黒夜行

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ひとさらいの夏(富士本由紀)

世界から他人という存在が一人もいなくなった時、自分が何をするか。それこそが、自分の本当にやりたいことなのではないか、と考えることがある。

誰もが他人の目を意識しながら生きている。誰にどう見られているか、誰にどんな風に評価されているか。そういうことが気になってしまう。周りに見せるための自分を生きるのに精一杯で、自分が本当にどうしたいのかを考える余裕もない。

自分の人生は、自分の選択によって構成されているはずだ。たぶん誰もがそう思っている。そう思いたいのだ。けれど、長い年月人生というものを生きてきて、人々は、こんなはずではなかった、という場所に辿り着く。多くの人が、何か違う、という思いを抱えながら毎日を過ごす羽目になる。

自分が最良と思う選択を積み重ねた先にある到達点は、自分が最良と思う未来には、どうやらならないようなのだ。

人間は、そういう到達点に立って始めて、自分の選択というものを疑うようになるのかもしれない。自分で選んだ道だ、というのは思い込みでしかなかったのかもしれない。自分の選択というのは、誰かの希望に裏打ちされているだけだったのかもしれない。たどり着けるはずだった場所にたどり着けないまま、倦んだ日常を生きざるを得ない人たちは、やり直すことが出来ない選択を後悔しながら、なんの希望もない未来が訪れるのをただ待っている。

この物語の背景になっているのは、そういう淀んだ日常だ。何もないだけの毎日をただ生きている人。酷い環境が当たり前になってしまった中で生きている人。前にも後ろにももう何もなく、上にも下にもいけないどん詰まり。そういう場所で、彼女たちは生きている。

そういう日常に射し込むのは、濁った光なのだろう。雲間から輝くような陽の光が射し込むようなことは、望めない。昏くベトベトした光が申し訳程度に見えるくらいなものだ。

それでも、光には違いない。そんな光でも、彼女たちの人生は瞬間明るくなる。そういう風にしか生きられないと悟っているからこそ、濁った光でもいいから手を伸ばしたくなる。

そんな人生が描かれた物語だ。

内容に入ろうと思います。
本書は、7編の短編が収録された短編集です。

「氷砂糖」
電車に乗ってあちこちのスーパーを回っている。今のお気に入りは武蔵小杉のイトーヨーカドーだ。雨が降り、雨宿りにと目に入ったのが、「アラスカ」という名の喫茶店だ。
そこに、あの人がいた。岩本洋司。かつて好きだった、そして付き合ってもいた男が、喫茶店のマスターに収まっていた。
洋司は、私のことを思い出さなかったようだ。あの日の「氷砂糖」を引っ張り出してきて、過去の記憶をまさぐる。

「ひとさらいの夏」
41歳の江美子は今、15歳の少年とバイクに乗って逃亡している。少年を追う大人たちから。
付き合っていた相手から、だまし討ちのようにして二千万円もの借金を背負わされた江美子は、その日降りしきる雨の中一人の少年を発見した。少年はそれから頻繁に江美子の元を訪れるようになり、やがて体の関係を持つようになる。少年は、大人に包囲されようとしている。そして江美子は、そんな少年の現実に巻き込まれた。いや、巻き込まれにいった。

「田螺と水面の月」
ヴェガという名の寂れたパチンコ屋に、野越弓子は日参している。26歳になる今も、親から月2万円ほどの小遣いをもらって何も働きもしない弓子は、ヴェガに入り浸って他人に悪意を撒き散らしている。どうせ愛想よくしたって好かれるわけでもない。弓子は経験でそれを悟っていた。
しかしある日、弓子と積極的に関わろうとする、容姿の整った男が現れる。その男は、弓子に好意を持っているとしか思えない振る舞いをする。意味が分からない。分からないが、不快ではないし、嬉しい。彼に気に入られたい。その気持ちが、弓子を変化させていく。

「僻む女」
頭だけは良かったけど地味でいじめられていた同級生が、病院長として華々しい生活を送っている。学生時代ヒエラルキーのトップにいた多可子は、今では東京の会社で人員整理に遭い、田舎に戻ってきて肩身の狭い生活をしている。病院長が病院経営で何か悪いことをしているはずだ…。そういう思い込みを持って病院を探り始める多可子だが…。

