ジャッジメント(小林由香)
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2015年11月、パリで同時多発テロが起こった。そのテロで妻を失ったフランス人ジャーナリストがFacebook上で投げかけたメッセージが、世界中から共感を呼んだ。
【だから、決して君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。君たちは、私が恐れ、隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが君たちの負けだ。(私という)プレーヤーはまだここにいる。】
彼は、妻を喪った悲しみを表現しながら、しかし、テロリストたちに復讐をしないことを誓う。復讐をしないどころか、憎しみさえ抱かないと決意する。
【私と息子は2人になった。でも世界中の軍隊よりも強い。そして君たちのために割く時間はこれ以上ない。昼寝から目覚めたメルビルのところに行かなければいけない。彼は生後17カ月で、いつものようにおやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。そして幼い彼の人生が幸せで自由であり続けることが君たちを辱めるだろう。彼の憎しみを勝ち取ることもないのだから。】
愛する人を喪った気持ちを憎しみに変えるのではなく、憎しみに変えなかったという事実によってテロリストの目論見をくじこうとする。もちろん、彼一人の行いだけでは、世界は変わらない。しかし、彼のメッセージに共感した者たちもきっと多かっただろう、テロ後のパリでは、普段通りカフェに集い、普段通りの生活をする市民の姿があったという。日常の通りに過ごすことで、テロに屈しない気持ちを明確にする。そういう意識を持った人たちが多かったというニュースを見た記憶がある。
「復讐」という気持ちが、僕の中にはたぶんあまりない。子供の頃はどうだっただろうと、しばしキーボードを打つ手を止めて考えてみたのだけど、昔からそういう気持ちは自分の内側にはあまりなかったように思う。
何かが起こった時、「復讐」すれば元通りになる、というならいくらでも復讐するだろう。しかし現実にそんなことはほとんどない。自分が削られた部分を補う行動を取ればそれは元通りになるが、自分が削られた分相手も削ることで相手と対等になろうとする行為は、無意味さしかないように思えてしまう。
しかしそれでも人は、「復讐」の気持ちを抱く。
復讐したいという気持ちを制限し、その権利を取り上げているのが法治国家だ。人の命の裁量を握る暴力は国家だけが有する、というのが法治国家だ。しかし、委託という形であれ、復讐する権利を被害者遺族に明け渡したら…。本書は、そんな想像から始まる物語だ。
議会で「復讐法」という法案が可決された。被告は、旧法での判決と復讐法による判決の両方を言い渡され、被害者遺族から選ばれる応報執行者にどちらの刑罰を下すか選択出来る。復讐法による刑罰を選択した場合、加害者が被害者に対して行ったのと同等の行いをすることが許されるが、しかし、それは応報執行者自身が手を下して行わなければならない。そのため、旧法による刑罰を選択するものも少なくない。
本書の主人公は、応報執行者の監督役である応報監察官である鳥谷である。
「サイレン」
天野義明は、息子を殺した堀池剣也に対する刑の執行を待っている。剣也は、拷問のような激しい暴行を様々に繰り返すことで天野朝陽を死亡させた。義明は、息子に関する質問を剣也にし、正解出来なければ朝陽にしたのと同じことをすると宣言する。
何日かに分けて行われる刑の執行。刑の執行場である施設から出ると、毎回そこには、剣也の母親が土下座して義明に許しを請うている。
「ボーダー」
吉岡エレナは、祖母である吉岡民子を殺害した。積極的に死刑を望み、エレナの母である京子は、復讐法での刑の執行を望んだ。京子は、自らの手で娘を殺す決断をした。
京子の嫌いなものばかり贈ってくるエレナ、浮気をして出て行った夫の方を尊敬しているエレナ、友達のものを盗んでいるエレナ。法廷で「また誰かを殺すかもしれない」と発言したエレナは、自分の手で殺すしかない。
「アンカー」
一人の男が大通りで殺戮を繰り返した。櫛木矢磨斗は3人を殺し、5人に重軽傷を負わせた。旧法では精神鑑定の結果不起訴となったが、復讐法の適用も認められた。つまり、復讐法による刑の執行を選択肢なければ、櫛木は無罪放免というわけだ。
