「The WALK」を観に行ってきました
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人間の限界は、人間の想像力が乗り越えてきた。
僕らの日常は、<当たり前>に包まれている。それは、常識とか倫理とか空気とか、そういう様々な名前で呼ばれているけれども、一つ重要な特徴がある。
それは、<当たり前>は、意識しなければ見えない、ということだ。
カラスが黒いことにも、太陽が東から上ることにも、インターネットが繋がることも、僕らは普段まるで意識しない。「カラスが黒いなんて凄い!」「太陽がまさか東から上るなんて!」「わぁお、インターネットが繋がりやがったぜ!」なんて反応をする人はいない。それは<当たり前>だからだ。<当たり前>だから、ごく普通の人間には見えない。僕らは、数多くの<当たり前>に取り囲まれた窮屈な存在であるのに、そのことに気づかないで生きていける。
しかし時々、その<当たり前>を軽々と飛び越えてしまう人間がいる。ある意味で人間の限界を規定するその<当たり前>を、一息で乗り越えてしまう。
その狂気こそが、人間を新しいフィールドへと引き入れる。
「ワールドトレードセンタービルの間にワイヤーを張って、その上を綱渡りする」
どうやったらそんなこと思いつくのだろう。
『僕は、ロープを掛ける最適な場所をいつも探していた』
8歳の時に見たサーカスでの綱渡り。それに心を奪われたフィリップは、木の間にロープを張り渡し、お手製の綱の上を、これまたお手製の長い棒を持って綱渡りの練習をした。彼は、8歳の時に見たサーカス団の団長・パパルディに拾ってもらい、綱渡りの指導を受け始めるが、気が合わずに喧嘩別れ。それまで同様パリで、無許可の路上大道芸をしながらなんとか生きていく毎日だった。
その記事を見つけたのは、偶然だった。たまたま入った歯科医にあった雑誌に載っていたのだ。
<NYにツインタワー建設>
その完成予想図は、フィリップの心を踊らせた。パリの街中を歩きながら、常にロープを掛ける場所を探していたフィリップは、このツインタワーを綱渡りすることを生涯の夢にする。
ノートルダム寺院での綱渡りを成功させたフィリップだったが、不満もあった。各国の新聞がフィリップを讃える記事を掲載する中、フランスだけは犯罪者扱いだった。芸術の街が、自分の芸術をまるで理解しない。
しかし、フランスの新聞も捨てたものではなかった。同じ誌面に、ツインタワーが完成間近であることを伝える記事が載っていたのだ。
『この世のものじゃない。諦めよう。終わりだ。この怪物を見ろ』
外観はほぼ完成したツインタワーを、恋人であるアニーと共に偵察に行ったフィリップは、そのあまりの巨大さに慄く。自分が抱き続けた夢は、これほどまでにとんでもないものだったのか。
『無理だ。完全に不可能だ。
それでもやる』
1974年8月6日。決行日を決めた。パリから連れてきた共犯者と、NYで見つけた共犯者。彼らの手を借り、フィリップの一世一代の大芸術の計画が動き出す。
というような話です。
実話を元にした映画を見る度に毎回同じことを書くのだけど、この映画も、真実でなければ物語としてあまりにも嘘くさい、それほどまでに現実離れした話だと感じました。普通の人間は、まずこの計画を思いつかない。思いついたとしても、実現は不可能だと思って足を止めるだろう。ごく稀に、実現可能性を探るべく調査を進める者もいるかもしれない。しかしやはりどこかで歯止めが掛かるはずだ。出来るはずがない、と。
それは、「地上110mを綱渡りする」ということの不可能さだけではないのだ。そもそも、建設中のツインタワーに忍び込んで、ツインタワーの間にワイヤーを張らなくてはいけない。この無謀さは、ちょっと考えただけで理解できるだろう。
どうやって屋上まで忍びこむか、屋上まで物資をどう上げるか、警備員の巡回をやり過ごせるか、ワイヤーを行き来させる方法はあるか、補助ワイヤーはどう固定するか、そもそもツインタワーの間の正確な距離さえ知らない…。
それでも彼らは計画を進め、そして実現に漕ぎ着けてしまう。
観客は、映画になっているくらいだから、この計画は最後まで成功するのだろう、とどこかで思いながら見ているだろう。それでも、何度も、ここでこの計画も終わりか、と感じさせる場面があった。決行日には、とにかくトラブルが続出した。もしかしたら映画用にエピソードを水増ししているのかもしれない、とも思ったけど、エンドロールを見ていたら、著者自身の自伝が映画の原作になっているみたいだったから、現実を大きく歪めるような誇張はきっとないだろう、と判断した。だとすると、よくもまあこれだけトラブルが続発するものだ、と思わされる様々な出来事が起こる。
