黒夜行

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ロスト・ケア(葉真中顕)

人間の尊厳には、「死ぬ自由」が含まれているのだと、僕はそう思いたい。

『そして、人間ならば、守られるべき尊厳がある。生きながらえるだけで尊厳が損なわれる状態に陥っているなら死を与えるべきだと』

この考え方に、僕は全面的に賛成したい。

しかし、一方でこういう考え方もある。

『お前の言う通り、たとえ認知症になっても人間は人間だ。人間なら守られるべき尊厳があるのもその通りだろう。だからこそ、殺すことは間違っている!救いも尊厳も、生きていてこそのものだ。お前も、お前の父親も、死を望んだんじゃなく命を諦めたんだ!』

この考え方は、あまり好きになれない。「殺すことは間違っている」は、その通りかもしれない。でも、「救いも尊厳も、生きていてこそのものだ」というのは、本当だろうか?

僕には、「救いも尊厳も、生きていてこそのものだ」といい切るには、大前提が必要だと思っている。

それは、セーフティネットがきちんと存在していること。セーフティネットがきちんと存在しているならば、「救いも尊厳も、生きていてこそのものだ」と言い切ってもいい。

しかし、僕らが生きるこの社会にはもう、まともなセーフティネットは存在しない。

『だけど僕にはこれ異常、何をどう頑張ればいいのか分かりませんでした。
このとき、僕は思い知ったんです。この社会には穴が空いている、って。』

本書は、介護がメインで描かれる物語だ。しかし問題は介護だけに留まらない。子育て、学校教育、いじめ、リストラ、追い出し部屋…。世の中のあらゆる部分に穴が空いていて、もはや修復することも、簡易的に塞ぐことも出来ない。僕らに出来ることは、その穴から落ちてしまわないように祈ることぐらいだ。

『あなたがそう言えるのは、絶対穴に落ちない安全地帯にいると思っているからですよ。あの穴の底での絶望は、落ちてみないと分からない』

これは、誰にでも降りかかってくるものだ。降りかかってきたものに対処出来るのは、充分に金のある者だけだ。それ以外は、降りかかってきた状況の中でもがくしかない。

僕は、穴を塞げとは思わない。それは無理だろう。まっとうな制度を作ろうとすれば金が掛かるし、金がないならまっとうな制度は作れない。僕らはこの、穴ぼこだらけの社会の中でなんとかやっていくしかないのだ。

だからこそ僕は、「死ぬ自由」を与えて欲しいと思う。寿命や病死などに委ねるのではなく、はっきりと「死」を選択する、そういう自由を人間は持ってもいいのではないかと思うのだ。

もちろん、難しいことは分かっている。100%悪用されないように制度設計することはsかなり困難だろう。しかし日本には、死刑制度がある。死刑制度もまた、100%失敗が許されないものだ。人の生死が掛かっているのだから。しかし、確証があるわけではないが、しかし間違いなく、無実の罪で死刑に処されている人は実際に存在するはずだ。

そんな死刑制度を許容している国なのだから、人間が人間の尊厳の範囲内で死を選びとる自由だって、与えることは不可能ではないだろうと思うのだ。

僕は、誰かを絶望に叩き落としてまで生きたいとは思えない。それは、ごく一般的な人間なら普通に共有出来る感覚ではないだろうか。しかし現に、多くの人々が、認知症のせいで自覚のないまま他者を傷つけている。その犠牲になっている数多くの人が存在する。

僕にはそれが正しい世の中のあり方だとは、思えないのだ。

内容に入ろうと思います。

2011年。一人の男が裁判所で判決を待っている。<彼>は、延べ43人もの人間を殺害した。戦後最大の連続殺人事件だ。死刑が求刑されることは間違いない。あまりにも被害者が多く、起訴までに4年も掛かった異例の裁判だ。
そして時間は、2006年にまで遡る。
大友秀樹は、千葉地検松戸支部所属の検事だ。最近配属になった検察事務官の椎名と共に、日々膨大な仕事に追われている。
父親が要介護状態となった大友は、高校時代の旧友である佐久間功一郎に連絡を取った。総合介護企業である「フォレスト」の営業部長である彼に、老人ホームを勧めてもらった。入るのに大金が掛かる老人ホームだったが、金が掛けられるならきちんとしたホームの方がいいという佐久間の言葉を理解し、大友はそこに決めた。
佐久間は、成功者であることの全能感に酔いしれたいと思っていた。若くして営業部長の座につき、仕事もプライベーも順調である彼は、しかし暗雲が立ち込めている気配も感じている。大友にも指摘されたが、「フォレスト」が違反行為を行っていたとして勧告されているのだ。業界最大手であり、会長が現総理大臣と太いパイプを持っていることを売りにしているのでまさかとは思うが、用心するに越したことはない。
斯波宗典は、「フォレスト」の訪問入浴者で、介助付きの入浴サービスを行うヘルパーだ。斯波は「フォレスト」の社員だが、一緒に回るヘルパーはパートやアルバイトだ。長くヘルパーを務め、お年寄りに対する辛辣な意見を忌憚なく口にする者と、介護業界に使命感を持ってやってきて、お年寄りを揶揄するような言説に我慢ならない者の齟齬みたいなものも日常茶飯事になっている。
人柄のいい所長にも恵まれ、やりがいのある仕事に従事できていると感じる斯波。二交代制で重労働の仕事は大変だが、今社会に間違いなく必要とされている仕事だ。しかしそれも、「フォレスト」がマスコミのバッシングを受けるようになると風向きが変わってくる…。
羽田洋子は、シングルマザーとして一人息子の颯太を育てながらも、認知症になった母親の介護に追われる日々。母は時折洋子のことが分からなくなるようで、見知らぬ人を見るような目をされる。糞尿を食べようとしたり、徘徊しようとしたりするので、洋子が仕事に出る時はベッドに縛り付けることにしている。
親子であるという情みたいなものはるし、親の介護はきちんとやらねばという気持ちもある。それでも、母さえいなければ、母さえ認知症でなければ、と思ってしまう瞬間が幾度も襲ってくる。
というような話です。

