ひきこもりの弟だった
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生きていたくないなぁと、昔はよく思っていた。今も、まったく思わないわけではないけど、昔よりは大分マシになった。
「俺は普通の人みたいに、普通のことができない」
あぁ、凄くよく分かる。僕もずっと、今でもそう思いながら生きている。
当たり前に出来ることだとされていることを、何の疑問もなく出来る人は、昔は羨ましかった。別に、大したことではない。誰かに良い事が起これば喜び、誰かに哀しいことがあれば哀しみ、家族や友だちを大切にする…みたいなことが、僕にはうまく出来なかった。いや、表向きは、たぶん出来ていたと思う。問題は、僕の心だ。心の中では、ずっと、違和感ばかり募っていた。周りのみんなが何の疑問も持たずにやっている多くのことが、僕には、なんでそんなことをしなきゃいけないのか全然理解できないようなものだった。
大人になる過程で、そういう当たり前から、ちょっとずつ抜け出してみることが出来るようになった。周りの人が当たり前にやっていることを、どうにかしてやらずに人間社会の中で溶け込めるように努力するようになった。そんな風にして、今の僕が出来上がった。昔の自分のことは結構嫌いだったけど、今の自分のことはそれほど嫌いではない。
どうしようもなく生きていることが辛い場合、僕たちはどうすればいいんだろう?
そういう感覚になったことがない人には、そのしんどさはなかなか理解できないだろう。ただ生きていることが辛い、ということが理解できないことだろう。しかし僕は分かる。ただ生きていることが辛いという感覚が。何か酷いことをされたとか、何か具体的に不安なことがあるとか、そういうこととは関係なく、ただ生きていることが辛いという感覚が。
そこから自力で抜け出すのは、本当に大変だ。何せ、生きていることが辛いというのは、具体的な原因があるわけではないからだ。原因があるなら、それを取り除けばいい。しかし、生きていることが辛い、ということの原因を敢えて探すとするなら、それは「生きていること」だ。それを取り除くためには、死ぬしかない。
だから、ひきこもりである兄の気持ちが、まったく分からないわけではない。もちろん、兄の振る舞いには様々な問題がある。そういうすべてを許容するつもりはない。しかし、生きていることが辛くてどうしようもない、という感覚は分かるし、それが絶望的なまでに他人と共有できない感覚だ、という絶望も理解できる。その状態で生きていかざるを得ない中で、言動がねじ曲がっていってしまうことは、ある程度は仕方ないと思う。とはいえ、そういう存在と対峙せざるを得ない人間にとっては、迷惑以外のなにものでもないのだが。
主人公である弟の方にも、理解できる部分が多々ある。
主人公は、ひょんなことから、絶対に無理だと思っていた結婚をすることになった。彼が、自分には結婚は無理だ、と考えていた理由の一部は、僕にも理解できる。例えばそれは、こんな文章から分かる。
『一生を一人でやり過ごすのはやるせない。でも“運命の人”なんか信じない。となると、誰かと一緒になるためには多くの場合、あなたを愛しています、という一定期間の実績なり演技なりが必要だ。』
そういうのがめんどくさい、という感覚は僕の中にもある。本書で主人公がする結婚に至る経緯は、ある意味で僕の理想にとても近い(別に僕は結婚願望はないが、万が一するとしたらこういう形がいいと思う)。まあ、実際にはこんな展開はあり得ないだろうから、そういう意味で僕の人生に結婚なんてものが関係してくることはあり得ないのだけど、もしそういうことが起こったら?という仮定の話は、少なくとも僕にとってはリアルなものに感じられた。
僕の感覚では、いわゆる「イマドキの若者」には、結婚というものに対する絶対的な価値観が薄れているのではないか、と思う。かつては結婚は、しなければおかしいと思われるようなものだった。しかし徐々に、結婚はしたければすればいいししなくてもいい、という風に、さらに、結婚なんかしたって良いことない、という風に変わってきているように感じられる。そういう中でこの物語はどんな風に受け取られ得るのか。
内容に入ろうと思います。
公園で行き倒れのように眠っていた掛橋啓太は、二人組の女性に起こされた。正確には、その内の一方の女性にだ。彼女は啓太に宇都宮のオススメの餃子店を質問した後で、唐突にこう切り出した。
「質問が三つあります」
