黒夜行

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渚にて(ネヴィル・シュート)

死に方を選べる状況、というのは、僕には好ましい状況に感じられてしまう。
だからこの作品の世界観を一概に拒絶することが、僕には出来ない。

『人はみな遅かれ早かれいずれは死ななければならない。ただ問題は、心の準備をしてそのときを向けるというわけには決していかないこと。なぜなら、いつそのときがくるかわからないから。ところが今このときにかぎっては、およそいつ死ぬかをだれもがわかっていて、しかもその運命をどうすることもできない。そういう状況を、わたしはある意味で気に入っています。』

長生きしたい、と多くの人がいう。僕にはイマイチその感覚が理解できない。もちろん、健康でお金もあって、仕事なり趣味なりがきちんとあって、毎日が充実している生活を送れるのであれば、僕だって長生きするのに吝かではない。しかし、必ずしもそうなるとは限らないし、というかそうならない可能性の方が明らかに高い。多くの人は、その現実を受け入れずに長生きしたいと言っているのか。それとも、その現実を受け入れてなお長生きしたいと言っているのか。僕にはイマイチ判断が出来ないが、どちらにせよ、僕には理解できない感覚だ。

長く生きることよりも、人としての尊厳を持ってきちんと生きていたいと思う。
これは何も、認知症などの病気のことだけを指しているわけではない。たとえば戦争が起こった時、世界の経済情勢が一気に悪化した時、食糧難になった時、石油が枯渇した時…などなど、未来にはどんなことが起こってもおかしくない。そういうそれぞれの状況下で、自分なりの価値観を貫いて、きちっと生きていく。自分なりの価値観を曲げてでも長生きしたい、などと思うことはまるでなくて、自分なりの尊厳を守った上で、生きれる範囲で生きていきたい。僕はそんな風に思う。

世界が終末を迎える、という時、どう生きるのか。本書では、ある特殊な状況下における人々の生活を丹念に描き出すことで、そういう問いを突きつけてくる。すべてが終わるからと言ってあらゆるルールを無視して生きるのか。あるいは、それでもなお自分の中の良心に従ってきちっと生きていくのか。死に方を選べる、ということはすなわち、生き方を選ぶということだ。僕らは、いつどこで死ぬか分からないからこそ、人間関係を大事にし、将来のことを考えて計画し、出来る準備はしておきたいと考える。
誰もがいつどこで死ぬのか大体分かっている、という状態に置かれた時、それでも人間はそれまでの人間らしさを維持して生きていくのか。
この物語は、絶望的な世界を舞台にする作品だが、しかしそこには明らかな希望がある。人間が人間の尊厳をどこまで維持することが出来るのか、という可能性を、徹底的に突き詰めている。僕らにはきっとそういう品性が備わっているはずだ、と思うだけで、これからの生き方が少し変わっていくのではないか。そんな予感を抱かせる作品でもある。

内容に入ろうと思います。
ソ連と中国の間で勃発した第三次世界大戦の最中、4700発とも言われる核兵器が投下され、北半球は壊滅した。どうにか被害を免れた、アメリカ合衆国の原子力潜水艦であるスコーピオンは、汚染帯や機雷原をどうにかかい潜り、オーストラリアに到達した。放射能で人の住めない地域となった北半球とは違って、オーストラリアはまだ放射能の影響がなく無事だった。スコーピオンの艦長であるタワーズ大佐は、スコーピオンの連絡士官に指名されたホームズ少佐の助けを借りながら、オーストラリアでの生活をスタートさせる。ホームズ家と親交の深い、牧場主の娘であるモイラと親しくなったタワーズは、アメリカで既に命を落としているだろう妻や子どもに想いを馳せつつ、モイラとの時間を楽しむ。ホームズは、妻と生まれたばかりの赤ちゃんと共に暮らしながら、日々を過ごしている。
放射能は、確実に南半球にも近づいている。オーストラリアがダメになるのも、そう遠い未来ではない。死の影は、確実に近づいてきている。
そんな状況において、アメリカ合衆国から断片的なモールス信号が届く。ほとんど解読できない謎めいた文面ではあるのだが、まさか放射能に完全に汚染されたはずのアメリカにまだ生存者がいるのだろうか?と議論が巻き起こる。スコーピオンは、一縷の望みを掛けて、汚染帯と機雷原を慎重に抜けながら、モールス信号の発信源まで向かうが…。
というような話です。

とても素晴らしい作品でした。外国人作家はあまり得意ではないし、分量も多いのですけど、じんわりと染み込んでいくような読まされてしまう作品でした。1957年に発表された作品の新訳版だそうで、文章も非常に読みやすいです。

そして何よりも、核戦争後のオーストラリア、という設定は、現代の日本人にとって無視出来ないものだと思います。
何故なら、僕らは3.11を経験しているからです。

僕は、東日本大震災からしばらく経ってから福島に3度ほど言ったことがあります。その際バスで飯舘村を通りました。その時点では、一切外に出てはいけないとされている地域でした。見た目には、何も壊れていないし普通の町です。ただ、人がいない。住んでいる人も歩いている人もいなくて、ただ車だけが通っている。そんな光景がしばらく続きました。

