から最後まで一気に読ませる。最後、真犯人が明らかになる辺りの展開は、本格ミステリ的ではない(具体的には書かないけど)感じで、それはちょっとなぁ、と思う部分はないでもない。とはいえ、別に本書は本格ミステリとして書かれたわけでもないし、全体的にはもの凄く面白い作品だから、さほど気にならなかった。
一番凄いと思ったのは、本書の構成だ。なんと、脅迫電話が掛かって来るまでに200ページ掛かる。全部で430ページ程の作品だから、ほぼ中間地点から事件が始まる、と言っていい。じゃあ、事件が起こるまで面白くないのかと言えば、それは逆で、むしろ冒頭200ページが滅法面白いのだ。これが凄いと思う。
最初の200ページでは、渡とハルが演出と脚本を引き受け奮闘する話や稽古の様子、また初日からしばらくの間の演劇の内容が描かれていく。こう書くとさほど面白くなさそうに思えるだろうが、さにあらず。とにかく、八重垣光子と中村勘十郎が凄すぎて、この二人が織りなすやり取りがとにかく面白い。
二人共、看板俳優でありながら、セリフを全然覚えてこない。じゃあどうするのかと言えば、舞台上に隠れている「プロンプ」と呼ばれる、台本を持って役者にセリフを教える係というのがいるのだ。彼らが良いタイミングで役者にセリフを伝える。もちろん口頭で伝えるわけだが、「プロンプ」の声は役者にだけ届くように調整されるので、観客席からは聞こえない。
で、この二人は、セリフを覚えないという理由もあるんだろう、元のセリフとは全然違うことを喋ったり、台本にないような演技をバンバンしてくる。即興でセリフを作り上げては、相手とのやり取りを成立させていく。もちろん本書は小説だから何でも出来てしまうのだが、本書の解説によれば、八重垣光子にも中村勘十郎にも実在のモデルがいるという。その実在のモデルの方にしても、どこまでそういう即興でのセリフ回しをしていたのか分からないのだけど、そういうことは演劇界では往々にしてあることなのだろう。それがリアルに描かれていた。
台本になりセリフをやり合うことで、お互いの力試しや力関係を示す意図があり、だから八重垣光子と中村勘十郎はバチバチなのだ。実際には、八重垣光子は何を考えているんだかよく分からないのだが、中村勘十郎は光子のことを「殺してやる」と思っているぐらいムカついている。しかし困ったことに、八重垣光子の演技は、それはそれは観客を魅了するのだ。演技があまりに天才的であるが故に、誰も光子に口出しが出来ない。八重垣光子という超天才に周りが振り回されている、という構図が歴然とあるのだ。この状況を、舞台上での演技だけではなく、舞台裏での振る舞い、松宝や東竹の上層部の反応、付き人たちの証言などから明らかにしていく。もちろんその状況が、物語全体を左右することにもなるわけで、冒頭200ページでその辺りのことを掘り下げるのはとても重要なのだ。
事件が起こる前、彼らが彼らにとっての日常である「演劇」の世界を普通に生きているだけで、物語としてはもう十分スリリングなのだ。著者は演劇にも造詣が深かったようで、だからこそ演劇の世界を掘り下げて描くことが出来るのだろう。そのことが、物語を厚みのあるものにしている。
そして、事件のきっかけとなる脅迫電話が掛かってきてからも、基本的には演劇主体で物語が進んでいく。というのも、脅迫犯がどう出て来るのか、そしてどこの誰なのか、みたいなことがほとんど掴めないからだ。だから事件の方で物語を牽引していくことはなかなか難しい。
そんなわけで、事件が起こってからも、やはり八重垣光子と中村勘十郎の演劇が物語全体を引っ張っていくことになるのだ。脅迫電話が掛かってきてからは、ギアが一段上がったかのようにテンポが一層スピーディーとなり、てんやわんやの様相を呈することになる。そうした中で、一体誰がどんな目的で事件を引き起こしたのか…。もちろんこの点も面白く読ませるのだ。
なんとなく文学的な作品をイメージしていましたが、超ドエンタメ作品でした。ちょっと長いですけど、一気読みの一冊なので、是非読んでみてください。
有吉佐和子「開幕ベルは華やかに」
期待値が低かった、ということもあるのかもしれないけど、いやはや、べらぼうに面白い。30年以上前、それこそ僕が生まれたのとほぼ同じ年に出版されたとは思えないほど古さを感じさせないし、演劇を舞台に脅迫電話から始まる事件を描いているのに、事件じゃないところが滅法面白いというのも凄い。有吉佐和子、凄いな。
内容に入ろうと思います。
推理作家の渡紳一郎は、うまく入眠できないという問題を長年抱えていた。今は、必要な量の薬を的確な時間に飲み、生活全体を穏やかにすることできちんと睡眠を確保できるサイクルを生み出している。しかし、そんなサイクルを邪魔する電話が掛かってきた。しかも、とんでもない電話だった。
元妻である小野寺ハルからの電話は、常軌を逸したものだった。演劇界にその名を馳せる加藤梅三という脚本家が、開幕を一ヶ月後に控えて降りてしまったという。その演劇は、川島芳子を主人公に据えたもので、松宝の看板である八重垣光子と中村勘十郎を東竹が借りて行う一大プロジェクトだった。しかし、脚本がないんじゃどうにもならない。そこで小野寺ハルにお鉢が回ってきた、ということらしい。それだけなら渡には何の関係もない話だ。しかしこの元妻は、依頼を引き受けるに当たって一つ条件を出したという。それが、演出は渡紳一郎でお願いします、というものだった。
かつて渡は演劇界にいた。しかし、あまりのストレスにより入眠できない日々が続き、二度と演劇界には戻らないと決意して、渡は推理作家へと転身したのだ。それをこの女はぶち壊しにしようとする…。
