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蒼穹のローレライ(尾上与一)

終戦から18年後。病死した城戸勝平の息子を名乗る男が、三上徹雄を訪れた。勝平の遺言があるのだという。くれぐれも詫びてくれと言われているのだと言う。
城戸とは、ラバウルでの戦友だ。城戸は通信科の通信長であり、三上は飛行班の整備員だった。
城戸と知り合ったきっかけは、ローレライだった。ラバウルに向かう途中で空戦に巻き込まれた三上らは、味方の零戦に助けられた。その零戦が、旋回する度に奇妙な音を立てる。あんな音がするなんて、普通には考えられない。同乗者によれば、あの零戦は「ローレライ」と呼ばれており、連合軍の間では、あの音が聞こえたらローレライに沈められると言われているらしい。
三上は整備員としてあの音を無視することは出来なかった。もしかしたら搭乗員が気づいていないかもしれない。そこで、ラバウル島に打電で伝えたのだが、それが三上に予期せぬ事態を引き起こそうとは想像もしていなかった。とはいえ、そんな理由で三上は城戸と知り合った。

ラバウルに着くなり、揉め事に出くわす。搭乗員同士の言い争いのようだが、一方の声がしゃがれすぎていて相手に聞こえていないようだ。三上は、ほとんど歯が抜けて家族の誰も聞き取れなかった祖父の言葉を唯一聞き取れた。それと比べれば、その搭乗員の言葉など聞き取りやすい方だ。三上は、意志の疎通が出来ないためにより険悪になりそうな両者の間に割って入っていって、そのしゃがれ声の青年の通訳を買って出ることにした。

それが、浅群塁との出会いである。そして彼と別れてすぐに、彼が「ローレライ」であることを知る。

チームプレーを理解せず、一機でも多く撃ち落として自分の手柄にしようとする。整備員の忠告をまるで受け付けず、死なないのが不思議なほどの整備をさせて乗りこなす。しゃがれ声で意思の疎通が出来ない上に、何故か彼の目は青かった。そういう様々な要因が絡まって、浅群はどこに行っても周囲と馴染めず、また暴力にさらされる日々だった。とはいえ、その空戦技術は他を圧倒するものであり、それゆえ浅群のワンマンには誰もが目をつぶっている。

浅群の言葉を聞き取れる、というだけの理由で、三上は浅群の専属整備員に指名された。通常搭乗員は、空いている機体に乗るものだが、浅群は極端な整備をさせるために、結果的に浅群専用機のようになってしまっている。三上は浅群の機体を見た瞬間に、あの音の正体を知る。本来機体についているはずもないU字型の部品がついているのだ。聞けば浅群が整備員につけさせるのだと言う。わざわざ音を立てて自分の居場所を敵機に知らせるなんて、自殺行為でしかない。だから三上は、そのU字の部品を取り去る。浅群は、別の整備員につけさせる。三上はまた取る。その繰り返しだった。

やがて三上は、浅群が背負ったとてつもない過去を知るようになるのだが…。

というような話です。

これはなかなかいい作品でした。思ってた以上でした。

『戦争なんてどうでもいい。勝てばよりよいだけだ。俺はここに名誉の戦死をしに来た。敵機を墜として墜として墜としまくって』

浅群はそう三上に語る。U字の部品を外さないと死ぬぞと諭した時だ。

『この機体なら、あの成績がはずだ。度を外れた急降下、急加速、戦闘のあと生きて帰還することを捨てて、機体の限界を越えた一瞬の性能をたたき出す。よくこれで今まで死なずに戻ってこられたものだ。運がいいにもほどがあった』

初めて浅群の機体を目にした三上はそう強く実感する。

航空隊では、搭乗者こそが殿様だ。搭乗者以外のすべての者は、搭乗者をトップに据えたヒエラルキーの元にある。だから基本的に、搭乗者に逆らうことは出来ない。そういう不文律があるからこそ、浅群の機体に対すること無茶苦茶な整備が成り立つのだ。浅群がやれと言えば、断れる整備士はいない。しかし三上は、三上の整備士魂に掛けて浅群の改造は許容できなかったし、死へと向かうその思想は受け入れられなかった。だから徹底的に浅群とやりあう。

それは浅群にとっても新鮮な体験だった。

浅群は、とある事情から喉が潰れ、まともに声が出せなくなっている。今までは、喧嘩をしたり意志の疎通をしたりしようにも、相手に自分の言葉が届かない。そういう経験を何度も繰り返すことで、浅群は、誰かと関わること、自分の気持ちを表に出すこと、そういうことを基本的に諦めてしまった。