『街にも、村にも、田畑にも、生きてる人間が一人もいなくて、ただなにもないところが広がってるありさまをよ。わたしにはとても想像できないわ』

あんな光景を見る機会は、そうあるものではありません。ちょっと比喩的な表現をすれば、立っている家々がまるで墓石であるようにも感じられました。ただひたすらそこにあるだけの存在で、死を内包している。そういう雰囲気を、町全体から感じました。

この新訳版は2009年に発売されましたが、その解説でこんな風に書かれています。

『「私たちは何もしていないのに、なぜ、こんなふうに死ななければならないのか?」というようなことを登場人物の一人が悲鳴のように語る部分があるが、核戦争にあっては傍観者は存在しないというのが、この作品のメッセージだった。
今では、このメッセージは風化してしまっているように思う。現実には何も変わっていないのだが、このメッセージがリアリティを持たなくなっているように思うのだ』

この本の出版から二年後、東日本大震災が起こり、この作品は再度リアリティを持つようになった。核戦争によってではないが、僕らは本書と同じような状況を経験している。結果的に(そう、結果的にだ)、本書で描かれるオーストラリアのようには、僕らが住む日本は壊滅することはなかった。しかし、それはあり得た現実だと僕は思う。ほんの少し何かが違えば、本書のオーストラリアのようになった可能性は十分にあるのだ。世界は終わらないにしても、日本が終わる可能性は十分にあったのだ。
東日本大震災から5年が経過して、こういうことが少しずつ忘れられるようになってきている。この作品は、あり得ない(と思いたい)未来の描写によって、僕らに再度そういうことを思い出させてくれる作品だ。

冒頭でも少し触れたが、この作品は人間の生きる上での尊厳が描かれていると僕は思う。確実に死が忍び寄っている中でいかに生きるのか。作中の様々な人物が、自分なりの生き方を、そして死に方を模索する。趣味に没頭する者、思考停止してそれまでの日常を継続させようとする者、残ったワインを飲み干そうとする者…。
そういう中で僕は、滅亡が確実である状況の中でさえ規律やルールを守ろうとする態度に惹かれる。

『放射能にやられるまで走らせ続けるよ。やられたとわかったら、そのときは電車を車庫に仕舞って家に帰るさ。結局は家が本当の生活の場だからね。三十七年間、雨の日も晴れの日も走らせてきたんだ、こんなことじゃまだやめられないね』

多くの人が仕事を放棄していく中で、乗客が少なくなってなお電車を走らせ続ける運転手のセリフだ。これは、思考停止による日常の継続とは違う。崩壊するという未来を現実のこととして受け入れた上で自分なりの選択をしているのだ。こういう態度はとても好きだ。

あるいは、スコーピオンの艦長であるタワーズも、同じようなタイプの人間だ。

『「禁を破るのは好まんね」とタワーズは真顔でいった。「母国でならどうするかわからんが、しかしこうしてよその国に世話になっているとき規則を侵すのはまずいな」』

『ただ、やるべきことはちゃんとやりたいというだけのことさ。規則には必ず従う―そういう訓練を受けてきているのが軍人だ。こういうときだからといって、それを変えたくはない』

タワーズのスタイルは、いささか頑固にも思える。ルールというのは、それが成立するだけの環境があって初めて効力を持つ、と考えてもいいと思うし、世界が滅亡するというのは、それが成立しない環境であると考える人が出て来ることはある程度自然なことだと思う。しかしタワーズはそういう中でも、自分だけはルールを守ろうとする。そういう生き方は、僕は好きだ。ルールを守ったからと言って、誰かが幸せになるわけでも利益が得られるわけでもない。自己満足だと言われればそれまでだ。しかしそれでもいいじゃないかと思う。自分の信念を貫くことでたどり着ける心境もまた、得難いものだろう。
どうにもならない絶望的な環境で、それでも何かを選択しなければならないという場合に、タワーズのようなあり方は一つの希望だし理想だと、僕は感じる。

物語としては、起伏に欠けるだろう。驚くような展開があるとか、衝撃的な結末が用意されているような物語ではない。ある意味で、とても地味な物語だ。しかし、この長い物語を読み進めることで、今自分がどう生きるべきなのかを問うきっかけにもなるだろう。生きる上での尊厳は、何も終末にだけ発揮されるようなものではない。殊更に「正しく生きること」を求められるわけではない現代において、自らの生き方を見つめ直すことは、死というものに近づいていく時に非常に大事になってくるのではないか、と思う。そういう意味でこの作品は、もっと広く読まれる作品だと思う。

ネヴィル・シュート「渚にて」

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2013年の個人的ベストです。

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9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
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13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
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新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
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4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
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小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
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9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
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2011年の個人的ベストです
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1位 千早茜「からまる
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6位 今村夏子「こちらあみ子
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新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
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番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)