コンカッション(ジーン・マリー・ラスカス)
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もしこの作品を“物語”として見た場合、実に良く出来ている。巨大な権力に立ち向かう青年、その青年は未だ根強く続く人種差別によって虐げられるナイジェリア出身の医師だ。巨大組織が隠蔽しそうとする“真実”と、その“真実”を明らかにしようとする個人の集団の対立の中に、アメリカンドリームを成し遂げながら、そうと知らずに“パンドラの箱”を開けてしまった男の人生の動揺や困惑が挿入され、大きな“物語”として見事に自立している、と言える。
しかし本書は“物語”ではない。“現実”だ。この作品を“現実”と捉えた時、出来過ぎているという感じもする。物語として出来過ぎている。もちろんこの評価は、この作品を貶めるものではない。よくもまあこれだけの現実が存在したものだという嘆息である。
アメリカで大人気のスポーツであるフットボール。国中が盛り上がるこのスポーツにおいては、離婚の際にシーズンチケットの所有権で揉めるという。それほどまでに加熱的な人気を誇るスポーツだ。
そのフットボールを束ねているのが、NFLという組織だ。独占放映権を有し、様々な形で年間80億ドル以上も叩き出す巨大組織。しかし、その甘い汁を吸おうと群がる人間にとって、NFLというのは大きな利権の一つだ。
そのNFLに、結果的に噛みつくことになった一人の青年がいる。ベネット・オマル。ナイジェリアからやってきた、医学の分野で様々な学位を有する、実に優秀な医師だ。彼はピッツバーグの遺体安置所で監察医を務めることになった。そこで出会ったのが、上司のウェクトだ。ウェクトはベネットを利用して大量の仕事を捌いて名声を上げ、ベネットはウェクトからの信頼を得ることで研究のための自由な時間と金銭的余裕を手に入れた。ウェクトは検死解剖界のスーパースターであり、その名声をうまく利用することで、ベネットも一種のアメリカンドリームを体現するまでになったのだ。
そんなある日のこと。ベネットは、これまで誰も発見したことがない、死者の脳の中のある異変を見つけるに至った。
きっかけは、夫からの暴力で外傷性脳損傷を負い植物状態となり、4年後に死亡した44歳の女性の脳の中に、アルツハイマー病の病変を発見したことだった。文献を読んで、外傷性脳損傷がアルツハイマー病変を引き起こすことは知識で知っていたが、実際に目にするのは、これまでに山程死体を扱ってきたベネットにとっても初めての経験だった。
そしてある日、ベネットは、マイク・ウェブスターの脳と出会うことになる。
マイク・ウェブスターは、フットボール界のヒーローだった。史上最高のフットボーラーと称され、輝かしい戦績を収めてきた。しかしマイクは引退後、奇行が目立つようになる。食事を捕るのを忘れ、徘徊を繰り返すようになり、オーヴンに小便をすることもあった。眠るためには、腹と腿にスタンガンを当てて意識を飛ばすしかなかった。そんなマイクが心臓発作で亡くなり、ベネットのいる遺体安置所に運ばれてきた。
ベネットはマイクの脳を取り出して検査し、がっかりした。マイクの脳は、見た目からはなんの損傷も見て取れなかったのだ。通常であればここで頭蓋内に脳を戻し、遺体は遺族の元に戻される。しかしベネットは、“なんとなく”マイクの脳を保存することに決めた。上司の許可を取り、自分の自由になる時間でマイクの脳を徹底的に調べてやろうと、自宅にマイクの脳を保管した。
やがて彼はマイクの脳に、いくつもの黒い“しみ”を発見した。外見からは異常が見られない脳からこれだけの黒い“しみ”が見つかるのは異様なことだった。何かが起きている…。死者の思いを代弁すべく、ベネットは、彼が“CTE(慢性外傷性脳症)”と名付けた病変がフットボールによって引き起こされていることを証明すべく奔走することになる…。
この作品を読むと、権力の恐ろしさを実感させられる。そしてそれは、3.11直後の国の対応をも連想させる。フットボールと原子力という、まったく違うものでありながら、利権とそれにぶら下がる人たちが事実を捻じ曲げ、権力と集金機能を維持しようとするあり方はまさに同じだと感じさせられた。
