針がとぶ(吉田篤弘)
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内容に入ろうと思います。
本書は、7編の短編が収録された作品です。長編のようでも短編集のようでも連作短編集のようでもある作品です。
「針がとぶ」
ユイは叔母のことが忘れられない。叔母は日記を書き、詩を書き、「グッドバイ」が口癖だった。ユイは叔母のようになりたかった。その叔母が亡くなり、遺品を整理することに。ユイは、何も整理しないまま、ただ叔母の部屋で過ごした。
「金曜日の本―『クロークルームからの報告』より」
主人公は街で三番目に大きなホテルのクローク係。預かるのはほとんど外套ばかり。ある日、彼が「ジャネット」と名付けたお客さんのコートが残っていた。彼は、その日読み始めた小説と合わせて、そのコートのことが忘れられない。
「月と6月と観覧車」
客の来ない遊園地の駐車場でアルバイトをしている5人。リーダーのバリカンが、この荒涼とした駐車場を「月面」を名づけた。私たちは、ただ雑談をし、紙袋みたいな猫を見つけ、私はバリカンの、何かあったら手にメモをする癖をチェックする。
「パスパルトゥ」
ローング・スリーヴスという名の村へと向かった私は、風呂場だけ屋根のない一軒家を借り、そこで絵を描き始める。なんでも売っているという万物雑貨の主人・パスパルトゥと出会い、私は絵に対する考え方が変わる。
「少しだけ海の見えるところ 1990-1995」
ユイの叔母が書く日記で構成されている。
「路地裏の小さな猿」
ショート・スリーヴ半島にやってきて二ヶ月。あらゆる「作者」には良く知られたこの知には、様々なものを生み出そうとする「作者」たちの「合宿所」みたいなものだ。私はこの地で、ワダ・ブンシロウという画家のことを耳にする
「最後から二番目の晩餐」
写真を撮っている女が、どこにいるか分からない場所で彷徨っている。偽ルビーの入ったアイスクリームを食べ、自転車修理店兼獣医と出会い、宿の女主人に占ってもらう。そして喋らない青年と出会う。
「水曜日の帽子―クロークルームからのもうひとつの報告」
ショートショートみたいな感じのおまけ。
というような話です。
吉田篤弘は本当に、世界観を売る小説家だなと感じます。ストーリーがどうのこうのというタイプの作家ではなく、ちょっと変わった世界観を丸ごと創りだし、それを小説として提示している、という感じがします。
どの作品でも比較的そうですが、現実のモチーフからうまく繋げて、著者はちょっとした異世界を生み出していく。ホテルのクローク係、遊園地の駐車場、そういう僕らの日常にもあるなんでもない状況や場面を、ちょっとした非日常と接続させてしまうのがとても巧いです。
これは書くかどうかちょっと迷ったんですが、本書は、それぞれの話同士がなんとも言えない形で繋がっていきます。僕はこういう繋がりをうまく掴み取れる方ではないので、どんな風に繋がっているのかきちんと捉えきれていないのだけど、全然バラバラな物語だと思っていた短編が、なんかあの話と繋がってるぞ、というような感じになっていきます。その不思議な繋がり方も本書の魅力だと思います。
しかしまあ、よくもこんなこと思い浮かぶものだ、と感心するような設定や小道具で溢れています。ストーリーらしいストーリーがない分、こういう細かな奇想で読者を惹きつける形になるわけですけど、創りだした世界観から外れすぎず、でも読者をオッと思わせるような、そういう不可思議さに溢れています。そういう奇想に出会いたくて、吉田篤弘の小説を読んでいる、という感じがします。
吉田篤弘の小説は、ストーリーらしいストーリーがない分、感想をとても書きにくい。読むというより感じるというタイプの小説で、読んで感じてみてください、と言いたくなるような小説です。読む側の捉え方でどんな風にでも受け取れそうな世界観は、読む度に新しい受けとり方が出来る小説でもあるかもしれません。
吉田篤弘「針がとぶ」
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