つぼみ(宮下奈都)
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昔より、あれこれ悩まなくなったと思う。
『私は今でもときどき、いろいろなことがよくわからないまま大人になってしまったような気がすることがある。』
大人になると、何か変わるんだろう、と漠然と思っていた時期はあった。たぶん、中学とか高校ぐらいのことだろう。大人が近づいてきていて、でもまだちょっと時間があるような頃。大人になれば、たぶん自動的に、そう自動的に何かが変わるんじゃないか、と。子供でいるからこそ、色んなことが出来ないのだ、と思いたかったのだろう。大人になれば、大人であるというだけの理由で、きっと色んなことが出来るようになる。そうじゃなきゃ、自分がちゃんと大人になれるような気がしなかったのだ。
『逃げていたのは私のほうだ。力がなければ自由だと、何もない自分から逃げていた。』
あぁ、その通りだ。僕は、ずっと逃げていた。何も出来ないのは子供だからだ、と逃げていた。自分に何もないのは子供だからだと思っていた。
でも、大人がもっと近づくにつれて、そうじゃないことに気付くようになってきた。もう大学生にもなれば十分大人かもしれないが、まだ学生だという猶予期間があった。しかし、学生でなくなってしまえば、もう大人になるしかない。けど、今のまま大人になって、本当に、色んなことが急に出来るようになるのだろうか?そんな訳ない、と思った。そんな訳ない。
だから、大人になるのが怖かった。大人になったら、ちゃんとしなくちゃいけないと思い込んでいた。ちゃんとすることは出来ないと思っていた。大人になれるほど、ちゃんとは出来ない、と。
『みんながやることなら自分がやらなくてもいいと思ってしまう』
僕も同じだ。でも大人になれば、大人がやることは、何故だかやらなきゃいけないようになる。そうであることが求められる。
『型があるから自由になれるんだ』
言葉としては理解できるけど、僕にはなかなか実感できない。
どうにか大人として見られないように、逃げまくってきた。ちゃんとした大人のようには生きられない。それは今でもそう思っている。だから、大人だと思われないようにするしかない。そこまできちんと言語化できていたかどうか分からないけど、きっと僕はそんな風に考えていた。
そうやって、なんとか今日までやってきた。今僕があまり悩まずに住んでいるのは、「大人」という名前のソフトをアンインストールしてきたからだ。インストールするように要求されても無視してきたからだ。「大人」というソフトがインストールされているからこそ、それと自分との差に悩む。だったら、アンインストールすればいい。
『うまくいかなくても、丸くは収まらなくても、そのままの形で残すことも大事なんじゃないか。』
宮下奈都の小説群を要約すれば、まさにこの言葉に収縮していくのではないかと思う。誰もが、色んな価値観や感情を持っている。それらは本来は一つ一つ違う。みんなが同じ容器に収まるなんてことはあり得ない。でも、「同じ容器に収まるべき」という流れが強ければ、個々人は自分の価値観や感情をその容器に収まるように変形させてしまう。
それはダメだ。
宮下奈都の小説を読むと、いつもそんな風に感じる。今自分が抱いているその価値観や感情は、はっきりと名前が付くような、スパッとどこかの領域に収まるようなものではない。それを、単純に明快に表現してしようとすれば、細部を削り取るしかない。宮下奈都はそれを是とせず、何かに収まらなかったとしても細部まできちんとそのままであることが大事なのではないか、といつも訴えかけているように感じられる。
言語化してしまえば、そのままの形では存在できないような、そんな捉えがたい何かを、それでも言語によって捕まえようとする。そういう困難さの中で宮下奈都は、そうそうそんな表現だとぴったり来る、と読む者に感じさせるような描き方を、見事にやってのけるのだ。
内容に入ろうと思います。
6編の短編が収録された短編集です。内3編は、宮下奈都の出世作である「スコーレNo.4」のスピンオフのような内容になっています。
「手を挙げて」
和歌子は、姉の里子と共に住宅展示場へと足を運んだ。姉は、まるで骨董のような家に嫁いだ。姉は昔からなんでもできた。お茶もお花もなんでも。でもそれらは辞めてしまった。結婚してしまえばすべてご破算ではないか、と和歌子は思う。和歌子には、何もない。何もないことが自由だと思っていたけど、どうやらそれは思い違いだったようだ。住宅展示場の人から、一つだけ欠点があるんですよ、と言われて、和歌子は史生のことを思い出す。正確には、彼の母親のことを。コーヒーカップで紅茶を飲ませたことでウダウダ言ってくる史生の母親のことを。