その三つの質問に答えた啓太は、彼女と結婚することになっていた。妻の名は、大野千草と言う。
二人は、お互いのことなどほとんど知らないまま、お互いの両親にもまともに報告しないまま一緒に住み始めた。その生活は、非常に心地よかった。啓太は、自分が欲しいと望んでいた環境を、通過したくないと思っていた面倒な手続きを経ずに手に入れることが出来て、非常に満足していた。
そんな啓太は、子どもの頃から、ひきこもりの兄の存在に悩まされていた。
小学校の頃からすでに不登校だった兄のことを、まだ小さな頃はおかしいとは思っていなかった。しかし次第に周りから、何故兄は学校に行っていないのかと聞かれるようになり、啓太も疑問を持つようになった。母は完全に兄の味方だった。兄を甘やかすことは兄のためにはならない、と何度力説しても、まだ時期じゃない、と取り合わなかった。やがて啓太は、父親のいない、母と兄の三人での生活の中で、自分の居場所がなくなっていると感じられるようになっていった。
ひきこもりの兄に悩まされる弟として、そしてひょんなことから結婚した夫として、掛橋啓太は過去と現在と未来に思い悩まされる…。
というような話です。
なかなか面白い作品だったと思います。正直なところ、物語的には何が起こるというわけでもなく淡々と話が進んでいくんだけど、出て来る人物が曲者揃いで、現実にいそうな感じがする。こんな奴が周りにいたらしんどいだろうなぁ、と思ってしまうような人間が何人も登場し、主人公である啓太を苦しめていく。そのリアルさみたいなものが惹きつけるんだろうなぁ、という感じがします。
例えば、啓太の会社の同僚である坂巻という男は、本当にろくでなしだ。こんな人間が会社にいたら本当に最悪で仕方ないが、啓太自身でどうにか出来る問題でもない。同じ部署にいる限り関わらなければならないが、どう関わっても自分が損する、という相手は、どこかの会社にそのままいそうな人物だな、と思わせるリアリティがあるなと感じました。
啓太と千草の結婚に至る過程は、逆に非常にリアリティがない。しかしこのリアリティの無さは、現実に起こる可能性が低いというだけで、こうなったらいいなという願望を持つ者は、実は多いのではないかという気がする(さすがにそれは僕の世の中の捉え方が間違ってるでしょうか?)
最近若い人と喋っていると、(僕自身もそうだが)「恋愛」というところに行き着かない人が多い気がする。「出来ない」のではなく「しない」という選択をしている人が多いように思う。「しない」と考えている理由には様々あるだろうが、「他人にさほど興味がない」とか「人と一緒にいるのが苦痛」とか、色々と聞いたことがある。僕も今は恋愛を「しない」という選択をしているが、その理由は説明がめんどくさいし、共感してもらえる可能性は低いのでここでは書かない。
僕は恋愛の先に結婚があるべきだとは考えていないが、しかし多くの場合そういう流れを取る以上、恋愛に行き着かなければ結婚にもなかなか行き着かないということになるだろう。
だから本書で描かれる結婚の経緯は、実際に起こる可能性はほとんどないが、ある種の理想、ある種の願望として、多くの人が共有可能なものなのではないか。僕はそんな風に感じている。
だからこそ、彼ら夫婦がどんな生活をし、どんな展開を迎えるのかを読ませる本作は、ある意味で現代人の期待に応えたものになっているのではないか、という気がするのだ。
彼ら夫婦がどんな生活をし、どんな葛藤を抱え、どんな展開を迎えるのかは、ここでは詳しくは書かない。しかし、彼らは真剣なのだ、ということは、読みながら感じて欲しいように思う。彼らが、「きちんとした結婚」を忌避するのには理由があり、その理由に僕は共感できてしまう。彼らが恐れていることを、同じように恐れる気持ちを持っている。そんな彼らの恐怖を、理解できなかったとしても排除しないで欲しい。そういう苦しみや葛藤と共にしか、「家族」というものと関われない人間がいるのだ、ということを理解して欲しいなと思う。
彼らの様々な選択が正解だったのかどうか、それは読んだ人が決めることだ。分かりやすい正解などない、と認めることでしか、僕たちは現実と対峙することが出来ないのだ。
この本は、帯のコメントが秀逸だ。
『この本を読んで何も感じなかったとしたら、それはある意味で、とても幸せなことだと思う』
僕も、そう思う。
葦舟ナツ「ひきこもりの弟だった」
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