応報執行者に選ばれたのは、死亡した3人の遺族。医学部に通う大学生の弟を殺された久保田航平、専業主婦の一人娘である川崎景子、教師だった婚約者を殺された遠藤武の3人。
復讐法を適用するか否かは、多数決で決まる。
「フェイク」
67歳の神宮寺蒔絵は、人の過去と未来が見えるとして有名な霊能力者であり、政治家や財界人からも信頼が厚い。蒔絵を神と崇めるような信者も数多く存在する。
その蒔絵が、一人の少年を突き落とした、という。蒔絵の孫の修一が殺される場面を予知し、その現場に向かったところ、12歳の前田アキラが修一を突き落とそうとしていたという。それを阻止しようとして謝ってアキラを突き落としてしまったのだ、と。
蒔絵を神と崇める信者からの嫌がらせが相次ぐが、アキラの母である前田佐和子は、復讐法による刑の執行を選択する。
「ジャッジメント」
少年が応報執行者である、という点で、そのケースは世間の注目を集めた。森下麻希子の子供である隼人と未来は、麻希子の離婚後一緒に住むようになった内縁の夫である本田隆男に育児放棄や虐待を受け、ついに隼人の妹である未来が死亡してしまう。そして隼人は、少年でありながら応報執行者としての権利を行使し、母である麻希子と本田隆男に食事を与えず餓死させるという刑を執行することになった。応報監察官は、24時間3交代で、森下隼人による刑の執行に立ち会う。
表題作である「ジャッジメント」は素晴らしい出来だと思う。少年が応報執行者となり、実の母親を餓死させようとする。隼人の冷徹な質問と、反省するつもりのない母親の乾いたやり取り。少年と応報監察官が見守る中、人間が餓死していこうとする空間の異様さ。少年がしたとある決断。「復讐法」という法律が存在する世界の中で、最も異様ともいえる可能性を描いているという点で、「ジャッジメント」は出色の出来だと思う。役所の事なかれ主義や、鳥谷が人間として立ち上がろうとする部分も、一つのドラマとしてとても良い。
唯一不満を挙げるとすれば、森下麻希子と本田隆男が、あまりにも冷静に餓死までの過程を受け入れているように思えること。ページ数に制約があってその描写に紙幅を使えないと判断したのか、あるいは、淡々と餓死を受け入れる人間を描きたかったのか分からないけど、他の刑の執行の仕方はともかく、水も食事も与えられない餓死という執行法では、もっと人間の狂気が表に出るような気がする。不満と言えばその点が不満ではある。しかし全体的には良く出来ていると思う。
しかし、「ジャッジメント」がとても良い分、他がちょっと弱く映ってしまう。
例えば「サイレン」は、最後の展開から「復讐の無意味さ」みたいなものを描きたかったのだろうと感じるのだけど、物語全体にちょっと力がない。「復讐法」というのがどんなものであるのか、という紹介のつもりの話なのかもしれないけど、冒頭に持ってくる話のインパクトとしてはちょっと弱いものがある。
「ボーダー」は、完全に分量が足りていないと思う。この物語は、元々エレナがどんな人物であったのかという部分を、もっともっと手厚く描かないと物語として弱い。中編ぐらいの分量があれば、物語のラストの展開から様々なことを考えさせられる物語に仕上がりそうだが、本書の分量で読むと、どうしてもプロットを読んでいるような印象になる。この話は、もう少し長い物語で読みたいなぁ。
「アンカー」については、後で触れる。
「フェイク」は、ちょっと無理があると感じてしまった。予知能力の存在の有無の問題ではない。この物語は、一か八か、運良く成功すれば、というような気持ちで、細い細い綱渡りをした、という結末になるのだけど、一か八かにしてもちょっと無理があるように感じられてしまった。
それぞれ、決して悪いわけではない。けど、「ジャッジメント」が良く出来ていること、そして、「復讐法」という設定をあと一歩活かしきれていないように感じられてしまう点で、やはりちょっと弱いと思ってしまった。
さらに僕はもう一つ、この作品に対して感じることがある。
それが「復讐法」という法律に対するリアルである。
僕は「復讐法」という法律が、現実に法律として成立する未来を想像出来ない。それは、僕が人間を信じすぎている、というだけなのかもしれないけど(僕にはそんな自覚はないけど)、人間がこんな法律を自ら生み出すわけがない、と感じてしまうのだ。
そういう意味で本書は、僕にとって、ある種のファンタジーなのだ。
もしも「復讐法」の存在をよりリアルに感じさせてくれるのであれば、この作品は現実に肉薄することが出来ると思う。「復讐法」という架空の法律を使って世界を描き出すことによって、現実の世界に何らかの爪痕を残すことが出来る、それだけの力を持つ作品に仕上がると僕は感じた。
