北海道警察 日本で一番悪い奴ら(織川隆)
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『署の近くにナンバー××のレガシィがとまっている。乗っている奴がシャブ(覚醒剤)を持っている』
すべては、この一本の電話から始まった。
それは奇妙な逮捕劇だった。
レガシィに乗って、実際に覚醒剤を所持していたのは、渡邉司という、盗難車の密輸や覚醒剤の密売などの「裏ビジネス」を行っていた男であり、さらに彼は、北海道警察の「S(捜査協力者)」でもあった。
そして、冒頭の通報をした人物もまた、渡邉司本人だった。
この奇妙な通報と逮捕劇は、渡邉が考えに考え抜いた、最後の手段だった。普通に警察に駆け込んだのでは、もみ消されてしまう。彼は警察では一切取り調べには応じず、札幌地裁ですべてを話した。札幌地裁という別の機関にきちんと記録を取ってもらうためである。
『自ら逮捕され、勾留質問の席で稲葉の悪行を暴露するという渡邉の行動を、関係者たちは「自爆テロ」と呼んだ。渡邉は道警という巨大権力のなかに身一つで突入し、後に命を落としてしまった。愛する家族との「約束」を守ることのないままに』
彼の標的は北海道警察、さらにその中の稲葉圭昭警部だったのだ。
『二〇〇二(平成十四)年七月、一人の警察官が逮捕された。階級は警部。幹部警察官が現職のまま逮捕されるのは、きわめて異例である』
『それは北海道警察を舞台にした、過去に類例を見ない大規模な不祥事であった。』
『その結果、稲葉をめぐる事件は、道警史上最悪、日本の警察史上でも類例をみない大スキャンダルになったのである』
本書で、この事件の異例さは、こんな風に表現されている。
『逮捕容疑は覚醒剤使用だった。その後、覚醒剤密売、拳銃不法所持まで明かされ、逮捕は三度を数えた』
表面的にこの事件を捉えれば、稲葉という警部が、アンダーグラウンドな世界と結びつき、密売や密輸などに手を染めていた、というものになる。しかしこの事件は、そんな単純なものではない。
『では「稲葉事件」とは、単なる一警察官の転落物語だったのか。答えは、否、だ。無論、ある側面から見れば転落物語であるのは間違いないが、それは決して個人的犯罪ではない。稲葉事件は、道警という組織そのものが引き起こした組織的犯罪にほかならないのだ』
『この期間、道警は稲葉の犯罪行為を見逃し、黙秘してきた。さらにその後、神奈川県警、埼玉県警、新潟県警と大きな不祥事が全国で相次いだが、道警の幹部たちは、自らの出世、実績のためにいなばを放置しつづけたのだ。』
稲葉は、「拳銃の摘発」という、署全体の利益になる成果のために、「ヤラセ捜査」を繰り返した。例えばそれは、どこかから自分で手に入れた拳銃をコインロッカーに放置して見つける、というようなものだ。稲葉は、驚異的な“成果”を挙げた。それは誰もが、違法な捜査によってもたらされたことを知っていたが、組織全体の利益になるが故に誰もそれを止めなかった。そして、止められなかったことをいいことに、稲葉は暴走してしまうのだ。
『道警自ら進んで稲葉を逮捕することはありえませんでした。稲葉は上司を巻き込んで違法捜査を行っており、アンタッチャブルな存在だった。稲葉を逮捕することは、パンドラの箱を開けるようなものだった』
『道警としては、いつ破裂するかわからない“爆弾”を抱えているようなものである。しかし、必要なときに拳銃を摘発することができる稲葉は、組織の一因として欠かせない。そのため、稲葉の犯罪行為を見逃し、隠蔽してきた。それにより、道警と稲葉の間には奇妙な力関係が生まれる。稲葉の犯罪は本来、稲葉の弱みとなるはずである。しかし道警が隠すことによって、それは道警の弱みとなり、稲葉をさらに増長させる要因となった』
稲葉に非がなかったわけではない。しかし明らかに、北海道警察にも非があった。
『「稲葉という化けものは道警が作った」
「稲葉は組織腐敗の象徴だ」
事件発覚後、道警内部ではこんな声が多く聞かれた』