びっくりするくらいレベルの高い作品でした。新人のデビュー作にしては、みたいな評価をするつもりはまったくありません。新人離れした作品の出来に誰もが驚くことでしょう。

本書は、冒頭で「これからどんな殺人事件が展開されるのか」を彷彿とさせる始まり方をする。はっきりと名言はされないが、「この43人を殺したという殺人犯は、介護の苦しみから介抱するために殺人を行っていたのだろう」と誰もが受け取れるだろう描かれ方になっている。そしてまさにその通りの展開になる。

しかしだからといって、ミステリ的に弱いというわけではない。本書は、きっちりとミステリである構成がなされていて、ミステリとしても読み応えがある。

しかし、それよりも何よりも本書の凄いのは、テーマとそのテーマの扱い方だ。

『家族介護こそ日本の呪いだ。』

『死んだ方が良いってことも、あるからねえ』

『介護の世界に身を置けば、誰でも実感する。この世には死が救いになるということは間違いなくある』

本書では、介護の現実がこれでもかと切り取られていく。過剰にセンセーショナルでもなく、かといって過小に楽観的なわけでもなく、今の日本のありのままの姿を切り取っているのではないかと思う。

介護保険が成立した過程、介護業界が陥っている悪循環、介護の現場での苦労、頼れる人や金がない中での壮絶な介護、介護ビジネスの論理、老人と犯罪との関係性などなど…。老人や介護を取り巻く環境は様々であり、誰がどんな立場にいるかによって見え方はまるで変わってくる。本書では、様々な立場の人間を登場させることで、それぞれから見た現実が切り取られていき、その描写が、本書をより現実に近づける働きをしているのだと思う。

僕には介護の経験はないから分からないが、色んな話を聞く限り、今の社会はおかしいと思う。言い方は悪いが、まだ未来が長く存在する人間が、あまり未来が長くない人間にこれほど疲弊させられるのは何か違うのではないかと思う。もちろん、未来が長くないから人間として雑に扱っていい、というわけではない。しかし、それと同じことは、未来が長い人間に対しても言えるはずだ。未来が長かろうが短かろうが、人間は雑に扱われてはいけない。しかしそういう中で、制度や仕組みではどうにもならない現実が広がり続けている。ならば何らかの形で区切ったり諦めたりする必要はあるはずだ、と僕は感じる。

社会がクリーンになればなるほど、クリーンでないものは脇へ追いやられていく。社会のクリーンな部分だけが強調され、クリーンでない部分は「存在するはずがない」という理由で何の対処も取られなかったりする。そういう歪さを、現代社会は抱えている。僕は、醜い部分、汚い部分を社会から切り離すのは不可能だと思うのだ。それらの存在を認めた上でじゃあどうするのか。そういう発想で僕らは社会と関わっていかなければいけないのだと思う。

僕は、本書で描かれる連続殺人犯は、ヒーローだと思えてしまう。これには様々な意見はあるだろうが、僕は、すべての原因は、「死の自由」を認めない仕組みや世の中の雰囲気にあると思う。世界では少しずつ、尊厳死が認められるようになってきている(まだまだ多くはないが)。尊厳死が存在し得ない社会にあって、<彼>のような連続殺人犯は、ある種必要悪と言ってしまってもいいのではないか。もちろんこれは極論だが、僕の考えはその極論に近い部分にあると思う。

これは、正解のある問いではない。しかし、実際に議論され、多くの人がどう感じているのかを共有すべき問題だろう。

繰り返すが、僕は、誰かを絶望に叩き落としてまで生きたいとは思えない。そんな風になってしまう前に殺して欲しい。そう願うことはまったく間違いなのか?否応なしに超高齢化社会に突入する日本には、そういう議論が必要とされているのではないかと思う。

『あなたたちがどんな判断を降そうとも、僕は正しいことをしました』

彼の犯罪を、そして罪を、僕らが生きている社会は、断罪することが出来ない。そんな欠陥を抱えた社会の中で、僕らはこれからも生きていくしかないのである。

葉真中顕「ロスト・ケア」


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2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
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8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
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1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
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5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
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小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
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6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
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12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
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コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
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10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
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13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
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1位 千早茜「からまる
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1位 「「科学的思考」のレッスン
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番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)