「あのひとの娘」
美奈子のジュニア向けの生け花教室に、あのひとの娘がやってきた。津川紗英。いつかこんな日が来ると思っていた。
津川くんを意識し始めたのは高校生の頃。森太(森崎太郎)から話を聞くまでは、同じクラスにいたのに顔と名前が一致していなかった。森太は、テニス部に入った初心者の中で、唯一卵型のラケットを買った変な奴がいる、と津川のことを話したのだ。それからだ。津川くんを知りたい欲が高まって、ついに付き合うことになったけど、長くは続かなかった。
紗英には、生け花のセンスがあった。あのひとの娘、というだけで、色眼鏡で見てしまっているかもしれない。
「まだまだ、」
紗英は朝倉くんの生け花に魅入られている。同じ中学で、野球部にいると思っていたのに、生け花の教室にいた。そして、凄く上手い。朝倉くんに、一気に興味が湧いた。
紗英は昔から「お豆さん」と呼ばれていた。なんでも姉二人が引き受けてくれて、紗英はのほほんと育った。のほほんと見られることが多いけど、そうじゃない部分もある。そういう部分を出すと、「サエコらしくない」と言われる。いつの頃からか、「サエ」ではなく「サエコ」と呼ばれるようになった。
「晴れた日に生まれたこども」
晴子と晴彦。晴れの日に生まれたから。そんな単純な名前をつけられた姉弟は、「コー」「彦」とお互いを呼び合う。彦は勉強も運動も出来ない方じゃなかったのに、それ以前にどこか足りなかった。高校を辞めて働き始めた会社もすぐやめ、アルバイトもあまり長続きせず、フラフラしている。そんな彦が、私を呼び出して町をうろうろする。寂れた喫茶店に入って、うまくもないジュースを買う。何か話があるらしいが、よく分からない。彦はいつだって、ふわふわしたようなことを言う。
「なつかしいひと」
母さんが死に、父さんと僕と妹は、母の実家のある町へと引っ越した。母の実家に身を寄せることにしたのだ。頑張れば、そのままの土地で生活し続けることが出来たかもしれない。でもみんな、頑張り方を忘れてしまった。母さんがいない家で、頑張れる気がしなかった。知らない土地で、クラスに馴染むわけでもない僕は浮いていた。町を歩いていると、商店街の中に本屋を見つけた。そこで、セーラー服を着た女の子に出会った。自分が好きだという本を、いくつか紹介してくれる。
「ヒロミの旦那のやさおとこ」
ヒロミの家の近くに、古い車が停まっていた。中には一人、やさおとこ。家に帰って母に、見かけない男がいたと言うと、ヒロミの旦那でしょう、と言う。そんなバカな、と思ったけど、ヒロミの旦那はどうやらあのやさおとこのようだ。そのヒロミとは、ずっと連絡を取っていない。どうしているのかも分からない。昔はヒロミとみよっちゃんと私(美波)の三人でずっと一緒にいた。三人の世界の中に、男の会話が入り込む余地はなかった。だからだろうか。ヒロミもみよっちゃんも、結婚する直前まで私にその話をしなかった。ある日そのやさおとこから、思いがけない話を聞かされる。
というような話です。
宮下奈都らしい、モヤモヤした何かを丁寧に掬い取る作品だと思いました。
宮下奈都の小説の内容紹介をする時は、いつも困る。物語らしい物語がないからだ。
いや、それは語弊だ。物語は、ちゃんとある。しかし、決してそれが全体の中心にはない。宮下奈都の作品の中では、物語ではないものが常に真ん中にある。じゃあそれは何なのか。僕なりの表現をすれば、「名前の付けられない何か」だ。だから困るのだ。なかなか言葉では捉えられないものを作品の真ん中に持ってくるから、何を書いてもその作品の要約を掴めたような気分にはなれない。
言葉では捉えきれないものを切り取るために物語があるのだ、というのは、一つの存在理由として間違いないだろう。しかし、それが実現出来ている物語というのは、決して多いわけではないと思う。厳しい言い方をすれば、辞書に載っているような単語の組み合わせで表現できてしまうような価値観や感情を描こうとする物語も、たくさん存在する。宮下奈都は、いつもそれを回避しようとしているように僕には感じられる。辞書に載っている単語の組み合わせで表現できる程度のことであれば、物語を紡ぐ必要はない。そんな風に思っているように感じられる。
どの物語にも、誰かにとっての「モヤモヤ」が横たわっている。そのモヤモヤは、はっきりこうと表現できるような分かりやすいものではない。だからこそ当然、そのモヤモヤが完全にすっきり晴らされることもない。理解しやすいモヤモヤを、完全にすっきり晴らす物語の方が、容易に書けるのではないか。現に、そういう物語は、決して少なくない印象を持っている。しかし、宮下奈都はそれをよしとしない。
