圏外同士(富士本由紀)
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昔の僕は、自分が世界のどこかにいられないことを苦しく思っていたと思う。自分の居場所がない、という事実が、とても哀しいことだと思っていたと思う。
その気持ちは、結局今でもそこまで変わらないのかもしれない。ただ、人生の時間を少しずつ消費してく中で、理解できたことがある。それは、たとえ居場所があっても苦しくて哀しい、ということだ。
居場所があるというのは、なんとなく認められたような気持ちになれる。安心感がある。そこにいていいんだと許されたような気持ちになれる。でも、結局そういうのは錯覚だ。そんな気分になれる、というだけのことにすぎない。別に認められていないし、そこにいていいと許されたわけでもない。自分が勝手に思うだけだ。
だから、何かがちょっとずれただけで、その居場所は居場所でなくなる。そのずれは、本当に僅かなものかもしれない。他の人はそのずれに気づかないし、自分でも大したことないはずだと思うようなものだ。でもそんなずれが、あなたの居場所を居場所でないものに変えてしまう。
そういう時僕らは、居場所というのが錯覚だったのだと気づく。
それを気付かされる方が、居場所がないことより辛いかもしれない。居場所がないというのは、色んなことを諦められる。自分が何も持っていないこと、自分が何も出来ないこと、そういうことをまざまざと見せつけてくる。それは辛いけど、でも後からそういうことを思い知らされるより、マシかもしれない。
この物語をもの凄く簡単に説明しようとすれば、こうなるだろう。
「居場所があると思っていた男がないことに気づき、居場所がないと思っていた女があることに気づく物語」
内容に入ろうと思います。
これは、蕪木秀一郎と夏日乃絵の物語だ。
秀一郎は、一人娘を育て上げ、妻と二人暮らし。しかし「同居人」と言っていいほど干渉がない。
鶴目食品という食品メーカーの本社から、社員たった20名ほどの子会社の社長に3年前の55歳のこと。本社勤務時代、上司の言うことをひたすら聞く完璧な忍従によってのみ出世した男だ。現在の勤務先である「鶴目セントラル・サービス」は、本社や工場の業務に必要なあらゆる物品を手配する会社だが、そこで秀一郎がすることはほとんどない。秀一郎は、お気に入りの社員には楽な仕事を、嫌いな社員にはキツイ仕事をさせており、しかし自分はきちんとした有能な管理職だと思っている。陰で散々こき下ろされていることも知らずに。
乃絵は、服飾デザインの専門学校を卒業し、名の通った国内のファッションブランドに就職した。順風満帆だと思った。しかしそこでは、先輩たちの雑用をやらされたり、トップデザイナーであり社長の修正により原型を留めないデザインに変更させられたりと、思うような仕事は出来なかった。
専門学校時代の同期と偶然再会した乃絵は、彼と“Tip Top”というブランドを始めることにした。会社を辞めて独立した乃絵は、服作りに励み、ショーにも参加しと努力を続けたがなかなかうまくいかない。そんな時、ニューヨークで一旗揚げようと決心し赴くも、そこで乃絵自身予想もしなかった事態となり、結局デザイナーという夢を諦めて日本に戻ってきた。以来まともに仕事をしていない。
二人は、ビアバーでたまたま会った。いや、会ったのは秀一郎の方だけ、と言うべきだろうか。秀一郎は店内で乃絵に目を止めたが、乃絵は秀一郎の視線には気づかなかった。ファッション誌から抜け出してきたような容姿に打たれた秀一郎は、その日乃絵を尾行し、自宅の場所を知った。その後、偶然乃絵を見かけた秀一郎は、偶然を装って話しかけ食事に誘い、仕事をしていないという彼女を「自分が社長を務める会社」に誘った。色んな事情があり、乃絵はその誘いを受け入れた。
秀一郎と乃絵の人生は、こうして交錯した。しかし、すぐにまた離れて行ってしまう…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。
「圏外同士」というタイトルがなかなか作品に合っていていいです。色んな捉え方が出来るだろうけど、自分が今いる場所が色んなものが届かない「圏外」であるという風にも読めるし、秀一郎と乃絵の世界がうまく混じり合わない様子を「圏外」と表現しているのかもしれない。
秀一郎と乃絵はそれぞれ違った形で世界とうまく接続できていない。
