黒夜行

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水鏡推理(松岡圭祐)

内容に入ろうと思います。
文科省の新人の一般職員である水鏡瑞希は、東日本大震災の被災地の仮設住宅に長期に派遣されていた。文科省の官僚に連れられて、同じく一般職である澤田は瑞希の元を訪れた。それは、ある被災者への謝罪を行うためだ。
被災地のとある仮設住宅に、一人だけずっと居座っている男がいる。彼は、日本中すべての原発を停止させないとここから動かないと主張する。どうにか彼に仮設住宅から出てもらえるよう、再三各省の官僚が出向くが、門前払い。女性の方が受けがいいだろうということで、瑞希に白羽の矢が立つ。
しかしそこで瑞希は、誰もが予想もしえなかった驚異的な結論を導き出してしまう。結果的にその男は仮設住宅から出ざるを得なくなったが、同時に、官僚や行政の論理に反した行動を取ったとして、瑞希と澤田は、同じく文科省ないにある、研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォースという、助成金目当てで不正を行う研究者を追及する部署に配属されることになった。
驚異的な推理力を発揮する瑞希は、異動になってからも、一般職であるが故にほとんど情報が与えられていない状況でも、研究の不正を見事に見破っていく。しかしそんな瑞希の行動は、事なかれ主義であり、目立たないことこそ大事と考える同じチームの官僚に厄介に見られてしまう。総務省に父がいる南條朔也、女性官僚である牧瀬蒼唯、そして室長である檜木周蔵らを敵に回してでも、瑞希は研究の不正を暴こうとする。
そんな彼女の行動が次第に周りの人間を変えていき…。
というような話です。

松岡圭祐の作品を久しぶりに読みましたけど、相変わらずこの作家は面白い作品を書くなぁ、と思います。とにかく、エンタメ作品のお手本みたいな小説で、どれを読んでも面白いです。特に一貫して、魅力的な女性主人公を生み出し続けてきていて、本書でも、とにかく物語の中心は、水鏡瑞希という女性にあります。

瑞希は、幼いころ阪神大震災を経験し、貧しい暮らしを経験している。だから、被災地で親身になって働くし、また不正に国税を奪おうとする輩を許せないでいる。熱血、という感じでぐいぐい動くキャラクターでは決してないのだけど、ここぞというところでは決して引かない強さを持っている。瑞希は、圧倒的な正しさと正義感を常に持っているのだけど、しかし、言い方はおかしいけど、それが“圧倒的に”正しかったり正義だったりするが故に、周りから疎んじられたり、周りとうまく溶け込めなかったりする。見ていて、実にもどかしい存在だ。現実の世界で、自分の近くにこういう人がいたら、やっぱりもどかしいだろう。正しいのは間違いない。正義なのも間違いない。でも、やり方がスマートじゃないというか、ストレート過ぎるが故に、常に摩擦が起きてしまう。助けようにも、うまく関われない。そんな風に感じさせる女性だ。

だから本書の場合、澤田というキャラクターが実に重要になってくる。澤田は、瑞希に惚れていて、しかも彼女の能力に心の底から信頼を置いている。しかも瑞希と同じ一般職だ。瑞希がどれだけ辛い立場に立っていても、少なくとも気持ちだけは常に瑞希に寄り添っている。そのことが、瑞希にもちゃんと伝わっている。瑞希が数々の不正を見抜くことが出来たのも、澤田という影の存在あってのことだと言って言い過ぎではないだろうと思う。この二人の、なんだか不器用な関係性も、純情な感じでなかなか読ませるポイントだ。

僕が本書で巧いと感じたのは、舞台設定だ。本書は、物語の中身だけ取り出せば、ちょっとした謎解き程度の話だ。しかしそこに、官僚の論理、研究者の論理を組み込むことで、ちょっとした謎解き程度ではない物語に仕上げている。

官僚の論理とは、一言で言えば「事なかれ主義」である。特に加点がなくても失点がなければ出世できる官僚は、敢えて火中の栗を拾う真似をしたがらない。さらに、瑞希が配属されたタスクフォースには、皆が仕事に熱心にならない理由がある。このタスクフォースは文科省の直轄だが、文科省が絡んでいる研究プロジェクトも多くある。組織が独立して以降の問題発覚ではあったが、STAP細胞の研究も元々は文科省と関わりのあるプロジェクトだったようだ。色んなところに手を伸ばして、うっかり文科省が関わっている研究に横槍を入れるようなことになっては困る。室長である檜木のそんな考えもあって、このタスクフォースは実質的にはあまり機能していない。

『(ある事例が詐欺であると見抜いたことを攻められた瑞希と官僚とのやり取り)
「文科省が詐欺師を見逃したって、そしりを受けるかも」
「あとで弁護士か所轄署の耳にいれておくだけでいい。責任は回避される」』

『調査対象になっていなかった事例に、勝手に首を突っ込んだ。官僚なら好ましくないことだとわかるだろう』

瑞希は、自分とは合わないこういう論理の中で戦っていかなくてはいけない。謎解きに、この官僚たちの事なかれ主義という要素を放り込んで対立関係を作ることで、物語の厚みは増している。

