黒夜行

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Qrosの女(誉田哲也)

未だに、芸能人が不倫をした時に世間に対して謝る意味が僕には分からない。

もちろん、芸能人自身だって意味不明だと思っているだろう。しかし彼ら彼女らは、そうせざるを得ない。何故なら、「世間」がそう望んでいるからだ。そう望んでいる「世間」があるのだと、「マスコミ」が声を荒げるからだ。

もちろん、「世間」が何を望んでいるのか、だって分かっているつもりだ。「世間」は別に、謝罪そのものを望んでいるわけではない。そうではなくて、自分より遥か彼方の存在だった人間が、自分がいる場所よりも遥か下まで堕ちている、と確認したいだけなのだ。芸能人という地位から堕ち、一般人の自分よりもさらに低い場所に落ち込んだ、その事実にほくそ笑みたいだけなのだ。

本当に僕には、そういう欲求がまるでない。

ワイドショーや週刊誌やネットの掲示板を見て、まさにそれが今どんな話題よりも重大であるかのように語る人というのはごく一部かもしれない。しかし、そこまでいかなくても多くの人が、自分には被害が及ばない炎上をチラ見しては、ちょっとした野次馬気分を楽しむ、くらいのことはするだろう。芸能人のスキャンダルは、誰かと話す時の手堅い話題だからチェックはしている、という人もいるかもしれない。

そういう人が一定以上存在するからこそ、芸能ニュースというのは成立している。

『芸能スキャンダルそのものに報道する価値を見出せずにいる』

大多数の人が欲しいと思っているものを提供する、というのは確かに商売の基本だとは思うが、なら、覚醒剤を売るために人々をヤク漬けにするというのはどうだろう?確かにヤク漬けにされた人は、覚醒剤を「欲しい」と思うだろう。しかしそれは、「欲しいと思わされている」とも言える。物質的にも精神的にも豊になりすぎた現代、存在しうる物欲のほとんどが「欲しいと思わされている」と言えなくはないかもしれないが、しかしその中でも芸能スキャンダルというのは、「欲しいと思わされている」最たるものではないかと思う。

最近ビールのCMで、誰だか分からないが恐らくミュージシャンだろうと思われる人が妻夫木聡にこんな風なことを言っている。

「今の時代、難しいものはつまらないって切り捨てられてしまうような気がして」

その結果として、誰にでも理解できる、難しく考えなくても楽しめる、まさに芸能スキャンダルのような娯楽が、娯楽のトップを占めるようになってしまったのだろうと思う。

そういう世の中は面白くないなぁ、と僕はどうしても感じる。

僕は、今の自分には出来ない、分からない、届かないものだからこそ、手を伸ばしてみる価値がある、と考えるタイプの人間だ。芸能記事など、ヤフーニュースの見出しを見ただけで、大体どんなことが書かれているか分かる。ほとんど記事全文を読む必要なんてないぐらいだ。しかし、そういうものが持てはやされる。今の自分に理解できる、手が届くものにしかアプローチしない。だからこそ、作り手側も、そういう人たちに合わせて、分かりやすく、お手軽で、難しくないものを作るしかない。

つまんねーなー、そんな世の中。

僕はどうしても、そう感じてしまう。

発端は、「Qros」という、日本を代表するファストファッションブランドのCMだった。
「Qrosの女」
CM放送後から、そう呼ばれ注目を集め続ける一人の女性がいた。素性は一切不明、どこの誰なのかさっぱり分からないのに、今をときめくイケメン俳優である藤井涼介に抱きしめられているその女性は魅惑的な美しさを秘めている。これほどの美しさを持ちながら、どこかからデビューするような話もない。じゃああの女は一体誰なんだ?
「Qrosの女」は、ネット上で静かに広がりを見せている話題だった。
矢口慶太は毎週水曜発売の「週刊キンダイ」の契約記者。少し前まで政治班所属だった矢口は、異動で芸能班にやってくる。
「芸能スキャンダルそのものに報道する価値を見出せずにいる」
政治家の不正や公務員の悪事は徹底的に暴くべきだと思う矢口だったが、芸能人のスキャンダルには報じるべき価値があるとはどうしても思えない。しかし、仕事である以上やるしかない。とはいえ、毎週5本のネタを会議に載せるのはキツイ…。
栗山孝治は、矢口と同じ「週刊キンダイ」の記者だ。栗山はかつて「週刊文秋」に所属していたが、そこでとんでもない失態を犯してしまう。完全に事実無根の記事によって、一人の芸能人を抹殺してしまった。その時の記憶が、栗山を今も苛み続けている。そして、あんな記事だけは二度と書くまいと固く誓っている。
栗山は「Qrosの女」を追っていた。やがて彼は、「Qrosの女」の正体を突き止める。しかし妙な展開が栗山を待ち受けていた。そして「Qrosの女」を取り巻く厄介事を払拭する手助けをすることになる…。
園田芳美は、ブラックジャーナリズムの世界で有名だ。大ぼら吹きだが、十回に一回は真実を語り、百回に一回は大スクープを提供すると言われる伝説のフリー記者。どこかの雑誌に所属するのではなく、あらゆる方法で集めたネタを、記者にも売るし事務所にも売る。売れる先があればどこにでも売る。園田はそんな男である。
園田が「Qrosの女」と関わることになったきっかけは、一本の奇妙な電話だった。それは、園田にすればボロ儲けの仕事の依頼であり、しかしある意味では、その電話がすべての始まりだったと言っていい…。
というような話です。

