黒夜行

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日本人のための怒りかた講座(パオロ・マッツァリーノ)

僕はあまり人に怒らない。イライラすることはあっても、怒るという行為をすることはない。
何故なら、人間に興味がないからだ。

『ささいなことでは怒らない人が、必ずしも人間的にすぐれているとはかぎらないのです。怒らない人は他人や世の中のことに無関心な、心の冷たい人なのかもしれません。怒らないからやさしい人だと考えるのもまちがいです。やさしい人だからこそ、不正や不条理に対して人一倍腹を立てるんです』

この部分を読んで、そうだなぁ、と思った。前から思っていたけど、改めてそう思った。僕はあまり他人に関心が持てない。だから、イライラすることがあっても、どうでもいいやと思ってしまうことが多い。わざわざ自分の労力を割いてまで、相手の行動を変えようとするほどその人に関心が持てない。

もう一つ、怒らない理由がある。それは、相手の価値観を受け入れるスタンスでずっと生きてきてしまっているからだ。

僕は基本的に、自分とは違う価値観であっても、「まあそういう人もいるわなー」と受け入れてしまうことが多い。これは、生きやすくするために後天的に身に着けた技術だと自分では思っている。自分の中に絶対的な価値基準をなるべく持たないようにする。そうすることで、他人の価値観を受け入れやすくする。そうやって摩擦が起こらないように生きてきた。

けど、自分の中に絶対的な価値基準を持たないが故に、何か状況が目の前にあった時に、それに対して自分なりの価値判断をすることが難しい。別に、空気を読んで周囲の人間に合わせようという意識を持っているわけではない。単純に、基準がないから判断できないのだ。例えば、「高血圧」という判断をするには、「血圧がいくつ以上が高血圧だ」という基準がなければ判断できないだろう。そういう判断基準が一切ない中で、「高血圧」という判断を下すことは出来ない。それと同じように、自分の中に価値基準がないせいで、物ごとの良し悪しを自分の中の基準に沿って判断する、ということがそもそも出来ないのだ。

僕はこういう自分の生き方は気に入っているし、特に不満はない。僕の中にも、価値基準云々ではなく、そもそも生理的に無理、というような事柄や状況もあるので一概には言えないが、ムカついたり怒りを感じたりするようなことはあまり多くはないと思う。

だから、怒りを我慢しているという感覚もさほどない。

『私が他人に注意する際に目的とするのは、不快な行為を相手にやめてもらうこと。それだけです。それ以外はなにも求めないし、求めてはいけないのです』

『正義のためではないというなら、じゃあ、私はなんのために他人やよその子に注意したり叱ったりするのでしょう?
答は簡単です。自分が気にくわないから。自分が不快に感じたから』

『正しさの基準はつねに“自分”しかないんです。自分がどう思うか。自分が不快かどうか。それだけが基準です。自分が不快に感じたら自分の責任で、迷惑行為をしている人にやめるよう申し入れる。自分が不快でなければ放っておけばいい』

今引用した3箇所だけ読むと、なんて自分勝手で傲慢な人なんだろう、と思う人もいるかもしれません。ただ、本書全体を読めば、著者の真意はきちんと理解できるでしょう。

僕は、本書全体を読んだ上で、著者のこれらの感覚にすごく共感できます。そしてだからこそ、僕は別に怒らなくてもいいな、と思ったのです。何故なら、僕は自分が不快だと思う状況があまりないからです。普通の人が不快に感じることでも、僕は割と平気だったりすることが多いです。まあ、普通の人がまったく平気なのに僕はどうにも我慢できない、なんていうことももちろん色々ありますけどね。まあでも、自分の中に「不快だ」という気持ちがないなら無理に怒る必要はない、という著者の主張は明快だし受け入れやすいなと思います(とはいえ、迷惑行為を行っている人物に注意することが仕事である場合にはまた話は別なのだけど)。

本書は「怒り方」の本です。「日本人のための」とついていて、読むと確かに日本人のための本だなぁ、と思います(ちなみに書いておくと、著者はたぶん日本人です)。

おそらくそんな誤解はされないだろうけど、一応先に書いておきます。著者は別に、「怒れ!もっと怒れ!」とみんなを煽っているわけではありません。そうではなくて、「怒り」を我慢しても誰も評価してくれないし、現実は何も変わっていかないんだから、それだったら適切な形で「怒り」を相手に伝えましょう、ということを言っているわけです。

「怒ること」に対する著者の考え方が凝縮されているだろう箇所を抜き出してみます。

『本書で私はしつこく繰り返しますが、他人に怒ったり注意したりする行為は、コミュニケーションなのです』

『怒る、叱る、注意する、と考えるからハードルが高くなるんです。相手に逆襲されたらケンカになる、と身構えるから、なかなかいえないんです。
自分がこうしてほしい、と考えてることを相手にやってもらえないかと交渉する、と考えたほうが気は楽です。交渉なのだから、相手が反論してくることも当然ありえるし、決裂する可能性もあります。怒ったのに受け入れられないと、ケンカに負けたようで屈辱ですが、交渉したけど決裂した、と考えれば、精神的ダメージは軽いはずです』