とはいえ、渡はその話を引き受けた。そして、すったもんだありながら、どうにか初日を迎えることが出来た。そのすったもんだの中には、渡の処女作に主演した花村紅子の死去も含まれている。舞台の幕が開く、まさにその前日に、花村紅粉の葬儀が行われるのだ。
初日から、関係者を慌てさせる色んなことが起こるも、観客は大喝采。連日超満員の大評判となった。帝劇側も、補助席を目一杯出して詰め込む作戦である。
そんなある日、帝劇の貴賓室の電話が鳴った。おかしい。この電話がなることなど、ほとんどないのだ。支配人の大島ですら、この番号を知らないほどだ。不審に思いながら出てみると、男の声で、「二億円用意しろ。でないと大詰めで女優を殺す」と言われる。なんてことだ、今日はただでさえ混雑が予測されるのに、その上脅迫電話か…。八重垣光子には敵が多く、彼女を守る必要などないという意見も出たり、そもそも光子自身も、舞台で死ねるなら本望、と言ってのけるし、中村勘十郎にしてからも、もう十分生きただろう、光子を守る協力などはしない、などと言い張る始末。その内、誰も予想していなかった展開が次々起こり…。
というような話です。
面白い作品だったなぁ。繰り返すけど、古さをまったく感じさせない作品だし、最初から最後まで一気に読ませる。最後、真犯人が明らかになる辺りの展開は、本格ミステリ的ではない(具体的には書かないけど)感じで、それはちょっとなぁ、と思う部分はないでもない。とはいえ、別に本書は本格ミステリとして書かれたわけでもないし、全体的にはもの凄く面白い作品だから、さほど気にならなかった。
一番凄いと思ったのは、本書の構成だ。なんと、脅迫電話が掛かって来るまでに200ページ掛かる。全部で430ページ程の作品だから、ほぼ中間地点から事件が始まる、と言っていい。じゃあ、事件が起こるまで面白くないのかと言えば、それは逆で、むしろ冒頭200ページが滅法面白いのだ。これが凄いと思う。
最初の200ページでは、渡とハルが演出と脚本を引き受け奮闘する話や稽古の様子、また初日からしばらくの間の演劇の内容が描かれていく。こう書くとさほど面白くなさそうに思えるだろうが、さにあらず。とにかく、八重垣光子と中村勘十郎が凄すぎて、この二人が織りなすやり取りがとにかく面白い。
二人共、看板俳優でありながら、セリフを全然覚えてこない。じゃあどうするのかと言えば、舞台上に隠れている「プロンプ」と呼ばれる、台本を持って役者にセリフを教える係というのがいるのだ。彼らが良いタイミングで役者にセリフを伝える。もちろん口頭で伝えるわけだが、「プロンプ」の声は役者にだけ届くように調整されるので、観客席からは聞こえない。
で、この二人は、セリフを覚えないという理由もあるんだろう、元のセリフとは全然違うことを喋ったり、台本にないような演技をバンバンしてくる。即興でセリフを作り上げては、相手とのやり取りを成立させていく。もちろん本書は小説だから何でも出来てしまうのだが、本書の解説によれば、八重垣光子にも中村勘十郎にも実在のモデルがいるという。その実在のモデルの方にしても、どこまでそういう即興でのセリフ回しをしていたのか分からないのだけど、そういうことは演劇界では往々にしてあることなのだろう。それがリアルに描かれていた。
台本になりセリフをやり合うことで、お互いの力試しや力関係を示す意図があり、だから八重垣光子と中村勘十郎はバチバチなのだ。実際には、八重垣光子は何を考えているんだかよく分からないのだが、中村勘十郎は光子のことを「殺してやる」と思っているぐらいムカついている。しかし困ったことに、八重垣光子の演技は、それはそれは観客を魅了するのだ。演技があまりに天才的であるが故に、誰も光子に口出しが出来ない。八重垣光子という超天才に周りが振り回されている、という構図が歴然とあるのだ。この状況を、舞台上での演技だけではなく、舞台裏での振る舞い、松宝や東竹の上層部の反応、付き人たちの証言などから明らかにしていく。もちろんその状況が、物語全体を左右することにもなるわけで、冒頭200ページでその辺りのことを掘り下げるのはとても重要なのだ。
事件が起こる前、彼らが彼らにとっての日常である「演劇」の世界を普通に生きているだけで、物語としてはもう十分スリリングなのだ。著者は演劇にも造詣が深かったようで、だからこそ演劇の世界を掘り下げて描くことが出来るのだろう。そのことが、物語を厚みのあるものにしている。
そして、事件のきっかけとなる脅迫電話が掛かってきてからも、基本的には演劇主体で物語が進んでいく。というのも、脅迫犯がどう出て来るのか、そしてどこの誰なのか、みたいなことがほとんど掴めないからだ。だから事件の方で物語を牽引していくことはなかなか難しい。
そんなわけで、事件が起こってからも、やはり八重垣光子と中村勘十郎の演劇が物語全体を引っ張っていくことになるのだ。脅迫電話が掛かってきてからは、ギアが一段上がったかのようにテンポが一層スピーディーとなり、てんやわんやの様相を呈することになる。そうした中で、一体誰がどんな目的で事件を引き起こしたのか…。もちろんこの点も面白く読ませるのだ。
なんとなく文学的な作品をイメージしていましたが、超ドエンタメ作品でした。ちょっと長いですけど、一気読みの一冊なので、是非読んでみてください。
有吉佐和子「開幕ベルは華やかに」
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