「海賊とよばれた男」を観に行ってきました
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生きることは、闘うことだ。
誰もが、それぞれの戦場で闘っている。
それを僕らは、生きる、と呼んでいる。
『店主の戦争が、ようやっと終わったんかもしれんなぁ』
けれど、「なんのために闘うのか」が、どんどん見えにくくなっているように思う。
そういう時代に、僕らは生きているのだと思う。
誰もがこう言うだろう。
生きるために闘っているのだ、と。
しかし、じゃあ何故生きるのか?と問われて答えられる人間は多くはないだろう。
僕も答えられない。
この問いに答えられないからこそ、多くの人が迷っているのだろう。
戦争は、明らかに悪だ。
肯定するつもりなど、さらさらない。
しかし、戦時下では、闘う理由ははっきりしている。
国のためだ。
自分が闘うことがどう国のためになるのか、明確に説明しろと言われたら困るだろうが、
誰もが国のためと思ってそれぞれの戦場で闘っていた。
国のために個人が闘うことが、良いことなのかどうか、その是非はここでは問わない。
とにかく、このために自分は闘っているのだ、という大きな存在を見つけ出せる環境は、ただその点だけを抜き出してみれば、現代よりも恵まれていると言えるかもしれない。
『忘れたのか。俺たちの店主は、企業家の皮を被った海賊やぞ』
国岡鐡造という男は、その「大きな存在」としてあり続けた。
一企業家でありながら、多くの人間にとっての「闘う理由」として存在し続けた。
『俺わぁ、店主の言ったことはやりとげたいんだよ』
国岡商店の面々は、誰もがこういう想いを抱いていた。店主がやれと言うなら、店主が行けと言うなら、店主が続けろというなら…。どれだけ困難な状況でも、不可能と思える現場でも、理不尽に怒り震える時でも、彼らは「店主のため」という想いだけで、それらを乗り越えることが出来たのだ。
これだけの男が、今世界に何人いるだろうか?
『それでもダメやったら、みんなで乞食をしよう』
国岡は、店員たちのことを「家族」と呼んだ。終戦によって60歳の国岡はすべてを失った。生き残った大勢の店員たち、そしてこれから復員してくる1000人単位の店員たち。彼らを養えるだけの蓄えも仕事も何もなかった。しかし国岡は、ただの一人も店員の首を切らないと決めた。それは、国岡を取り巻く幹部たちには、到底不可能に思える決断だった。しかし国岡は、その無茶を貫き通す。
日本の石油すべてを統制する石統に嫌われた国岡商店は、戦後石油を扱う商売をしばらくすることが出来なかった。ようやく許可を得ても、外油メジャーたちが国岡商店を潰そうとあらゆる手を使ってくる。国岡商店は、ずっとずっと苦しい闘いを強いられてきた。
しかし、それを乗り越えることが出来たのも、あの時首を切らなかった店員たちの獅子奮迅の努力のお陰だ。
『士魂商才。サムライの心で商売をする。それがどうなるのか見てみたかった。それだけだ』
意味のない慣習や圧力にさらされながらも、ルールを破るような商売の仕方は決してしなかった国岡商店。その心意気が、多くの人間を巻き込み、国岡の元へと集まっていく。
それが、国岡鐡造という男が持つ力であり、魅力である。
多くの人間にとっての「闘う理由」であった国岡鐡造。では、彼は何のために闘っていたのか。
国のためだ。もっと言えば、国の未来のためだ。
『このままだと、日本に石油が入ってこんのだ』
GHQは、石油の輸入を解禁して欲しいという石統の要望を蹴った。理由は、全国の海軍施設にあるタンクの底を浚えばまだ石油はあるじゃないか、という嫌がらせのようなものだった。タンクの底の石油は、戦時中、どうしても石油を必要としていた海軍でさえ浚うのを諦めたほどのいわくつきのものだ。そのあまりの過酷な仕事を引き受けるものなど誰もいない。
しかし石統のトップは、これまた嫌がらせのようにその仕事を国岡商店に回す。タンクの底の石油ならいくらでも売っていいぞ、と。現場の人間たちは、その作業のあまりの過酷さに音を上げた。撤退を進言した現場責任者に、国岡は続けてくれと言ったのだ。
国岡は知っていた。石統が嫌がらせでこの仕事を国岡商店に回しているということを。それを飲み込んで、国岡はこの仕事を引き受けた。何故か。
そうしなければ、日本の石油が入ってこないからだ。日本の復興にとって欠かせない石油が、ただの一滴も入ってこないからだ。
『石油は国の血液やろが!そのすべてを外油メジャーに押さえられるのは、絶対に避けねばならん!』
国内の石油会社が次々と外油メジャーと提携(という形を取った買収)をされている中、唯一の民族系石油会社として国岡商店は孤軍奮闘していた。しかし、元石統のトップは分かっていた。メジャーと闘っても勝てるわけがない、と。外油メジャーは、石統を解散させるほどの強大な力を持っている。国岡商店などひとたまりもない、と。
しかし、そう言われた国岡は、それでも買収など受け入れないと強硬姿勢を崩さない。何故か。この買収を受け入れてしまえば、日本が扱うすべての石油が外油メジャーに乗っ取られてしまうからだ。それでは、経済的に独立しているとは言えない。
『これが一流と言われる奴らのやり方ですか?恥ずかしくないんですか?』
国岡商店は外油メジャーとは長く闘いを続けてきている。満州でもそうだ。彼らは満鉄に対して、マイナス20度でも凍結しない油を開発して売り込んだ。しかし満鉄は、国岡商店との取引を蹴る。その裏で、外油メジャーが動いていたのだ。