しかし三上は、他の誰もが聞き取れない浅群の言葉を、無理なく聞き取れる。浅群の庇護者を自負している城戸は、唇の動きを読み取るのは得意だが、三上のように音だけでは理解できない。三上は、音だけで浅群の言葉を理解するから、自然浅群は三上と話すようになっていく。

戦場という殺伐とした場所で、誰かと気持ちを通わせる手段を奪われたままでいた浅群は、三上の登場によって、その凍りついた心を少しずつ溶かしていく。

しかし、浅群の絶望は手強い。浅群の口から、浅群のこれまでの人生を聞くことになった三上は、そのあまりの酷さに声を失う。
浅群の喉を潰したのは、塩酸だ。
青い目を持って生まれ、喉を潰された浅群は、浅群家の名誉を挽回するために必死に敵機を撃ち落としている。無念の内に死んだであろう父と母。そして、奪われ続けだった自らの人生。それらすべてを精算し、ひっくり返すために、浅群はしゃにむに発進する。

人生をひっくり返す手段としての「死」に囚われた男と、唯一コミュニケーションが取れる存在であるが故に浅群に傾倒し始めている三上。どちらもお互いの信念の中で全力を出して戦っており、信念を曲げない。頑固者同士の戦いが、ずっと展開されていく。

これまで自分と関わろうとする人間などほとんどいなかった浅群。関わろうとしてくる人間は、ほぼ全員何らかの形で敵だった。自分に危害を加える存在。三上と出会うことで、浅群は、自分の心の内側を勝手に決めつけられもせず、自分の意志を伝えようという意志を持つことが出来るようになった。その浅群の変化が丁寧に描かれていく。

さて僕はここまで、本書に関するある事実を伏せたまま文章を書いてきました。それは、本書がBLである、ということです。

でも僕は本書を、BLを全面に押すような形で紹介したくありませんでした。確かに、最後の方まで読めば、BL的描写はあります。ただ、作品の約2/3ほどは、BLだと言われても信じられないような、ごく普通の小説に思えます。BLを書いている以上著者は女性なんでしょうが、三上の整備士としての仕事ぶりも実に良く書いてます。

『「暖機が不十分ですが、飛行中に温まると思います。十分以内に戦闘に入るときは、念のためあまり高度を上げないよう、気をつけてください」
慌ただしく塁のハーネスの留め具を確かめ、安全帯を確認しながら三上が言う。
「前の調整に比べて、ブーストが少しだけ控えめです。その代わり長めに使えますから、早めに使いはじめて逃げきれるまで使ってください。四十秒以上はたっぷり利くはずです。それから、機銃のスイッチの遊びを少し減らしています。反応はいいはずですが、少し硬めに感じるかもしれないので空に上ったら一回空打ちして確認してください。それから―」』

出撃前の浅群に、どう整備したのか伝える場面だ。僕は、ここに書かれている文章の意味が分からないぐらい、こういう方面の知識はありませんが、恐らくそう的外れなことは書いていないのでしょう。作品全体を通してこのように、軍関係の描写が非常に緻密だ。もちろん、どこまでリアルを切り取っているのか分からないが、戦争を直接経験したことのない世代が増えている今、戦争を体験していない中でこれだけの世界観を構築出来るというのは相当な力量があるのだと僕は感じました。

僕にはBLを評価する評価軸が二つあります。
一つは、「日常を舞台にしているか否か」であり、
もう一つが、「最終的には結ばれる二人の関係性の展開は自然か」です。

前者について。
僕はBLを、「日常の中に絶望を持ち込む装置」と捉えている。普通、人間の深い感情を描こうとしたら、何らかの非日常を舞台の中に持ち込む必要がある。難病や死や大災害などなんでもいいのだが、そういう非日常を描き出すことによって、極限状況下での人間の有り様を描くことが出来る。特に恋愛などはそういう傾向があって、その物語から人間的な深い何かを引き出そうとする時、やはり何らかの非日常を持ち込むことになるだろう。

しかしBLという舞台は、日常を舞台にしても絶望を描くことが出来る装置として働く。
現代社会では、まだまだ同性愛に対する視線は辛いものがある。そういう現実の是非はとりあえず脇に置くとして、だからこそ、同性愛を描くBLという物語は、その設定だけで物語に絶望を組み込むことが出来ると言える。特に、お互いが同性愛者という設定ではなく、一方が同性愛者で、そいつが、同性愛者ではない者(ノンケ)に対する恋心を展開していく、という物語は、日常を舞台にするからこそ映えると思う。男女の恋愛の場合、日常を舞台にしてはまず描けないだろう絶望を、BLという作品は与えうることが出来るのだ。

