「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」を観に行ってきました
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スティーブ・ジョブズも同じだった。
彼も、何も生み出さなかった。
しかし、帝国を生みだした。
何かを生み出すことと何かを広めることは違う能力なのだと思う。
まさに、映画がそうだろう。
監督とプロデューサーに分かれている。
必ずしもそうではないかもしれないが、生み出す人と広める人は違うことが多い。
具体的には書かないが、僕自身も今似たような環境にいる。
僕が生み出すことが多く、広める人間は別にいる。
だから、広める人間の性質は、結構間近で見ている。
同じだ、と思う。
僕のやっていることを広める人間と、同じだな、と。
スティーブ・ジョブズも、映画や本で読んだ限り同じだった。
広める人間は、皆似ている。
『根気に勝るものはない』
レイ・クロックは、成功した秘訣をそう語る。それは、自己啓発本(というかレコード)の受け売りだったが。確かに、その側面もある。
しかし、広める人間に共通しているのは、強烈な野心だ。
その野心こそが、彼らを動かしていく。
彼らにとって、金は手段であることが多いように思える。もちろん、金が目的であることもあるだろう。しかし、金を得ることは、もっと大事なものを得るための手段でしかないように僕には見える。
その大事なものというのは、名誉だ。自分がやったのだ、という名誉こそを、彼らは求める。
だからこそ、事実や歴史を捻じ曲げようとするし、現実さえも歪曲させようとする。
そこに掛ける労力たるや、ハンパではない。
スティーブ・ジョブズの映画を見た時、スティーブ・ジョブズを「現実歪曲フィールドを持っている」と評していたことが印象的だった。確かにその通り。目の前の現実を、いかに自分の都合の良いように解釈するか。彼らには、その能力がある。
そしてそれは、野心から生み出されるのだ、と僕は思う。
そして、野心とともに、彼らには武器となる言葉がある。彼らは、言葉で夢を生み、夢を見させる。
彼らのどちらが正しいという議論はともかくとして、言葉、という観点から見れば、レイ・クロックと、マック&ディックの兄弟には圧倒的な差がある。マクドナルドのシステムを生みだしたマックとディックは、誠実さと信念を持っていた。彼らは、その誠実さと信念を守るために言葉を使った。しかし、それらを守る言葉は、「No」のニュアンスを持つものが多く、言葉そのものの魅力には欠ける。レイ・クロックは、野心だけがあった。誠実さの欠片もなかったが、しかし魅力的な言葉を発した。その言葉が真実であるかどうかは、彼には問題ではなかった。その言葉が相手にどんな夢を見せ、どんな夢を実現させていくのかだけが重要だった。そうやって、野心と言葉で帝国を生み出していった。
僕は、マックとディックの兄弟の方が好きだ。僕も、結末が分かっていても、この兄弟のように行動したいと思ってしまう。レイ・クロックのやり方は、好きじゃない。しかし、具体的には指摘できないが、マクドナルドが帝国を築いたことで良かったこともあるのではないかと思う。雇用や税収や日々の生活という点で、マクドナルドの存在に恩恵を被っている人もきっとたくさんいるのだろう。そう考えた時、レイ・クロックのやり方を簡単に否定することも難しいな、と感じてしまう。
しかし、この映画を見て感じたことは、レイ・クロックは本当に何も生み出さなかったな、ということだ。マクドナルドの調理の仕組みも、マクドナルドに収益をもたらす仕組みも、全部レイ・クロック以外の人間が考えた。レイ・クロックがしたことと言えば、「マックとディックの店を見つけたこと」と「この店が金を生むと判断したこと」だけだ。確かに、そうしなければ何も始まらなかったのだから、レイ・クロックの着眼点と行動力に褒めるべき点もある。しかし、だからと言って、レイ・クロックが有能だということにはならないだろう。野心と言葉と根気。まさに彼は、これだけで成功したと言っていいのかもしれない。
内容に入ろうと思います。
一発当ててやろうと様々な仕事に手を出したレイ・クロックが今売っているのは、ミルクシェイクマシーン。しかし、彼の売り文句では誰も買ってはくれない。彼は、しがない営業マンだった。
