コルトM1851残月(月村了衛)
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実に面白い物語だった。
普段時代小説はあまり読まず、時代小説はあまり得意ではないのだが、本書は、「時代小説」というジャンルに括るには規格外と言える作品だった。
内容に入ろうと思います。
残月の郎次――彼は江戸の暗黒街でそう呼ばれている。昼間は三多加屋という廻船問屋の番頭という顔を持っているが、実際は商人の顔をした極道、江戸の裏金融を牛耳る祝屋儀平一味の大幹部という顔を持っている。複雑な事情から儀平に拾われた郎次は、儀平の期待に応え続ける以外、生きる術がなかった。儀平の<商い>というのは「抜荷」だ。抜荷というのは、貿易相手や貿易額が厳しく制限されていた時代に行っていた、いわゆる密貿易のことだ。そして、この抜荷のルートをゼロから切り開き、今でもすべてを取り仕切っているのが郎次なのだ。周囲から郎次は、祝屋儀平の跡目だと持ち上げられることも多い。江戸の暗黒街に、絶対的な力を持つ男なのだ。
そんな郎次にはもう一つ、絶対的な力の源泉がある。それが「コルトM1851」という六連式の回転式ベルトピストルだ。誰も郎次が、そんな拳銃を持っていることを知らない。郎次は徹底的にそのことを隠している。
郎次は、儀平一味の商いの邪魔になるものを消し去る差配もしているが、儀平一味は皆、郎次がどんな<筋>と繋がりを持っているのか知らないでいる。儀平一味は皆、郎次が有力な<筋>と関わりを持っており、その者たちを自在に動かして人の始末をさせているのだ、と考えている。しかし、実際は違う。郎次は、その「コルト」を使って、自ら始末しているのだ。自分が有力な<筋>と繋がっているのだ、と思わせることが、何よりも重要なことだ。
郎次の日常は、順調そのものだった。しかし、ほんの些細なきっかけから、郎次の完璧なはずの未来予想図が、一気に崩壊することになる。
木挽町に、<賀筒>という店がある。三多加屋が運ぶ荷を売りさばく小売荷主だ。その女将であるおしまのことを、郎次は毛嫌いしている。三多加屋は、<太い>客が多い。しかしこの<賀筒>は、商いの規模が小さいのに郎次の商売に食い込んでくる。しかも、値上げの話をすればうるさいばかりだ。ただ面倒なだけの相手なのだが、無下に出来ない人物と繋がっていることもあって簡単に切り捨てることも出来ない。
しかしある日郎次は、おしまの裏切りを見抜く。メンツを潰されれば商売に関わるので、落とし前をつけるために<向島>と呼ばれている、祝屋の中核を担う大物が集まる場で議題に上げるが、何故かおしまは無罪放免ということになった。ならば自分で落とし前をつけるしかない、と判断した郎次だったが…。
というような話です。
これはなかなか凄い小説だったなと思います。時代小説なんだけど、僕がイメージする時代小説と全然違う。舞台が江戸時代、というだけで現代風だし(そういう意味では、京極夏彦を連想させる)、江戸時代でありながら拳銃が登場するという設定は非常に斬新だ。
解説で馳星周は、本書で登場する拳銃について、「当時の武器としては殺傷能力はとても高いが、弾を込めるのに時間が掛かった。だから拳銃があるからと言って最強なわけではない」というようなことを書いている。確かに、このバランスは、この物語を成立させる上で非常に重要だ。刀と拳銃では、単純な比較では拳銃に圧倒的な軍配があがる。しかしこの当時の拳銃は、6発の弾を装弾するのに、訓練を重ねた郎次であっても210秒(3分半)掛かった。郎次は、腕っ節自体は強くはない。拳銃がなければ、戦いの場に出てこられるような男ではない。殺傷能力は刀と比べて圧倒的だが装弾のための時間がネックになる、という設定が、この物語を実に絶妙なバランスで展開させる要素となっている。
郎次というのは、基本的には極悪人だ。生い立ちを踏まえて考えれば同情できる部分もあるのだけど、基本的に、金は稼いだ者勝ち、その過程でどれだけ人を傷つけようが関係ない、というような男だ。裏社会でも、そして表社会でも評価が高く、飛ぶ鳥を落とす勢いという感じだが、人間的に共感できるかというと、そういう要素はとても薄いと言わざるを得ないだろう。
しかし、この感覚は、読み進めていくにつれて変化していくのではないかと思う。
ある時から、郎次はそれまで自分が積み上げてきた地位や立場を一瞬にして失うことになる。それはあまりにも突然で、慎重に事を進めてきたはずの郎次にもまるで想定できていなかった事態だった。郎次からすれば、あっけにとられた、というような感覚だろう。そしてそこから、郎次の新しい戦いが始まる。
そして、郎次が挑むことになるこの戦いが、ある意味で郎次をヒーローのように見せていくのではないか、と僕は感じるのだ。具体的には触れないが、郎次が失墜するきっかけとなった背景には、郎次が知らされていなかったある商いがある。その商いのあまりの非道さに、それまで郎次に肩入れすることが出来ないでいた読者も、一転、郎次を応援する側に回るのではないかと思う。さらに郎次は、ほぼ時を同じくして、金以外の戦う理由を見出すようになる。それまでの郎次には、いかに金を稼ぐか、いかに邪魔者を排除するかという戦いしか存在しなかったが、ある時から郎次は、誰かを守るために戦いに挑むようになる。この転換が実に自然であり、また、それまでとは違う、戦いに挑む凄みみたいなものが滲み出もするのだ。
後半の戦いは、いやーそれはちょっと無茶でしょう!と言いたくなるような展開のオンパレードで、ある意味ではマンガっぽい感じもする。とはいえ、冒頭から抑制の利いた筆致で描かれる物語は、マンガのようなハチャメチャな展開でも軽くならずに、重厚感を保っている。ラストの圧巻のバトルは読み応え抜群だ。
<灰>と呼ばれる男とのエピソードもなかなか印象的だ。<灰>は郎次にコルトの使い方を教えた男だ。しかしそういうことよりも、暗黒の底で生きてきた者同士が醸し出す雰囲気とか、お互いが何を与え合うのかというような描写が興味深かった。特に、「おつな」と呼ばれる女とのエピソードなどは、ギリギリのところで結ばれている関係性という雰囲気を強く出していて、面白いと思った。
現代物の作品であれば「ノアール」というジャンルで括られるだろう雰囲気の作品だが、「ノアール」という枠にもすんなり収まる作品ではないと感じる。コルトM1851という拳銃の存在が非常に重要なピースとなって、ジャンルの枠にはまらない作品になっている。時代小説はちょっと…と思って手に取らないでいるとしたら是非読んで欲しいし、こういう風にしか生きられなかった男の悲哀を感じて欲しいと思う。
月村了衛「コルトM1851残月」
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