本書は、戦時中のラバウルという、とても日常とは呼べない舞台での物語だ。だから本来であれば、僕はこの点ではBLとして本書を評価できないはずだった。しかし、戦時中のラバウルという、当時はともかく、現代からすればとんでもなく非日常な舞台を設定することで、本書は、普通のBLではそうそう成立し得ないだろうある条件を兼ね備える物語となった。

それは、お互いにノンケ、ということである。

男同士の恋というのは、普通は、少なくともどちらか一方が同性愛者であり(お互い同性愛者の場合もあるだろう)、同性愛者の側がアプローチしなければまず進展しない。男女の恋愛以上に、放っておいて関係が進むようなことにはまずなりえないのだ。だから、ノンケ同士が同性愛的な展開になることは、普通は考えられない。

しかし本書の場合、戦時中のラバウルという超非日常を設定したことで、「ノンケの男同士による恋愛」という、ちょっと考えられないBLを成り立たせてしまった。そういう意味で、本書の舞台設定は驚異的だと思う。そこまでBLをたくさん読んでいるわけではないが、まさかこんな風に「ノンケの男同士による恋愛」が作品として成立するとは思わなかった。

さて、後者の話に移ろう。
BLを読んでいると、「男同士が結びつく過程」に重点が置かれている作品と、「男同士が結びついた後の展開」に重点が置かれている作品に大別出来ることに気がつく。後者の、「結びついた後の展開」に重点が置かれる場合、概ねそのBLは性描写一色になる。結びつくまでの過程は結構どうでも良くて(正直、なんでこいつらがくっつくことになったのか理解出来ない作品も読んだことがある)、結びついた後のイチャイチャした展開をひたすら届けるような作品はやはり、女ではなく、同性愛者でもない僕にはしんどいものがある。

だから僕は前者の、「結びつく過程」に重点が置かれている作品を評価する。これは、僕が読んだ範囲内では、「同性愛者がノンケを好きになってアプローチする」という展開の物語に多い。男同士だから、友達まではすぐなれる。しかし、そこから恋愛の関係に持ち込むには、この友達という関係を壊す覚悟で進んでいかなければならない。その同性愛者側の葛藤と、相手の気持ちを初めて知った時のノンケ側の混乱や受容の過程など、やはり「結びつく過程」に重点が置かれている方が読み応えがある。

本書の場合は、まさに「結びつく過程」に重点が置かれている作品だと言えるだろう。しかも、先程も書いたように「ノンケの男同士による恋愛」だ。作品として成立させるのは相当難しかっただろう。しかし僕は本書を読んで、浅群と三上が結ばれていく過程は、実にナチュラルであるように感じられた。お互いがお互いを補うかのような存在であり、浅群にとっては喉を潰されて以来ほとんど初めてまともにコミュニケーション出来る相手である。普通は、急速に関係性が進んでもいい。しかし、人生を常に絶望の淵に立って過ごしてきた浅群が抱える深い闇と、生と死を巡ってまるで相容れない二人の価値観が、二人を容易には近づけさせない。しかしそれでも、二人の間には、簡単には言葉にしにくい深い関係性が徐々に築かれていく。その過程がとても良い。

僕は、「BLにしか描けない世界がある」と考えていて、「日常の中に絶望を持ち込む」というのもその一面だ。本書は、BLという形を取らなくても作品を成立させることは出来るだろうが、BLであるからこそ描き出せている価値観もふんだんに描かれていると思う。徒に性描写で埋め尽くすのではない、BLにしか描き出せない世界に触れている。なかなか見事な作品だと思った。

確かに本書にも、同性愛者というわけではない男が読むにはちょっとしんどいなぁ、という性描写的な部分はある。しかし、その部分はかなり少ないし、そこを除けば、この作品がBLであると気づく要素はほとんどないと言っていいかもしれない。BLというフォーマットを使うことで、戦時中の男の極限状況と、絶望的な過去を背負って生きて来た男の有り様を見事に映し出している、そんな印象を受けました。

尾上与一「蒼穹のローレライ」


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2013年の個人的ベストです。

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10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
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8位 更科功「化石の分子生物学
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小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
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11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
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4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
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9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
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18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
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新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
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13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
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