黒夜行

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タスキメシ(額賀澪)

内容に入ろうと思います。
眞家兄弟。高校で同じ陸上部にいて、どちらも走りが速くて、でも二人の人生は大きく違ってしまった。
弟・春馬は、順調にタイムを伸ばし、ぐいぐいと力をつけている。順調そのものだ。チーム一早いキャプテンの助川のタイムを抜くかもしれない。春馬は強い。速い。
しかしそんな春馬が、『走ってる時の兄は最強だった』と語るほど、兄・早馬も速かった。常に誰よりも先頭を走り、振り向きざまに笑みを零すのでムカつかれることもあった。綺麗なフォームで走る、速い男だった。
しかし早馬は、怪我をした。膝の剥離骨折。ちゃんとリハビリをすれば、1年後の大会には出られるかもしれない。しかし、その頃にはもう、ほとんど卒業だ。
早馬の担任の教師である稔は、学校の敷地内に自分の畑を持っている。稔が勝手に作ったのだ。稔はそこで野菜を作り、暇そうにしている早馬にも手伝わせる。
それがきっかけで、井坂都と出会う。
都は、学内のたった一人の料理研究部部員だ。調理実習室でいつも料理をしている。稔は都に野菜を届け、都が作った料理を食べて帰る。野菜を持っていく役を命じられた早馬は、流れで料理を手伝わされることになった。
都の料理は、美味い。喋らなければ楚々とした雰囲気なのに、がさつで無神経な物言いをする女が作る料理とは思えないほど美味い。
早馬は、ふと考える。偏食家の弟のことをだ。野菜嫌い、魚嫌い、豆も茸も嫌い。和風の味付けもあまり好まない。嫌いなものを食べるくらいなら、食べないでいた方がマシと考えるような、弟のことを。
俺が料理を作って食わせてやればいいんじゃないか。
その日から早馬は、リハビリにも行かずに都の元へと通い、料理を習うことになる。
最強だったはずの兄は、一体どうしちゃったのだろうか?あいつは本当に陸上から身を引くつもりなのか?周囲の様々な人間が、早馬のことを考える。あいつが陸上から離れていくのは、嫌だと。
というような話です。

こんな風に内容紹介をすると、「偏食家な弟のために料理を習う兄の物語」という風にしか思えないかもしれませんが、まったくそんなことはありません。それはあくまでも舞台設定であって、早馬を中心として、弟の春馬、キャプテンの助川、料理研究部部員の都らとの、深く絡みあった人間関係が描かれていく。その人間関係には、様々なベクトルが存在し、一筋縄ではいかない。怪我をして陸上を辞めようとしている早馬の葛藤はまだ分かりやすいが(それでも、そんなに単純というわけでもないのだけど)、都が抱える屈折したねじれとか、助川が抱く言葉にならない奥底にしまわれた想いなど、物語が進むにつれてそういう分かりにくい葛藤も浮上してくる。思った以上に広がりのある物語で、料理を作って弟に夢を託す兄、みたいなありがちな物語ではないことに驚かされた。

怪我のために陸上から離れようとしている早馬の葛藤は、一見分かりやすい。まったく回復の見込みがないわけではなく、きちんとリハビリをすればまだ戦えるかもしれない、という状態であるが故に、早馬の周囲の人間は、何故いま辞めようとしているのか、と思いたがっている。確かに、そういう風に強く立ち続けることが出来る人間も、世の中にはいるだろう。怪我を克服して活躍したスポーツ選手の話とか、障害をものともせずに物凄いことにチャレンジする人たちの物語を、多かれ少なかれ僕達は知っている。

しかしやはり、そんな人間ばっかりじゃない。
僕は、早馬が陸上から離れようとしている気持ちが、最初から共感できていたような気がする。むしろ、春馬や助川が、直接的には言わないにせよ、早馬に戻ってきて欲しいという雰囲気を出す方が、凄いなと思っていた。