既に引用したが、まさに、
『うまくいかなくても、丸くは収まらなくても、そのままの形で残すことも大事なんじゃないか。』
という感覚が、宮下奈都自身の内側にも根付いているのだろうと思う。
作中で描かれるモヤモヤは、解消することよりも、その存在を認識し、可能な限りその輪郭を捉えようとする方に力点が置かれる。完全には捕まえられないかもしれないが、近づく努力だけはしてみよう、ということだ。解消するために物語が存在するのではなく、存在に気付くために物語が存在する。
それは、僕たちなりの日常を生きる上でも非常に大事な視点だろうと思う。何かモヤモヤを感じた時に、「どう解消するか」というやり方ばかりが強調されるきらいがあるように感じられるが、そうではなく、「モヤモヤの正体を出来るだけ掴んでみる」というやり方もあるだろう。掴めさえすれば、解消する方法は自然に見つかる、こともある。
初めの3編は「スコーレNo.4」のスピンオフ的な作品であり、後の3編はそうではない。個人的には、初めの3編の方が好きだな、と思う。決して「スコーレNo.4」を読んでいないと理解できない作品ではない。「スコーレNo.4」では端役だった人物や、「スコーレNo.4」には出てこない人物が主人公なので、「スコーレNo.4」にどっぷり、というような作品ではない。知っていればより奥行きが広がる、という感じだ。
初めの3編には「生け花」という共通項がある。恐らくこの生け花というモチーフの存在も、僕が初めの3編を好きな理由になっているだろうと思う。生け花という長い歴史と伝統があり、美しいモノを見るための力と表現するための力を要する芸能に登場人物たちを関わらせることで、彼らの悩みや葛藤により深みを感じることが出来る。生け花を通して悩み、生け花を通して新しい世界を知る、という描き方の中に、人間らしさみたいなものを盛り込んでいくことが出来るのだ。
「なつかしいひと」は僕の中でさほど印象の強くない作品だが、「晴れた日に生まれたこども」と「ヒロミの旦那のやさおとこ」はちょっと変な話で、結構気に入っている。前者では晴彦が、後者ではヒロミの旦那が実に良い味を出していて、興味深い魅力を放っている。後者の主人公は作中で、『ひとりなんだなあと美波はつくづく思い知らされている』と思うのだが、僕はこの二つの物語を読んで、やっぱり世界は広いよなぁ、と感じた。
宮下奈都らしい、優しさと美しい毒に満ちた魅力的な短編集だと思います。
宮下奈都「つぼみ」
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こんばんはです~。宮下さんは良いですよね~。ホントに、安心して読める作家だし、それでいて、ありきたりの作品を書くわけではないところがさすがだなと思います。そう、ストーリーらしいストーリーはないのに、読んじゃうんですよね。良い作家さんに出会えたなと思います。
そうなんです、ゴーゴリ、読んだんですよねぇ。やはり文学作品は難しいなぁ、と思ってしまいました。もちろんそれは先入観もあるんでしょうけどね。こういう文学作品をちゃんと楽しめる人間になりたいなぁ、と思います。ドストエフスキーとか読んでみたいですけど…たぶん無理だろうなぁ。
なかなか変な天候が続きますけど、とりあえず僕は夏が涼しくて良かったです(笑)。気候の変化に体調を崩さないようにお気をつけください~
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私も「つぼみ」を読みました。宮下さんは、やっぱり好いなぁ、というのが一番の感想です。6話共、全部気に入りました。「なつかしいひと」も、です(笑)。重松作品が出てきたのも、納得です。「その日もまえに」は、かなりキツかったでしょうね。
宮下作品は、筋らしいものはなく、ふわふわ感に包まれて読了、という感じですが、そこがまた心地よいですよね。「晴れた日に生まれたこども」の中に~心地よい方を選べ~というフレーズも出てきましたね(笑)。私の中で、宮下さんは安心して読める作品を書く作家のイメージが定着しました。
話は変わりますが、ゴーゴリの「外套」をお読みになったようですね。ロシア文学はこの作品から始まる、と言われていますので、嫌がらずに好きになってください。冷静に考えれば、主人公には何の落ち度もなく、不条理極まる話ですが、彼の怨念がすべてという想いで読めると思います。最近になって、ドストエフスキー作品を初め、色々なロシア文学の新訳が出ましたので、少しは読み易くなったはずです。
では、この辺で。天気が日々不安定ですが、今日から9月、読書の秋を迎えましたね。お互いに良い本に巡り合えますように。。。