士魂商才。まっとうな商売をし続ける決意をしていた国岡には、彼らのやり方がどうしても許せなかっただろう。国岡にとっては、彼らに乗っ取られる形で国岡商店を経営するつもりなど、まるでなかった。
国岡は、常に未来の日本を見据えていた。未来の日本が、未来の日本人が、誇りを持って生きていけるよう、国岡は信念を持って闘い続けた。その闘いを間近で見ているからこそ、国岡商店の面々は、店主に人生のすべてを捧げることが出来たのだろう。
国岡が夢を託した未来に、今僕らは生きている。僕は、この映画の原作小説を読んだ時にこう感じた。今でも覚えている。
僕たちは、国岡が望んだ未来をきちんと生きているだろうか。
国岡が、今の日本を見てどう思うのか。
最後の最後まで心休まる時のないままに突っ走り続け、未来へとそのすべてを託した国岡は、僕らを見て、微笑んでくれるだろうか。
1945年8月。物語は終戦直後から始まる。
60歳だった国岡は、大打撃を受けた国岡商店をどうするか、決断に迫られていた。一人の首も切らない、と国岡は決めていた。しかし、石油はないし、あっても扱えないし、仕事もない。国岡は、やれることはなんでもやった。GHQから頼まれたラヂオの修理も請け負った。とにかく、必死だった。
思えばこれまでも、ずっと必死だった。1912年、国岡鐡造27歳の頃。個人的な繋がりで石油の納入業者が決まっていて新規参入が困難と言われた中、国岡は後に“海賊”と呼ばれることになるあるやり方で、油を売りまくった。国岡らの真っ当な商売は、様々な場面で軋轢や対立を引き起こしたが、国岡は一步も引かず、国岡が正しいと思えるやり方を貫き通した。
国岡のそんなやり方に惹かれて人も増え、また苦しい状況もなんとか乗り切ってきた。
しかし、さすがに八方塞がりだ、という状況がやってくる。
日承丸という2万トン級のタンカーを製造した国岡商店は、これで世界中どこの石油会社とも取引が出来るようになったが、そんな国岡商店を牽制するように、外油メジャーの息が掛かった製油所から次々に取引停止の連絡が届く。ついに国岡商店は、石油の仕入先をすべて失った。
残る手は一つしかない。外油メジャーの支配下にはない製油所と取引することだ…。
というような話です。
原作は言わずもがなの傑作ですが、映画も実に良かったです。よくあれだけの分量の原作を映画一本分の長さにまとめたな、と感心しました。
映画は、原作の中から特に印象的なエピソードを抜き出して、それらを実にうまく繋ぎで作った、という印象です。原作では国岡商店についてもっと様々なエピソードが登場するが、それらを刈り込んで刈り込んで映画は作られている。出来るだけエピソードを盛り込むことよりも、一つのエピソードを丁寧に描き出していく、という作り方をしたのだろう。そしてそれはとても成功しているように感じられた。
物語の展開も時系列順ではなく(原作も確かに、冒頭こそ終戦直後からのスタートだったが、それ以降は時系列順で展開していたような記憶がある)、現代と過去を行ったり来たりさせる構成で、その構成が良く出来ていたなと感じる。現代における苦しい状況の際に、それと関わり合う過去の回想を挟み込むことで、短い時間の中で国岡商店や国岡鐡造の来歴がよく伝わるような構成になっていたと思う。
石統や外油メジャーと対する時の国岡鐡造と、店員と対する時の国岡鐡造の落差が大きく出るような演技や演出で、国岡鐡造という人物の輪郭がとても見えやすかったのも良かったなと思う。その差をはっきりと見せることで、国岡鐡造という人物が一体何を大事にしているのかということがとてもよく分かる。
印象的だったのは、国岡鐡造が常に現場に足を運んでいる、という点だ。国岡は、タンクの底を浚う現場にも自ら足を運び、還暦を超えているというのに自ら作業をしようとした。国岡には、店員たちに辛い思いをさせているという忸怩たる思いが常にある。現場まで足を運んで彼らを激励しなければ気が済まないのだ。
国岡は店員たちを前にして何度か話をする場面があるが、そこでも、店員たちの心を惹きつけ、この人のためにまた頑張ろう、と思えるような言葉を紡いでいく。それが多くの店員にとって本心だと感じられるからこそ、彼らもまた頑張れるのだろう。
映画を見た人は是非、原作も読んで欲しいなと思う。映画にするに当たって相当エピソードが削られているから、原作を読んで国岡という男の凄さを知ってほしいなと思う。
あと凄いなと思ったのはCGだ。確か、「三丁目の夕日」と同じところが「海賊とよばれた男」も作っているはずだ。「三丁目の夕日」もCGが絶賛されたはずだが(僕は見ていない)、こちらでも圧巻だった。正直、どの場エンがCGで出来ているのか全然分からなかったくらいだ。冒頭の戦闘機による先頭のシーンなんかは、明らかにCGなんだろうけど、それでも迫力満点でCGとは全然思えなかった。その後も、CGでしかこの映像は作れないだろうけど、CGだとしても凄いと感じるような場面が多々あって、驚かされた。
何故闘うのか、そして何故生きるのか。そういう真っ当さに裏打ちされた国岡鐡造という男の生涯を描き出す作品だ。実際にこんな人間がかつていたということ、そして彼が未来の日本に何かを託したこと、そして託されたのはまさに僕らであること。そういうことを実感してほしいなと思う
「海賊とよばれた男」を観に行ってきました
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