戦い続ければ負けではない、という気持ちは、わかるつもりだ。戦いのステージから降りなければ、少なくとも負けたことにはならない。勝つ人間というのは、そういう強い気持ちを常に持ち続けられるのだろう。しかし、負けではないからと言って戦い続けることは、苦しい。負けだと確定することになっても、何かをすっぱり諦めること。それは時として、別の扉を開くきっかけにもなるはずだ。

とはいえ、春馬も、辞めるという決心を、自分自身で下すことはなかなか出来ない。この気持ちも、分からないではない。特に早馬は、それまでずっと勝ってきた男だ。怪我をきっかけに気持ちが切れてしまったにしても、勝ち続けてきた人間が辞める決断をそう簡単に下すことは出来ない。
だから、たぶん早馬は、周りから固めようとしたのだろう。弟のために料理をしているのだ、という事実を、周囲の人間にも、そして自分自身にも植え付けることで、既成事実を作ろうとした。「陸上を辞めるかどうか」という後ろ向きな決断を、「陸上ではない新たな何かを始める」という前向きな決断にすり替えることで塗り込めようとする。
あー、そういう早馬の気持ちが、凄くよく分かるなぁ、と思ってしまうのだ。

しかし、早馬は、決して怪我のせいだけで陸上から離れようとしているのではない。究極的に言えば、怪我は一つのきっかけだったに過ぎない。もっと言えば、早馬は、辞めるきっかけを探していたと言っても、そこまで言い過ぎではないのかもしれない。そこにどんな葛藤があったのか、それは是非本書を読んで欲しいのだけど、早馬の内側に秘められたその想いを知った後で、改めて早馬の様々な言動を振り返ってみると、早馬の揺れ動く心がより明確に見て取れるように思う。

その、早馬の内側に秘められた想いを早馬の内側から引きずりだしたのが、都である。

『空っぽになった場所を、料理をすることで埋めた気になってるだけじゃないのか』

怪我の後、早馬の周りの人間は、早馬がいる前で陸上の話をするのをやめた。それは早馬を複雑な気持ちにさせる。しかし都は、そんな気遣いをする女ではない。ガラの悪い口調で、ズケズケと厳しいことを言う。たぶんそういう都に、早馬は安堵を感じていたのだろう。その気持ちは、分かるような気がする。腫れ物に触るように関わられるぐらいなら、いっそ腫れ物に触れてほしいと、僕も思ってしまうだろう。

『井坂は、今は誰かと料理をした方がいい』

料理研究部の顧問でもある稔は、早馬に対してそう語る。都自身も、問題を抱えている。都が早馬だけでなく誰に対しても無遠慮に関わるのには、理由がある。

『私が、たいして親しくもない他人から、可哀想可哀想って心配なんかされたくない』

都は、そう力強く叫ぶ場面がある。都は、可哀想だと思われる視線に、敏感すぎた。それがたとえ、心底の善意であっても、自分を可哀想だと見る見方を感じれば、都はそれを不愉快に感じた。都自身、そう思うことを止められなかった。
だから、都の無神経さは、自らの経験の裏返しだ。自分がされたくないことを、他人にもしないと決意している者のあり方だ。同じような経験をしてきた早馬には、きっとそれが理解できたのだろう。だから、都と早馬は、急速に親しくなっていく。

『だから私は早馬を受け入れたのだろうか』

都もまた、早馬と関わることで変化していく。振り払おうとしても永遠についてくる“孤独”という悪魔と共存することに決めた都は、一人でいることに違和感を抱かない。家でも学校でも、一人だ。誰と一緒にいても、都は一人。誰の存在も寄せ付けない。受け入れない。自らをさらけ出さない。ガラの悪い口調は、ある種の鎧だ。そうやって振る舞う生き方が、痛々しく見えなくなるまで、都はどれほどの苦労を重ねただろうか。早馬が出会った頃の都は、無理して無神経に振る舞う必要はないほどその自分にもう馴染んでいただろう。しかし、初めからそうだったとは思えない。きっと少しずつ塗り重ねていくようにして、自分のあり方を変えていったはずだ。