秀一郎は、自分がただの腰巾着でありながら、年長者であり社長であるのだからもっと敬意を払われたい、と考えている。それが、言動ににじみ出てしまう。本人は、威厳のある、社長らしい振る舞いをしているつもりなのだけど、周囲からはどうしようもないおっさんだと思われている。その認識のギャップが、秀一郎の世界と接続できていない様だ。秀一郎自身は、自分はきちんと世界と接続できている、という思いこみがあるから、秀一郎は自分にきちんと「居場所」があると考えている。あるいは、仮にないとしてもいつでもそんなものは作り出せる、と考えている。しかし物語が進んでいくにつれて、端から自分には「居場所」なんてものはなかったし、いつでも作り出せるという考えもただの思いこみだったことに気づかされる。その哀れな様が非常に滑稽で面白い。
乃絵は、自分が世界ときちんと接続できていないという自覚がある。若気の至りで仕事を辞めて独立するもうまく行かず、今は精神科に通う無職。デザイナーになるという夢はあるが、しかし何から手をつけていいのかわからないぐらい、そんな華やかな世界からは遠ざかってしまっている。生きていくのが精一杯だ。夢を追う、というような積極的な気持ちが失われ、昔だったら絶対に拒絶していたような環境に順応していく中で、徐々に乃絵の中で新しい感情が芽生えていくことになる。それが、「このままでいいんだろうか」という気持ちだ。特に、成り行きで秀一郎から「与えられた」環境は、徐々に酷くなっていく。あまりの忙しさに、精神科に通わなければならないような症状は吹き飛んだのだけど、今のままでいいはずがないという思いはどんどん膨らんでいく。それが、彼女を新しい世界へと押し上げていくことになる。
二人は、ビアバーで出会うまではまったくの他人だったし、秀一郎の会社に乃絵が就職した後、色々あって二人の関わりは極端に減ってしまうことなるので、秀一郎と乃絵がきちんと関わりを持っていた時間というのはほとんどない。他人から一瞬知り合いになって、それからまた他人になる。二人の関係はそんな風に表現できる。しかし結局、二人はお互いと出会ったことで運命が変転していく。秀一郎は、乃絵を会社に引き入れたことで、日常のあらゆることがうまく回らなくなっていく。そして乃絵は、秀一郎の口利きを受け入れたことで、結果的に人生が好転していくことになる。結局ほとんど他人の関係のまま、お互いの人生に影響を与えていく、という構成が実に面白いと思った。
しかしそれにしても、秀一郎の造型は見事なまでに醜い。こういうオジサンに出会ったことはあまりないのだけど、世の中にはたくさんいるのだろうと思わされる。自尊心が高く、自分の好みで人を動かし、自分が敬意を持って使われることを当然と考え、そうしない人間に怒りを覚えて報復するというような、典型的な古いタイプのオジサンだ。
ある場面(これもなかなか急展開というか、そんな展開が待ってますか!というような場面なんだけど)で、秀一郎の妻がこんなことを言う。
『あなたって、本当にご自分のことばっかりねえ。古いのね。本当に古いっていうのは、ご自分の考え以外は、もう何一つ受け入れることの出来ない頭のことだと思いますわ』
そして、こう言われた秀一郎は頭の中でこう思う。
『まともな自分と、まともでない妻がいた』
まさに妻の言う通り、「ご自分の考え以外は、もう何一つ受け入れることの出来ない頭」なのだなと思う。
そんな秀一郎が乃絵に対してする言動は、本当に醜いなと思う。秀一郎は乃絵との駆け引きを楽しんでいるつもりだが、そもそも乃絵は秀一郎と同じ土俵に上がっているという意識がない。この認識の差が、哀しいすれ違いを引き起こす(というか、そのすれ違いは秀一郎のただの妄想なのだけど)。秀一郎の側が本気だ、というのが滑稽だしとても惨めさを感じさせる。
乃絵にとっては、結果的には良かったと言える。秀一郎の会社で働くことで、兎にも角にも収入が得られるようになったし、また「こんなところにはいたくないと思わせる最低の環境」を経験できたことで、未来へと目と手足を向ける意識が生まれた。秀一郎の誘いに乗らないままだったら、この変化は生まれなかっただろう。案ずるより産むが易し、というところだろうか。
まさに「圏外同士」というタイトルに相応しい、「居場所」を巡る物語だ。ネット上での関係性が増えたことで、「居場所」だと思っていた場所がある日あっさり消えていた、なんていうことだって起こりうる時代だろう。いつだって誰だって、自分が「圏外」にいると気付かされてしまうかもしれない。「居場所」は、あった方がいいかもしれないがなくてもいい。そんな風に思える作品ではないかと思う。
富士本由紀「圏外同士」
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