本書で著者が主張したいことを極限まで凝縮すれば、この二箇所の引用で説明できるのではないかと思います。怒ることは「コミュニケーション」であり「交渉」である。まずこんな風に発想を転換してみましょう、ということです。そしてこの発想の転換をスムーズに出来るように、著者は自らの経験や資料からのデータなどを駆使します。そしてその上で、じゃあその「コミュニケーション」や「交渉」をどうやったら上手く出来るのかという具体的な方法についても書いている、という作品です。

具体的な方法についても、凝縮して表現されている箇所があります。

『私の経験では、よその子に注意するときのコツ参加上“すぐに”“具体的に”“マジメな顔で”を守れば、「バカモン!」「コラ!」と声を荒らげずとも、こちらの注意を受け入れてくれる確率はかなり上がります』

本書では、「すぐに」「具体的に」「マジメな顔で」について、それぞれさらに深く掘り下げていく形になります。

この内、「すぐに」について少し書いてみましょう。なんとなく分かってはいたことだけど、改めて「なるほどな」と感じさせられました。

著者は、『私はむしろ、ささいやことで怒るようにしなさい、とみなさんに勧めたいのです』と書きます。これが「すぐに」の意味です。
何故か?
著者はその後で、その真意をこう書いています。『激怒するのを防ぐために、ささいな段階で注意してしまう』

僕は、深い人間関係が不得意なのだけど、その理由の一つがこの話と少し近いなと感じます。僕は、関係性が深くなり始めると、相手の行動に対して、「今は全然不愉快ではないけど、これを未来永劫ずっとされたら嫌だな」と感じることがあります。で、僕はこれを割とスルーしてしまうんです。何しろ、今は全然不愉快ではないわけです。とりあえず、様子を見よう、と思ってしまう。でも、やっぱり予想通り、相手のその行動が段々嫌になって来る。でも、最初の段階で嫌だと言わなかった手前、今更言いにくい…。
みたいな感じになって、その人との関係性がめんどくさくなってしまう、というパターンを結構繰り返してきました。

本当は、「今は全然不愉快ではないけど」という段階で、それを止めてくれるように言うのがベストなんでしょう。なかなか難しいですけど、本書を読んで改めてそのことを再認識しました。僕の場合、「主張しないことで怒りを溜め込んでいる」というわけではないのだけど(最初は決して不愉快ではないから)、本書を読んでとにかく、「怒りを溜め込むことはよくないぞ」と自分にも他人にも言いたいなと感じました。

本書はまた、「昔は良かった」的な言説のウソを暴き出す、という側面も持っています。道徳的な面で、明治・昭和の人々は現代人より素晴らしかった、という言説はウソだと著者は切り捨てます。著者は、昔の雑誌などをひっくり返すようにして読み漁って、当時の社会風俗全般について調べます。現代で起こっている様々なマナー違反は、明治時代にも昭和時代にもあった。マナー違反が今になって増えたわけでも、昔の人の方がデリカシーがあったわけでもない。そういうことを、きちんと雑誌などの資料を根拠に主張しているのもとても面白い。

全編を通じて、著者の発言の仕方にはとても誠実さを感じる。リテラシーのない人は、読者を小馬鹿にするような書き方にイラッとくる人もいるのかもしれないけど、著者は根拠のない主張はしないという意味でとても誠実だ。著者の根拠というのは、自分の経験と、雑誌などの資料だ。自分の経験に基づいて発言する場合は、「あくまで私の場合はこうだ」という主張をする。自分の価値観を空いてにむやみに押し付けることもしないし、相手をむやみに貶すわけでもない。著者の目的は、「間違った認識を持った人間の考えを正す」というもので、それが徹頭徹尾貫かれているところがとても良い。僕らは様々な発言を、特に根拠を持たないままする。人から聞いた噂話とか、ネットの書き込みとか、そういうエビデンスのない情報を悪意なく広めてしまう。僕らのそういう軽々しい行為によって、イメージや雰囲気みたいなものは醸成されていく。それらに根拠がないこと、そして何らかの根拠に立脚すれば真実はこちらであることを提示する著者のやり方は、僕は好きだなと思う。

本書からは、怒り方の具体的な手法やスタンスを学べるだけではなく、何らかの情報や価値観に接した時、その真偽をどう判断し、どう担保するのかという在り方まで学ぶことが出来るように思う。後者のような生き方は、ネット社会であればあるほど必要とされるのだろうと僕は思う。

パオロ・マッツァリーノ「日本人のための怒りかた講座」

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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)