さすが誉田哲也。どエンタメを書かせたら抜群に面白い作家だなぁと改めて思いました。一気に読ませるだけの筆力があるし、先がどうなっていくのかという展開の面白さは健在です。扱っている題材は芸能スキャンダルと、現代の世相に寄り添いすぎているものでありながら、浮ついたちゃらちゃらした内容ではなく、どエンタメの中に、報道とは何か、個人のプライバシーとは何かなど、日常の中で立ち止まって考えてみてもいい問いがうまく組み込まれています。

本書では、「Qrosの女」と呼ばれることになる女性が、個人のプライバシーを曝される、という展開になるのだけど、僕らは現実の世界でこういう状況を何度も目にしている。

これを書いている時点で最も記憶に新しいのは、東京オリンピックのエンブレム問題だろうか。僕自身は、あの問題は、あそこまで大きな騒動になるほどのものではないと感じたが、主にネット上の人たちがその情報収集能力を駆使して様々な疑惑を見つけ出しては拡散させていった。

『規制なきネット情報の渦に呑み込まれた個人は、はっきりいって無力だ。それと比べたらマスコミは紳士的だなどというつもりもないが、少なくとも週刊誌記者は自らの顔を晒して取材をしているし、編集部はクレームを受け付ける。』

小保方晴子、佐村河内守、あるいはベッキーや清原和博。芸能人かどうかに関わらず、様々な人間がネットの暴力にさらされてきた。ネットの暴力にさらされた人たちが、「悪くなかった」などと言うつもりはない。しかしだからといって、ネットの暴力に晒されても当然だと言えるほど悪かったのかと言えば、それもどうなのかなと僕は思う。

詳しい顛末は知らないが、かつてスマイリーキクチという芸人(なのかな?)が、見に覚えがまったくないままネット上の情報だけで勝手に凶悪殺人犯だとされ、謂れなき誹謗中傷を受けたという有名な出来事がある。こう言ってはなんだが、スマイリーキクチというのは、そこまで有名な芸人ではないと思う。そういう人が、突如こういう事態に巻き込まれた。これは、何らかのきっかけさえあれば、僕らにだって降りかかるかもしれないことだと思うのだ。

現に、芸能人ではない一般の人だって、ネット上の暴力によって様々な被害を受けていることだろう。ネットの掲示板とかほぼ見たことがないから、そういう現状については詳しくないけど、恐らくそういう事態が常時進行しているはずだ。

それは、怖くないか?と僕は思うのだ。

その想像力を持つことが出来るなら、ネット上や週刊誌、ワイドショーなどで晒し者にされてる人たちの怖さも想像出来ると思うのだけど、そういう抑止力は働かないみたいだ。僕には、イマイチ理解できない。

この物語は、週刊誌の記者であり、自身もかつて失態を犯している人物が、僕が感じているようなこういう疑問に、週刊誌という舞台を逆手にとることで解答を与える物語だ、と言うことは出来る。ラスト付近で、「真実とは何か?」みたいな議論が少しだけ展開されるのだけど、人を不幸にする真実もあれば、人を幸せにする嘘もある、ということでしかないのだ、と思わされる。真実とは何か?真実を報じることだけがマスコミの倫理なのか?そういう問いを突きつけ、現代の情報というものの在り方に一石を投じる結果になっている。

しかしまあ、そんな難しいことを考えなくても、純粋に物語が面白いし、謎が謎を呼ぶ展開は非常によく出来ている。どうしても僕は、物語の背景にある「報道とは?」「真実とは?」みたいな部分に目がいってしまうのだけど、そういう部分を見ないで純粋にエンタメとして楽しめる作品だ。そして本書を読めば誰もが、自分が普段「真実」だと思って接している情報が、どのように自分のところまでやってくるのか、そういう部分にも思考を向けることになるかもしれないとも思う。

誉田哲也「Qrosの女」

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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
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3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
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新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
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番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)