黒夜行

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東京大学超人気講義録 遺伝子が明かす脳と心のからくり(石浦章一)

内容に入ろうと思います。
本書は、東大で文系学生向けに行っている生命科学の講義を書籍化した作品です。
元々は、ヒトの心を分子レベルで解明しようとする研究を続けており、「分子認知科学」という新しい学問を生み出した人だ。しかし研究を続けていく中で、著者はこんな風に考えるようになった。

『しかし、やらなければいけないのは、正しい生命科学のメカニズムを解明することだけではなく、それをどう正確に一般に伝えるか、ということだということに気付き、それを実践する場として大学の講義を選んだ。』

そんなわけで著者は、理系学問を専攻していない文系の学生に、現代の生命科学で分かっている範囲内のことがらを、可能な限り専門用語を使わずに、様々な発見の歴史的な流れや、それぞれがどのような現象であるのかという説明をしていく。

僕は理系だったけど、生物とか生命科学とかはまったく無知です。数学と物理が好きで、化学と生物が嫌いだったので、本書に書かれている内容はどれも新鮮でした。心理学方面の本で読んだことがあるようなことがらも書かれていますけど、本書は基本的に、「ヒトの心が分子レベルでどう解明されてきたのか」ということがベースにあるので、心理学とはまた違っています。一つの遺伝子、一つの物質、一つの器官が、どのような振る舞いをすることで、ヒトの感情や行動や記憶が生み出されているのか。それを解説していきます。知的好奇心が満たされる、興味深い作品でした。

僕が一番面白いと感じたのは、この「分子認知科学」の分野が、薬の研究から進んでいったということです。どういうことでしょうか?
脳の中というのは、基本的に観察することが出来ません。脳内の血流を調べても、それは脳を観察したことにはなりません。脳内の血管を流れる血液の組成と、髄液などの内側の組成は違うからです。だから、脳で何が起こっているのかを、直接知ることは長い間不可能でした。

しかし、色んな病気や障害を治すために、様々な薬が生み出される。そのほとんどは、偶然の発見によって見つかるわけですが、ある薬を投与することで、ある現象や症状がなくなる。
例えば、ある薬に「イライラした気持ちを鎮める効果」があると分かったとする。その後、その薬が脳内でどう働いているのかを調べる。すると、何かの遺伝子や物質や器官が、その薬の働きによって影響を受け、イライラした気持ちを鎮めているのだと分かる。それからようやく、では人間をイライラした気持ちにさせるのは、その遺伝子や物質や器官が関係しているのだろう、と推察出来るという流れを取るのです。本書で描かれているほとんどの発見が、そういう経緯を経て見つかっていくのです。

この、「なんだか分からないけどこの薬が上手く効いた」というところを出発点にしないと、脳内で起こっていることを理解することが出来ない(今はMRIとかあるから違うかもだけど、昔は出来なかった)という事実が、非常に面白いと思いました。薬という存在を媒介にして、肉眼で見たり何らかの形で測定することが難しい脳の機能を、ちょっとずつ明らかにしていく。しかも、その端緒となる薬は、ほとんどが偶然によって発見されるのだ。非常に面白い。

例えば、アンフェタミンという覚醒剤は、最初ぜんそく薬として発見されました。それまでは、エフェドリンという薬を使うことで気管支を広げ、ぜんそくの症状を緩和していたのですが、このエフェドリンには人間の気分を高ぶらせるという副作用があった。そのために他の薬がないかとあれこれ調べて見つかったのがアンフェタミンでした。結局アンフェタミンにも、気分を高ぶらせる副作用があり、しかも合成が非常に容易だということで、今では覚醒剤として広まっています。

自殺しようとして大量に服薬した人のお陰で、優秀な薬だと判明したものもあります。ジアゼパムという睡眠導入薬で、大量に服用しても、二日間まるまる眠っただけで副作用がまったく出なかったことから、安全な薬だと判明したのです。

遺伝要因のある病気とない病気の違い、記憶のメカニズム、人間の性質を先天的に決定づける遺伝子、知能とは何かなど、分子レベルでヒトの心を研究するというスタート地点から、様々な方向にベクトルを伸ばしていきます。「タバコを吸うと、吸っていない時の知能が低下する」「バファリンを3等分して毎日飲むと長寿になれる(かもしれない)」など、日常的な話題もかなり出てきます。平易な内容だと言うつもりはまったくありませんが、文系の方でも頑張れば読み通せるレベルの内容だと思うので、是非チャレンジして欲しいと思います。

最後の方で、生命倫理の話が出てきます。これは、最近出来た新しい学問なわけですが、要するに、「遺伝子検査などによって引き起こされる問題にどう対処するか」という話です。
例えば、子どもが劣性遺伝病を発病する可能性があるかどうか知りたい夫婦がいました。クリニックでは遺伝子検査をしたのですが、その結果、その子どもは依頼人の夫の子ではない、ということが判明してしまいました。この場合、クリニックは真実を告げるべきか、告げないべきか…。遺伝子検査に関係したこのような様々な問題が世界中で起こり、それらについて議論することで、生命倫理というのは形作られています。本書では、その生命倫理の一端にも触れます。

生命倫理の基本原則は、「患者がリスクを負うなら干渉しない」というものです。たとえば、宗教上の理由から輸血したくない、という患者がいる場合、生命倫理の観点から言えば、医者はこの患者に勝手に輸血することは許されません。本人がリスクを負う以上、その決断には干渉しない、という基本原則に則って、様々な問題への対応が議論されていきます。まだ若い学問なのでこれから様々に変化しうるでしょうけど、遺伝子検査というのが日常に入り込む世の中になっている以上、僕たちもこの生命倫理の考え方は知っておくべきではないかと思いました。

分子でヒトの心を理解するという試みは、味気ないものがあるかもしれません。その内、遺伝子を解析することで自分の知能がどれぐらいまで伸びるのか、どれぐらい運動機能が成長するか、どんな病気になるか、受精卵さえ出来る前から子どもがどんな性格になるのか、そういうことが分かる世の中が来るかもしれません。それが良いことなのかどうかはともかくとして、そういうことを知ることが出来る世の中になってしまったら、それを知るという誘惑に多くの人は負けてしまうでしょう。そういう意味では、今後の僕らの生活を大きく変えてしまう可能性を持つ学問だと思います。まだまだ分からないことだらけというのが現状だけど、今後どんなことが判明していくのか楽しみな学問でもあります。文系向けに行われた講義の内容を知って、この学問の最先端に触れてみましょう。

石浦章一「東京大学超人気講義録 遺伝子が明かす脳と心のからくり」


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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)