しかし、北海道警察は「稲葉事件」を、稲葉個人の犯罪であるとすることで、トカゲの尻尾きりを目論んだ。それは、ほとんどうまく行っていた…はずだった。
『「わかりました。道警には迷惑はかけません」
稲葉は泣き崩れた。これこそ、道警が求めていたセリフだった』
稲葉は、自分が手がけた様々な犯罪は、道警とは無関係だったという、道警が描いたシナリオに乗るつもりでいた。
しかし物事は、道警が思い描いた通りには展開しなかった。結局稲葉は、道警のシナリオを無視した供述を始めたのだ(そうでなければ、本書のようなノンフィクションは世に出ていないだろう)。そしてさらに、この「稲葉事件」が、道警の(ひいては日本全国の警察の)新たな「膿」を出す結果にも繋がっていく。渡邉司が引き金を引き、稲葉圭昭を葬り去った銃弾が、その勢いのまま別の闇を貫く。この事件は、連鎖的に悪事を表にさらけ出したという意味でも特異だと言えるだろう。
『取材を続けながら、私は組織と人間というテーマについて考え続けていた』
稲葉がもし、警察という職を選んでいなければどうだっただろうか?
『そのころの稲葉は、金銭面や生活など、目立って派手なところはなかった』
『仕事に対しては、非常に厳しい人だった。拳銃と覚醒剤、特に拳銃のことが頭から離れないようだった』
『稲葉は完全な仕事人間だ。女房や子どもを顧みず、仕事にのめりこんでいった。日浦も、自分がそうだったから気持ちはよくわかった。その稲葉が、なぜ覚醒剤を使用するようになるところまで堕ちなければならなかったのか。それを裁判で明らかにすることが、稲葉を真に弁護することだ―日浦はそう考えていた』
本書では、稲葉の悪い面ばかりが描かれているわけではない。これほどの不祥事を起こしたという先入観で見てしまうので、どうしても極悪人に思えてしまう。しかし、近くにいた人の証言からは、そうではない側面も見えてくる。稲葉は、どこまで真実か分からないものの、期待された成果を出し続けるには、何らかの形で交際費を捻出し続ける以外になかった、というような趣旨の発言をしていた(あるいはそれは著者の推測だったかもしれない。その記述がどこにあったのか失念してしまった)。最終的に欲望にまみれてそこで溺れてしまったにせよ、最初は、道警からの期待に応えたいという気持ちが先行していたのかもしれない、とも思わせる。そしてそれを維持し続ける手段は、彼には犯罪に手を染めるという方法しかなかった、ということだ。
組織のあり方が是正されない限り、道警から不正はなくならないだろう。第二第三の稲葉が出てきてもおかしくはない。そうなった時、道警はその人物を止めることが出来るのだろうか?
僕は別に、警察というものに対して、無条件の信頼をしているわけではない。あれだけデカイ組織で、しかも営利を目的とするわけではない集団だ。ロクでもない人間だってたくさんいるだろうし、一般社会とは違った論理で様々な決断がなされてもしかたないとは思う(納得はしないが、そういう現状があるだろうという事実は諦めて受け入れている)。
だから、警察が、ミスや縄張り争いで犯人を捕らえられないみたいなことに対して憤るつもりはない。
ただ、せめて、積極的に悪や犯罪を生み出さないという、当たり前すぎるところは死守して欲しい。「稲葉事件」とは、現職の警部が密輸や強盗などを企て実行し、それを知っていたはずの警察が黙認していたという事件だ。こんな風に、警察という組織が悪を生み出したり、悪そのものになったりするというのでは、もうやってられないという感じがしてしまう。
『いずれにせよ、稲葉のおかげで出世し、権力の座にのぼりつめた幹部たちは、その後も何食わぬ顔で居座り続けたのだ』
期待してはいないが、今では北海道警察も、そして日本全国の警察も、もっとマシな組織になっていると思いたい。
織川隆「日本で一番悪い奴ら」
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