図書館の魔女(高田大介)
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本書の感想を書くことは、「日本の感想を書くこと」に近いものがある。
日本について何か感想を書いてくれ、と言われた場合、そこには山ほどの切り口が存在する。観光・歴史・言語・方言・地域性・食…などなど、「日本」というテーマをどう切るかというのはいくらでも設定しうるし、その切り口が曖昧なままでは文章をうまく書くことはままならない。
本書についても、まったく同じだ。著者は、切り口が無限にあるように感じられる「世界」を丸ごと作り上げてしまったのだ。
確かに、SFやファンタジーというジャンルは、僕らが普段生活しているのとは違ったルールで動いている世界を作り上げるところからスタートすることが多い。魔法が使えたり、時間旅行が出来たり。とはいえ、そうやって組み上げた世界には、ちゃんと見ようとしなくても空白地帯がたくさんあるということに気づくはずだ。主人公たちが住んでいる隣の国はどうなっているのか、自分たちが住んでいる国の言語の変遷がどうなっているのか、彼らが住んでいる町がどんな風に成り立っているのか…。SFやファンタジーというジャンルにしても、物語の進行上必要な部分は濃密に設定し、それ以外の部分についてはそこまで明確に決めてしまわずに小説を書いていくのではないかと思う。
本書を読むと、著者は世界の細部の細部まで何もかもすべて組み立ててしまっているのではないか、と感じさせられてしまう。本書に描写されていない部分についても、「これこれの部分はどうなっているんですか?」と著者に問えば、瞬時に答えが返ってくるのではないか、と思わされる。
本書はそれほどまでに、すべてが濃密に描かれる凄まじい作品だ。
僕らが「日本」というもの全体について文章を書くことが困難なように、本書についても、物語全体を要約したものを提示する、などということはほとんど不可能だ。何らかの切り口を設定して、その断面はどんな風になっていますよ、という形でしか本書を紹介することが出来ない。これから本書についてあれこれ書いていくつもりだが、いくつか切り口を提示しながら内容に触れていこうと思う。
まずは、非常に大雑把な設定だけ書いておこう。
舞台となるのは、西大陸と海峡を挟んで向かい合う、東大陸に位置する一ノ谷、そこに高く聳え立つ図書館である。「高い塔」と呼ばれるこの図書館にはかつて、タイキ様と呼ばれる図書館のトップ、通称「図書館の魔法使い」と呼ばれる者がいて、その類まれな手腕によって、争いや小競り合いの絶えなかった周辺諸国の和平を陰から実現に導いた経験から厳然たる支配力を有している。一ノ谷においても、王宮や議会に強い影響力を持ち、武力も政治力も持たないはずの、ただ書物を収集し収蔵しているだけの図書館が、国の中枢として力を持っている。
そして、タイキ様から禅譲され、今では「図書館の魔女」と呼ばれているのが、マツリカだ。彼女の姿を直接目にする者は少ないが、見た者は必ず驚かされることになる。何故ならマツリカは、まだ幼い少女だからだ。しかしそれでいて、いくつもの言語を解し、驚異的な戦略力を持つ、まさに「魔女」という名に相応しい存在だ。
マツリカには、もう一つ、「図書館の魔女」というイメージからは想像もつかないとある特徴がある。それは、「喋ることが出来ない」というものだ。彼女は、手話によって自身の考えを他人に伝えることしか出来ないのだ。
一方。一ノ谷の山奥で人知れず修行をし続けていたキリヒトは、「先生」の指示によって慌ただしく里へと降りることになった。キリヒトは、山奥に篭っていてもその名が聞こえてくる「高い塔」に自分が行くのだと理解した。マツリカ様と出会ったキリヒトは、その博識や高い伝達能力に驚かされた。そして、「文字を知らない」自分が、マツリカ様の元で図書館の業務を行うことが出来るのだろうか、と不安になる。マツリカは、先代のタイキからキリヒトを勧められたが、まさか文字が読めないとは思ってもいなかった。これでは、図書館の業務などとても任せられない。しかし、タイキにはタイキなりの遠望があるのだろう。キリヒトに何が出来るのか分からないが、とりあえず手話通訳としてマツリカの声となるべく鍛え上げることにする。
こうして、やがて周辺諸国にその名を轟かせることになるマツリカとキリヒトは出会ったのだった。
という、冒頭の冒頭の部分だけ説明して、内容の紹介は終わろうと思います。書こうと思えばいくらでも書けるんですけど、いくら書いてもキリがないので、最初の最初だけで終わっておきます。
さて、本書の切り口の一つは、「言語あるいは書物」です。
著者は言語学者であるようで、本書では殊更に「言語」あるいは「書物」についての思索がふんだんに盛り込まれていきます。それらはかなり刺激的で、読んでいてクラクラしてくるような話として展開されていきます。なるほど、物事を突き詰めて考えるというのはこういうことなのかと、そして、物事を突き詰めて考えるとこんな風に本質が浮き彫りになってくるのだ、ということが、主にマツリカの鋭い思考によって描かれていきます。
『書かれた瞬間に、それは言葉だった。読まれようその時に、それは言葉であるだろう。人は文字を通して、言葉を書き、言葉を読む。文字が言葉なのではないんだよ。おなじく声が言葉なのではない、手振りが言葉なのではない。言葉はその奥にある。言葉自体は目には見えない、言葉自体は耳には聞こえない』
『お前質は言葉を手段か何か、道具のようなものと考えていたんだろう。(中略)言葉はなにかを伝えるためにあるんじゃないよ。言葉そのものがその何かなんだ。言葉は意思伝達の手段なんじゃない。言葉こそ意思、言葉こそ「私」…』