そもそも当初の計画では、深夜0時にはワイヤーは張り終わっていなければならなかった。そこには、綱渡りの師匠であるパパルディの、絶対に曲げてはならないアドバイスが背景にあった。
『ロープが張れているかは、絶対に自分の耳と尻で確認しろ。確認するまでは絶対に乗るな』
フィリップ自身は一方のタワーでワイヤー張りをしているわけだが、確実にワイヤーが張れているかを確かめるには、反対側のタワーに上ってそちら側も確認しなければならない。
しかし実際にワイヤーが張り終わったのはなんと、決行予定時間の6時さえも越えた朝7時頃だった。当然、ワイヤーのチェックは不可能だ。それでも、フィリップはその一歩を踏み出す。
『想像してしまうんだ。虚空に踏み出したら、一歩を踏み出すことは出来るのかって』
決行日前夜、フィリップはアニーにそう打ち明ける。『君が力をくれないと、こんな綱渡りなんか出来ない』と不安を吐露する。
そのフィリップが、ツインタワーに張り渡されたロプの上に両足を置いた瞬間からの彼の振る舞いは、息を飲むような美しさがある。それはまさに“舞い”とでも表現すべきもので、このワイヤーの上こそ彼が生きる場所なのだと主張するかのようなその軽やかな足取りは、確かに芸術と呼んでもいいかもしれない。
「名探偵コナン」の中で、恐らく古今東西何かの探偵小説で使われた言葉であるはずだが、怪盗キッドがコナンにこんなことを言う場面がある。
「犯罪者は芸術家だが、探偵はそんな芸術家の後を追うだけの、ただの評論家だ」
綱渡りを成功させたフィリップは、地上で拍手喝采に見舞われる。これほど大勢から拍手喝采で迎えられた犯罪者も、そう多くはないだろう。彼を逮捕した警察も、『大した度胸だ。よくやった(Good Job)』と言っていた。判事による判決は、セントラルパークで子供向けに綱渡りを見せることであるし、さらに彼は、ツインタワーの展望台の特別パスをもらいもした。僕は、これが日本だったらどうだっただろう、と考えてしまった。警察は彼を賞賛せず、裁判官は彼に執行猶予付きの刑罰を与え、特別パスも発行されないだろう。彼のしたことは確かに犯罪だが(約100の条例に違反していたそうだ)、しかし多くの人を感動させ、NYに新しい価値観をもたらした。
面白いと思ったのはこの点だ。
フィリップは、NYで共犯者を探している時に、ツインタワーの評判を耳にした。
『どうしてあのビルなんだ?評判悪いぞ。でかい書類箱みたいだって』
しかし、フィリップが綱渡りを成し遂げたことで、恐らくニューヨーカーのツインタワーの見方は変わった。アニーはそんな市民の雰囲気を感じ取って、フィリップにこんな風に語りかける。
『きっと吹き込んだのね。タワーに命を』
実話を元にしている割に、物語性にも富んでいる(もちろん、ある程度の脚色はあるだろうが)。
パパルディは、サーカス団について回ってパパルディの教えを請うているフィリップが練習中に足を踏み外した時、『綱渡り師が落ちるのは、残り3歩のところでだ。着いたと思って気が緩む』と語る。これは、ツインタワーの綱渡りでも絡んでくる。
また、パパルディが命綱なしでこんな綱渡りをするなんて俺は許せない、と激昂した時。フィリップは、かつてパパルディから教わった大事な教えだと言って、その時の自分の気持ちをパパルディに伝える。
『ステージではウソはつけない。観客に心の中を見られてしまう』
これは、見てくれた観客に対して感謝の気持ちを表現するよう、パパルディがフィリップに口を酸っぱくして言っていた時のことを指している。まだ若かったフィリップは、『命を掛けているのは俺だぞ』と言って、観客に対する感謝の気持ちを理解できず、パパルディと仲違いしてしまう。この場面も、ツインタワーの綱渡りである美しい形で結実するものがある。
フィリップの気持ちを知ったパパルディは、フィリップにこう返す。
『お前の綱渡りは、俺には理解できない。でも、きっと意味がある』
そして直接は語られなかったが、このツインタワーが9.11で倒壊したことに対する哀悼の意を示したのだろうと受け取った場面がある。
先ほど、展望台への特別パスをもらったという話を書いた。普通のパスには、有効期限が書かれているのだという。しかし、彼が受け取った特別パスは、有効期限の欄が消されており、そこに
『永遠』
と記されていた、とフィリップ自身が語る場面がある。「永遠は終わってしまった。」フィリップのそんな哀しい気持ちが表現されている場面のように、僕には感じられた。
『俺たちは証明したんだ。何事も可能だと』
フィリップの仲間の一人の叫びが、観客の胸にも自然と湧き上がってくる、そんな映画だと感じました。狂気は時に、人間を新たなフィールドへと導く。それを成し遂げた一人の男のイカれた芸術作品、その目で見てみたかったなと思った。
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