だから都は、筋金入りの孤独者だと思うのだ。料理だって、一人で出来る。顧問の稔は、都が作った料理を食べることで、少しでも都に関わろうと、都の孤独に関わろうとする。稔の距離感の取り方は実にスマートだが、しかしやはり年の離れた教師には限界がある。怪我によって長年続けてきた陸上を諦めようとしていて、また弟のためという大きな理由を持って料理をするから熱心に学ぼうとする早馬の存在は、孤独者になるために都がそぎ落としていったものを少しずつ取り戻すきっかけになったかもしれないと思う。

『逃げたっていいと思う』

都のこの言葉が、僕は好きだ。

弟の春馬と、キャプテンの助川もそれぞれ、複雑な想いを抱えたまま、日々の練習を続けていく。春馬は、兄の怪我に対して責任を感じている。自分のせいで兄は怪我をしたのだ、と。小さい頃から、自分の中の最強だった兄の姿を、春馬はずっと追いかけていたかった。兄がいたから、自分もここまでこれた。それなのに、兄だけが離脱してしまうことが、どうにも受け入れられないのだ。

早馬が弟の体調を考えて料理を作るのと同じように、春馬も兄のことを考えて色んなことをする。しかし、早馬は、弟の「強く速く怪我をしない選手になる」という願いを叶えるために行動しているのに対して、春馬は「兄ちゃんに陸上を辞めてほしくない」という自分の気持ち優先で行動してしまう。だから、春馬の言動は、兄に対して空回りしてしまう。

『だから、自分は兄の作る料理を残すことができないのだろう』
『できれば、兄貴の飯が食いたかったな』

まるで早馬が弟の料理に、特別な何かを入れたかのように、料理を通じて春馬は兄の気持ちを知り、兄の決断を受け入れようとする。弟の偏食を治すための食事は、春馬の兄に対する強張った気持ちをほぐすという別の役割を担いもしたのだ。

助川もまた、早馬に陸上から離れてほしくないと思っている。しかし助川は、春馬ほどその気持ちを表に出さない。普段クールに振舞っている彼には、そういうことが出来ないのだとも捉えられるけど、そもそも助川が自分の気持ちを捉えきれていなかったという側面もある。

ここでも、そんな助川の気持ちを引きずり出すのは、都なのだ。
助川と都は幼なじみであり、色々あって難しい関係にあった。高校に入ってからは、昔のわだかまりなんかを感じさせないで接することが出来るようになったけど、そんな過去があるからこそ、助川は都に対して、春馬が都に対して抱く以上に様々な感情を抱えている。

都と助川の関係も、なかなか一筋縄ではいかない。都がずっと抱えてきた想いをラストで吐露する場面でも、その印象は一層深まる。幼なじみ、という言葉ではたくさんの何かがはみ出してしまう、そんな二人の関係も繊細で読み応えがある。

『四年間も自分に嘘をついて、裏切り続けるなんて、なかなか大変だよ』

人間は、自分のことだってちゃんと分かるわけじゃない。正しいこと、本当の気持ち、そんなものはちょっとしたことですぐ揺れ動く。既存の言葉では置き換えが出来ないようなものだって、人間はその内側に溜め込むことが出来る。
人生は、決断の連続で出来ている。一つ一つの決断が、その後の人生を左右する。後悔しない人間なんていないのだろう。であれば、後悔しないために決断しない、という生き方ではなく、後悔するだろうけど決断して前に進む、と決めてしまう生き方の方が潔いのだろうなと、一点でまごついて彷徨っている少年少女たちの葛藤を読んでいて感じました。

人間が人間を想う気持ちを、走りや料理に託して絶妙に描き出し、人間が変節していく様を丁寧に描き出した作品です。額賀澪は、やっぱり巧い。

額賀澪「タスキメシ」


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10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
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5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
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小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
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6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
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12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
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16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
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コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
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13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
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1位 千早茜「からまる
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