図書館についても、マツリカはこんな風に言います。
『未だ知りえぬ世界の全体をなんとか窺おうとする者の前には、自分が自ら手にした心覚えと、人から学んだ世界の見方とがせめぎ合い領分を争ってやまない。そしておのれ自身の認識と余人から預かる知見が、ほかのどこにも増して火花を散らしてせめぎ合うのが、ここ図書館だ。図書館は人の知りうる世界の縮図なんだ。図書館に携わるものの驕りを込めて言わせてもらえば、図書館こそ世界なんだよ』
マツリカの思索がすべて理解できるわけではないし、本書で書かれている言説にはついていけない部分ももちろん多々あるのだけど、脳みそが沸騰しそうな程の濃密な議論や思索は、非常に刺激的でした。
また本書において「言葉」というのは、ただ思索の対象というだけではありません。本書は、剣でもなく魔法でもなく、まさに「言葉」によって世界を切り拓いていくファンタジーなのです。
と言っても、イメージは全然出来ないでしょう。僕も、そのイメージを短い説明で掴んでもらう手段を持っているわけではありません。ただ、例えばこんな一文を引用してみましょうか。
『たった一言の台詞から、一ノ谷の政界に暗躍する陰謀の具体的な部分がほぼ明らかなものとなり始めていた』
その一言というのも書いてしまいましょう。『こんなに嵐がひどくなると知りたらましかば…』です。このたった一言から、マツリカは政界の陰謀を暴くわけです。他にもこういう場面はいくつも出てきます。本書では、武力でも政治力でも人脈力でもなく、「言葉」をどう蓄積し、どう知り、どう捉え、どう使うのかによって目の前の現実を動かしていく、その手腕こそが作品の眼目となっています。普通のミステリのように、読者にすべての情報が提示されているわけではないから、ミステリを読むようにはいきません。読者がマツリカのような推理を展開できる余地はありません。その点を批判する感想をチラッと目にしたことがあるので今それに反論するようなことを書いているわけですが、その点は全然問題ないでしょう。少なくとも本書は、ミステリとして謳われているわけではないのだから。「九マイルは遠すぎる」のような作品とはまた違いますが、とはいえやはり、マツリカの慧眼に驚かされるのではないかと思います。
僕が本書について触れておきたいもう一つの切り口は、「マツリカとキリヒト」です。本書は、色んな切り取り方の出来る作品ですが、ボーイミーツガールとしても非常に面白い作品です。
本書を読み終わった時、マツリカとキリヒトの出会いの場面を思い出して欲しいと思います。そこにどれほどの落差があることか。マツリカとキリヒトは最初、決して良いパートナーではありませんでした。その後、お互いに良いこと、悪いことを繰り返して行きながら、二人の関係性はどんどんと変化していきます。そしてそれは、様々な揺れ動き方を見せながら、分かちがたい、離れがたい関係へと進んでいくわけです。
このマツリカとキリヒトの変化も、読みどころの一つです。
マツリカとキリヒトの物語というだけに区切ってみても、さらに様々な切り取り方が出来るのだけど、作品の中盤に出てきたことがラストに繋がっているな、と感じさせられる箇所があるので、ちょっと引用してみます。
『この子は私と一緒だ。私が望んで図書館の番人の家に生まれてきたのではないように、望んで特殊な教育を受けてきたのではないように、この子だってキリヒトの出る家系とやらに望んで生まれついたわけではないだろう。私が高い塔の魔女であることが私の選んだことではないように、この子がキリヒトであることは彼が選んだことではない』
『図書館においで。お前の意志で。つとめではなく、宿世ではなく、先生の命令によってではなく、お前自身の意志で図書館を選びなさい。私がそのために道をあけてやる。』
マツリカが何故こんなことを考え、あるいはキリヒトに言わなければならなかったのか。それは是非本書を読んで欲しいのだけど、とにかく彼らの関係性は、彼らの間に起こったやまほどの激動によって大きく揺れ動き、形を変え、その過程で二人は一つになった。特殊な生き様を強いられた二人がどう生き、どう選択し、どう行動したのか。その一つひとつを是非追っていって欲しい。
そして本書は、全体的に「駆け引き」の物語である。基本的に政治や軍事を背景にした展開が物語全体を支えている。様々な根深い対立構造を抱える周辺地域をどうとりまとめるのか。その方策や道筋のために、様々な形で間諜を放ち、情報を分析し、戦略を練る。それは、高い塔がこれまでもずっとやり続けてきたことではあったのだけど、そこにキリヒトという不確定要素が入り込むことで、それまで存在しなかった新しい未来を切り拓いていくことが出来るようになった。そしてそれはやがて、誰もが想定もしていなかった形で、周辺諸国の火種を取り除いていくことになる。その手腕は、見事としか言いようがない。
駆け引きという点で、僕が非常に印象的だった場面がある。これも詳しくは書かないのだが、ある重要な部品が壊れたことで一ノ谷側が窮地に追い込まれる場面だ。ここは、素晴らしかった。マツリカのマツリカたる対応には、きっと誰もが痺れることだろう。
さて、あれこれ書いたが、僕がここで書いたことは、本書の魅力の1万分の1にも満たないだろう。僕のこの文章を読んで、もしかしたらちょっと面白そうかもと思ってくれた方、その1万倍面白いので、是非読んで下さい。半年掛かってもいいから読んで欲しい一冊です。
高田大介「図書館の魔女」
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