宇喜多の捨て嫁(木下昌輝)
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人には役割というものがあるのだな、ということを、なんとなく少しずつ受け入れられるようになってきたような気がする。
すべての人間が「こう生きたい」を貫けるわけではない。いや、ほとんどの人間にとって、そんなこと不可能だろうと思う。自分が望む生き方を誰もが望みながら、少しずつ自分の生き方を修正していくことになる。
それでは、どう自分の人生を修正していくのか。
そこに「役割」というのが関わってくるのではないか。僕はそんな風に感じるようになってきた。
「役割」というのは、自分がいる場で何かを求められている、ということだ。自分が何を求められているのか、ということを理解し、それを実現するためにどう振る舞うかを考える。「こう生きたい」を貫けない状況に陥ってしまったら、そういう風にしか、自分の人生を修正していくことは出来ないのではないか。
その過程で、自分が望んでいないような見られ方をされるようになるかもしれない。悪評が広まることだってあるかもしれない。
とはいえ、すべてを手に入れることは出来ない。「こう生きたい」を貫けなくなった時点で、何かを諦めなければならないのだ。
何を諦めるのか。
「こう生きたい」から外れざるを得なくなった後、その点を非道に突き詰め、求められている役割を徹底的にやり遂げた異端児の物語である。
内容に入ろうと思います。
本書は、6編の短編が収録された連作短編集です。
(僕は基本的に歴史が得意ではないので、以下の内容紹介に間違いがあるかもしれませんが、大目に見てください)
「宇喜多の捨て嫁」
宇喜多家当主の直家の四女である於葉は、後藤家から婚姻の話が来ている。直家は、自分の娘さえも謀略に使うと悪評が立つ男であり、これまでも自分の娘を嫁がせた先を次々に仕物していった。だから、宇喜多の娘を嫁にもらうなど家の中で毒蛇を放つようなものだと言われ、また、直家の娘の扱いを、碁の「捨て石」になぞらえて「捨て嫁」と呼ぶ。
後藤家に嫁いだ於葉は、後藤家の嫁になろうとするが、宇喜多の名が邪魔をする…。
「無想の抜刀術」
八郎は、父である久蔵が逃げ着いた先である阿部善定宅に住むことになった。阿部善定の娘と久蔵が男女の仲であり、虎丸という子をもうけていたことを母は知らなかったようだ。阿部善定は、母と八郎を住まわせる代わりに、下女と同じような扱いをされることを受け入れた。母は八郎を、侍の子として育てようとするが、環境がなかなかそれを許さない。
その後浦上家に仕官を望んだ母子だったが、武功を挙げられなければ立場は弱い。そんな折、八郎が戦に出ることになったが…。
「貝あわせ」
宇喜多家に、島村家に当主がやってくる。直家の嫁を天神山城に登城させろ、というのだ。侍女として、というが、要は人質だ。妻の富は身重であり、承服できない提案だったが、聞けばのっぴきならない状況にあるという。もしかしたら富を登城させる方が安全やもしれぬ。しかし、富は城を離れようとしない。
やがて城を取り囲まれる事態に陥るが…。
「ぐひんの鼻」
浦上宗景は、幼い八郎が犯した罪を見ており、それ故、使える駒としてその成長を見守ってきた。幼きあの日、ぐひんの鼻先に立った八郎ならきっと、何かやるだろう、と。
その予想は、宗景の予想を大きく越えるものだった。今、浦上家が他と対抗出来るのは、八郎、すなわち宇喜多直家によるところが大きい。どんな策略を用いてでも勝ちを見出していくあり方は直家の祖父さえ凌駕している。しかしその力ゆえ、宗景には直家が邪魔に思えてしまう…。
「松之丞の一太刀」
浦上家の嫡男である松之丞は、剣や刀などを好まず、女の遊びである貝あわせに興じるような男だった。その松之丞、浦上家が宇喜多家を乗っ取る計略のために、宇喜多家の三女である小梅との結婚話が進んでいる。一筋縄ではいかない宇喜多家の計略、そしてお面を被るという謎の振る舞いをする小梅。直家とは正反対の性質を持つという松之丞は、やがてある一計を案じるが…。
「五逆の鼓」