そのためには、「復讐法」がどのように制定されたのか、その部分をもっと厚く描き出すしかない。どんな政治家がどんな判断で法案を提出したのか、マスコミはそれをどう報じたのか、世論を変えるようなどんな事件が起こったのか。そういう部分を現実的に組み上げていって、そうやって「復讐法」という法律の存在をリアルなものに仕上げて欲しかった。
もちろんそれは、著者の書きたいことではないかもしれない。すべての短編を通じて「復讐の無意味さ」みたいなものを描き出したいのだろうと僕は感じた。それが著者の描きたいことなのだろう。著者は、「復讐」を描きながら「復讐の無意味さ」を提示しようとしているのだ。だから「復讐法」の制定過程などはどうでもよくて、「復讐法」が存在するという仮定の元で何が起こるのかを切り取りたかったのだろう。
しかしその物語は、僕にとってはリアルにならない。リアルにならないから現実に迫れない。僕からしたら、「もし明日地球が滅亡したら」から始まる物語と大差ない受け取り方しか出来ない。さすがに、「明日地球が滅亡すること」をリアルなこととして受け入れられる人はいないだろうし、だとすれば架空の物語として捉えるしかない。現実には迫れない。
「復讐法」の存在をそのまま受け入れられる人は、僕が抱いたような葛藤を感じることはないだろう。だから本書の感じ方は人それぞれ違うはずだ。僕は、「復讐法」がどのような過程を経て生み出されたのか、そのリアルな物語がなければ、本書で描かれる「復讐法」を当然のものとして受け入れられない。
それぐらい「復讐法」というのは、その存在自体があり得ない法律だと僕には感じられるのだ。
先ほど後回しにした「アンカー」への評価は、この点が関係してくる。
「アンカー」は、三人の応報執行者が多数決で復讐法を選択するかどうかを決める、という物語だ。しかしこの事件は世間を騒がせ、また3人の死者の他に5人の重軽傷者を出している。しかも、復讐法を選択肢なければ被告は無罪放免だ。そういう背景があるが故に、世論は圧倒的に復讐法による刑の執行を望む。その圧力は異様なほどだ。
しかし3人の応報執行者は、即断出来ない。いくら相手が憎き相手であると言っても、自らの手で相手の生命を奪わなければならないハードルは高い。その葛藤で苦しむ者たちを描く物語だ。
「アンカー」はまさに、「復讐法」の存在がリアルになればより一層輝く物語だと言える。「ジャッジメント」のケースもそうだが、「アンカー」のケースも、「復讐法」という法律の存在そのものを揺るがすような事件だ。だからこそ、「復讐法」の存在がリアルであればあるほど、世論の高まりや応報執行者たちの苦悩が映える。しかし僕にとって「復讐法」という法律の存在がリアルにはなりきらなかったので、この物語も強さを持ちきれなかったという印象だ。
現在、テロとその報復の連鎖が世界中に広まっている。そして、報復の連鎖は行き着くところまで行き着かなければ収まらないと、僕らは歴史から学んでいる。人間は愚かな生き物だ。確かにうっかりと「復讐法」のような法律をいつの間にか受け入れてしまっている、なんていうことがあるかもしれない。国民が「特攻隊」という殺人兵器を容認した時代があったように。しかしそれでも、「特攻隊」が組織される以前の日本人に、「特攻隊」の存在はまず受け入れられなかっただろう。「復讐法」も、僕にとっては同じ対象だ。将来そういう法律が制定される可能性はあるかもしれない。しかしそれでも、「特攻隊」以前の人たちが「特攻隊」の存在を恐らく受け入れられなかっただろうというのと同じように、「復讐法」以前の世界に生きる僕には、「復讐法」の存在は受け入れられないし、リアルではない。この点が、僕にとってのこの作品の一番の弱点である。
「復讐法」というアイデアは面白いと思うし、もし「復讐法」という法律が存在した場合にどんなことが起こりうるかという架空の物語としては面白いと思った。しかしやはり、復讐という選択肢がないからこそ人は人の形を保っていられるのだ、と僕は思う。だからこそ人間は、「復讐法」などという愚かな法律を選びとることはないと、今の僕には思えてしまう。「復讐法」の存在をすんなり受け入れられる人には、面白く読める作品だろう。でも、その点で引っかかってしまった僕には、「復讐法」の存在をもっとリアルに感じさせてくれたら、現実に肉薄できるより骨太の物語になっただろうに、と思わずにはいられなかった。
小林由香「ジャッジメント」
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