さらに本書では、研究者の論理も様々に描かれていく。本書では、研究者というのは、国から金を騙し取る悪役として描かれている。彼らは、国から研究費を助成してもらうために、その研究がいかに素晴らしいか、価値があるかを、予算権限を持っている者に示さなくてはいけない。本書の場合、それは文科省になる。
しかし、研究というのは実に難しい側面を持っている。ここに、本書の中にさらに面白い構図を持ち込む秘密がある。

研究というのは、結果が分かった上で始めるわけではない。当然だ。何か分からない事柄があって、それを検証し白黒つけるために研究をするのだ。しかし、その白黒つけるためにもお金がかかる。研究費が必要になる。しかし、予算は限られている。であれば、その研究がお金を出してもらって当然である、ということを示さなくてはいけない。
しかし、ここに矛盾がある。同じことをもう一度書くが、研究というのは、結果が分からないからやるのだ。しかし、研究費を引っ張ってくるためには、さもその研究がどんな結果をもたらすのか分かっている風に見せなくてはいけないのだ。

これは実に困難だと言える。たとえばこれは、芸能人のスカウトマンに、将来確実に売れる子だけをスカウトしろ、というようなものではないかと思う。そんなこと、分かるわけない。けど、この子は絶対に売れますと言わないとお金にならないから、あの手この手で何か説明する。研究者が置かれている状況というのはこういうものではないかと思う。

さて、その上で本書ではどんな研究者の論理が描かれるのか。
もちろん、不正を働いて研究費を得ようとする研究者には、様々な動機があるだろう。実際に有望な研究なのだけど、現時点でその成果を示しづらいものの場合、パフォーマンスとして仕方なく嘘をつく、なんていう研究者も実際にはいるだろうと思う。しかし本書では、より悪い研究者が描かれる。
支給される前の審査にパスしさえすれば、行政からの助成金は、研究中だと主張し続ければずっと入ってくる。そこで、こんなことを考える研究者も出てくる。どうにかうまいことやって、国から助成金を引っ張ってくる。で、研究中だと嘘をついて研究は一切やらず、金だけ丸ごといただこう、というような。

研究者の側も辛いということは、僕はなんとなく分かるつもりだ。無茶なことを要求されているのだ。分からないから研究するのに、結果が分かっているかのように振る舞わなければお金が手に入らないというのは無茶だ。しかしそれでも、現行のシステムのままだと、悪徳研究者がはびこる余地が生まれてしまう。本書で描かれるタスクフォース、実際に文科省に最近設置されたようである。一般人からすればなかなか馴染みのない話ではあるのだけど、研究費として国税が投入されているのだから、それが正しい形で使われて欲しいと考えるのは当然だ。本書が、僕ら一般人の関心を引くきっかけになるならいいなと思う。

本書の中で瑞希が暴く様々なトリックは、種さえ分かってしまえば実にちゃちぃものだ。実際にマジックの現場で使われているトリックが応用されているようなものもきっとあるでしょう。割としょーもないトリックで乗り切ろうとする。
しかし、しょーもないトリックだからと言って、物語にケチをつけたいわけではない。本書の場合、しょーもないトリックを描くことで、こんな簡単なことで騙されてしまうのだと思わせることが出来るのだ(読者もきっと、その場にいたら騙されてしまうだろう)。また、しょーもないトリックだから盲点になる、という見方も出来る。なにせそのトリックを仕掛けているのは、マジシャンではなく研究者なのだ。研究者が、自らの研究のメリットを証明するために行っているわけで、いくらタスクフォースに回された案件だからと言っても、トリックを使っているなんて思わないだろう。やっているのが研究者であるというメリットを最大限活かして、大げさにしないことで、より見破られにくくしていると見ることも出来る。

しかし、トリック自体はしょーもないにせよ、本書で描かれる研究の中には、世の中にそんな研究があるんだな、と思わせるようなものも多くある。松岡圭祐の博識さが伺える。それぞれの研究に対して、どの部分にトリックを用い、さらにどういう発想から瑞希にそれを見破らせるのかというのを考えるには、それぞれの研究に対してそこそこの知識はないと難しいだろう。そういう部分のディテールというのは相変わらずさすがだなと感じました。

『あなたがいてくれてよかった。なんのために働いているのか思いだせたから』

本書は、日々の仕事や生活に倦んでいる人に力を与える作品でもあるだろう。ただ会社の歯車のように働いている人。理不尽な命令に従わざるを得ない人。変化のない日常に嫌気が差している人。そういう人に、自分にも何かやれることがあるのかもしれないと、ささやかに期待させる力があると思います。もちろん、誰もが瑞希のようにはなれないと思うけど、瑞希のように、逆境にも批判にもめげずに自分の信念を貫き通すことが出来る生き方に近づこうと動いてみることは出来るのかもしれないと思います。

『もし悩んだり行き詰まったりしたら、思いだせ。おまえは水鏡だ!真実を映し、人の規範となる水鏡だ。絶対まちがってない。人を正しくする使命があるんだ。鏡は曇るが、水鏡は曇らない。いつでも陽射しをまぶしく照りかえす』

そんな風に思ってくれる人の存在があるから、瑞希は戦える。色んな形で人間の優しさを感じ取ることが出来る作品でもあります。

松岡圭祐「水鏡推理」


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3位 浅野いにお「うみべの女の子
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感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

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7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
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9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

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