NFLは、ベネットの発見に対して、ありとあらゆる手段を講じて、フットボールとの関連性を否定する。何故なら、フットボールがCTEのような危険な病変を引き起こす危険なスポーツであることが分かってしまったら、フットボーラーになろうとする人が減るという将来的な不安に加えて、CTEを患い奇行を繰り返すようになってしまった元選手たちへの巨額の賠償を行わなければならないからだ。この点も、原発事故に通じるものがある。健康被害と原子力発電所との関連を認めてしまえば、甘い汁を吸える“原発村”の維持は困難になり、さらに天文学的な賠償金を支払わなければならない問題が発生する。
だからNFLは、NFLが資金援助をしていないすべての研究者の研究を「無関係だ」として一刀両断し、自分たちが組織したチームに安全性を強調させる。
『私は思いました。あのNFLが私を追い詰めようとしている?私にはNFLが何を考えているのかさっぱり理解できませんでした。それで、すごく不安になり、動揺しました。どうして彼らはぼくの論文に反論するためにこんなに長い手紙を書いてきたんだろう?ぼくは自分の論文が彼らの助けになると信じていたのに!なぜ彼らがこんな反応をするのか理解に苦しみました』
ベネットは、NFLを告発しようとしたわけではない、という点がよりこの展開を面白くしている。ベネットは、フットボールの良さも知らなかったし、マイク・ウェブスターというフットボーラーのことも知らなかった。だから、アメリカ国民にとってフットボールというものがどんな存在なのか、理解していなかった。NFLが膨大な利権の集合体であり、選手たちの健康よりも、フットボールの人気を維持することが遥かに優先的な課題だと感じていることも理解できなかった。さらにベネットは、CTEの病変を発見した人物であるという点で間違いなくこの話の中心ではあるのだが、NFLやアメリカ社会を巻き込んだ大論争に発展したのには、ベネットではない様々なプレーヤーの多方面に渡る行動がベースにあった。CTEの発見者であるベネットは次第にこの問題の中心から外れていく。この作品は、そんな忘れ去られつつあったベネットという男に再度光を当てる役割を演じたのだという。
しかし本書を読んで、フットボール経験者がこれほどまでに障害を負っているのかと恐ろしくなった。それは、フットボールで長くプロ選手としてやってきた者だけに限らない。期間の長短に関わらず、CTEによるものと思われる障害は引き起こされるのだ。しかもそれは、遅効性の毒のようなもので、フットボールを止めてから相当時間が経過してから発病することもある。そういうこともあって、フットボールとの関係性が否定されてきたのだ。
NFLは、マスコミなどからの突き上げを受けて、激しいぶつかり合いを禁止する通達を出した。しかしそれに対しファンや選手たちは、『そんなのフットボールじゃない』と反応する。一方で、この問題は広くアメリカ社会で共有され、この問題についてオバマ大統領がコメントすることもあった。曰く、『自分に息子がいたら、フットボールをプレーすることを許可しないだろう』
ベネットが引き金を引いたこの問題は、フットボールの世界に多大な変化をもたらした。
『その後、NFLを告訴する選手は次から次へと現われ、やがて三千人にという数に達する。それは存命選手の四分の一にあたる人数で、その数はその後さらにその倍近くにまでふくれ上がる。弁護士たちがそれを統合した結果、六千人近い選手がNFLを告訴するという一大訴訟に発展する』
『それから二年のあいだに、約二万五千人の子供たちがアメリカ最大のフットボールのユース育成プログラム<ポップ・ワーナー>を脱退した―プログラム参加人数の約一〇%の減少であり、これは<ポップ・ワーナー>八十五年の歴史上、最大の減少率となる』
しかし、こうした事態を引き起こすまでに、ベネットを初めこの問題に関わった人間は、実に不愉快な思いを何度もさせられることになる。論文の撤回を要求され、誹謗中傷にさらされ、無益な仲間割れを経験する。ただ真実を世の中に提示したかっただけのベネットは、様々な勢力の様々な思惑に巻き込まれ、疲弊していく。騒動の最中、ベネットは、ワシントンDCの検死局長にならないかというオファーを受けた。それは、法医病理学者が望みうる最高の地位と言って良かった。しかしベネットはそのオファーを蹴る。妻のプレマのこの言葉が最終的に決め手となった。『そんな地位に就いたら、あとは政治に追われるだけよ』
この物語は、NFLの不正を暴く過程を追うノンフィクションである一方で、人種差別的要素も含まれている。
