ぐうたら旅日記 恐山・知床をゆく
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内容に入ろうと思います。
本書は、エッセイストであり、「プロの無職」(という表現が適切に思える人なのだ)でもある著者が描く旅日記です。基本的に旅は嫌いらしいんだけど、嫌いなのは準備したり手配したりすること。それらをすべて免除され、自由気ままに好きなように行動し、いつでも酒を飲みまくる著者は、なかなか楽しく旅をしている感じがします。
本書の内容をざっくり紹介するとすれば、著者の文庫版あとがきを引用するのが適切でしょう。
『自分で言うのもなんだが、「勇気あふれる書」だと思う。
土地の風景や人との出会いや食べ物など、いわゆる旅の醍醐味についてほとんど書いてはいないくせに、堂々「旅日記」と称する勇気。
せっかく遠く離れた地へ出向いても、家にいる時と同じようにテレビを観ながらビールを飲んで過ごす勇気。
黙っときゃいいのに、わざわざ「あとがき」で「続編」に触れる勇気。
この本は勇気にあふれている』
まあ、そういうことである。
副題に「恐山・知床をゆく」と書いてあるが、本書を読んでも恐山や知床のことはよく分からない。よく分かるのは、著者やその仲間たちがいかにアホアホしいか、ごく僅かにいる有能な幹事役にいかに支えられた旅であるか、著者の妄想がいかに自由奔放か、ということぐらいである。
まあしかし、面白いのはさすが北大路公子という感じである。碌でもない旅だし、読んでて得られるものは特に何もないが、それでも、これほど気を抜いて読める本も珍しいというぐらい、力を入れずに読める。この力の入れ無さ具合はなかなか驚異的である。
しかし、ちょっと真面目なことを言えば、要するに、目の前にある光景から何を切り取るのか、ということが表現(の一つ)なのであって、それを言葉や絵や音楽で行う。著者は、目の前にある光景から、誰もが切り取りたくなるようなものはほぼ排除し、誰も拾わなそうなもので文章を書く。これは非常に高度な技量が必要だと言えるだろう。
さらにそこに著者は、謎の妄想を混ぜ込む。この妄想がなかなか良くできていて、秀逸だ。本書には、三つのお題から物語を作る、というルールで作られた短い小説が5編載っているが(何故載っているかは不明)、この小説を読んで、この著者の想像力は並外れているなと感じたものだ。僕はこの5編の小説を、どんなお題を元に作ったのか想像しながら読んだが(お題は、各小説の最後に載っている)、予想はことごとく外れた。「そんなお題からこの物語を考えたのか!」という驚きが楽しめる作品たちだった。
話を戻すが、著者の妄想力はなかなかのものだ。酒を飲みすぎて、現実と空想の区別がつかなくなってしまっているのかもしれない。そう考えると、著者が「妄想ではない」という体で書いている部分も怪しい。実はそこもすべて、著者の妄想なのではないだろうか?というか、コパパーゲ氏とかみわっちとかハマユウさんとかは本当に実在するのか?ってか、著者は本当に旅に行ったのか?みたいなところまで疑おうと思えば疑えてしまうのです。秀逸な想像力を見せつけることが、現実の描写も不安定にさせる、という凄技である。
などと書いてはいるが、こういうのはすべてただの曲解であり、著者はただ著者なりの旅を素直に書き記しているだけなのだろう。「オッカムの剃刀」を持ち出す必要はないのである。
まあ色んなことを書いてはみたが、とにかく脱力系のエッセイであり、こんな風に生きられるのって才能だよなと思わされるような、なんとも面白くて羨ましい旅日記であり人生なのである。
北大路公子「ぐうたら旅日記 恐山・知床をゆく」
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