江見河原家は浦上家の重臣の家系だが、源五郎の父は播磨以外にも名が知れる有名な鼓名人であり、武芸には秀でていない。その血を継いだのか、源五郎もまた武芸では劣る。しかし、父が早々と見切りを付けられたが故に、すべての期待が源五郎に降り注ぎ、鼓の筋は良いと父から言われながらも、鼓の稽古をする時間を取ることも出来ない。
長い時を経たある日、宇喜多家から使者がやってきて、密談をするのが、源五郎は断る。しかし、帰りを促そうと演奏した鼓の音を聞いた宇喜多家の使者からとある提案を受け…。
というような話です。
なかなか読み応えのある作品でした。
大前提として僕は歴史がとても苦手なので、普通は歴史モノは読まない。ただ、この作品は、読みやすかった。宇喜多家、というのが歴史上どの程度有名なのか僕は知らないが(僕は初めて聞いた)、なんとなくあまりメジャーではないように感じた。メジャーな武将を描く場合、読者の基礎知識がある程度高いと推察されるので、「これぐらいは知っているだろう」という部分は省略されがちなのではないか、と思う。もしそうだとすれば、それ故に僕は、そういう歴史小説を読むのが苦手だといえる。しかし、宇喜多家というのが歴史上そこまで有名でなければ、歴史の苦手な僕もそこそこ歴史に詳しい人も同じ程度の知識量と推察出来るので、だからこそ分かりやすい記述になるのではないか。本書が読みやすかった理由を、僕はそんな風に捉えている。
本書では、宇喜多直家(八郎)という人物を多角的に描き出している。冒頭で宇喜多直家は、極悪非道の人物として登場する。自分の娘を計略に用い、どんな卑怯な手も厭わずに使う男として、散々な描かれ方をする。冒頭の話だけで止まってしまえば、宇喜多直家は永遠に最低な卑怯者のままだろう。
しかし、読み進めていくにつれて、その印象が変わっていく。そこが本書の面白さのポイントだ。
特に「貝あわせ」は、宇喜多直家の変化が一番よく分かる話だろうと思う。元来、卑怯な戦法は取りたくない、と考えていた直家は、何故、どんな手を使ってでも勝ちを狙うような男になっていったのか。その根っこの部分が、ここで描かれていく。
また、直家に出自も非常に魅力的だ。ここには、二番目の短編のタイトルにもなっている「無想の抜刀術」というものが関わってくる。直家は、ごく稀にその力を持つ者が現れると言われるほど稀な「無想の抜刀術」を生まれながらにして持つ男だ。それ故、直家自身が望んでいない幾多の悲劇が巻き起こることになる。
ここに恐らく、「役割」が関わってくるのだと思う。
直家は、「無想の抜刀術」という力を持つが故に、「こう生きたい」から外れざるを得なかった。そして、「無想の抜刀術」を持つが故に、ある意味で鬼神のような生き方をせざるを得なかった。「無想の抜刀術」というものが本当に存在するのかどうか、それは僕には判断できないけど、宇喜多直家という男の生き様が、この「無想の抜刀術」をベースにして組み上げられていることが様々な場面から見て取ることが出来るという点が、非常に良く出来ていると感じる部分だった。
裏切り裏切られという戦国の世にあって、そうせざるを得なかった生き方に身を投じ、どんな風に見られようが己のあり方を貫いた宇喜多直家という男には、ある意味で生き方の美学がある、と感じられた。その生き方すべてに賛同できるわけではないが、世が世なら宇喜多直家は以上に好人物として生きられた可能性もある。乱世の世に生まれ、守るべきものをたくさん抱えていたからこその生き様に鬼気迫るものを感じ、うたれた。
この物語は基本的には宇喜多直家を描くものだが、脇を固める面々も実に多彩で面白い。宇喜多家に仕える者、宇喜多直家の家族、敵対する者、敵対しているはずの者などなど、様々な関係性が入り乱れるが、どれ一つとして安定しているものはない。裏切り裏切られることが当たり前の世にあっては、誰とどんな関係を築いていても、それがあっさりと崩れてしまうことはある。そういう儚さの中で、勝ち続けるしかない男たちの悲哀も浮き彫りにしているのかもしれない、とも思う。
やはり歴史モノということで、どうしてもどストライクとは行かなかったが、とはいえ非常に読ませる、ぎっしり身の詰まった作品だと感じた。
木下昌輝「宇喜多の捨て嫁」
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