「亜種幻想」
水島は、常に上司である鞘木から怒られている。無茶な営業先とノルマを課せられて、出来るはずもないことで怒られる。そんなかわいそうな水島を見て、曜子は彼を愛しく感じる。水島がされている無茶を感じるためだけに、曜子は鞘木に抱かれている。

「蜘蛛」
杏子は、膠原病を患いほとんど身動きの取れなくなっている母親の介助のために設計事務所を辞め、自宅で出来る仕事を回してもらっている。出来上がった仕事を渡す日だけ、介護ボランティアの西田さんにお願いをして、杏子は高梨と会う。仕事を回してくれる男であり、独立して杏子と結婚しようとしている男である。しかしそのためには、杏子の母が邪魔なのだった。

「コンドル」
夫が人員整理に遭い職を失い二年半が経った。夫は働こうとしないばかりか、面接に行こうともしない。ただダラダラと日々を過ごしている。枝里はそんな夫を見限っているが、しかし離婚に踏み切ろうとするわけではない。自立出来るとは思っていないからだ。ある時から白人男性と付き合い始めた。彼は枝里に、何故夫と別れないのかと問う。

というような話です。

どの話も、絶望というほどの絶望ではないのだけど、とにかく行き詰まっている女性たちの人生が描かれている。ある程度年齢を重ね、自分の人生にこれ以上の広がりがないことを自覚している女性たち。辛い何かを引きずりながら淡々と、何かを塗りつぶすようにして時間を過ごしている彼女たちの日常に訪れた微かな光と、その光の昏さが描かれていく。

読むものをザワザワさせる雰囲気に溢れた短編だ。予定調和、という言葉からかけ離れていて、物語がどんな風に着地するのか、読んでいる間は想像が出来ない。読者を不安定な気分にさせる筆致が、どんな着地もありえるような雰囲気を醸し出す。

そんな雰囲気が最高潮に達するのが、「亜種幻想」ではないかと思う。この物語は、結構好きだ。この物語は、本当にどんな風に閉じるのか全然想像が出来ない。歪んだ欲望を持つ女性と、飄々としているように見える男。二人の、直接の関係が一切ない関係性が、奇妙な空間を作り上げている。結局何も判然としない唐突な終わり方が、僕は好きだ。全7編の短編中、最も物語らしくない短編で、他の短編が比較的物語らしく振る舞っている中にあるせいか、この短編が一番僕には引力があるように感じられた。

ありきたりな言い方をすれば、本書の主人公たちは、理想と現実の差に絶望しているといえる。しかし、より深刻なのは、彼女たちが理想を捉え残っているように見えることだ。捉え残った理想と現実を比べて、絶望している。現実を比べる対象がそもそも不正確なのだから、歪んだ定規で長さを測るみたいな無意味さを感じてしまう。

じゃあ、理想というのはどう捉えるべきなのか、と聞かれたら、答えに窮する。僕は、理想を持たないことが理想だと考えているのでなおさらだ。理想、というものを捉えてしまうから、現実との差、というものが生まれる。理想がなければ、現実との差、という厄介なものも消え去るのだ。僕は真面目にそんな風に考えている。

彼女たちは、大それた理想を掲げているわけでは決してない。金持ちを目指しているでも、イケメンとの恋を望んでいるでもない。ただ、ごくありきたりな、普通の人生を望んでいるのだ。

しかし、それがダメなのだと僕は思う。普通、というものは存在しない。普通、ありきたり、平凡、そんなものを望むからこそ、そこから外れてしまうのではないかと思う。それが僕なりの、理想を捉え損なった、に対する説明だ。

濁った光を見て、それを追いかけた彼女たちの人生は、唐突な場所でスパッと途切れる。そこからどんな風に彼女たちの人生が続いていくのか、読者には分からない。光のない世界にただ戻ることが出来るのなら、それはある意味で幸せだろう。きっとそうはならない。その後が気になるという意味でいえば、「コンドル」の枝里は、その後どうなっただろうか?とても気になる。

富士本由紀「ひとさらいの夏」

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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
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9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)