『私も理解しようとはしてるんです。でも、どうしてみな死者の話に耳を傾けようとしないのか、それについてはどんな説明も思いつきません。すると、こんな疑問が頭をもたげるのです、これは人種差別と関係があるのだろうかって。これは人種差別以外の何物でもないのではないだろうかって。黒人はアメリカ社会のメインストリームから組織ぐるみで―一貫して―排除されているのではないかって。
そのことを直接私に言ってきた人たちもいます。彼らは言いました、「ベネット、わかってるだろうが、もしきみが白人だったら、白人男性だったら、全世界が―これだけの研究を成し遂げたきみをものすごい高みにまで持ち上げていただろうよ」って』
僕は自分の中には、あまり差別的な感情はないと思っている。誰に対しても分け隔てなく、ということはないが、“正常”と呼ばれるもの(それは“大多数”と言い換えてもいい)から外れてしまっている何かを持つというだけの理由でその人に対する悪感情を抱かないようにしよう、という意識はしている。ただそれは、僕の日常に、そういう“正常”から外れた者がほとんどいないからかもしれない。自分の日常に、外国人や被差別部落出身の方や、何らかの障害を持った人がいた場合、自分がそういう人に対してどういう感情を抱くのかはっきりとは分からない。
だから、本書でベネットに対して信頼を置かない人たちを、上から目線で非難することは僕には出来ない。ただ、自分がそういう状況に絶対に陥らないという自信があるわけではないが、やはり本書を読む限り、ベネットが拒絶される理由がよく分からない。確かに死体ばっかりとかかずらっているという点でちょっと普通ではないが、しかし基本的に真面目で優秀な男だ。それを肌の色の違いだけで排除出来てしまうのは凄いな、と。
ただ、“積極的に人種差別をした”というのとはもう少し違う見方も出来る。ベネットに反対した人たちはみな、“自らの信じるものをただ守りたかった”だけとも言える。彼らにとって大事なことは、フットボールという文化(あるいはビジネス)を維持することであって、その手段として人種差別をうまく利用した、とも言える。とはいえやはり、人種差別が手段として成立してしまう社会が存在するという事実が喜ばしいことではない。
『あらゆることをほんとうに面倒なものにしていたのが人種差別でした。私は人種差別のことをまだ理解できずにいました。その歳になるまで、アメリカの奴隷制度と人種差別の歴史に関する本をあまり読んでいなかったからです。それでそうした本を読むようになりました。正直に言って、アメリカに来るまえにそこに書かれていたことを全部知っていたら、私は渡米しなかったでしょう。強い嫌悪感を覚えて、ナイジェリアにとどまる決断をしていたのでしょう。でも、このことに関してなにより皮肉なのは、アメリカはキリスト教の教義にもとづいて建てられたキリスト教国家だということです!キリスト教を国教とする国がいったいどうしたらそんな邪悪な考えを何世紀にもわたって持ちつづけられるのか。私にはりかいできませんでした』
本書はウィル・スミス主演で映画化された。今季アカデミー賞の主演男優賞最有力候補とまで言われていたと言う。しかしウィル・スミスはノミネートさえされなかった。アカデミー賞では近年、「黒人外し」が話題になっている。ノミネートされるのがみな白人ばかりだという批判がある。アカデミーは今後黒人やマイノリティの人種も取り込んでいくと発表しているようだが、人種差別を訴える側面も持つ作品が、やはり人種差別を理由に虐げられている可能性があるという現実には、痛烈な皮肉を感じさせられる。
ここで描かれている物語は、ここ10年ほどの、実に最近の物語だ。僕は本書を読んで、ラグビーはどうなっているのだろう?と感じた。フットボールと同様、激しいタックルが何度も繰り返される。フットボールのようにヘルメットはつけていないので、頭部への衝撃という意味でフットボールよりもルール上の制約が設けられているのかもしれないが、しかし、頭部への直接的な刺激でなくても、継続した比較的小規模な振動がCTEを誘発する可能性もある、という研究もあるという。NFLは出来るだけ早く膿を出し切って健全なスタートを切るべきだと思うが、選手の健康を守るべきという点では、他のスポーツでも無関心ではいられない出来事だろうと思う。スポーツにはさほど関心はないとは言え、スポーツのあり方を考えさせられる一冊だった。
ジーン・マリー・ラスカス「コンカッション」
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