そんなクロックに、信じがたい話が舞い込む。なんと、ミルクシェイクマシーンを6台も一遍に注文したいという店があると秘書が言っているのだ。信じられなかったクロックは自ら店に電話すると、6台ではなく8台に増やして欲しい、という。電話の向こうでは、客と店員による実に繁盛した店である雰囲気が伝わってきた。遠かったが、クロックはその店まで行ってみることにした。
<マクドナルド>というその店は、クロックには信じがたい店だった。当時あちこちに出向いてはドライブスルーの店で食事を摂っていたクロックは、注文ミスや長時間待たされると言った状況が当たり前だと思っていた。しかし<マクドナルド>は、注文からたった30秒で商品が出て来る。ウエイトレスもいないのに、皿もフォークも出てこないのに、大繁盛している。これだ、と思った。これをフランチャイズ化して儲けよう、と。
しかし、<マクドナルド>の経営者であるマックとディックは、簡単には首を縦に振らない。「平凡な50店よりも、この店を最高の店にすることの方が大事だ」と、フランチャイズ化に渋る。それでもなんとか了承させ、マックとディックが状況をちゃんと監視できるような形で契約書を交わした。
次々に出店するクロックに対し、不安を募らせる兄弟。しかし、クロックがある男と出会ってから、さらにその不安は加速し…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。僕はなんとなく、マクドナルドのシステムを作ったのは別の人間だ、というようなざっくりした知識は持っていましたが、世界的企業・マクドナルドの背景にこんな物語があったということは知りませんでした。
この映画は、基本的にはレイ・クロックという、「マクドナルドの創業者(ファウンダー)」を名乗る人物を主人公にしている物語です。実際にはクロックは何も生み出してはいないのだけど、「創業者」を名乗ってしまいます。そのやり方は強引で酷いものですが、僕自身は「広める人間」のことを本や映画や実在の人物で知っているので、あぁこういう感じだよなぁ、と思ってみていました。そういう意味で、レイ・クロックという人物にはさほど興味は持てませんでした(ただ、レイ・クロックについて映画いていく物語は面白いと思いましたけど)。
個人的に興味があるのは、マックとディックの兄弟です。
まず、彼らが<マクドナルド>を生みだしたその経緯が面白い。最初はドライブスルーの店だったのだけど、客層が悪かったこと、さらにウェイトレスが必要など経費もかさむという点で良くないと判断する。そして、究極の効率化を目指して、「注文から30秒で商品が出て来る」という超スピード調理の仕組みを独自に編み出す。
しかし、面白いのはここから。彼らは自信を持って店を開けますが、開店当初は「ウェイトレスが来ない」「皿もフォークもない」と苦情の嵐。あまりの受け入れられなさに諦めようと思ったそう。しかし、結果的に彼らのやり方は受け入れられた。この過程がまず面白い。
さらに、彼らはレイ・クロックと手を組んだ後も、「安い儲け主義には走らない」と、クロックの提案に対してNoを突きつける。どちらが正しいかはともかく、彼らの主義主張は対立する。
両者にとって「成功」の意味が大きく違った。彼らはともに、「成功」するために知恵を絞り、努力した。しかし、その努力は真っ向から食い違った。結局兄弟は、資本主義社会の中で飲み込まれていく。
マクドナルドは、大成功を収めた。しかし、その背景を知ってしまうと、複雑な気持ちになる。僕自身も、広い意味では資本主義社会の恩恵を受けて生活をしている。多くの人がそうだろう。そういうシステムの中で生きている以上、レイ・クロックのやり方を簡単に非難することは難しい。しかし、マックやディックが味わったような不幸が生み出されるべきではないとも感じるのだ。
結局怪物は、資本主義社会そのものなのだろう、と感じる。
「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」を観に行ってきました
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